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2007年11月27日(火)
「歴史上の人物ばかりを研究している人」への箴言

『シーマン語録2〜悩める小魚への145の賢言』(シーマン著・斎藤由多加編)より。

【(歴史上の人物ばかりを研究しているユーザーを戒めて)

おまえ自身の過去ほど教訓の多い題材ないぞ、おまえにとって。】

〜〜〜〜〜〜〜

 プレイステーション2のゲーム『シーマン2〜北京原人育成キット』および、携帯向けサービス『シーマン』によせられた人生相談の回答などをまとめた本の一節なのですが、歴史好きの僕にとっては非常にインパクトがある言葉でした。
 いや、歴史上の人物のみに限らず、例えばネット上に氾濫している「有名人の言葉」や「達人が教える生き方のコツ」みたいなものを「たくさんブックマークしている」ことを自慢している人や、「そういう言葉を使って他者を攻撃している人」って、けっこうたくさんいますよね。
 もちろん、そんなふうに「他人の言動を研究して生かそうとする」ことは悪いことではないと僕も思います。
 しかしながら、そういう「他人の言葉を集めることばかりに夢中になっている人」の多くは、「自分の歴史を研究することはない」のです。考えてみれば、僕の人生にとって、アメリカの大統領の「名言」を記憶し、分析することよりも、自分が大事にしなければならなかった人に投げつけてしまった「失言」の理由を分析し、そんなことを繰り返さないようにすることのほうが、よっぽど切実で大切なことのはずなのに。
 結局のところ、自分自身が見えていない人は、どんなに素晴らしい言葉や文章をたくさん記憶していても、他人に自慢するための道具にしか使えないのです。

 「自分の過去に学ぶ」っていうのは、ふさがりかけた傷口に自分で指を突っ込んで押しひろげるようなものなので、辛いものではあるのですけど、確かに、自分にとっていちばん学ぶべき歴史上の人物は、「過去の自分」なのでしょうね……