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2007年10月29日(月)
鉄道マニアの屈折した「男らしさ」

『麗しき男性誌』(斎藤美奈子著・文春文庫)より。

(『鉄道ジャーナル』を紹介した項の一部です)

【鉄道マニアに関する研究はあまり見あたらないのだが、ひとつ紹介しておきたい文献がある。社会学者の鵜飼正樹氏による論考「鉄道マニアの考現学」(西川祐子・萩野美穂子編『共同研究 男性論』所収)である。
 鵜飼氏によれば、鉄道マニアは圧倒的に男性が多い(ついでにいえば風采の上がらない男が多い)。あらゆる分野に女性が進出している昨今、なぜこの分野だけは男性偏重なのか。若い女性に質問すると「進出したいとも思わない」。
 ジェンダー論の見地から氏は鉄道マニアの屈折した「男らしさ」を分析するのだ。男らしさを特徴づける性質に照らすと、鉄道マニアはかなり「男らしい」趣味だという。人よりよい写真を撮りたい等の情熱(優越志向)、コレクション熱(所有志向)、仕事や家庭も犠牲にしかねぬ我の強さ(権力志向)。これらはあらゆる「マニア」に共通の志向性だが、鉄道マニアには「男らしさ」が挫折せざるをえない事情がある。鉄道は、それを所有することも運転することもできないからだ。彼らが所有できるのは、写真(二次元)、模型(ミニチュア)、グッズ(部分)、時刻表(データ)、乗車体験(記憶)といった二次的なものにすぎない。鉄道趣味は「中途半端な男らしさ」を体現した世界だと鵜飼さんはいうのである。
 一方、政治思想史が専門で、同時に鉄道ファンである原武史氏は、『鉄道ひとつばなし』(講談社現代新書)の中で、鉄道マニアに女性がいないのは歴史的要因が大きいと書いている。近代日本の牽引役であり、もっぱら国家的、軍事的使命を帯びていた鉄道には、女性を排除する構造があったというのである。そういわれると、たしかにバスや飛行機に比べ、鉄道会社には女性の職員が極端に少ない。客室乗務員が女性だったら、事態はもうちょっとちがったのだろうか。
 その原武史さんに直接うかがったスペシャル情報によると、鉄道マニアには3つの属性があるそうだ。第一に圧倒的に男性ばかりの世界であり、しかも彼らは孤立している(これは鵜飼分析と同じ)。第二に「ぷちナショナリスト」(日本が好き。海外の鉄道には興味がない)。第三に現状追随型(地方の新幹線建設に反対したり、ローカル線廃止に反対するなど、地域の運動と連帯することはない)。】

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 斎藤美奈子さんがこの文章を書かれたのは2001年の12月。現在では「鉄道好き」をカミングアウトする女性も増えてきていて、だいぶ時代の流れは変わってきているようではあります。鉄道アイドル、略して「鉄ドル」なんていう女性もいるみたいですし、エッセイストの酒井順子さんも「鉄道好き」なのだそうです。
 それでも、全体的にみれば、「鉄道」というのは、やはり「男の趣味」だといえると思います。酒井順子さんに『女子と鉄道』という著書があるのですが、このタイトルが成り立つのは、「女性の鉄道好きに希少性があるから」なのです。
 『男子と料理』とか『女子と競馬』というようなタイトルでは、もはや「意外性」を感じる人はほとんどいないはず。

 ここで斎藤さんが紹介されている「鉄道マニアの男性の特徴」というのは、鉄道マニアではない僕でさえ、「ここまで言わなくてもいいのに……」と感じてしまうくらいで、この人たちは、単に「鉄道マニア」が嫌いなだけなのではないかと疑ってしまいます。「風采の上がらない男が多い」なんて、どうやってそんな統計とったんだよ!と言いたくなりますよね。

 しかしながら、「鉄道趣味は『中途半端な男らしさ』を体現した世界」だという言葉には、けっこう説得力があるような気もするのです。
 確かに、鉄道っていうのは、普通に生活している人間にとって、まず「自分のものにはできない」し、「自分で運転することもできない」ですよね。
 同じ「乗り物趣味」であっても、車であれば、F1で使われるフォーミュラーカーなどは別として、「それなりの高級車」なら、手に入れて自分のものにする、それが無理でも自分で運転してみるチャンスは誰にでもあるはずです。逆に「カーマニアだけど、車の写真を撮ったり、走っているのを見たりするだけで満足」という人はほとんどいません。
 飛行機でさえ、さすがに誰にでも運転できるというわけにはいかないかもしれませんが、ある程度のお金とやる気さえあれば、僕のような中年男でも、今から免許をとることは不可能ではありません。もちろん、ジャンボジェットは無理だろうけど。

 それに比べて、「鉄道を運転する」というのは、本当に敷居が高いことなのです。鉄道会社の運転士になる以外の「方法」は思いつかないし、ある程度年を取ってしまうと、運転士に転職することは不可能です。もちろん、ビル・ゲイツさんくらいの大富豪であれば「自家用鉄道を造り、自分で運転する」ことだってできるかもしれませんが……

 まあ、それが「『中途半端な男らしさ』を体現した世界」なのだとしても、僕はそれが無価値なものだとも思わないのですけどね。それが「男らしさ」だという信念のもとに、猛スピードで走ってきて前の車にパッシングをしまくる人とか、ボクシングの世界タイトルマッチで相手陣営を恫喝する人とかに比べたら、はるかに無害だし、正直なのではないかと。そういうのが「平和ボケ」なのかなあ。

【第三に現状追随型(地方の新幹線建設に反対したり、ローカル線廃止に反対するなど、地域の運動と連帯することはない)】なんていうのを読むと、「何かが失われてしまうことに対して、お祭り騒ぎをして寂しがってみたりはするけれども、それをひとつのイベントとして消化していくだけで、身を挺して反対するわけではない」という「鉄道ファン」って、実は、「日本人そのもの」のような気がします。
 僕にとっては、極端に「男らしい国」よりは、よっぽど住みやすい国ではあるんですけどね。