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2007年08月06日(月)
「原爆はわたしにとって、遠い過去の悲劇で、同時に『よその家の事情』でもありました」

『夕凪の街 桜の国』(こうの史代著・双葉社)の「あとがき」より。

【「広島の話を描いてみない」と言われたのは、一昨年の夏、編集さんに連載の原稿を渡して、帰省したとかしないとか他愛のない話をしていた時のことでした。やった、思う存分広島弁が使える! と一瞬喜んだけれど、編集さんの「広島」が「ヒロシマ」という意味であることに気が付いて、すぐしまったと思いました。というのもわたしは学生時代、なんどか平和資料館や原爆の記録映像で倒れかけては周りに迷惑をかけておりまして、「原爆」にかんするものは避け続けてきたのです。
 でもやっぱり描いてみようと決めたのは、そういう問題と全く無縁でいた、いや無縁でいようとしていた自分を、不自然で無責任だと心のどこかでずっと感じていたからなのでしょう。わたしは広島市に生まれ育ちはしたけれど、被爆者でも被爆二世でもありません。被爆体験を語ってくれる親戚もありません。原爆はわたしにとって、遠い過去の悲劇で、同時に「よその家の事情」でもありました。怖いという事だけ知っていればいい昔話で、何より踏み込んではいけない領域であるとずっと思ってきた。しかし、東京に来て暮らすうち、広島と長崎以外の人は原爆の惨禍について本当に知らないのだという事にも、だんだん気付いていました。わたしと違ってかれらは、知ろうとしないのではなく、知りたくてもその機会に恵まれないだけなのでした。だから、世界で唯一(数少ない、と直すべきですね「劣化ウラン弾」を含めて)の被爆国と言われて平和を享受する後ろめたさは、わたしが広島人として感じていた不自然さより、もっと強いのではないかと思いました。遠慮している場合ではない、原爆も戦争も経験しなくとも、それぞれの土地のそれぞれの時代の言葉で、平和について考え、伝えてゆかねばならない筈でした。まんがを描く手が、わたしにそれを教え、勇気を与えてくれました。
 慣れない表現は多いし、不安でいっぱいでしたが、何も描かないよりはましな筈だと自分に言い聞かせつつ、ともかく描き上げることが出来ました。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕は小学校時代を広島で過ごしたのですが、当時(もう30年近く前になります)、8月6日は必ず夏休み中の「登校日」になっていて、僕たちは体育館に集められ、倒れそうになるほどの猛暑のなか、「被爆者の体験談」を聞かされたものでした。正直、当時の僕たちは、夏休みの最中に、そんな怖くて気持ち悪い話を聞かされるのを「嫌だなあ」とか思っていたんですよね。
 その後、僕が引越しをして驚いたのは、この「日本」という国全体で同じことが行われているわけではない、ということだったのです。8月6日、8月9日の「原爆の日」は、日本人みんなが黙祷を捧げる日だと僕は思い込んでいたのだけれど、長崎がすぐ近くにあるはずの九州の某県の小学校でも、「原爆について語ること」は、ほとんど行われていなかったのです。

 子供の頃は、「あんな怖い話を聞かされたり、暗い歌を歌わなくてすむようになってよかったなあ」なんて単純に考えていたのですが、今になって考えると、「原爆」という人類史上に残るはずの惨禍は、「日本のもの」どころか、「ヒロシマ」「ナガサキ」のものとして、「ローカルな悲劇」に矮小化されているように思われます。僕も、広島や長崎以外の人たちの多くが、あまりに原爆を「他人事」としてみていて、「そんな辛気臭いものに興味はない」という態度を示しているように感じますし。
 逆に、「ヒロシマ」「ナガサキ」が、「被害にあった自分たち」をアピールするあまり、自らを「特別視」してしまい、これを「日本という国そのものの問題」「世界の問題」として広く伝えるための努力を怠ってきた、という面もあるのかもしれませんが。
 そもそも、日本という国にだって、アメリカとの関係を維持するために「原爆投下はしょうがなかった」なんて言い出す偉い人もいるくらいですし。

 世界の国々のなかには「核兵器を保有したこと」を多くの国民が祝うような国だってあるのです。それは「日本人」である僕にとっては異様な光景なのですが、北朝鮮の例をみてもわかるように、「核兵器」は、とくに小国にとって、たしかに「この上なく有効な外交カード」になりうるというのも事実です。そして、すでに地球を何十回も滅亡させられるほどの核兵器を持つ国が、他の国に「お前らは核を持つんじゃない!」と「世界平和」のために言い放っているというのは、なんだかとても不思議な光景ですよね……
 「核の抑止力」なんて言うけれど、本当に「生きるか死ぬか」という戦争になったとき、「みんな道連れ」にしようという権力者が出ない保障はどこにもないはずなのに。

 しかしながら、僕はこんなことも考えてしまうのです。
「原爆投下」は、歴史的にみれば、まさに「大量虐殺」ではあるのですが、人が「殺される」という点においては、核兵器もピストルも毒殺も、そんななに変わりないのではないか?と。
 自分が死ぬという立場になってみると、下手に拷問とかされてなぶり殺されたり、傷がどんどん悪化して苦しみぬいて死んでいくよりは、いっそのこと核兵器で一瞬のうちに「無」になってしまったほうがラクなのかもしれないな、という気もするんですよね。「核兵器」というのは、人類全体にとっては「特別な意味を持つ兵器」である一方で、個々の殺される人にとっては、「たくさんの悲惨な選択肢のなかのひとつ」でしかないのです。
 「核兵器」だけを特別視することに、そんなに意味があるのだろうか?
 そんな疑問に対する答えも、いまだに出せてはいないんですよね。

 「戦争」も「原爆」も、今の時代に生きている人間にとっては、「他人事」なのかもしれません。
 でも、1945年の8月6日に「ヒロシマ」で亡くなった人たちも、「その瞬間」まで、「ごく普通の戦時下の朝」を過ごしていたのです。

 むしろ「平和であること」のほうが、よっぽど特別なことなのではないかと、僕には思えてなりません。