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2007年06月22日(金) ■ |
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本田宗一郎さんが語った「自動車が50年前に比べて本当に進化したところ」 |
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『本田宗一郎の見方・考え方』(梶原一明監修・PHP研究所)より。
(本田宗一郎をよく知るジャーナリストである梶原一明さんへのインタビュー「不世出の経営者・本田宗一郎の世界」の一部です)
【自動車っていうのは人間が生活していくうえでのツールとしては非常に便利なものだけれども、これほど進化していないものもないんじゃないか。というのは、登場したときからタイヤが4つにハンドルがついていて、エンジンが載っていて、それで動くだけでしょう。 どこが進化したんですか? 本田さん、と訊いたことがあるんです。 すると、「昔はドライバーを何と言ったか? 運転士と言った。今、運転士という言葉があるか? ないだろう。それは、女でも子どもでも簡単に運転できるようなものになったから、運転『士』じゃなくて運転『手』になったんだ。『士』がつくのは、機関士とか操縦士のように、難しいものを運転する人だ」。こう言うんですね。「自家用自動車の運転士が事故」なんて報道する新聞があったらお目にかかりたい、とね。 その通りですよね。それが科学の進歩なんだと。 形式が4つのタイヤにハンドルということで変わらなくても、30年前、50年前の自動車に比べれば「士」が「手」になるくらい変わったんだ。 こんな具合で、本田宗一郎は非常におもしろいことを言うんですよ。これはもう、一種の文明論でしょう。文明論としての技術ですよ。 自動車というものができて、どんなメリットがあったんでしょう? と訊くと、「それは家だろうな」と言うんです。 というのは、日本は国土が狭いし、車抜きでは家が建てられなかった、というわけです。モータリゼーションがなければ宅地の造成なんかできなかった。ニュータウンになんか住んでいられない。 私(梶原)の住んでいるこの建売だって、もう二十何年も経つんだけど、駐車場がないのはうちだけでしたからね。うちは駐車場をつぶして増築しちゃったんですよ(笑)。でも、みんな自動車を持っていましたからね。山を崩して住宅地にしたようなところは無数にありますけれども、全部、自動車を前提としているというわけです。 だから、日本の自動車産業が急速に発展していなければ、住環境は猛烈に悪くなっていたかもしれません。】
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「世界のHONDA」を築いた男、本田宗一郎。 僕がリアルタイムで知っている本田宗一郎さんというのは、F1のパーティでセナに笑いかけていた好々爺なのですが、この話を読んでいると、本田宗一郎さんというのは、「車やバイクをこの上なく愛した人」であったのと同時に、自分たちの会社がつくっていた、この「文明の利器」の「役割」みたいなものを客観的に考えていた人でもあったようです。
言われてみれば、自動車の「4つのタイヤにハンドル」というスタイルは、オート三輪とか大型トレーラー、一時期のティレルの6輪のF1マシンのような一部の「例外」を除けば、この50年くらい全然変化がみられていませんよね。それがいちばんの「完成型」であるということなのかもしれませんが、傍からみれば、「進化がない」ようにも思えます。もちろん、目立たないところでの「進歩」は続いていて、僕も車を買い替えるたびに、同じ価格帯の車でも振動が少なくなったり、冬の日にもすぐにフロントガラスに張っている氷が解けてしまうようになったことに驚いてはいるのですけど。
そんなふうに「マイナーチェンジ」しかしていないように見える「車の進化」なのですが、本田宗一郎さんは、「見かけはほとんど変わらなくても、ごく一部の専門家しか操れなかった『車』という道具は、こんなに多くの人のものになったじゃないか、それこそが『進歩』なのだ」と語っておられます。より高度な技術を使って「最高の性能のもの」を造っていくことだけが「進歩」ではなくて、「同じ性能のものを使いやすくして、より多くの人の役に立つようにする」というのも、確かに「進歩」なんですよね。高いところを目指すだけではなくて、裾野を広げるというのも「技術」の力なのだよなあ。そういう意味では、パソコンというのも革命的に新しいことができるようになったわけではないけれど、「進歩」しているんですよね。
言われてみれば本当にその通りなのですが、『HONDA』のイメージとして、「より高度な技術を使って、より速い車を作る会社」というのが僕のなかにあったので、この考え方はちょっと意外なものでした。まあ、「みんなが車に乗れるようになったこと」によって、さまざまなメリットがもたらされたのと同時に、交通事故でたくさんの人が亡くなられているのも事実ですから、全く犠牲を伴わない「進歩」というのはありえないのかもしれませんが。
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