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2007年06月10日(日) ■ |
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タミヤの「代理店選びの鉄則」 |
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『伝説のプラモ屋〜田宮模型をつくった人々』(田宮俊作著・文春文庫)より。
【ドイツの名詞男ハインツを選んだことで、代理店選びの鉄則がひとつわかってきた。「取扱商品に有名ブランドをひとつももっていないこと、できればタミヤ一社だけの代理店であること」である。理由は簡単。懸命に売ってくれるからだ。 その鉄則のおかげで、フランスでは39歳のありがたい男と巡りあうことができた。アンリ・ロベールである。 1986年、フランスの代理店だったセジグループが破綻した。日本でいえば総合商社のような会社だった。ホビー部門は堅調という報告を受けて安心していたにもかかわらず、フランスのタミヤ製品が突如”孤児”になってしまった。急いで新しい会社を捜さなければならない。 パリの国際玩具見本市で目安をつけておいた7社を訪問して手応えを調べることにした。そのうち6社は、パリ近郊で地理的条件は良かったが、取扱商品が玩具から模型にいたるまで多岐にわたっていた。タミヤの販売に集中してくれるか、どうしても不安だった。 最後の一社は、グラウプナー・モデリシモという初めて聞く名の会社だった。しかもパリから小型機で30分もかかるファルケノンという辺鄙な田舎町にある。ザールブルッケン地方にある鉄の産地で、ドイツとフランスが常に領有権を争っていた場所として有名だ。 前もって連絡しておいたのに、私、商社の深野君、平山部長の3人が訪ねると、主人のロベールは興奮気味だった。並んだ順番が7番目でしかも一番地の利が悪い場所だから、(ここまでは来ないだろう)と思い込んでいたのかもしれない。 パリと違って気持ちのいいフランスの田舎町だった。ロベールの倉庫はその風景に溶け込んでしまうような古い木造の建物だった。早速、100平方メートルほどの倉庫内を案内してもらう。真っ先に興味を持ったのは棚である。がらんとしている。空いたスペースがとても多い。ライバル会社の商品もない。主力商品の存在が見えないのだ。 ロベールは懸命に倉庫を案内しながら、「自分の信用なら銀行で調べてくれ」という。必死である。興奮してタバコを休む間もなく吸いっぱなしだ。我々タミヤ勢はノースモーキングの人間だから、とても気になった。プラスチック製品の入った倉庫内でタバコを吸うのは絶対に危険だ。 「この人はよくタバコを吸う人だねえ」 とあきれて草野君にいうと、彼は間髪を入れず、 「ミスター・タミヤは喫煙する人は嫌いだ」 とぶっきらぼうにロベールに告げた。すると、世界一の愛煙国家の住人が急いでジタン(しかもフィルター無し!)をもみ消し、 「タミヤの代理店にしてくれたら絶対に禁煙する!」 といい放った。フランス語とドイツ語はしゃべれても英語を使えない彼に、 「英語も必要だよ」 と注文をつけると、 「女房と一緒に英会話を習う!」 といい出した。 夕刻が迫って来た。 「こんな田舎町でも3つ星レストランがある。食事をしていってほしい」 という。ロベール夫妻と模型談義をしながらそこで食べたトリュフの味は、いまだに忘れることができない。我が人生、三大美味のひとつである。 飛行場へ向かう時間が迫っていたので慌ただしく席を立とうとすると、 「フランクフルトの空港前のホテルなら、自分の車で送っていったほうが早いから時間は気にしないでくれ」 といってくれた。その言葉でワインの酔いがほどよく回り、ロベールの小さなBMWでフランクフルトの空港まで送ってもらうことにした。ロベールが酔った勢いでアクセルを踏む。平均時速180キロ。すっかり酔いが醒めた。 ホテルに戻ると2日間で回った7社の代理店候補の会社を検討した。結果はロベールの圧勝だった。 まず、主力商品に事欠いているので、タミヤ製品を一生懸命売るだろう。第二に、夫妻は以前ドイツのホビーショップに勤めていたから、夫婦そろって模型に関する知識が豊富だ。 もうひとつ、倉庫のスペースが空いていて、タミヤ製品が入る余地が十分ある。しかもドイツとの国境の小さな町なので輸入ライセンス枠に関係無しで商品が流れる。 ロベールが帰宅する時刻を見はからって電話をした。夜中11時半くらいだったと思う。 「明日の午後の便で二品に帰るので明朝10時ごろホテルに来てほしい」 と伝えた。 翌朝、ロベールは妻のエリカと正装してやってきた。条件を提示するなかで、 「小さくてよいから、パリにも事務所と倉庫をもちなさい」 といい添えた。ホビーショップは圧倒的にパリに集中しているからである。 条件交渉はスムースに進んだ。最後にロベールがタミヤの代理店になった時のマークを3種類、提案してくれた。すべて綺麗に彩色されている。彼は昨夜一睡もしないでこの新しいマークの図案を考えてくれたのである。 3種類のなかから「T2M」というマークを選んだ。 ビジネスはとてもうまくいき、数年で事務所や倉庫は新しい土地に移された。いまやフランス有数のホビーグッズのインポーターである。】
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結果的には、タミヤにとって、このアンリ・ロベール氏との出会いは「お互いにとって素晴らしい幸運をもたらした」のですが、この「タミヤの代理店選びの鉄則」というのは、僕にとっては非常に興味深いものでした。 この田宮社長が書かれたものを読んでみると、僕だったらグラウプナー・モデリシモという会社は絶対に選ばないだろうなあ、と思うのです。 知名度は低いし、田舎にあるし、倉庫には商品が少なく、社長であるロベールは熱意はありそうだけれども、あまり商売上手という感じではありません。どうみても、「有望な会社」には見えませんよね。 僕がタミヤの社長としてパートナー選びをするのであれば、もっと知名度が高くて棚は商品であふれ、活気がありそうな会社にするだろうと思うのです。タミヤの代理店に立候補してきた会社は、他にもあと6社もあったのですから。
でも、田宮俊作社長は、普通の人がネガティブなイメージを持つであろう「棚が空いていること」を「ここにタミヤの商品を入れられる」と考え、「商売があまりうまくいっていないからこそ、タミヤの商品を必死で売ってくれるはずだ」と予想したのです。もちろん、アンリ・ロベールという人間になんらかの魅力を感じたのも事実でしょうし(僕がこの文章を読んだ限りでは、単なるお調子者なんじゃないかという印象だったのですが)、連れていってもらったフランス料理の店が人生のベスト3に入るくらい美味しかったというような「後押し」もあったのかもしれません。とはいえ、普通の人であれば、やっぱりもっと「無難な選択」をするのではないかなあ、と僕は思うのです。いちばん大きくて安定している会社を選んでおけば、万が一失敗してもみんな「納得」してくれるでしょうし。
こんな話があります。 ある有名な靴のメーカーが、アフリカの原住民の村に販売担当者を派遣しました。 一人目の担当者は、本社にこう報告したそうです。 「この村では、誰も靴なんか履いちゃいない。こんなところで商売ができるわけがないよ」 しかしながら、二人目の担当者は、興奮しながら、こんな報告をしたのです。 「大変だ!この村には、まだ靴を履いていない人がこんなにたくさんいる。これはビジネスチャンスだ。すぐサンプルを送ってくれ!」
「パイオニア」と呼ばれる人の考え方というのは、「マイナスに見える条件をプラスに変えてしまう」ものみたいです。 そして、この選択には、「どん底から抜け出そうと必死になっている人間への共感と応援」もあったのではないかと思います。 田宮社長は、ロベール氏に、無名の模型会社から「世界のタミヤ」を築き上げてきた自分の姿を重ねていたのかもしれませんね。
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