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2007年06月06日(水) ■ |
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『フランダースの犬』最終回の「忘れられた名台詞」 |
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『文学賞メッタ斬り! 2007年版 受賞作はありません編』(大森望、豊崎由美共著・PARCO出版)より。
(豊崎由美さんの「おわりに」の一部です)
【「パトラッシュ、ぼく、もう疲れちゃったよ」だと思いこんでおりましたの、アニメ『フランダースの犬』最終回、全国の小学生を涙にくれさせた名台詞は。ところが、 「パトラッシュ、疲れたろう?」 本当は愛犬のほうを先に気づかっていたのを、つい最近知って愕然。ネロ、あんた子どもなのにえらいよっ!というわけで、 「大森さん、疲れたろう?」 まずは相方の労をねぎらう大人のわたしなんでありました。】
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この『フランダースの犬』の最終回、僕もよく覚えている……つもりだったのですが、記憶っていうのは、時間が経つと曖昧になってしまうのが常のようで。 僕も、この文章を読んで、「そういえばそうだったよな……」とあのルーベンスの絵の前でのラストシーンをあらためて思い返してみました。
言われてみれば確かにネロは「ぼく、もう疲れちゃったよ」と自分のことを嘆く前に、「パトラッシュ、疲れたろう?」と、最後に残った「親友」のことを気づかっていたような記憶があるのです。そして、よく覚えていなかった僕が言うのもどうかとは思うのですけど、あのときにネロが自分のことより先に「親友」のことを気づかうような「バカがつくくらいのおひとよし」でなければ、あのラストシーンには、あれほどのインパクトは無かったかもしれません。 まあ、ここでパトラッシュが「疲れてないよ!」と吼えながら元気に庭を駆け回ったりすればドラマは台無しになってしまうわけですが。
あらためてこう言われてみると、アニメの台詞の「順番」というのにも大きな「意味」があったりするのだな、と考えさせられます。
しかし、僕は正直、あの『フランダースの犬』のラストシーンがものすごく苦手なんですよね。あまりに救いようが無いので。あのシーンは確かに「泣ける」けれど、どちらかといえばそれは僕にとって、「感動」というより「世界の不公平さへの憤り」なのです。
なんで「善良すぎるくらい善良な人間」が、こんなに不幸な目にあってしまうのか? 最後に「秘蔵の絵」が見られたから幸せでしたね、正直に頑張ったから天国に行けましたね、って言われても、みんなそれで納得できていたのかなあ……
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