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2007年05月24日(木) ■ |
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光市の母子殺害事件の控訴審が始まった。 |
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産経新聞の記事より。
【山口県光市の母子殺害事件で、殺人などの罪に問われ、最高裁が無期懲役の2審・広島高裁判決を破棄した元会社員の男性被告(26)=事件当時(18)=に対する差し戻し控訴審の初公判が24日午後、広島高裁(楢崎康英裁判長)で始まった。事件当時未成年だった被告への死刑適用の是非をめぐり、検察側と弁護側の激しい攻防が予想される。
1、2審判決はいずれも、事件当時、被告の年齢が18歳と30日で、少年法が死刑の適用を禁じていない「18歳」に達したばかりだった点を重視し、無期懲役を選択。 しかし、最高裁は昨年6月、下級審が死刑回避にあたって考慮した事情を「十分とはいえない」と退け、「特に酌量すべき事情がないかぎり、死刑を選択するほかない」と判示した。 検察側はこの日の公判で、これまでと同様、「死刑を回避する理由がない」とする意見書を陳述するとみられる。 これに対し、弁護側は被告に殺意はなく、傷害致死罪が相当とする意見書を陳述し、事実関係についても争う方針。弁護側が独自に依頼して作成した被害者の死因鑑定書などを証拠請求し、殺意の認定を突き崩して死刑回避を図るとみられる。】
『週刊SPA!』(扶桑社)2006年7月4日号のコラム「これは事件だ」vol.492(神足裕司著)より。
【事件を振り返る。 '99年4月14日、残業で夜9時半すぎに帰宅した本村さんは、自宅に妻・弥生さん(当時23)と生後11ヶ月の長女・夕夏ちゃんの姿がないため探し、押し入れの中で冷たくなった妻の姿を発見する。 18日、容疑者の少年が逮捕された。近隣に住む少年は、かねてから弥生さんに目をつけ、水道検査を装って侵入。大声で叫び、抵抗する弥生さんを「殺してからやれば簡単だ」と首を絞め、手と口を用意したガムテープで縛って、セックスした。赤ん坊が泣きやまないので、両手で抱え上げ、頭から絨毯に叩き付けた。なおもハイハイして死んだ母のところへ来たので、両手で首を絞め、うまくいかないので紐で絞め殺した。 「犯行の動機は甚だ悪質で……動機と経緯に酌むべき点へ」みじんもない、と最高裁判決要旨にある。 本村さんは「もし犯人が死刑にならずに刑務所から出てくれば、私が自分の手で殺す」と言った。当然の感情だが、異様でもあった。 だが、本村さんは単純な被害者の復讐感情にとどまらなかった。 憎しみを抑え、地道に犯罪被害者の遺族会をつくり、'00年5月、刑事訴訟法の改正による法廷での意見陳述に漕ぎつけた。
『少年に奪われた人生』(藤井誠二著)から引用する。 「今のような状態では君に死刑を科す価値すらない。(中略)私は君に死刑判決が下り、その判決を受けて君が反省し、慟哭することを願っている。死刑の執行は君が反省するまで待っても構わないと思う」。そして、立派に更正し、死刑にする必要はないと世界の人が思った時に私は死刑を科したい、と。 本村さんは、少年が反省したとどうしてわかるのか、将来更正するとわかるのか、と問うた。 当初の恐ろしいような激昂は次第に治まり、逆に論理はずっと鋭くなった。 懸命に反省し、立派な人間になった時、初めて死刑に意味がある。 9つの「永山基準」というメーターの針を眺め、八百屋のおやじのように刑罰を決めた裁判官には決して言えない言葉だ。 なるほど。世界の趨勢は死刑廃止だ。ドイツは第2次大戦後まもなく、ナチスへの反省から。ルソーの国フランスでは、'81年、死刑廃止を掲げたミッテランが大統領になり、公約通り実現した。 だが、そのミッテランを動かした'77年の裁判、8歳児フィリップ・ベルトラン君が誘拐殺害された事件で、死刑廃止そのものを勝ち取るきっかけになった老齢のボキヨン弁護士は「手を震わせ、青ざめた顔で」訴えたのだ(『死刑廃止フランスの教訓』より)。 「この審問の場には、恐ろしい血の匂いが漂っています。犠牲になった子供の血ですが、その子供は、分別ある大人になることもできなかったもう一人の子供によって犠牲にされたのです」 上告審口頭弁論を勝手に欠席し、会見の席に現れて傲慢な声で「果たしてこれが殺人と言えるのか」と、愚かな屁理屈を展開する日本のバカ弁護士によってではない。 本村さんは、近しい者を失って苦しみ、被告を殺したいという衝動に苦しんだ。1審、2審の裁判官はそれに見合う知恵を絞ったのか、とは言わない。せめて司法は人間らしい対応をしたのか、と恥じて最高裁は決断したのである。】
参考リンク(1)「あんた何様?日記('07/5/23)〜死刑廃止のイデオロギーで集まった弁護士たち」
参考リンク(2)「元服役者アンリの場合。」(ilyfunet.com ('02/1/11))
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引用部も含め、長くなってしまうのですが、参考リンクも含めて目を通していただければ嬉しいです。 今日('07/5/24)から、山口県光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審がはじまりました。最高裁が1審、2審の「無期懲役」の判決を破棄したのが去年の6月20日ですから、ほぼ1年が経っています。あのときの「死刑廃止派」の安田好弘弁護士の「殺意はなかった」「赤ちゃんを泣きやませるため、首を蝶々結びにしようとした」などという会見映像を観て、「お前らも一緒に死刑になれ!」とテレビに向かって罵声を浴びせたのは、たぶん、僕だけではなかったと思います。こういうのが「法廷戦術」なのかもしれませんが、僕にはこの安田弁護士たちが、被害者や遺族、そして僕たちをバカにしているようにしか見えなかったのです。
僕は以前から、「死刑存続論者」であり、「世の中には、死をもってしか(あるいは、死をもってさえも)償えない罪というのがあるのだ」と考えているのですが、ここで神足さんが挙げられている「フィリップ・ベルトラン君誘拐事件」での手を震わせ、青ざめてのボキヨン弁護士の訴えと「口を押さえようとしたら偶然首が絞まっちゃったので殺意はなかった、だから殺人罪じゃない!」と平然と言い放つ安田弁護士の会見とでは、「この2人を同じ『死刑廃止論者』として扱うのは、ボキヨン弁護士に、ものすごく失礼なのではないだろうか?」と言いたくもなるのです。 ボキヨン弁護士は、犯人の罪を認めた上で、「その罪を犯してしまったのは、犯人が『精神的に子供だったから』(とはいっても、このパトリック・アンリという男、事件を起こしたときには、もう21歳だったんですけどね)であり、彼に大人になる機会を与えてほしい」と訴えました。 それに比べて、安田弁護士の「弁護」は、「責任逃れ」としか思えない、「こじつけ」のオンパレード…… パトリック・アンリという男は、結局、終身刑になりました。 これをきっかけに、「ギロチンの国」フランスは「死刑廃止」へと向かっていったのです。 僕個人としては、このパトリック・アンリという男のやったことは、死刑に値すると思うのですが、少なくとも、このボキヨン弁護士の真摯な姿勢には、「死刑制度」について、僕自身もあらためて考えさせられたのも事実です。こういうのが「フランス的」というか「劇場的」なのかもしれませんけど。 しかし、こうして比べてみると、あの安田弁護士っていうのは、本当に「死刑廃止論者」なんですかねえ……正直、あの人の言動を観ていると、死刑廃止論者すら、「やっぱり死刑制度は必要なのかも……」と思い直してしまうのではないかなあ。まさか、死刑制度存続のために送り込まれたスパイ?
最後に、フランスの死刑制度廃止のきっかけになった、パトリック・アンリの「その後」を「参考リンク(2)」から紹介しておきます。
【フランスでは1885年以来、法務相が10年以上の懲役服役者に対して仮釈放を認可してきたのだが、2000年6月に成立した刑法改革法により、この権限が法務相から控訴院司法官の合議に移譲された。以来、2001年だけで5847人(33人は終身刑)が仮釈放された。アンリはその一人だったのである。 出獄後の8カ月間、夜間は拘置所にもどる保護観察期間があり、アンリは印刷会社に就職した後も拘置所から通勤していた。その後の7年間は行刑裁判官の監督下におかれる。 アンリが25年間の拘置所生活をつづった自叙伝『後悔しないでしょう』は10月23日にCalman-Levy社から発行される予定だった。版権は10万€にのぼる。ところが、6月26日、アンリは80€相当のボルト類などをスーパーで盗んでしまったのである。彼はこの盗みで2000€の罰金刑を受けている。そして10月5日の深夜、アンリはモロッコで手に入れた10キロの大麻を車で持ち帰ったところをスペインの警察に取り調べられ、現地で勾留された。仏法相は身柄引渡しを要求したが司法手続き上、時間がかかりそう。 懲役を完全に服役し終えて出獄した者の40%は再犯し、仮釈放者の再犯率は23%といわれている。アンリの社会復帰は1年半足らずで崩れ去ったわけだ。】
まあ、25年前に彼がやったことに比べれば、このくらいは「微罪」なわけですし、元犯罪者の中には、ちゃんと立ち直っている人もたくさんいるのでしょうけど、「改心」とか「更正」なんて、「死刑廃止を主張することで『人道的な自分』に快感を覚える善人たち」が思いこんでいるほど簡単じゃない、ということだけは間違いないようです。
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