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2007年03月29日(木) ■ |
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ヤマト運輸の「宅急便」誕生秘話 |
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「阿川佐和子の会えば道づれ〜この人に会いたい5」(文春文庫)より。
(阿川佐和子さんと故・小倉昌男さんの対談の一部です。小倉さんはヤマト運輸の元会長で、「宅急便」の創始者として知られています(2005年6月30日に逝去されています))
【阿川佐和子:そもそも大和運輸は、小倉さんのお父上が大正8年におつくりになった運送会社で。
小倉昌男:そうそう。そこに僕が二代目として入ったわけ。
阿川:言っちゃナンですが、二代目ボンボンが入って。
小倉:そうです。だけど、親父が経営戦略を間違えて会社が赤字スレスレになっちゃった。親父は戦前に大和運輸を興して、日本で一番大きなトラック会社にした実績があるわけ。そういう成功体験がある年寄りって困るんだよね(笑)。
阿川:ハハハハハ。
小倉:運送業者は、戦前はお米や大根を運んでたの。それが戦後になって、道路もトラックの性能もよくなったから、それまで国鉄が運んでた家電、テレビや洗濯機を運び始めた。ところが、うちの親父は「そんなものは大和運輸のやる仕事じゃない。やるな」って筋論吐いちゃって、出遅れちゃった。
阿川:ほかの運送会社に?
小倉:他の運送会社はものすごい勢いで業績を上げているのに、うちは落ち込んじゃって。親父のつくった会社を息子が潰したらカッコよくないでしょう? しょうがないから、がんばろうと。起死回生のヒットを打ちたいなと思って、ずいぶん考えて、思いついたのが宅急便。
阿川:どうして思いついたんですか。
小倉:運送会社は個人の荷物なんて手間隙かかるだけで採算が合わないって、扱う会社が一軒もなかったの。松下電器のテレビを運べば、1回に何千万って運賃になるんだからね。だけど、考えてるうちに、小っちゃい荷物を運んだほうが利益率がいいことに気がついた。第一、一般の人は運んでくれる会社がなくて困ってるんだから、需要はあるでしょう。
阿川:でも、発案なさった当時は小倉さんは専務で、役員会で宅急便をやろうとおっしゃったら、社長であるお父上を始め全員が猛反対だったとか。
小倉:そうです。だって、誰も小っちゃい荷物運んで儲かるなんて気がつかないもん。
阿川:失敗するとはお考えにならなかったんですか。
小倉:考え方が間違ってなきゃ失敗しないでしょう。経営は論理ですよ。理屈なんです。
阿川:ちゃんと計算もなさった。
小倉:感じでね。要するに、経営というのは、犬が西向きゃ尾は東ですよ。
阿川:そりゃそうですが……。
小倉:1+1=2だしさ。収入−経費=利益。それしかないんですよ。簡単なんです。経営ってのは。
阿川:そうかなあ(笑)。
小倉:タクシーと同じ。トラックもハンドル一つに運転手は一人。だから、人件費は一人分。小っちゃな荷物をちょこちょこ運んでも、ガソリン代もべらぼうには増えない。収入より経費は少ない。それなら儲かる商売だ。だから、やろうじゃねえかって。
阿川:宅急便を始めるにあたって、考えたことは……。
小倉:簡単なんです。主婦を喜ばせばいい、サービスいいわねえって。それには、郵便だと3日も4日もかかるところを、宅急便は必ず翌日配達しようと。これは絶対にウケると思った。それを実行したら、お客さん喜んでくれて、また荷物を頼んでくれる。理屈でしょう?
阿川:その頃、個人の荷物に関しては独占状態だった郵便局は最初からライバルだとは思ってなかったんですか。
小倉:逆に郵便局がいてくれるほうがありがたい。いわゆる役人仕事でやる気ないから(笑)。サービスは悪い、エバッてる、時間がきたら「はい、さようなら」で帰っちゃう。ヤマトは残業してでも仕事を片づけるでしょ。民間のサービスのよさが際立つわけ。だから、社員に徹底させたモットーは、「サービスが先、利益は後」ということなんです。
阿川:手紙でさえ届くのに2、3日かかってたのに、どうやって全国に翌日配達ができたんですか。
小倉:不思議ですよね。僕自身も不思議でしょうがないんだ(笑)。
阿川:だって、そのシステムも小倉さんがお考えになったんでしょう?
小倉:うん。1日24時間を分けてね。日中の8時間で荷物を集める。そして、夜中の8時間で運ぶ。翌朝着いたら、現地の人にバトンタッチして、その人が配達する。そのサイクルをきっちり回せば荷物は翌日に届くんですよ。】
参考リンク:「宅急便30年のあゆみ」(ヤマト運輸のホームページより)
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現在では、「当たり前の存在」になっている「宅急便」なのですが、その歴史というのは、そんなに古いものではないのです。そういえば、僕がまだ小さかった頃、「宅急便」というのが新しく始まるというCMを観たことがあるような記憶があるんですよね。子供心に、「そんな手間のかかりそうなことをやって、この会社は儲かるんだろうか?」と疑問だったのをなんとなく覚えています。 参考リンクに書かれていたのですが、ヤマト運輸が「宅急便」を始めたのは1976年1月20日。「電話1本で集荷・1個でも家庭へ集荷・翌日配達・運賃は安くて明瞭・荷造りが簡単」というのが当時のコンセプトだったそうなのですが、大成功した今から考えると、本当に「合理的で斬新」に感じられるものの、当時はヤマト運輸の内部でも、みんな大反対だったとのことです。確かに、「そんな小さな荷物をいくら運んでも、割に合わない」ように思えますし、ライバルは「郵便局」という知名度・浸透度抜群の巨大企業ですし。最初の頃は、「本当にこれ、届くのかなあ?」と不安を抱えつつ頼んでいた人も多かったのではないでしょうか(ちなみに、発売初日に依頼された荷物は、わずか11個だったそうです)。今では、郵便局のほうが、「宅急便」を模倣するようになってしまいましたけど。
ヤマト運輸が「宅急便」を始めることができたのは、小倉さんの「行動力」と同時に、会社が未曾有の危機にあったから、「一か八か、これに賭けてみよう」というな面もありそうです。少なくとも、「個人の荷物を取り扱う」というアイディアを考えたのは、当時でも小倉さんだけではなかったでしょうし、会社が順風満帆であれば、こういう「冒険」は受け入れられなかった可能性が高いはずですから。 それにしても、このインタビューを読むと、小倉さんというのは、けっこう適当に物事を考えているようにみえるのですけど、実際は「難しいことをシンプルに捉えて、わかりやすく説明する」という術に長けている人だということがよくわかります。この話のなかでは、社員に対してもかなり厳しい要求と労働条件を突きつけているのですが、その一方で、この対談の他のところでは、【僕は「リストラ」って言葉、嫌いなのね。経営には雇用を保障する意味があるんだから、会社が赤字だからクビを切るのは本末転倒、経営者の責任放棄ですよ。赤字になったら「給料を少し下げさせてくれない?」って、とことん話し合ったらいいんですよ。】と語っておられます。けっして、「厳しさ」だけの人ではなかったからこそ、ヤマト運輸は成功を収めることができたのでしょう。 まあ、「便利さ」の競争というのは本当に限界が無くて、家にいないことが多いのでいつも不在通知ばかりの僕などは、逆に、宅急便で働いている人たちに申しわけないなあ、と感じることも多いんですけどね。24時間配達可能なんて、やっぱりキツイ仕事だよなあ。 他社との競争はもちろん、駐車違反の問題とか、個人情報保護とか、年間10億個以上の荷物を扱うようになっても、それはそれで「課題」は尽きないもののようではありますし。
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