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2007年03月17日(土)
「隠れた名店」を発見するための五原則

『にっぽん・海風魚旅2』(椎名誠著・講談社文庫)より。

【能代の駅前でちょうど昼時間だった。何を食うかを皆で検討した。K君いわく、駅前には必ず旨いラーメン屋がある、そういう店を見きわめるのには、(1)小さい店で路地の奥にある (2)暖簾が汚れている(沢山の人がくぐるので) (3)店の前にクルマは自転車がとまっている(遠くからの客がいるから) (4)芸能人の色紙などが貼ってない (5)厨房で沢山の人が働いている、の〔ウマ店発見の五原則〕があるという。
 N氏が素早くその五原則に合致する店を見つけてきた。一同どどどっと突撃。
 なるほど店の前の路地には軽自動車が何台かとまっている。暖簾はかなり汚れていた。店は小さく十人も入ればいっぱいである。先客が二人。壁に色紙が貼ってあるが、芸能人のものではなく近所の中学校や高校の生徒たちのものだ。
「つまり地元の人がいっぱいきているのですよ」K君が得たりとばかりそう呟く。
 厨房には女の人が3人いる。みんなよく太っている。
「うまいからつい店の人も食べてしまうんですよ。で、あんなふうに太ってしまう」K君の小声の注釈が続く。なるほどいちいち納得できるのである。
 チャーシューメン、チャーハン、餃子、タンメン、中華丼が四人のおじさんたちの注文した品々であった。
 ぼくはラーメンにした。まもなく出てきたそいつのまったく不味いこと。ラーメンはスープが濃すぎて表面にアブラのようなものが浮かんでいる。味はなんだか一週間ぐらい煮返した味噌汁みたいだ。麺は腰がまったくない。それでも半分食ってしまうオノレが悲しい。
 あとの皆もそれぞれ同じような感想であった。結局K君の〔ウマ店発見五原則〕の(1)はよしとしても、(2)は単なる不精、(3)は自動車の列は無関係な人々、(4)は芸能人の色紙を貼りたいが来ないので味もわからぬ近所の常連のガキの手になるもの、(5)は単なるデブ一家らしい、という結論になった。バカタレメ、とK君が皆から罵倒足蹴りにされたのは言うまでもない。】

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 もしかしたら、能代の人たちと椎名さん一行の味の好みが違っただけなのでは……とも考えてみたのですが、「味はなんだか一週間ぐらい煮返した味噌汁みたい」なんていうのを読むと、やっぱりこの店は美味しくなかったのだろうなあ、と思います。K君の〔ウマ店発見の五原則〕は、読み返してみても、けっこう理にかなっているような気はするんですけどねえ。

 知らない町で食事をするときって、店選びには本当に悩みますよね。せっかくだからそこでしか食べられないような「隠れた名店」に行ってみたいけれど、僕たちは経験上、知らない店に「冒険」して入るのには大きなリスクを伴うことを知っています。夜の歓楽街でなければ、ぼったくりバーに引っかかって大損害、なんてことはないのでしょうが、他のお客さんの誰もいない店で、不味い料理を店主の期待に満ち溢れた視線を感じながら食べなければならない、というのはかなり辛いものです。だからこそ、つい「どこでも同じ味」のマクドナルドや吉野家という「とにかく無難な選択」をしてしまったりもするわけです。「全国どこでも同じ味」っていうのは、「面白くない」のはもちろんなのだけれども、「安心できる」のは確かですから。

 先日、イタリアに行っていたのですが、旅の後半は、食事をする店選びの難しさと連日続く同じような料理に「マクドナルドに入りたい……」という衝動にものすごく駆られたものでした。結局その野望は同行者に「なんでイタリアに来てまでマックにいかなきゃいけないの、もったいない!」と却下されましたが、土地勘が無い人間にとっては、「そんなに美味しくはないけれど、最低限の味が保証されていて価格も予想でき、買いやすい」というファストフードというのは、けっこうありがたいものなのだと思い知らされました。スローフードって言っても、やっぱりいきなりイナゴとか食べろっていわれても、ねえ。

 この〔ウマ店発見の五原則〕のような「隠れた名店の見つけ方」を語る人はけっこう多くて、僕も似たような話を聞いたことが何度もあります。しかしながら、それで実際に「当たり」を引いた記憶はあまりないんですよね。とくに田舎では、美味しい店は繁盛するとすぐに店を大きく、綺麗にして移転していくことが多いような気がしますし。
 そういえば、僕も以前、友人と「こんなに小さくて汚くても潰れていないんだから、きっと名店に違いない!」と言いながら入った味噌ラーメン屋で酷い目に遭ったことがありました。あれはまさに「一週間煮込んだ味噌汁」だったなあ。その店のTVでちょうど流れていたのが、みのもんた司会の『愛の貧乏脱出作戦』だったのは、今でも鮮明に覚えています。