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2007年03月14日(水)
「幻冬舎」と「太田出版」の不思議な友情

『ダ・ヴィンチ』2007年4月号(メディアファクトリー)の「ヒットの予感EX」という記事(取材と文・岡田芳枝)でとりあげられていた『編集者という病』(見城徹著・太田出版)という本の紹介記事の一部です。

【人は彼を「風雲児」と呼ぶ。風を鮮やかに巻き起こすその剛腕は羨望を集め、また嫉妬する者はやっかみの舌打ちを鳴らし、枯渇するどころか勢いを増す底知れぬ力に懼れおののく――。出版界において、これほど長きにわたって話題を振りまき、注目を浴び続ける編集者が、かつていただろうか。
 その男、見城徹が、編集者として生きてきた日々を振り返ったはじめての著書『編集者という病』を出版した。
「角川書店にいた頃から”本を出さないか?”というオファーは数え切れないほどあったけれど、そのたびに辞退してきました。というのも、”自分が本を出すなど、作家の方々に失礼だ”という気持ちがあったからです。だから、彼が担当でなければ、編集者である限り本を出すつもりはまったくなかったんです」
 見城が言う「彼」とは、太田出版の前社長である高瀬幸途氏。高瀬にとって『編集者という病』は、編集人、発行人としての最後の仕事になる。
「高瀬は、僕の先生であり、ライバルであり、いつも互いに助け合ってきた親友。そんな彼の最後の仕事が僕の本になるというのなら、傲慢だけど相応しいと思ったんですよ。だって、彼のささやかな人生をいちばん知っているのは僕だと思うから。俺のなかには本を出す立派な理由があるんだ。そう自信を持って言えるんです。
 それは27歳のことだった。見城は2年前に、海外翻訳権の代理店に勤めていた高瀬の伝手で角川書店にもぐり込み、首尾よく正社員になって、めきめきと頭角を現していた。そんなとき、高瀬は見城の前から忽然と姿を消す。
「頭角を現すためには、人を出し抜いたり、陥れたり、戦って倒したりしなくちゃいけない。高瀬は搾取のない理想郷をつくるためなら戦うことができる男だけれども、自分が頭角を現すために戦う男じゃなかった。まるでチボー家のジャックのような男だから」
 自分を支えてくれたように、僕は彼を支えることができなかった――。突然の失踪に、見城は罪の意識を感じずにはいられなかった。しかし3年後、二人は再会を果たすことになる。約束の場所は、神保町の喫茶店。待ちきれずに外へ出て、見城はその姿を探した。やがて、片足を引きずりながら前より痩せた高瀬が逆光を浴びてこちらに向かってくるのがわかった。その顔に微笑が浮かんでいるのを確かめると、滂沱たる涙がこぼれ落ちた。
「沢木耕太郎さんの本に『深夜特急』があるけれど、深夜特急に乗るというのは”脱獄する”というトルコの囚人の隠語。それはとりもなおさず、いままでの自分の人生を脱獄するという意味なんです。かつて非合法革命党派に所属していた高瀬がアラブに行っていたのか、地下に潜っていたのか、日本中を旅していたのか、3年間何をしていたのかわからないけれども、こう思ったんです。『君もまた、君の深夜特急に乗っていたんだな』と。
 その後の歩みは、非常に対照的だった。見城がミリオンセラーを連発し、自ら幻冬舎を立ち上げる一方、高瀬はサブカルチャーから現代思想までを網羅する、これまでにない出版社として太田出版を引率し、一時代を築き上げる。対照的ながら、それぞれ唯一無二の編集者となった。
「まったく好対照だけど、彼を鏡にすると自分の人生が見えるというような、そんな想いがあるんです」】

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 見城徹(けんじょう・とおる)さんは、1950年生まれ。1975年に角川書店に入社し、数々のベストセラーを手がける剛腕編集者として知られていましたが、1993年には角川書店を辞めて自ら幻冬舎を設立されました。現職は幻冬舎代表取締役社長。幻冬舎は、創業後13年間で13冊のミリオンセラーを刊行しているそうです。

 この記事、見城さんの『編集者という病』という本の紹介のはずなのに、この本が太田出版から刊行されることになった経緯というか、見城さんとこの本の「担当編集者」となった高瀬幸途さんの交友関係が延々と語られています。でも、この記事を書かれた方が、この二人の話を大きなスペースを割いて書きたくなった気持ち、僕にもよくわかります。

 僕は見城さんのことも知りませんでしたし、「幻冬舎」が1993年設立という新しい会社であるということも知りませんでした。言われてみれば、子どもの頃には無かったような……という感じで。今となってはあまりにメジャーになりすぎていて、その起源を思い起こすことができないんですよね。
 幻冬舎には、後発の出版社にもかかわらずミリオンセラーを多く生み出していることから、「メジャー指向」というか「売れ筋狙い」というような印象もあるのですけど、角川書店時代から「剛腕編集者」として知られ、幻冬舎の大黒柱となった見城さんの無二の親友が、『完全自殺マニュアル』などを出版した「サブカルチャーの発信源」である太田出版の支柱の高瀬さんだったというのは、かなり意外に感じられました。この二人は、まさに【対照的ながら、それぞれ唯一無二の編集者となった】のです。

 ちなみに、高瀬さんのほうは、「担当編集者インタビュー」のなかで、こんなふうに仰っています。

【彼とはじめて会ったのは1970年代の前半でしたが、そのときからすでに太陽のような男でしたね。僕はどちらかというと陰性で、月のようなタイプ。当時から二人を知っている人たちからは「どうして友だちなのかわからない」とよく言われました。僕自身も、こんなに長いつきあいになったことをいまでも不思議に思うんです。】

 対照的な出版社を率いることとなった、対照的な二人の不思議な友情。そして、その友情から生まれた1冊の本。
 「幻冬舎」と「太田出版」は、全く違ったタイプの出版社のように思えますが、実は、そのアプローチのしかたが正反対だっただけで、「目指すところ」というのは、同じだったのかもしれませんね。

 それにしても、人と人って、本当に不思議なものですね。正反対だからこそ、お互いに魅かれあったのか、それとも、正反対のものを受け入れる度量があったからこそ、二人はこうして成功することができたのか……