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2007年01月17日(水) ■ |
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田口壮選手の「マイナーリーグ生活の思い出」 |
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「スポーツニッポン」2007年1月17日号の記事「THEインタビュー〜野球を愛する者として〜」の第7回・田口壮選手へのインタビューの一部です。聞き手は、スポーツニッポンの宮内正英編集委員です)
【宮内:1、2年目('02、'03年)はほとんどマイナー暮らし。苦しかった2A時代の話をぜひ聞かせてほしい。
田口:ニューへブンというところで、定年を迎えた夫婦がのんびり過ごす町、というふれこみだったんですが、行ってみるとお墓だらけ。町で一番いいというアパートを借りたら、ネズミの穴みたいなところから風がヒューヒュー入ってきた。夏なのに寒くて仕方ない。電気毛布を買ってきたのですが、ベッドもボロボロ。マットレスを床に敷いて寝てました。
宮内:天国(ヘブン)とはほど遠いところだね。球場は?
田口:芝はボコボコで、ナイターの時なんか、通路を人が通ると振動で電球が点滅してましたからね。みんな必死です。お金がないから、大半の選手はホームステイでね。「腐るなよ」と励ましてくれたGMが試合中はホットドッグを売っているんですから。誰でも経験できるけど、誰もしたくない経験をこってりさせてもらいました。でもね、最後にいい思い出をもらったんです。メジャーに昇格が決まった時、ファンに「今日本人が何人かプレーしているけど、彼らはメジャーでしかやっていない。2Aまで来たのはお前だけだ。そして今から上に上がっていく。だからひとつだけ言っておくよ。もうお前は輸入品じゃない。オレたちがつくったんだ。自信を持って行ってこい」と言われたんです。うれしかったですね。向こうはおらが村から何人メジャー選手が出るか、とひたすら楽しみにしているんです。
宮内:日本人だから得をするってことはないよね。
田口:それがあるんです。時間ですよ。日本人的な感覚では時間を守るのが当たり前。苦痛でも何でもない。ところが、彼らは集合時間を過ぎても来ないんですよ。だから時間を守っているだけで「ちゃんとしたヤツだね」と評価されるんです。これって得ですよね。】
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田口選手の今期の年俸は9900万円。もちろん同世代の日本人のなかではかなりの高給取りではあるのですが、もし田口選手がずっと日本国内でプレーしていれば、この2倍、あるいはそれ以上の年俸をもらっていたかもしれません。渡米後の2年間、ほとんどマイナーリーグでプレーしていた田口選手はほとんど話題になることもなく、たまにその境遇を耳にするたびに、「日本にいればレギュラーだったのにねえ……」と僕は田口選手の「決断」の失敗を憐れんだものだったのでした。いくらアメリカに行っても、マイナー暮らしじゃどうしようもないだろう、と。
でも、このインタビュー記事のなかの「マイナー生活」や、このインタビュー記事の他の部分にあった「ファームにいて通訳つきというわけにもいかないから」ということで独学でずっと英語を勉強してきたという話(一昨年のオフには、2ヶ月間家庭教師をつけてずっと勉強していたそうです)を読むと、田口選手は本当に2Aからワールドチャンピオンに至る、メジャーリーグの世界の裾野から頂上までを自分の足で歩いて登った唯一の日本人選手なのだということがよくわかりました。松坂選手みたいに、ヘリコプターでいきなりエベレストの頂上に乗りつけるような方法だって、ひとつの「登山」なのでしょうけど、この田口選手の歩みというのは、田口選手自身にとってだけではなく、日本の野球界全体にとっても貴重な経験だと思います。 もちろん、田口選手がいくらハングリーなマイナー生活を体験したとしても、「今までの貯金」や「日本に帰るという選択肢」があるだけ、他のマイナーの選手たちとは、まだ「ハングリー度」は少なかったのでしょうけど、それでも日本から鳴り物入りでやってきたはずのスタープレーヤーにとっては、非常に辛い体験だったのは間違いありません。一年間で帰ってきた「ブランドの人」もいるくらいですし。
「時間を守るというだけで、アメリカでは『ちゃんとしたヤツ』だと評価される」というのも面白い話でした。田口選手は、「外人であること」の辛さを実感しながら、自分の「日本人としての長所」を生かすことも忘れないタフな人でもあったようです。「これがアメリカ流だから」と時間を守らなくなる日本人だって少なくないはずなのに。
あらためて振り返ってみれば、田口壮選手というのは、今までの日本人メジャーリーガーのなかで、最もドラマチックに「アメリカンドリーム」を実現した男なのかもしれませんね。
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