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2006年11月25日(土) ■ |
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「偉い人の前で緊張しないためには、どうすればいいのでしょうか?」 |
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『プレイボーイの人生相談―1966‐2006』(集英社)より。
(『週刊プレイボーイ』40年間の「人生相談」のコーナーをまとめたものです。柴田錬三郎さんの項から)
【質問者:先生にぜひ教えてほしいことがあります。ぼくは大学を卒業して、現在の会社に入って6年経ちます。この6年間、処世術のうまい同期の友人の何人かは、ぼくより一足先に出世して係長になっている。だが、ぼくはまじめに努力することでは他人に負けないが、上司にうまくお世辞がいえないので、出世が遅れています。この分では将来もまっ暗です。自分を殺し、うまく上司にとりいるにはどうしたらいいのでしょうか。
柴田(以降「」内は、柴田さんの言葉です) 「6年も経ってだよ、まだそんなことに迷って、教えてくれというのは、よっぽど性格的にダメなやつだな。だから、現在の地位で満足する以外にないね」
――でも、だから悩んでいるわけで……。
「いや、こういう性格の男は一生涯そうなんだ。こういう男は社長や専務の前に出ると、コチコチになるに決まっているんだ。 ただねぇ、そういうときに考え方をちょっと変えれば、完全には変らないまでも、変えられる方法というのは、あることはある。
――はい。
「つまり、社長や専務の前に出たら、どうせこいつらも自分と同じことをやってる人間だと思えばいいのさ。 あのねぇ、幕末から明治初年にかけて米沢藩士で雲井龍雄という武士がおったんだ。 彼はね、30歳ぐらいで殺されたが、17歳ぐらいのとき江戸に出て、幕末の老中の前で、滔々と自分の意見を述べたり、すごいバイタリティを示していた。それと同時に勉強もしていたわけなんだが、たいへん勇気があった。 17歳ぐらいのガキが、ときの高官を前に、天下国家を論じるなんてまねは、なかなかできるもんじゃないからね。 周囲の者が、すっかり驚いて雲井龍雄に『お主じゃ、どうしてそんなに勇気と才能があるんだ』と聞いた。 すると彼は『そんなものは何もない、ただ、あいつらだってやっていることは、自分と同じだ。便所でしゃがんでクソをたれている格好とか、夜這いをして女の上に乗っかっている格好を思い浮かべてやる。すると、老中もつまらねえ男にしか見えないだろう』といったというんだよ」
――うまい方法ですね。
「そうだろう。これが雲井龍雄の処世哲学だったんだね。 この君もだね。社長の前に出たら、社長が愛人の上に乗っかっているサマを想像するんだよ。そうすればコチコチにならんし、社長も大した野郎じゃない男に見えてくる。 つまり自分を鍛えるには、精神的に高邁なトレーニングは必要ないのさ。禅を3年間やるよりも、俗っぽいところから鍛えていくのが大切なんだねえ。ウン」】
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参考リンク:明治維新の志士・雲井龍雄
「人前、とくに偉い人の前で緊張しないためには、どうすればいいのか?」 ここで柴田さんが仰っておられる「雲井龍雄の処世術」を読んで、僕も、なるほどなあ、と感心してしまいました。いや、この手の話は何度か聞いたことがありそうなのですけれど、「相手も自分と同じ人間なんだから、緊張なんてする必要ないよ」という一般的な「アドバイス」って、いまひとつ実感できませんよね。そう考えられるんだったら、もうやってるよ!と言いたくなります。でも、こも「便所でしゃがんでクソをたれている格好とか、夜這いをして女の上に乗っかっている格好を思い浮かべてやる」というのは、具体的で、やや下品であるがゆえに、ものすごく実行しやすい方法なのではないでしょうか。逆に、「お前は、何ニヤニヤしてるんだ!」とか言われるかもしれませんけど。 僕も人前、とくに偉い人の前だとすごく緊張してしまって、「もっと精神を鍛えて、何事にも動じないようにしなければ」と考えがちなのですが、実際のところ、何年も「修行」をしなくても、「相手のすごいところではなくて、自分と同じところを具体的に意識するようにする」だけでも、かなりの効果がありそうです。もちろん、精神的なトレーニングが無意味ってわけじゃありませんが、ちょっとしたコツを掴むだけでもかなり自分を変えることもできそうです。
まあ、その一方で、実際に偉い人の前に出たときに、そういう「恥ずかしい姿」を想像できるくらいの心の余裕を持つことそのものが、けっこう難しいとも言えるんですけどね。それができるような人は、もともとそんなに緊張しない人なのかもしれません。
ちなみに、雲井龍雄さんは、明治新政府への謀反を疑われ、27歳の若さで刑死されました。「緊張しない男」の「勇気と才能に溢れた人生」というのも、けっしてラクなものではないようです。
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