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2006年10月27日(金)
いちばん「変わった」のは、新庄自身なのかもしれない。

スポーツニッポンの記事より。

【涙が止まらなかった。新庄がウイニングボールをつかんだ森本と1つになった。七色の紙テープが左中間の2人を包み込む。プロ17年間のすべてが終わった。弟分の左肩に顔を伏せ、新庄の号泣は止まらなかった。
 マウンド上で人さし指を突き立てたナインの輪も外野へ向かった。まさに新庄のためにあった日本シリーズ。誰よりも真っ先に二塁後方で4度、宙を舞った。
 「(強運を)持ってるわ、オレ。ほんと、この漫画みたいなストーリー。出来すぎって思いません?今後、体に気をつけたいと思います」
 涙が乾いた記者会見ではすがすがしい笑顔を浮かべて笑いを誘った。
 前日、自打球を当てた左ひざは大きく腫れていた。1―1の6回1死三塁からセギノールの勝ち越し2ランに「凄い」と声を張り上げて稲葉と抱擁。直後の打席では二遊間の打球に全力疾走。内野安打にして両手を広げて万歳した。
 「この仲間とできなくなるという気持ちが強くて、7回くらいからボール見えなかった」
 8回、現役最後の打席。涙でボールはかすんだ。初球を見逃し。マスク越しに中日・谷繁が「泣くな、真っすぐしか投げないから」とつぶやいた。体がねじれるほど振った。こん身のフルスイングこそが、新庄が新庄である“証”だった。空振り三振。最後までらしさを失わなかった姿に、万雷の拍手は1分近く鳴りやまなかった。
 今季の新庄は一挙手一投足がまさに「遺言」だった。投手が打たれて沈痛な顔を見せれば「誰も悲しんどらんよ」、高橋や稲田ら知名度は低くとも明るい野手には「もっと素を出していけ」。かつて身近にいてほしいと感じた経験あるベテランを自ら演じ、強いきずなで結ばれた集団をつくり上げた。「(小学)2年生から34年生までやった」野球人生の劇的フィナーレ。阪神入団1年目、地元福岡・平和台で行われた2軍戦は先発落ち。出番は来たが、ネームボードはペンキが垂れて読めなかった。00年オフ、FAでメジャー最低保証額の年俸20万ドルでメッツ入り。夢を追い、海を渡ってまで足りなかったものを積み上げた。
 17歳の時に7000円で購入したグラブを今まで使い続けてきた。踏まれて破れ、相手につかみかかったこともある。阪神のマークと当時の背番号「63」が縫い込まれた黒ずんだグラブは、補修と毎日の手入れを繰り返し守備力が生命線の新庄を支え続けた。そのグラブ、大腿部に腰、アキレス腱と満身創いの体を休ませる時がきた。日米野球を辞退、アジアシリーズにも出場しない。ヒルマン監督は「これ以上一緒にプレーできないのは残念。でも最高の形でグラウンドを去っていける」と別れを惜しんだ。
 4万2030の観衆、そしてブラウン管越しに日本中のファンが背番号1の雄姿を脳裏に焼き付けた。
 「きょうが最高の思い出になります。背番号1?ひちょりにつけてもらいたい。僕の気持ちはそうです」
 通算打率・254は平凡かもしれない。でも“凡人”とは対極にいたプロ人生17年間。あの時と同じように、スコアボードの名前がにじんで見えたのは涙のせい。永遠に色あせることのない強烈な記憶を残して、新庄が野球人生の幕を引いた。】


新庄剛志選手のこれまでの成績


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 まさに「漫画みたいなストーリー」が、僕たちの目の前で展開されました。新庄選手がシーズン序盤に「引退宣言」をした日本ハムは、シーズン後半から信じられないような快進撃を見せ、シーズン1位、エース・金村投手の「監督批判」が大きな波紋を呼んだものの、プレーオフも2連勝で通過、そして、日本シリーズでも、専門家からは「中日のほうが実力は上」と言われていたにもかかわらず、1勝1敗で迎えた札幌ドームでの試合で3連勝し、ついに「日本一」になりました。一昨年、昨年は、パリーグのシーズン2位のチームがプレーオフを通過し、さらに日本シリーズでも勝って「日本一」になっていたのですが、やはり、「ペナントレース1位、日本シリーズでも勝利」というのは、「誰もが認める日本一」という気がします。

 しかし、シーズン序盤の新庄の「引退宣言」の時点では、本当に新庄が最後のシーズンを日本一で飾るなんて思っていた人は、ほとんどいなかったのではないでしょうか。パリーグは、ソフトバンク、西武、ロッテの「3強」の争いで、日本ハムはそのうちの「一角」を崩してプレーオフに出られるかどうか、というのが大方の予想だったのです。
 新庄の「引退宣言」というのも、結果的には「ドラマの幕開け」になったわけですが、もし今年日本ハムが下位に沈んだりしたら、「シーズン初めから『引退興行』にしてしまった新庄のせいだ!」なんていう声も出てきたはずです。
 第4戦で「涙の勝利投手」になった金村選手にしても、もし日本ハムがプレーオフで敗退していたり、自身が登板していた第4戦でメッタ打ちにされていたり、シリーズで日本ハムが負けていたりすれば、「戦犯」の1人として今後も白眼視され続けることは確実だったわけで。
 昨日のビールかけの映像を観ながら、朝のワイドショーで小倉さんが「ダルビッシュが20歳になっていて良かった!」と言っていたのにも苦笑してしまいました。そういえば、いつから「解禁」になったんだ?

 終わってみれば、北海道のファンに後押しされて「圧勝」だったようにすら思える今年の日本ハムなのですが、実際はかなり「危ない橋を渡り続けて」これだけの結果を残したのです。逆に、勝負事というのは「とにかく勝ちさえすれば、いろんな問題はほとんど解決される」ものなのだなあ、と感心してしまうくらいです。

 僕は阪神時代からメジャーリーグ移籍後までの新庄選手があまり好きではなくて、阪神時代にいきなり「引退宣言」なんてした年には、「何考えてるんだこいつは……」などと半ば呆れかえっていたものでした。
 そもそも、参考リンクに挙げた新庄選手の毎年の成績を確認していただければ、新庄選手は今まで一度も打率3割あるいはホームラン30本を達成したことがない「記録には残らない選手」なのですよね。まあ、広い守備範囲と強肩、チャンスに強いバッティング、そして、なんといっても観客をひきつける「華」というのは、新庄選手の「記録に残らない」大きな価値ではあったのですけど。

 3年前に日本ハムが北海道に移転してきたとき、新庄は、新しいチームの「目玉」としてメジャーリーグから移籍してきました。入団会見を大勢のファンの前でやったり、かぶりものやホームランの「命名」など、とにかく日本ハムというのは、「新庄がいるチーム」として北海道に浸透していったのです。そして、その陰には、チームの営業スタッフが、北海道のほとんどすべての地域を自分たちの足で回って、地道に広報活動をしてきた効果もあったはずです。考えてみれば、あの広い北海道のことですから、実際の「北海道日本ハムファイターズ」の「商圏」というのは、札幌近辺が大部分のはずで、網走や根室にどんなに「営業」に行ったところで、その地域の人たちが実際に球場に足を運んでくれる機会というのは、そんなにはなさそうなのに、それでも「北海道のチーム」として道民にアピールし続けた球団スタッフの努力が、まさに「結実した」優勝なのかもしれません。

 僕は、新庄のあまりに何も考えていなさそうなキャラクターが好きではなかったのですけど、日本ハムに入団してからの新庄は、明らかに変わってきていました。それまでは「新庄剛志」個人が目立つことが多かったのですが、日本ハムに来てからは、「札幌ドームを満員にする」ことを公約に掲げ、パフォーマンスをやるときも自分ひとりだけではなくて、「弟分」の森本選手をはじめ、他の日本ハムの選手たちを「引き立てる」ことに心を砕いているようにも見えました。そして、昨日の優勝決定後の表彰式でも、いちばん端で、静かに喜びに浸っているように僕には見えたのです。
 たぶん、「なんでアイツばっかり」というような雰囲気も、日本ハムのチーム内にはあったはずです。だって、成績そのものは、一年目の2割9分8厘、28本塁打は、かなりのものだとしても、それ以降は、「打撃だけなら、レギュラーも厳しいのでは……」というようなものでしたし、かなりの高年俸でしたし。
 でも、日本ハムというチームで野球をしていくうちに、新庄自身も少しずつ変わっていったと僕は感じているのです。最近の新庄は、自分が目立つというよりは、チームの他の選手たちや日本ハム球団や北海道という土地の「引き立て役」であろうとしているように見えました。
 派手なパフォーマンスとマイペースな生きざまで人々を魅了し続けた新庄だけれど、「17歳の時に7000円で購入したグラブを今まで使い続けてきた」なんていうエピソードの中にいる「自分のやるべきことにこだわり続けている、足元を見失わない男」が、本当の新庄なのかもしれません。
 少なくとも「自分だけが目立てばいいと考えている選手」を、いくらスター選手だからといって、みんなは一番最初に、監督より先に胴上げなんてしなかったはずです。

「背番号1?ひちょりにつけてもらいたい。僕の気持ちはそうです」
 おそらく、以前の新庄なら、自分の背番号が「永久欠番になること」を望んだのではないでしょうか。
 こうして、みずから「後継者」まで指名して、北海道のファンに今後もファイターズを応援してくれるよう言い遺して引退していく新庄。なんだか、あまりにもカッコよすぎるよ。
 この「北海道日本ハムファイターズ」の3年間でいちばん「成長」したのは、実は、新庄剛志自身だったのかもしれません。

 引退会見で、新庄は、【北海道で種をまき、水を与え、3年目で金色の花を咲かせられたことがうれしい。夢を探して、みんなをあっと驚かせることをやり続けたい】と語っていました。まだまだ、この男の「成長」は続いていきそうです。