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2006年10月24日(火)
「コント」と「コメディ」と「笑いの多い舞台」の違い

「演技でいいから友達でいて〜僕が学んだ舞台の達人」(松尾スズキ著・幻冬舎文庫)より。

(松尾スズキさんが、さまざまな「舞台人」たちと対談されたものをまとめた本。ラサール石井さんの回の一部です)

【松尾スズキ:ところで石井さんは、コントとコメディと笑いの多い舞台の違いを、実際すべて経験している人間として、どう捉えているんでしょう?

ラサール石井:まずやっぱり、コントは時間的にも内容的にも圧縮されてますよね。で、笑わせることをまず目的としている。その度合いがいちばん強いのがコントですね。でもリアリティーは絶対なきゃいけない。下手な漫才が会話に見えないから笑えないのと同じように、リアリティーがないと絶対に笑えないから。ただ、その振幅の幅は極端なほうがいい。技術的に言うと、声が大きいほうがいいとか、できるだけ正面を向いたほうがいいとかね。コントは長くても15分だから、芝居をやるときみたいに、最初はわざとシリアスなトーンで入ってみるとか、ものすごく日常的な設定を見せるとか、そういう演劇的なことをやっていると、笑いまで届かない。笑いを求める度合いが強いだけに、その辺は省いていかないと。

松尾:コメディはどうですか?

石井:ある程度筋があるから、ストーリーに沿って進みますよね。そこでちょっと日常的なことは出てきますけど、まあコメディだったら、CMネタを言っても楽屋落ちがあってもOKだし、演者が先走っていることがあってもいい。でも、それが「笑いが多い芝居」ということになると、「そこにいるその人はそれは言わないだろう」っていう最低限のルールを守らないといけないと思うんですね。あえてそれを壊す喜劇もあるだろうけど、そしたらそれを満たすだけの計算が随所にないと、演劇として成り立たないから。いずれにしても、どれをやるにしろリアリティーは必要で、そのためには芝居がちゃんとできないとダメですよね。よく、コントと芝居は別だと思ってる俳優さんに、「僕もコントがやりたいな」なんてふざけて言われるんだけど、「いや、あなたはその前に演技をやったほうがいい」って、僕はいつも思うんですよ。

松尾:コントが上手い人って、基本的に芝居も上手いですからね。

石井:芝居をちゃんとしないと、人は笑わないんですよ。僕はときどきコントのワークショップをやるんだけど、だいたいいつもやる設定は、学校をエスケープしようとする不良学生と、それをやめさせようとする真面目学生。それをアドリブでやらせると、まず不良学生がそこに居ようとするんだよね。2人がそこにいることが予定調和になってしまって。で、「不良学生はエスケープしたいんだから、行けよ」って言って、袖のほうに行かせると、今度は真面目学生がそれをボーっと見てる。だから「それじゃダメだよ、止めなきゃ」って言って、引き留めさせて、「学校のどこがつまんないんだ?」とかいろいろ質問させて。ちなみに、さっきのコントとコメディの違いで言えば、このとき袖の近くで引き留めても、そこでそのまま芝居を続けるのがコメディ、不良学生をそこから中央にいちいち引っ張ってくるのがコントですよね。

松尾:なるほどなあ。

石井:ワークショップでは、そうやって僕がああしろ、こうしろって指図しながらコントを続けさせて、参加者はその間を覚えていくわけなんですが、じつはこれ、コントの練習じゃなくて、芝居の練習なんですね。要は、常にどうリアルさを保っているかっていうことなんですよ。芝居のワークショップとして、コントを使っているんですよね。】

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 この石井さんのお話を読んでみると、「コント」と「コメディ」と「笑いの多い舞台」には、どれもその基本は「芝居」であるという共通点があるみたいです。「面白くないコント」を見せられたときに、多くの人は「ネタがつまらないから笑えない」と考えがちなのですが、実際は「芝居ができていないからネタが生かせない」ことも少なくなさそうです。
【よく、コントと芝居は別だと思ってる俳優さんに、「僕もコントがやりたいな」なんてふざけて言われるんだけど、「いや、あなたはその前に演技をやったほうがいい」って、僕はいつも思うんですよ】という部分などは、まさに「コント」と「コメディ」と「舞台」を長年やってこられた石井さんの真骨頂です。確かに「お笑い」をやってきた人が役者として大成功している例はけっこう多いですし、逆に、優れた役者というのは、人を笑わせる演技というのも上手なんですよね。

 ここで石井さんが挙げられている「不良学生と真面目学生のコント」は、とてもわかりやすい例えです。もし僕がこのワークショップに参加して、不良学生の役をやっていたら、「舞台の上でどんな面白いことを言おうか……」ということばかり考えてしまって、学校をエスケープしたいはずの不良学生が、どんどん舞台の中央ににじり寄ってしまいそうです。そして、僕がどんなに舞台の中央で「面白いこと」を言おうとしても、観客には「何のための不良役なんだ?」と「設定を生かせていない」ようにしか感じられず、観客はかえってしらけてしまうのではないでしょうか。

 「最近の『お笑い』は、同じような『あるあるネタ』ばかりだ」と嘆いている人はけっこう多いのですが、逆に「誰もが驚くような斬新なネタ」なんていうのがそんなにしょっちゅう世に出るわけもなくて、同じようなネタを「どんなふうに演じるのか」のほうが、「差別化」には重要なのかもしれません。あらためて考えてみれば、売れている芸人というのは、みんな自分の「型」を持っていますし、「芝居上手」なのです。

 人を笑わせようと思うほど、送り手のほうは真面目に演じなければならないのです。確かに、自分の話に笑いながら喋っている人って、聞いている側にすれば、全然面白くないことが多いですしね。