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2006年09月06日(水) ■ |
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ある精神科医が語る「本当に怖い話」 |
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「週刊SPA!2006.8/15・22合併号」(扶桑社)の特集記事「体験者が語る『会社の会談』」より。
(精神科医・春日武彦さんによる、「私はこんな話が怖い!」という項の一部です)
【職場では結構自殺している人なんかも多いんだけど、怪奇体験というのはまったくないですよ。患者自身が怪談というのはあるけどね。
(中略)
俺にとって「こりゃ怪談だなあ」と思うのは、「子供が帰ってこないんで、ベンチで待っていたら30年たちました」みたいな話ね。あと以前聞いた話なんだけど、とある有名な実業家が亡くなったときにさ、その奥さんが火葬される前の棺桶に向かって、「あなた、怖くないですからね」って言ったらしいんですよ。こういうのがむしろ怖いんだよね。何考えてんだろうと思うよ。この棺桶の例なんかはさ、もちろん奥さんの愛情から出た行為とも思えるけど、一方で、棺桶に入っている側からすると、そんなこと言われたら余計に怖いじゃない? だいいち、体験したこともないくせに、「怖くないですよ」なんて言えるわけない(笑)。なのに言ってしまう。ここには奇妙に歪んだロジックがある。と同時に、この奥さんの「取り返しがつかないことになった」という罪悪感と喪失感が、この話を聞く者が持っている罪悪感とか喪失感にそのまま訴えかけるところがあるわけでしょ。それがいや〜な感じを生むわけで、怖い怪談っていうのは、つまり、受け手の「知っていること」であったり、「あり得たかもしれない過去」が歪んだロジックを経て現れ出るところに生まれるんで、単に超常現象にあいましたじゃつまらないよね。】
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春日さんは、現在『文学界』とう雑誌で、「不気味なもの」についての連載をされているそうなのですが、僕も本当に「怖い」と感じるのは、ハリウッド映画で描かれているような大パニックの場面ではなくて(あれはあれでドキドキはするものですが)、この実業家の妻のエピソードのように「ごく当たり前のような光景のなかに隠されたズレ」のような気がします。 いや、もし僕だって意識のある状態で火葬されたら「怖い」どころの騒ぎじゃないですし、そんなこと心配するくらいなら焼かないでくれ、と言いたくもなりそうです。でも、その一方で、そう言いたくなってしまう、夫の死を感じつつも夫が何かを感じられるような状態であって欲しいという妻の思いというのも、僕にはよくわかるのです。「ちょっと気持ち悪いエピソード」ではあるけれども、不快かと言われると、それほどでもないんですよね。自分が体験したことはなくても誰かに「大丈夫だよ」としか言いようがない状況っていうのは、そんなに珍しいことではないですから。
僕にとって、この話そのものがちょっと怖いのは事実なのですが、それと同時に、この話を「ロジックが歪んでいる」ということで「とても怖い話」だと認識してしまう人が大勢いるのだ、ということにも、ある種の「怖さ」を感じてしまうのです。人は、そこまで「ロジックの不整合」に対して、敏感でなければならないのだろうか、と。 現代人というのは、未開の地や未知の生物に対する「怖さ」というのは、かなり克服してきていると僕は思います。それは人間にとっての「進歩」であるはずです。 でも、その一方で、「歪んだロジックを突き詰めすぎない包容力」みたいなものを失ってしまっている人が増えてきているような印象もあるのです。 この話の場合、ああ、この妻はまだ夫のことが心配なんだな、で思考停止してしまえれば、そのほうがずっと幸せなのではないかと思うのですけど。
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