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2006年09月04日(月) ■ |
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個性的な披露宴における「ジャストマリード号」体験記 |
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「サワコの和」(阿川佐和子著・幻冬舎文庫)より。
【私が20代の頃、結婚式を挙げようと思ったら、たいていの人は結婚式場かホテルで披露宴をやったものである。自ら経験がないので詳しいことは知らないが、当時、友達の披露宴には数知れず招かれた。そしてどれもだいたい同じような中身だったと記憶する。 司会者が立ち、仲人さんが新郎新婦の紹介をし、主賓の挨拶、乾杯の音頭、お色直し、キャンドルサービス、ケーキカットに花束贈呈。ホテル側が提案するプログラムに則れば、ほぼ滞りなくコトは進む。 「お前たちのときは、そういうつまらん披露宴はするなよ」と、父からきつく諭される以前より、我々兄弟は個性的な結婚式を挙げようと企んでいた。いくら企んでも実行できない妹をさしおいて、まもなく兄が結婚することになったとき、 「盛大な披露宴なんてやらないよ。そのかわり馴染みの教会の裏庭で小さな手作りのパーティをしたあと、親族だけの食事会をすることにしたから」 兄は宣言し、家族は感心し、当日を迎える。チャペルでなごやかな式が執り行われたのち、裏庭へ移動。風が強く、セットした髪の毛は乱れ、紙ナプキンが飛んでいく。供されたご馳走はサンドイッチとジュースのみ。昼どきにお腹を空かした招待客が、心なしか物足りなさそうな顔でたたずんでいる。 そしてシンプルパーティが終わると、兄の友人一同によって色とりどりに落書きされた缶カラつきカラフル車を新郎自らが運転し、皆に送られつつ、新婚夫婦は次なる食事会会場へと出発した。 さて、親族の食事会も無事終わり、新婚さんは、ハネムーンへお出かけになるという。 「え、じゃ、この車は誰が運転して帰るの?」 兄に尋ねると、 「お前、持って帰っといてよ。俺たち、空港に持っていくわけにいかないからさ」 おかげで私は車体に大きく「ジャストマリード」と描かれたハデハデ車をただ一人、着物姿で運転するはめになったのである。こんな恥ずかしいこと、どうして私がしなければならないんだ。なにアレ、きっと新郎に逃げられた花嫁だぜと、信号で止まるたびまわりの歩行者に笑われ見つめられ、それはひどい目に遭った。こんなことなら定型披露宴にしたほうが、よっぽど楽だった。 ことほど左様に個性には、多大なる面倒と義務と苦痛がつきまとうことを肝に銘じておかなければいけないのである。】
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そういえば、僕は何度も(少なくとも10回以上は)結婚披露宴に出席しているのですがこの「披露宴会場から缶カラつき車でハネムーンへ出発!」という新婚さんを見たことがありません。最近は、そういうのは流行ではないんでしょうね。もっとも、阿川さんのお兄さんが御結婚された当時でも、アメリカ映画の中ならさておき、日本でそんなことをするカップルは珍しかったのかもしれませんが。
僕も結婚披露宴というのに出席するたびに「こんなワンパターンな式を自分はやりたくないなあ」なんていつも思っていました。しかし、周囲の人もみんなそう言っているわりには、結局大部分の披露宴が「典型的の枠内」におさまってしまうのは何故なのだろう?と考えていたのですが、結局のところ「個性的な披露宴」というのは想像以上に難しい、ということに尽きるのかもしれません。ここに描かれている阿川さんのお兄さんの結婚式でも、おそらく、この企画を考えついて実行するまでは、「風に飛ぶ紙ナプキン」とか「ジュースとサンドイッチという食事に物足りなさを感じる招待客」なんていうのは、想像してもみなかったはずです。もしかしたら、当人たちは、当日も気付いていなかった可能性もありますし、そのほうが幸せだったのではないかとは思いますが。 ほんと、典型的な披露宴っていうのは、つまらないんだけど、とりあえずよくできたシステムではあるんですよね。新郎新婦に近い人たちはそれなりにみんなで楽しめて、半分義理で出席しているような人たちも、とりあえずゆっくり出てくる食事やイベントを眺めていれば、とくに疎外感を抱くこともなく時間を過ごして会場を去っていけるのです。最近流行りのハウスウェディングなどでは、参加者にもある種の「積極性」が要求されそうです。 話し相手に恵まれなかったらかなり辛い時間を過ごさざるをえなくなるのではないでしょうか。 たぶん、阿川さんのお兄さんたちは「質素で親近感あふれる式」をやりたいということだったのでしょうし、それは、この文章からも伝わってくるのですが、自分が招待客であれば、「もうちょっと御馳走が出てくるかと思ったのに、なんだか寂しいなあ」とか、「せっかく美容院で髪をセットしてきたのに……」なんていう気分になりそうではあるんですよね。「個性的」というのは素晴らしいことだけれども、「個性的」だからといって、必ずしも優れているとは限らない。現実にはむしろ、「個性的だけど失敗」してしまうことのほうが多いのではないでしょうか。披露宴を盛り上げるための要因は、芸能人がたくさん来るようなものでないかぎり、式そのもののオリジナリティというよりは、本人たちの熱意や周囲の友人・親族たちの親愛の情の深さであるように僕は感じます。 もちろん、「個性的で楽しい披露宴」の経験も僕にはあるのですが、実際は「ただ個性的であれば良い」のではなくて、ちゃんと手間をかけて準備が整えられていればこそ、「個性」というのは生きるのです。ダメな「個性」って、「非常識」だと受け取られがちだし。 ただ、これを読んでいると、その「ジャストマリード号」の運転経験というのも、時間が経てばいい思い出になっているような気もするんですけどね。こうして、エッセイのネタにもできていることですし。
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