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2006年08月21日(月)
「日本人は閉鎖的で外国人に冷たい」という嘘

「文藝春秋」2006年9月号の対談記事「ゴーン夫人とシャネル社長・ゴーン家の『夫操縦法』教えます」より。

(カルロス・ゴーン夫人のリタ・ゴーンさんとシャネル社長のリシャール・コラスさんの対談の一部です。コラスさんが、大学入学前の17歳の夏休みに日本に一人旅をしたときのことを思い出して)

【リタ・ゴーン:どうしてまた、地球の反対側の日本を旅先に選んだのですか。

リシャール・コラス:本当はアマゾンに写真を撮りに行く予定だったのがダメになって、エールフランスの機長をしていた父に「日本は素晴らしい国だから行ってみれば」と勧められたんです。父の日本土産の根付とその包装紙に使われていた浮世絵が家にあって、昔からキレイだなと憧れてもいたんですね。それに、日本に行けば夢にまで見たニコンのカメラを安く買えるかもしれない、と(笑)。

ゴーン:35年前の日本には、まだ外国人も少なかったでしょう。

コラス:でも、あの頃の日本人は、英語は話せなくても心をこめて迎えてくれました。僕はあのとき、自分が”ガイジン”だという思いをした記憶がまったくない。出会う人、出会う人がみんな親切で「泊まる場所が決まってないなら、うちにおいで」「どこかに連れていってやろう」と言ってくれる。40日間の旅で、ひと晩ユースホステルに泊まった以外は全部、日本の民家に泊めていただきました。夜行バスの後ろの席に座っていた青年に誘われて、彼の故郷の瀬戸内で盆踊りしたこともあった。

ゴーン:その精神はいまも変わりませんよ。「日本人は閉鎖的で外国人に冷たい」とよく日本人自身も言いますけれど、私は声を大にして反論したい。日本人こそ本当の意味でオープンな人々です。海外では、話し相手の発音やイントネーションが違うだけで「分かろうともしない、聞こうともしない」人々をたくさん見てきましたが、日本では、日本語のできない私が何か伝えようとしても、皆さん一生懸命「分かろう」としてくれます。日本人ほど一生懸命、人の話を聞こうとする人々はいません。

コラス:日本人の深い理解力、洞察力は、世界中を見渡しても他にない美点ですよね。いま鎌倉に建設中の新居に、純日本風の離れを造っているんですが、日本の大工さんというのは職人であるとともにアーティストなんです。木材を選ぶのにも「この樹齢700年の木の声を聴くんですよ」とおっしゃる。私は彼と話すたびに、その森羅万象に耳をすまし、理解しようとする態度に、日本文化の厚みを感じるんです。この深い理解力は、日本企業のビジネスマンの中にも生きているのではないでしょうか。

ゴーン:カルロスはいつも、日産で仕事をしたことが自分にとっていかに大きな財産になったか話しています。ものづくりに対する日本人の一生懸命さ、そしてそれに応える一部の消費者たちの厳しい視点に大きな感銘を受けたようです。

コラス:日本の消費者のレベルの高さを説明するときにいつも使う例え話があるんです。
 以前ジバンシィに勤めていたときに、ブティックからドレスが一着戻ってきたことがありました。お客様が不良品だとお怒りだという。ところが見たところ、生地はキレイですし、カットもパーフェクト。唯一、裾から少し糸がぶら下がっているだけ。フランス人だったら、自分でハサミで切って済ませるでしょう?

ゴーン:(大きく頷いて)間違いなく、自分で切るわ。

コラス:参考までにアメリカ人に見せたら、気がつきませんでしたよ。ここに難があると説明しても、こんなのアメリカ人の感覚では難に入らないわよという感じで、日本人の求めるクオリティだけが特別に高いんです。
 アメリカ人は、ものはプライスが低い方が良くて、食べ物も空腹が満たされればいいという考え方。アメリカ人の中にも洗練された人はいますけど、全体的に見たら日本人の方がずっと敏感です。ものには魂があるということを、ごく普通の市井の人々さえもが分かっているんですから。私どもの商品の価値が分かる、お目が高い方が多いはずです(笑)。】

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 まあ、このお二人の「立場」を考えれば、重要な顧客である日本人の悪口を「文藝春秋」で喋りまくるわけにはいかないでしょうから、多少は割り引いて聞く必要はありそうですが、この対談を読んでいると、確かに「日本人は閉鎖的」だというのは、もしかしたら「思い込み」にすぎないのかもしれないという気もしてくるのです。
 考えてみたら、日本人は外国人を「言葉が通じないから」という理由で「敬遠」しがちなのですけれど、その一方で、話しかけらればなんとかその言葉の意味を分かろうと努力はしますし、そもそも「話が通じないのを申しわけなく思う気持ち」というのは、少なくとも「言葉が通じない相手は無視するのが当然という考え方」よりも、はるかに「開放的」なのかもしれません。いや、「通じる」ことに比べればはるかに下だし、自慢するほどのことじゃないと言われれば、それまでなんですけれども。
 それでも、コラスさんが語られている「35年前の日本人」の、現代日本人である僕からすれば、おせっかいなのではないかと思えるほどの「親切さ」に比べれば、確かに「日本人は閉鎖的になってきている」とも言えそうではありますね。

 しかし、このお二人の対談の引用の後半部を読んでみると、やっぱり、日本人というのは「異質」なのかな、とも感じます。それが良いか悪いかはさておき、「なんで日本人というのは、こんな些細なところにクレームをつけてくるんだ?」という疑問を持つ外国人が多いのでしょう。世界基準としては、このお二人のように「お目が高い顧客」を喜ぶ人ばかりではないというか、こういうふうに良いほうに考えてくれる人のほうが少数派なのではないかと思われますし、この「難ありドレス」の件に関しては、この二人の対談の内容にすら、ちょっと嫌味が含まれているような……
 例えば、アメリカ産牛肉の輸入問題にしても、日本側としては、「あんないいかげんな加工をして、BSEになる可能性があるような肉を輸出しやがって!日本人をナメてるのか!」という考え方が多数派なのですが、アメリカ人は「日本人をナメている」わけではなくて、「アメリカでは、あれで十分」というのが根底にあるからこそ、日本の要求が理解できないのだと思われます。それでも「商売」なんだから、顧客のニーズに合わせるのが当然なのでしょうけど、そういう「基準」の違いというのは、大国にとっては受け入れ難いのかもしれませんね。

 でも、どうなんでしょう実際のところ。やっぱり、ジバンシィのドレスの裾から少し糸がぶら下がっていたら、クレームをつけるのが日本人として普通なのでしょうか?
 そういうのって、むしろ人種とか民族っていうより、個人個人の「要求水準」の問題のような気がするし、僕はクレームつけるのがめんどくさいので、そのくらいなら自分で切ってしまうと思うのですが。