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2006年08月12日(土)
「マンガ家」と「サラリーマン」を両立する方法

「マンガ入門」(しりあがり寿著・講談社現代新書)より。

(大学卒業後、13年間もサラリーマンとマンガ家という「二足のワラジ」をはきつづけていた時代を振り返って)

【よく人から「二足のわらじは大変だっただろう」と聞かれることがあります。答えは「いいえ」です。
 そりゃ、ひとつしか仕事をしていない人にくらべれば多少忙しい思いはするかもしれませんが、好きなことをするんだったら、何もしないでゴロゴロしているよりは忙しくしてるほうがよっぽどいい。しかもお金を使う遊びではなく、お金が入ってくるマンガ描きなのだから、楽しいし、お金も入るし、一挙両得でした。はけることなら本当に何足のワラジでもはきたい気分でした。
 でもおそらく、誰でもが二足のワラジをはけるものでもないのでしょう。
 まず本人の性格に向き不向きがある。たとえば二足のワラジに向かない性格、それはこだわり性、完璧主義です。昼は会社ではたらいて、夜はマンガを描く。正直言ってどちらも満足できる出来に上がるのはむずかしいことです。かといってどちらかの完成度にこだわってもう一方の時間まで侵食したら、侵食されたほうがさらにおろそかになってしまう。その点ボクは自分に甘く、ベタを塗り忘れても登場人物の顔が途中で変わっても、あまり気にしませんでした。
 ボクは会社に通勤する途中の電車の乗り換え駅で、マンガ頭を会社頭に切り替えていました。そして会社で自分の意見を通せなくても、「オレにはマンガがあるからいいのさ」と考え、マンガがうまく描けないときは「マンガが売れなくても会社から金もらってるから困らないのさ」とか、それぞれを精神的な逃げ場にしていた。それがいつでもボクの気持ちをラクにしてくれました。
 でもそんな個人の性格より二足のワラジに大切なのは周囲の理解でしょうか。
 ボクはマンガを描いていることをずっと会社にはだまっていました。でも、85年に『エレキな春』が出る前、他の人から耳に入ったらまずいな、と思って部長に「こういう本を出します」と報告したのです。すると部長は「自分たちが休日に趣味でゴルフをやるようなものだから、かまわないよ」とおっしゃってくれた。その上、課長は人事部まで行って「こういう人間がいるがマンガを描かせてやってほしい」と言ってくれました。
 ボクのほうも会社から信頼感を得るために、会社に迷惑のかかるような表現をひかえるようにしました。世の中というのは、そこの社員が趣味で描いているマンガと、その会社のつくる製品の良し悪しを、なぜかイメージでつなげてしまうオソロシイものだと思ってたので、あまりひどい描写や物議をかもすような表現をしませんでした(他人からみたらそーとーひどいと思われていたかもしれませんが)。
 加えて、本名、会社名、顔写真の3つは決して出さないように決めました。これも必要以上に本人を通してマンガと会社が結びつかないようにするためです。

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 しりあがり寿さんは、多摩美術大学のグラフィックデザイン科を卒業されたあと、キリンビールの宣伝部に13年間勤めながらマンガを描かれていたのです。「宣伝部」というのは営業職などに比べれば、比較的そういう「社外活動」みたいなものに対しておおらかなのかもしれませんが、しりあがりさんは、サラリーマンのあいだは、つねに「仕事優先」の原則を崩さなかったそうです。【結局、徹夜でマンガを描いてそのまま会社に行ったことは何度かあったけど、13年間、マンガのために休むということは一度もありませんでした】と、この本には書かれています。そういう「二足のワラジ」状態だと、いくら「理解がある」会社でも、本当に体調が悪くて会社を休んだとしても「あいつは休んでマンガ描いているんじゃないか?」なんていうような目で見られたりもしそうですしね。

 それにしても、これを読んでいると、確かに「二足のワラジ向き」の性格というのはあるのではないか、と僕も思います。「個々の作品に対して完璧を求める」人にとっては、こういう生活は困難なものでしょうし、逆に、怠惰すぎる人には、とうていこんなハードワークは難しいでしょう。普通、仕事かマンガのどちらかに偏ってしまって、生きていくための手段としては、どちらかを捨てざるをえなくなるはずです。そういうふうに考えてみれば、この「絶妙なバランス感覚」というのは、ある種「二足のワラジをはくという目的への完璧主義」のたまものなのかもしれません。
 でも、しりあがりさんは、13年間「二足のワラジ」を続けられた理由を「自分の努力のたまもの」だとは書かれていません。この引用した文章のあとで、「妻もマンガ家で、休日はアウトドアや旅行ではなく、一緒にマンガを描くことにつきあってくれた」ことや「宣伝の仕事が面白かったからやめられなかった」と仰っています。確かに、「周囲の理解」というより「幸運な環境だった」と言うべきなのでしょう。いくらものわかりの良いパートナーであっても、13年間も我慢を強いられては、「爆発」するのではないでしょうか。キリンビールのような一流企業の社員の給料であれば、よっぽど贅沢しなければ、もし会社員としての給料だけになったとしても、経済的にすごく厳しくなるということもないでしょうから。もちろん、無理をせずに合わせることができるパートナーを選ばれたのはしりあがりさん自身なのですけど。

 結局のところ「二足のワラジ」というのは、やっぱり「非常に難しい」のですよね。本人の性格や環境というさまざまな要因がうまくいかないとできるものではないし、ずっとそれを続けていくとなれば、よほどの「幸運」が必要なのでしょう。
 しりあがりさんのサラリーマン時代は1994年に終わりを告げるのですが、その時代には「2ちゃんねる」が無かったということも、ひとつの「幸運」だったのかもしれませんし。