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2006年08月10日(木) ■ |
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「冥王星」をめぐる悲劇 |
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「九月の四分の一」(大崎善生著・新潮文庫)より。
【「冥王星って知っている?」 僕はヒースローまで見送りにきてくれたトニーと、別れるまでの約三十分間、初めてその話をした。 「プルートー?」 「そう」 「もちろん知っているさ」とトニーは紅茶を飲みながら言った。 「僕は、そのことで時々、存在というもののあまりのあやふやさに不安になることがある。あるいは、その不安の象徴がその星なのかもしれない」 「祐一」 「なんだい?」 「知っているかい、冥王星の歴史について」 「まあまあ」 「冥王星の存在を信じていたパーシヴァル・ローウェルという高名な天文学者がアメリカにいた。彼は冥王星の発見のために何年も費やして、何千枚もの宇宙の写真を撮り続けた。そのために巨大な天文台を莫大な資金を投入して造った。しかし、結局発見することができずに、絶望のなかでそのままこの世を去ってしまうことになる。その遺志を継いで半ばアルバイトのような形で雇われたカンサスの農夫だった青年がわずか1年間の観測で発見してしまうんだ」 「クライド・トンボーだろ?」 「そう。ところがね、あとでローウェルが撮った写真を調べると、膨大な量の写真の中に冥王星が写っていたことがわかったんだ。発見に失敗したと思いこんでいたローウェルは打ちひしがれ、写真を真剣に分析しなかった。だから、写っていたものの彼はそのことに気がつかなかった」 「皮肉だね」 「ああ。天文台の設備もスタッフも熱意さえも何から何までローウェルが造り上げたものだからね。まあいいさ、それは。それでね、何で僕が冥王星について知っているかというね、それは冥王星という名前に関係がある」 「死界の王だよね」 「そう。その名前をね、つけたのがベネチア・バーニーという名前のオクスフォードの女生徒だったんだ。1931年頃のことだと思う。九番目の惑星という世紀の大発見、それに何と名前をつけるかで世界が大騒ぎになった。おそらく公募もされたんだろう。百も二百も候補が上がった。多くの人はローウェルと命名したがっていた。しかし一人の女生徒がプルートと言いだして、あっという間に世論がそれを支持していった。アメリカ人が発見したことにイギリス人が名前をつけるのはどういうものかという反発がもちろんアメリカ国内にあったんだけれど、そのネーミングのあまりの絶妙さにやがて抵抗できなくなってしまった」 「暗闇の中にかすかに光る、在るのかないのかさえもあやふやな星に死界の王だものね。ほんとうにぴったりだ。暗黒の中にその瞳だけが輝いているという感じで」と僕は薄いコーヒーをすすりながら言った。】
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現時点で、「太陽系で最後に発見された惑星」である「冥王星」に関するエピソード。観測技術の進歩により、冥王星というのは、本当に「惑星」と呼んでもいいのか?なんていう議論も最近は行われているようなのですが、まあ、現実的に「惑星から格下げ」なんていうことは、まず起こりそうにはないようです。 それにしても、この「冥王星」の発見に関するローウェルの悲劇には、なんだかいろんなことを考えさせられます。高名な天文学者であった彼が多くのものを失って追い求めたものを、彼の仕事を受け継いだ無名の青年が、わずか1年で発見してしまう。それは、ローウェル自身にも「見えていたもの」のはずなのに。ローウェルは劇的な新発見を求めるあまり、自分の「失敗」を丁寧に検証するという冷静さを失ってしまっていたのかもしれません。でも、そういうのって、本当に「よくあること」なんですよね。 さらに、彼の功績を称えて「ローウェル」になったかもしれない新惑星の名前まで、結局、「冥王星(プルートー)」になってしまった。 もっとも、太陽系の惑星には、ギリシャ神話の神々の名前をつける慣習があったので、新惑星が「冥王(プルートー)」と名づけられたのは、一人の女生徒の力というより、先例に従っただけ、という面もあるのですけど。
なんだか、この話には、人生のめぐり合わせの残酷さを痛感させられます。そして、人というのは、どんなに自分では「わかっている」つもりでも、その先入観によって見えているはずのものが見えなくなってしまうものなのだなあ、とあらためて思い知らるのです。 しかし、言われてみれば当たり前の話ですが、太陽系に惑星がひとつ増えるというのは、ものすごいことなんですね。それが、実生活にどのくらいの影響があるかはさておき。
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