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2006年07月27日(木) ■ |
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ガリレオの「嘘つき望遠鏡」 |
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「99.9%は仮説」(竹内薫著・光文社新書)より。
【みなさん、ガリレオ・ガリレイ(1564〜1642)は知っていますよね? 地動説を唱えて裁判にかけられ、有罪になった人です。 「それでも地球は動く」という捨て台詞を吐いたとか吐かなかったとか。世間では「天文学の父」と呼ばれ、ピサの斜塔の実験でも有名な人です。 そのガリレオは、望遠鏡をもっとも早くからとりいれたひとりでした。 1608年、オランダで望遠鏡が発明されます。ガリレオはその噂を聞きつけ、さっそく試行錯誤のうえに自作の望遠鏡を作り、天体観測を行いました。倍率は約33倍。デジカメの倍率を考えるとなかなかのものです。 さて、1610年の4月のこと。ガリレオは、イタリアのボローニャに24人もの大学教授を集めて、自作の望遠鏡を披露しました。
(こいつら、俺様の大発見にビックリ仰天するにちがいないゾ)
期待にワクワクしながら、ガリレオは、まず彼らに望遠鏡で地上の様子をみてもらいました。 すると、どうでしょう。望遠鏡を覗きこむと、山や森や建築物など、はるか遠くにあるものがドーンと目のまえに映しだされます。 「これはすごい!」と教授たちはその迫力に驚き、ガリレオを称賛しました。当時、イタリアでは、だれもまだ望遠鏡をみたことがなかったのです。 しかし、話はこれで終わりません。つぎに、ガリレオは教授たちに望遠鏡で天体をみせたのです。 すると、どうでしょう。それまではボンヤリとした光る点にすぎなかった夜空の星々が拡大され、月のクレーターまでもがはっきりとみえたのです。 教授たちはまたしても驚きました。そして、口々にこういったのです。
「こんなのはデタラメだ!」
教授たちのなかには、当代きっての天文学者ケプラーの弟子、ホーキーもいました。 彼はつぎのように語っています。 「それ(望遠鏡)は、下界においては見事に働くが、天上にあってはわれわれを欺く」 つまり、ガリレオの望遠鏡は地上をみる分には問題なく作動するが、天に向けるとうまく働かない代物だ、と文句をつけているのです。
(なぜだ! なぜ、こいつらは俺様の大発見を否定するのだ? 自分たちの目でみているのに!)
まさに天国から地獄へ。称賛の的になると期待していたガリレオは、失意のどん底につき落とされました。】
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著者の竹内さんの解説によると、この教授たちの反応は、【神が棲む、完璧な世界であるはずの天上界に存在する「月」に、凸凹などあるはずがない、と彼らは信じていたから】ということなのだそうです。つまり、彼らは、自分の目に見えたものが、自分たちにとっての「正しい世界」と合致していなかったために、目に見えたもののほうを否定してしまったのです。 こういう話を聞くと、昔の「非科学的な世界」を嘲笑ったりしてしまいたくもなるのですが、考えてみれば、「人は、自分の信じたいことしか信じない」という点においては、ガリレオの時代も現代も、そんなに変わりはないのかもしれませんね。 この望遠鏡の話にしても、逆に「この望遠鏡で見えるものは絶対に正しい」という思い込みのせいで、本当は歪んで見えているはずの「正しい世界」を信じてしまう、という可能性だってあるかもしれませんし。 人間というのは、多くの場合、「自分に理解できること」「自分が正しいを思うこと」を信じたがる生き物です。科学の世界でも、実験の結果が自分の予測と合致しないと、その「予想」が間違っているのではないかと疑うより先に、「実験のやりかたが悪かったのかな?」というふうに考えてしまいがち。そしてときには、「自分に都合のいい結果以外は『実験ミス』にしてしまう」なんていう例も出てきます。逆に、「自分にとって正しい結果」を「本当は間違っているのではないか」と、ひたすら追試するなんていうことは、まずないんですよね。 もちろん、目の前で起これば、「信じざるをえないこと」というのはたくさんあるのですけど、僕たちが思いこんでいるほど「科学」は絶対的なものではないのです。その「正しさ」を振り回しているのは、所詮、人間なのだから。
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