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2006年04月23日(日)
「戦争して女性や労働者を解放するつもりだった」

「週刊SPA!2006.4/4号」(扶桑社)の「文壇アウトローズの世相放談・坪内祐三&福田和也『これでいいのだ』」第188回より。

【坪内:しかし、菅と小沢って、実はあんまり年が変わらないんだよね。59歳と63歳。

福田:菅は、市川房枝の弟子でしたね。市川房枝は、戦前は大政翼賛会(戦争のために国民の統制を図ろうと、すべての政党を解体した)の最右派だったんだからね。戦争協力者として、戦後、公職追放されているんですよ。

坪内:そういう人たちが、戦後、左翼に行くんだよね。

福田:17歳の右翼高校生に刺殺された社会党委員長・浅沼稲次郎も、かつては戦争を推進してましたからね。つまり、戦時中の「総力戦体制」というのは、女性や労働者の地位を向上させる面もあったんですよ。国民全員の総力戦で、女の力も大切だぞ、と。

坪内:平等なんだよね。

福田:それに、普段は姑の下でこき使われていた農村の娘さんが、国防婦人会に入ると、おおっぴらに外出できるんですよ。電車に乗って大会に行ったり。明らかな解放だったんです。大政翼賛会・総動員体制というのは。女性や労働者の。

坪内:うん。

福田:彼らも、戦後、急に「反戦」に回らなきゃカッコよかったんだけどね。「戦争して女性や労働者を解放するつもりだった」って、ちゃんと言えばさ。

坪内:戦前、女性はそのくらい”下”に置かれていたわけだから、戦争と国家総動員という女性解放の手段があって、その次のステップに進めた――その事実を認めないで、戦争協力してきたことで私たちを批判してくるのは、あんたおかしいと、市川房枝はキチンと言えばよかったんだよね。だけどネグっちゃった。

福田:「橋のない川」を書いた住井すゑもそうでしょ。「被差別部落の解放と人間の平等を訴えた文学者」とされているけれど、あの人は戦前の最右翼ですからね。農民の報国作家として、聖戦のためにすべてを捧げようと延々やってたから。

坪内:「作家の戦争責任問題」を追及した特集が10年くらい前の「論座」であって、当時右翼って思われたオレは、住井すゑを擁護したわけ。どこがおかしいんだと。当時としてはそれは、1つの新しいラインだったんだから。あとまた、農本主義というか、農民文学というのは、それはそういう右翼にならざるをえなかったわけね。

福田:住井作品は、戦前はまとも。戦後のほうがよっぽどメチャクチャだよ。なんだっけ、『私たちのお父さん』とか、ほとんど金日成崇拝だよ。この大きいお父さんがいたお陰でみんな平等になりました、みたいな。

坪内:反近代主義と、農本主義が結びついていく。クヌート・ハムスンというノルウェーを代表するような作家もそう。農民文学を書いていて、親ヒトラーなんだよね。

福田:それを言ってしまえば、『チャタレイ夫人の恋人』のロレンスとか、みんな繋がりますよね。

坪内:そうそう。

福田:もちろんロレンスはハムスンほど露骨にファシスト的ではないけど。】

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 「左翼」イコール「反戦主義者」、というイメージを僕はずっと抱いていたのですが、このお二人の対談を読んでいて、それは一種の「思い込み」なのだということがよくわかりました。
 確かに、歴史というものを考えてみれば、「実力主義」の時代の多くは、戦乱の時代だったのです。豊臣秀吉や劉邦が「成り上がった」のもそんな戦乱の時代でしたし。逆に、平和な時代には「血統」で多くのことが決まってしまったわけで。
 そういう観点からみれば、「軍国主義時代」というのは、日本という国にとって、最大の「平等な実力主義の時代のひとつ」ではあったわけです。「皇室」という不可侵の頂点を除けば、あとはまさに「誰にでもチャンスがあった」と言えなくもありません。現代の僕からすれば「戦争をするための組織がすべてを支配する」という状況に肯定的な気持ちにはなれませんが、当時の人たちにとっては、「新しい時代」であり、けっして悪い面ばかりではなかったのかもしれません。
 たとえば、東南アジアの国のなかで、日本軍の占領→撤退を機に植民地支配から解放された国があるように、それが「目的」ではなかったとしても、戦争というのは、いろいろな物事を変えていくきっかけとなることは厳然たる事実なのです。

 それにしても、こういう文章を読んでみると「反戦」なんていうのはある個人にとっての不変のイデオロギーではなくて、状況に応じていくらでも「転向」できる人もけっして少なくはないようです。そもそも、太平洋戦争での敗戦前には「反戦」の人は、日本にはほとんどいなかったわけだし。

 みんなを動かそうとしている「自分をアピールしたい人」にとっては、「反戦」も「戦争推進」も、ひとつの「手段」でしかないのだろうか……