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2006年02月28日(火)
「お前は何を言ってるんだ!」とキレてみるのも一興

「ハンバーガーを待つ3分間の値段〜ゲームクリエーターの発想術〜」(齋藤由多加著・幻冬舎)より。

(『問題のすげかえ』という項より)

【人間が(しっかりとした理由もないのに)うしろめたさを感じてしまうという心理的な効果を『シーマン』で応用したことがあります。
『シーマン』はそもそも音声認識という未完成な技術を使っているゲームです。
 目新しさのアピールもあって、試作品が出来上がった時点で発売元が話題作りを目的としたイベントを都内の大型水族館で催したことがありました。
 館内に展示されたプロトタイプが動くテレビの横には、マイクとともに「話しかけてみてください」という表示があり、来館者が興味深げに画面の中の奇妙な魚に向かっていろいろと話しかけるようになっているわけです。
 相手が言うであろう言葉をあらかじめ想定して入れ込んでおき、それぞれに対応するようになっていました。もし相手の音声が聞き取りにくく言葉として認識できないときは、
「え? 今なんて言った?」
「よくわからないぞ、もう1回言ってみて」
 などと、認識できるまで聞きなおすように作られていたのです。
 本来、この反応はユーザーにどういう状態かを知らせる、という意味でソフトウェアのメッセージとしては正しいもののはずでした。
 ところが実際は、このセオリーがあだとなってしまったのです。
 というのも来館者が語ってくる言葉というのは好き勝手放題で、こちらが想定していたものとはまったく違うものばかりだったため、ほとんどが認識できない言葉となってしまったのです。かわいそうなシーマンは、
「え? 今なんて言った? もう1回言ってみて」
「うーん、もう1回言ってみてくれ」
 などと繰り返すばかり。
 そんなシーマンが来館者にとっておもしろいはずがありません。多くの人が不満そうに、
「こいつバカじゃん!」
 と言って、機械を蹴飛ばさんばかりに怒って立ち去ってしまったのです。
 そういう光景をずっと観察していた私は、かなり落ち込みました。
 池袋から山手線に乗っている間、どうしたらこの状況を解決できるか、あらゆる手立てを考えました。
 認識できる言葉を増やすと認識率は下がる一方です。できることといえば、ユーザーにもっとわかりやすい言葉で話しかけてもらえるように働きかけることぐらいしかありません。
 ですが、『シーマン』はゲームですからビジネスソフトのように説明をあれこれ入れてしまってはユーザーは完全に興ざめしてしまいます。残された時間はごくわずか……。
 原宿駅で降りるまでのわずかな時間で決断したこと、それは、今にして思うとギャンブルに近いことでしたが、次のようなものでした。
 音声が認識できない理由をユーザーに責任転嫁してしまおう、と。
 つまり、認識できない言葉が続くとシーマンは怒った口調で、
「おまえの言葉、何回聞いてもわかんねぇよ! つまんないから帰るわ。バイバイ」
 と不愉快そうに言い放ち、水槽の奥のほうに去ってしまう……。
 認識できない原因が一方的にユーザーのせいであるとしてしまうわけです。
 脅しにも似たこのとんでもないアイデアを入れた結果、ユーザーの反応はそれまでとはがらっと変わりました。
「……ごめんね、シーマン」
「おーい、お話しようよ」
「ねぇねぇ、シーマンてば」
「こっちおいでよ」
 まるで赤子をあやすように、人はなるべくわかりやすい言葉をゆっくりと話すようになっていったのです。
 こういうわかりやすい言葉はすべて認識できるようにしてありましたから、そうこうするうちに「……わかりゃいいんだよ。俺だって好きでお前に飼われているんじゃないんだからな、しっかり話してくれよ……」、そう愚痴を言いながらしぶしぶシーマンは戻ってくる……。
 この反応の変化にスタッフは驚いたものです。何せ技術的にはまったく変わっていないのですから……。
 このアイデアが功を奏したおかげで、世界初の音声認識会話ソフト『シーマン』は、認識率が低いというレッテルを貼られずに済んだのです。その代わりに、「気難しいペット」あるいは「口の悪いペット」というレッテルを貼られることにはなりましたが……。】

〜〜〜〜〜〜〜

 ちなみに『シーマン』とは、こんなソフトです。たぶん、「どこかで見たことあるなあ」という方も多いのではないでしょうか。
 『シーマン』の開発者である齋藤さんのこの文章を読んで、僕はけっこう驚きました。あの『シーマン』の「気難しさ」は、開発者側が狙ってそうしたものだと思っていたのに、実は「気難しくせざるをえなかった理由」というのがあったなんて。
 この前半部を読んでいて、ユーザーたちに「バカ」呼ばわりされるシーマンをずっと観ていた齋藤さんの辛さが、僕にも伝わってくるようでした。自分が手塩にかけて作った「音声認識会話ソフト」が、目の前で罵倒されまくっているのですから。
 「そんなわけのわからないことを聞くんじゃなくて、もっとちゃんとしたことを聞いてくれよ、お前のほうがバカだろ!」と言いたくもなりそうです。そもそも、そういう場で「試す」人はみんな、「これはわかんないだろう」というような言葉を選ぶものだと思われますし。
 しかしながら、そこで、「認識できる言葉を増やすと認識率は下がる」し、いくら認識できる言葉の数を増やしても、結局はみんな「わからない言葉探し」を始めてしまうはず。本当に、どうすればいいんだろう?という状況ですよね。
 でも、ここで齋藤さんが考えた「方法」というのは、まさに驚くべきものでした。「認識できる言葉をユーザーに喋らせるにはどうしたらいいのか?」という、逆転の発想で、齋藤さんは賭けにでたのです。
 僕も『シーマン』をやっていたのですが、シーマンは画面の向こうの僕たちに対して、いろいろな言葉を投げてきて、ときにはへそを曲げて返事をしてくれなくなったり、水槽の奥に行ってしまったりします。そして、そういうときの僕の反応は、まさにここに書かれているように「どうやったらシーマンはわかってくれるんだろう?」と、「シーマンにわかりやすいように自分の話しかけかたを変える」というものでした。そう言われてみると、「どうしてこの言葉がわかんないんだよ!」とユーザーである僕がキレても良さそうなものなのですけど。
 そういえば、僕はだいたい誰かとケンカすると、だんだん「あれは自分が悪かった、あるいは悪い面があったのでは…」と、どんどん自省モードにシフトしていく性質なのですが、これを読むと、そういう人間は、僕だけではないのですね、きっと。
 もちろん、万人が「自分のほうが悪いのかな…」と感じるわけではないと思うのですが、「なんでも受け入れてくれそうな優しい人」に対しては、「これでも何も言わないのかよ!」と攻撃的になりがちなのにもかかわらず、「聞く耳を持たないわがままな人」に対しては、かえって相手の顔色をうかがってしまったりしがちなのも事実。
 僕はテレビとかで「ヒモのパチスロ男に一方的に貢がされている女性」を見て、「こんな男のどこがいいんだ!」なんて憤ってしまいがちなんですけど、ああいうのも、男のほうに「お前が悪い!」なんて言われたら、「そうかなあ…」なんて考えてしまう人が多いということなのかもしれません。あの「催眠術ハーレム男」とかも、きっとそんなふうにして人の心を操っていたのではないでしょうか。
 たぶん、「同じだけの知識」を持った人でも、その「見せかた」で、世間の評価というのは全然違ってくるのだろうなあ、とも思います。「自分が知っていることだけを大声で決めつけて喋って、他人の話を聞かない人」というのも、当事者以外にとっては、けっこう「頭が良い人」に見えているのかな……

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付記:読みやすくなるようにレイアウトを変えてみたのですが、いかがでしょうか?