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2005年08月21日(日)
オイルショックと「歴史」の嘘

「まれに見るバカ女との闘い」(別冊宝島編集部・編)より。

(小田嶋隆さんが書かれている「『女性差別広告』への抗議騒動史」の冒頭の部分です。)

【オイルショックをご存じだろうか。
 若い人たちは知らないはずだ。
「いや、知っている」
 という君は間違っている。
 というよりも、君の知識のモトになっている「スーパーのトイレットペーパー売り場に客が殺到するVTR」は、ありゃウソです。
 そう、この二十年の間に、のべ何百回か再生されたにちがいない、あの「主婦殺到映像」は、ヤラセとまでは言わないが、「演出上の意図に沿って極端な場面を切り取って見せた、世相の一断面」
 ちなみに、私は当時高校生だったが、あのニュース映像に出てくるような場面に出くわしたことは一度もない。
 にもかかわらず、メディアの中では、「昭和48年=オイルショック=トイレットペーパー消滅」というひとかたまりの図式が歴史的事実として認定されている。たぶん、この先、この漫画じみた連想作用は「米騒動→一揆打ちこわし→ええじゃないか」あたりの大河ドラマ的記憶とごっちゃになって、新たな歴史教科書問題を形成していくのだと思う。
 かくして、歴史は歪曲され、私や同年の友人たちが個々人の頭の中に蓄えている記憶は、公式の文書や局内ビデオライブラリーの映像に圧迫されながら、徐々に無視黙殺看過放置されて、50年もするうちには、完全に消滅するにちがいない……のである。たぶん。】

〜〜〜〜〜〜〜

 一般的に「歴史」というのはノンフィクションだと思われているのですが、僕も30年以上生きてきてわかったのは、やっぱり、時間が経てば経つほど、その歴史が現在進行形だった時代とは、かけ離れたイメージが植えつけられていく面もあるのだということです。もちろん、「時間が経って、はじめて客観的にみられること」というのもあるのだとは思いますが。
 この文章の中で、小田嶋さんは「オイルショックのときのこと」を書かれているのですが、確かに僕も、オイルショックといえば、トイレットペーパーを争って買い占める人たちの映像が頭に浮かんでくるんですよね。その時代にリアルタイムに生きていた人たちにとっては、それは、ごく局所的、かつ一時的な現象だったのかもしれないのに、全国的に、ああいう大パニックになっていたと、後世の僕たちは思い込んでしまっているわけです。
 まだ記憶に新しいところでは、2002年のワールドカップなんて、まさにそういう「事実の一部が切り取られて増幅されてしまう歴史」になりそうな感じがします。もちろん日本中で非常に盛り上がったイベントだったのは確かなのですが、その一方で、あんなに若者が街中で大暴れしていたのは、都会のごく一部の地域だけだったのに、「ワールドカップの記憶」として流される映像の大部分は、そういう「暴徒化した人々」のものですから、おそらく、今から30年先の人々は、「当時の日本人はみんな、あんな感じで大フィーバーしていたのか…」と思うことになるのでしょうね。
 「歴史」は真実だと僕たちは思い込んでいるけれど、それは、あくまでも「一面の事実」でかなくて、リアルタイムで体験している人たちとの「実感」とか異なっていることも多いのでしょうね、きっと。
 そういう意味では、個人サイトやブログでの記述というのは、将来的には貴重な資料になるのかもしれません。まあ、そういうのを全部集める気力がある人がいればの話ですが。