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2005年08月15日(月)
天下国家を語ることでストレスを発散している人々へ

「靖国論」(小林よしのり著・幻冬舎)より。

【平成14年6月11日の(国立追悼施設の)反対集会に出席してくれた政治家は励まされなくてはならない。国政の場に戦没者や、遺族の方々の思いを反映させてくれる仲間だ。
 なのに、せっかく参加してくれた政治家たちに無礼なヤジを飛ばす者がいたのだから、信じられない。
 中川昭一氏に対するヤジは特にひどかった。
 中川氏はとうとうキレて、話を中断し、席に戻ってしまった。

 わしは思わず立ち上がって、会場の人々に訴えた。中川氏は教科書運動のときもわしに協力してくれた。愛国者で論理も確かで頭のいい男だ。
 最近『正論』とか『諸君!』を読み込んで、保守オタク化した者が自分が主張したくてたまらなくなっている。「保守言論オタク」は、政治家を軽んずる言動をする。激励のヤジならいいが、話を妨害するだけのフーリガンみたいなやつが、保守と言えるのだろうか?

 わしは、天下国家を大上段から語ることで私的なストレスを発散する「保守言論オタク」はダメだと思う。
 『わしズム』を作った理由のひとつは、そこにある。
 とにかく「つくる会」シンポでもこの集会でも、やっぱりヤジの暴走で不愉快な思いをした。本当はもう、こういうのには出たくない。
 しかし、終わって降壇した時、遺族の方が、わしの手を取って懇願されるのだ。
 「あんなワルイ人もいますが申し訳ありません。おねがいします。おねがいします。」
 私心を捨てるしかない。】

〜〜〜〜〜〜〜〜

 今日は終戦60年にあたる日なのですが、太平洋戦争についての「評価」というのは、今でも(というか、今になって、というべきなのでしょうか)揺れ動いています。僕は、小林さんたちが言われるところの「自虐史観」の影響を強く受けた世代ですので、「戦争は悪い、アジアの国々を侵略した日本の軍国主義が悪い」というイメージをずっと持ち続けていたのですが、最近は、そういう意識も揺らいできています。この本で紹介されているような、特攻隊員の遺書などを読んでいると、やはり、この先人たちを「悪人」だとは思えないのです。鹿児島の知覧というところにある特攻隊の基地を訪れたときに見た「遺書」は、本当に忘れられないものでしたし。ちょうど大学生だった僕と同じくらいの年頃の若者たちが、自分の死に臨んで遺した言葉というのは、とても重いものでしたし、そういう犠牲の上に、僕たちは生きているのだと思うと、感謝、あるいは申し訳ないような気持ちでいっぱいになりました。
 「行き過ぎた平和教育」に対する揺り返しなのか、最近では「あの戦争は間違っていたのか?」という議論がしきりになされています。先日僕が観ていたテレビ番組では、共産党の人に「あの戦争は正しかったと思いますか?」と問われた安倍幹事長が、先人の言葉として「それは、歴史が決めることだと思う」と答えられていました。
 まあ、それは「うまい言い方」だし、立場上そう言うしかないという面もあるのでしょうが、考えれば考えるほど、「わからない」としか言いようがないような気もするんですよね。今の僕たちからすれば「もっといいやり方があったんじゃないか?」とも思えるのですが、その「もっといいやり方」を当時の人たちだって、切実に模索していたのでしょうし。
 ただ、僕自身の考えとしては、20歳そこそこの若者が、自分の命を捨てて「特攻」しなければならないような状況は、やはり「あってはならないこと」だと思うのです。もちろん彼らだって「歴史の被害者」なのですけど、その一方で、その特攻した飛行機のために命を落とした敵兵だっていたでしょうし。
 たとえそれがどんなに美しく見えても、「失われた命の尊さ」を「戦争という行為の正当性」と同一視してはいけないと思うのです。
 先日、僕が休憩室でお昼のニュースを観ていたら、ちょうど靖国問題がテレビで取り上げられていました。その場に入ってきた掃除のおばちゃんが一言「どうしてあんなふうによその国に『お参りするな』とか言われるんですかねえ…私の父親も戦死して靖国にいるのに…」と呟いたのですが、僕はそれに対して、返す言葉がありませんでした。正直「日本という国の『お家事情』です」としか、言いようがなかったし、そんなことを訳知り顔で口に出すのは、とても恥ずかしく感じたので。
 そういう、遺族たちの「実感」というのは、「靖国問題」を「大極的」にみたがる「保守言論オタク」の「正論」よりも、僕にとっては、はるかにリアルなものに思えます。あそこに自分の大事な人が眠っているのだから、お参りして何が悪いのか?というのは、ものすごく自然な感じなのです。
 だいたい、戦争になれば、「特攻」しなければならないのは、安倍幹事長でも、小林よしのりでもなく、僕や「保守言論オタク」の諸君なのに、「覚悟」もなく、ただ、「天下国家を大上段から語ることで私的なストレスを発散する」というのは、自滅への道でしかないように思えるのです。
 戦没した先人に対する感謝の気持ちを持つのは当然のことなのですが、それを「戦争賛美」にすりかえられないようにしなくては。そりゃあ、ガンダムに乗れればいいけどさ、普通の兵士は、「ジャマだ!」とかガンダムに蹴られて爆発するジムとかボールに乗るのが関の山なんだから。
 ネットで天下国家を語るのもいいけどさ、まず、自分の手の届くところで、やるべきことをやることからはじめるべきではないのかなあ。