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2005年08月02日(火) ■ |
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結局、「自殺の理由」なんて、生きている側の都合次第なのか |
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読売新聞の記事より。
【東京都世田谷区の自宅で首つり自殺した自民党の永岡洋治衆院議員(54)(茨城7区)が昨年末ごろから、精神疾患で投薬治療を受けていたことが1日、警視庁成城署などの調べで分かった。同署は、病院側から詳しく事情を聞き、自殺と疾患との因果関係を調べる。 同署の調べや関係者の話によると、永岡議員は昨年末ごろから体調不良を訴え、都内の病院で診察を受けたところ、うつ症状とみられる精神疾患と診断されたという。通院しながら、投薬治療を続けていたといい、自宅からも治療薬が見つかったという。 同署は自殺とみているが、これまでに自宅などから遺書は見つかっていない。 永岡議員の自宅には1日夕から、自民党関係者らが沈痛な面持ちで次々と弔問に訪れた。島村農相は同日夜、「非常にまじめな男だった。残念だ」と繰り返し、永岡議員が所属していた亀井派会長の亀井静香・元政調会長は、「あってはならないこと」と言葉少なだった。 武部幹事長や谷垣財務相らは、報道陣の問いかけに無言で、硬い表情を崩さなかった。】
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「ついに、郵政民営化問題で死人が出た!」なんてマスコミは大騒ぎをして、与党の民営化賛成派は「反対派のイビリが原因だ」と叫び、反対派は「意にそまない賛成票を投じさせられたからだ」と主張し、野党は「とにかく小泉政権が悪い」と繰り返しているのです。「自分たちのせいかも…」と思う人は、誰もいないのでしょうか?そりゃあ、思っても口には出せないのかもしれないけどさ。 こういう一連の「反応」を見ていて思うのは、結局、「誰かの死」に対する解釈というのは人それぞれで(遺書がなかったことも、その理由なのかもしれませんが)、「他人の死を自分の都合のいいように利用しようとする人たち」というのが、こんなにたくさんいるのか、ということです。「永岡議員の弔い合戦」みたいなことを言い出す連中がたくさん出てくるのだろうなあ、と思うと、本当にうんざりします。 そんなことを考えていたら、この「精神疾患で治療中」という話が出てきて、今度は「病気のせい」という話になってしまいそうな感じだし。 「自殺」の原因には、病苦とか経済難などもあるのですが、その多くには、うつ病などの疾患が関連しています。単に「悩みがある」というような状態くらいでは、自ら死を選ぶというまでには、なかなか至らないもののようです。「すごく真面目な方だった」ということですし、おそらく、うつ状態(あるいはうつ病)になられた理由には、仕事によるストレスもあったのでしょうが、少なくとも「郵政民営化法案」だけが、永岡議員を自殺に追い込んだのではないと思います。それが、ひとつの「要因」にはなったとしても。 僕がこのニュースを聞いていちばん感じたのは、きっと、永岡さんは「休みたかった」のだろうなあ、ということでした。何かを主張したいがための死というよりは、何もかもが嫌になってしまっての衝動的な選択だったのかなあ、と。 それにしても、ワールドカップ誘致合戦の影響で自殺してしまった公務員やドラフトで指名した選手が入団してくれなかったために自殺してしまったスカウト、鳥インフルエンザで社会的に非難されたために死を選んだ経営者夫婦に対して「あれはワールドカップのせいだ」とか「野球というスポーツのせいだ」「誰があの経営者をあそこまで追い込んだんだ」というような声があまり聞かれなかったことを考えると、結局「自殺の意味」なんていうのは、生きている側の都合しだいで、どうにでも変えられてしまうものなのかもしれませんね。公務員やスカウトだって、あるいはあの経営者夫婦だって「自分なりに仕事を全うしようとして、行き詰ってしまった人々」なのに、「利用できない死」「都合の悪い死」に関しては、みんな口をつぐんでしまう。 板ばさみになった状況には同情しますが、国会議員なんていうのは、基本的に「板ばさみになるのが当然の仕事」なのですし、「休職」とかいう選択肢はなかったのかなあ、とか、そんな状況なら、辞めてしまえばよかったのに、とか思わなくもありません。逆に、そんな追い詰められた状況の人たちが、国政に携わっているというのは、ちょっと怖い気もしますから。 でも、実際には「辞められない」のですよね、きっと。みんなギリギリのところを歩いているのでしょうし、責任感の強い人にとっては、行き場のない状態だったに違いありません。 結局、「死ぬ気でやれ!」と「死ぬくらいならやるな!」を、うまく使い分けているんですよね、生きている側は。
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