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2005年03月16日(水)
読みもしない、邪魔もしない。

『ダ・ヴィンチ』2005年4月号(メディアファクトリー)の連載記事「一青窈のヒトトキ・第20回」より。

(一青窈さんと芥川賞作家・小川洋子さんの対談の一部です。)

【一青:おとつい、私、レイ・チャールズの『Ray』っていう映画を見たんですけど。レイ・チャールズは自分の奥さんがいて、周りに愛人がいたから作品が生まれているんですね。

小川:男性はピカソにしろミューズに触発される人って多いですよね。

一青:私がその映画で凄いと思ったのはただ一点、奥様がケンカした時「私を失ってもいい。子供を失ってもいい。ただ、あなたは音楽を失ってはいけないの」って言ったんです。それはもはや女ではなく、マネージャーのような心意気がないとできないことだなあと。

小川:でもそういう度量は女性にはあるのかも。犠牲的な精神というかね。

一青:女のクリエイターの場合は伴侶にどんな立ち位置を望むんでしょう?

小川:うちは鉄鋼マンなんです。製鉄会社に勤めていて全く干渉しない。

一青:読みもしない?

小川:(うなずいて)邪魔もしない。

一青:それはあれですか。口出しをされた方とおつきあいされた経験が?

小川:そういえば……ありました。うまくいかないですよね。あんまり意識してなかったけど。そうか。そういう失敗があって、うるさくない、ややこしくない人を選んだのかもしれない。】

〜〜〜〜〜〜〜

 クリエイター同士のつきあいというのは、なかなか難しいみたいですね。
 そういえば、以前に作家の群ようこさんのエッセイで、こんな話を読んだことがあります。
 群さんは売れていないころ、同業の文筆家とつきあっていたことがあったのですが、群さんが売れはじめると、相手の男性は、いつも機嫌が悪くなり「どうしてお前の書くようなつまらないものが売れるんだ」というような愚痴をこぼすことが多くなって、次第に疎遠になっていったそうです。
 ほんとにもう、こういうのは狭量な男だとは思うのですが、同業者とつきあうというのは、確かに、難しいところがありますよね。
 同業者同士だと、お互いの仕事を理解できる、というメリットがある一方で、お互いにとって(とくに男性側)は、「同じ仕事をやる限りは、相手に負けたら情けない」というようなプレッシャーがあるのも否定できません。
 僕も、彼女が自分がやったことがないような検査とか治療の話をしていたり、大きな学会で発表したりするときには「がんばれよ」と思う一方で、「ムキー!!」とか小さなプライドが揺さぶられたりもするのです。「お互いにライバルとして高めあえる」なんていうのが理想なんですが、現実的な感覚というのは、必ずしもポジティブな方にばかりは向かわなくて。それでも、職場が別だと、あまり直接の仕事ぶりなんてのはわかりませんから、救われている面もあるのですけど。

 小川さんが書かれている「女のクリエイターとしての立ち位置」というのは、必ずしも普遍的なものではないでしょうし、最近では、男性側が「マネージャーのような心意気」を持ってサポートする場合も少なくないようですが、「同じ業種の人」「相手の仕事に興味を持ちすぎる人」というのは、やっぱり、やりにくいこともあるのでしょう。作家の場合は、どうしても、「この話のモデルは?」とか、身内であれば考えてしまうでしょうし。
 そういう意味では、「読みもしない、干渉もしない」という人も、悪くないのかもしれません。もっとも「伴侶が最良の読者だった」と公言している作家も、けっこういるのですが。
 こういう「立ち位置」というのは、まさにそれぞれの人の個性にもよるのでしょうし、たぶん「こういう関係がベスト」なんていうのは、無いんですよね、きっと。
 でも、僕の感覚からすれば、「お互いの仕事内容がわかりすぎるパートナー」というのは、けっこう辛いような気がします。
 最愛の人とまで「競争」しなくてもいい、とも思うのだけれど、最も身近な相手だからこそ負けたくない、というのもまた事実なのですよね。