初日 最新 目次 MAIL HOME


活字中毒R。
じっぽ
MAIL
HOME

My追加

2005年01月27日(木)
みんな、「落ちた後」の振る舞いを見ている。

毎日新聞の記事より。

(今月30日に引退相撲が予定されている、元大関貴ノ浪さんのインタビュー記事より。▼が貴ノ浪さんです。)

【−−相手を引っ張り込む相撲は、評論家から「異能」と批評されたことがあったが。

 ▼全く意に介さなかった。自分が大関で元気な時は、連日大入り。その前で相撲を取るのだから、「どうやったらお客さんが沸くか」ばかり考えていた。土俵に上がる前は、もどしそうになるぐらい緊張する。でもあの歓声を聞くと、また上がりたくなるし、勝ちたくなる。その繰り返しだった。

 −−大関で2回優勝し、綱取りのチャンスがあった。

 ▼綱取りも勝ち負けも、まったく考えなかった。歓声を浴びたい、前の師匠(二子山親方=元大関貴ノ花)にほめられたいことしか頭になかった。だから土俵際で「ここで体を入れ替えたら盛り上がるだろうな」なんてことも頭に浮かんだこともある。

 −−師匠にはどんなことを教えられたか。

 ▼ほめられたことは一度もなかった。でも次の日の新聞に「いい相撲だった」という師匠のコメントが載っているとうれしかった。相撲の技術は矯正されたこともない。心構えを教えられた。今でも鮮明に覚えているのは「自分が納得し、喜べる相撲を取らないと、お客さんは納得しないぞ」。大関から2回目に落ちた時、引退も考えたが「落ちたことは恥ずかしいことじゃない。お客さんは落ちた後の振る舞いを見ている。堂々としなさい」と言われ、もう一度やろうと思った。

 −−現在の角界は朝青龍の独走が続いている。

 ▼朝青龍はよく頑張っている。ただ彼を倒そうとする必死さが、ほかの力士に足りないと思う。怒らせることすらしない。例えば顔でもバンバン張る中で、勝機を見出せば沸くのに。お客さんも、その辺の覇気のなさを早くから感じているから、足が遠のいているのかな。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕はもともとそんな相撲フリークではないのですが、最近の大相撲は「いつのまにか始まって、いつのまにか終わっている」という感じがします。朝青龍さんに恨みはないのですが、もうちょっと手加減してやればいいのに、と思うくれいの独走態勢だし。

 貴ノ浪関は、「若貴時代」の名バイプレイヤーとして活躍され、優勝経験もある人なのですが、この人と先輩である霧島関は、大関まで上り詰めたもののケガなどもあって陥落してしまい、その後も一平幕力士として、長く相撲を取っていました。傍からみれば、どうして、無様な姿をさらして(という表現は不穏当かもしれませんが、大関まで上がった力士なら、ふがいない相撲しか取れなくなったら引退するのが当然、というのが当時の風潮でしたから)、番付が下がってまで現役にこだわるんだろう?」と疑問を抱いていた人も多かったのではないでしょうか。もちろん、当時はまだ若かった僕もそのうちのひとりだったのですが。
 まあ、現実的には、親方株とかいう権利の問題とか、いろいろあったというのも事実みたいですけど。

 しかしながら、このインタビューの中で、貴ノ浪関が師匠の前二子山親方から言われたという、「落ちたことは恥ずかしいことじゃない。お客さんは落ちた後の振る舞いを見ている。堂々としなさい」という言葉に、僕はハッとさせられました。
 正直、「落ちたことは恥ずかしくない」というのは、勝負の世界に生きる人間にとっては、けっして「本音」ではないと思うのです。やっぱり、負けたり、衰えた姿を見せるのって、恥ずかしいのではないでしょうか。
 でも、師匠はあえて愛弟子に「胸を張れ」と教えたに違いありません。それは、「負けることは仕方がないけれど、負けたことでプライドを失ったり、自暴自棄になってしまえば、それで失うもののほうが、よほど大きい」ということを師匠は知っていたからだと僕は思うのです。
 「失敗すること」は、人間であるかぎり、誰にだってあることです。でも、実際のところ「失敗すること」によって直接失うものよりも、失敗した後、ヤケになって荒れてしまったり、他人のせいにしたりすることによって、身近な人たちの信頼を失ってしまうことのほうが、長い目でみればよっぽど大きな「失敗」になることが多いような気がします。
 もちろんそれとは逆に、勝つことによって自分を見失ってしまう場合もあるのですが。

 実は、ひとつの「勝負」がついたと思った瞬間から、本当の「勝負」は、はじまっているのかもしれませんね。それこそ真の「大人としての勝負」なのでしょう。

 ただ、僕はこんなことも考えてしまうのです。勝負でどんなヒドイ負け方をしても、「大人としては、落ち込んだり荒れたりするヤツはダメ」だというのは、ある意味「一瞬の隙も許されない」ということですし、そうやって張り詰めて生きていくというのは、ものすごくキツイこと、でもありますよね。
 衝動的に泣いてしまう前に、「泣いてもどうしようもないよね」と自分に言い聞かせる生き方……
 そういう「大人」というのは、なんだかとてもせつない存在であるような気もするのです。