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2004年06月08日(火) ■ |
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「池田小事件」と「思い出にかわること」 |
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毎日新聞の記事より。
【「子どもが思い出になっていくのが、たまらなくつらい」。事件から丸3年がたった8日、大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市)は鎮魂の祈りに包まれた。安全なはずの学校で、8人もの児童の命が絶たれたの乱入殺傷事件。犠牲になった当時2年南組の女児の母と、同西組の酒井麻希ちゃん(当時7歳)の父肇さんが、癒やされぬ思いを語ってくれた。】
記事の詳細は、こちらをご覧ください。
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誰が言いはじめたのか僕も知らないのですが、「人間は、忘れることができるから、生きていける」というのは真実だと思います。でも、その一方で「忘れてしまうのが辛いこともある」というのも、また事実。 忘れるのも辛いし、思い出すのも辛い。あの「池田小学校事件」が残した傷跡は、とくに当事者にとっては、あまりに大きいものです。 常識が捻じ曲がってしまった人間が、自分の都合で8人もの子供の命を奪いました。そこには、「動機」もなく、「目的」もなく、ただ、「そこにいた生徒たちを殺したいから殺した」という、どうしようもない荒野が広がっているのみです。 「安全な学校を!」とは言うけれど、そんな人間が常に生徒を狙っていることを想定して、厳戒態勢をとり続けるなんて難しいというのは、たぶんみんな理解していると思うのです。アメリカみたいにガードマンが常駐しているような学校よりは、社会に開かれた学校のほうが「教育」という目的には合致しているのではないか、とも思いますし。 現実問題として、あの宅間のような人間に狙われたら、子供の力ではどうしようもないという気もするし、仮にガードマンがいても状況は変わっていたかどうか… ある意味、命を奪われた子供たちは「不運だった」としか言いようがないのではないか、とすら感じられるのです。 交通事故に遭ったのと同じような「不幸」だったのではないか、と。 当事者は、もちろんそんなふうな「置き換え」はできないでしょうけど…
残された人間は、この事件から何かを教訓としなければならない、という気持ちを持ち続けながら生きています。関係者ではない僕からみると、「この事件というのは、異常な人間によって起こった不幸な事件」であって、そこから「残された人たちが、学ぶべきこと」というのが、いくら考えても浮かんでこず、それがまた「救いようのなさ」を助長しているような気がするのです。 それでも、「何か」をこの事件から学ぼうとして、結局、人生の元の地点にも辿りつけずに、時間だけが過ぎていきます。「忘れて新しい人生を」なんて他人が言えることでもないし、当事者にとっては、そうすることは不可能なことで。 僕たちは、節目節目にニュースや新聞で思い出すことはあるくらいですが、当事者にとっては、その記憶は自分の命が終わるまで、途切れることなく続いていくはず。
「忘れることは悲しいけど、思い出すのも辛い」 世界っていうのは、前に進んでいるつもりでみんな同じところをぐるぐると回っていて、何か起こるたびに「誰がこんな世の中にしたんだ!」なんて、実際には存在するはずもない特定の「誰か」を責め続けて、また同じところをぐるぐる回っているだけなのかも、などと思うことがあるのです。
こうやって考えることができるというのが、唯一の「生きている人間の特権」なのかもしれませんし、少しずつでも前に進んでいると信じたいのだけれど…
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