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2003年02月11日(火) ■ |
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ただ「祈る」しかないとき。 |
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「はらだしき村」(原田宗典著・集英社文庫)より抜粋。
【おやじが病にたおれてみて、あらためて思い知ったのは、自分には”書く”ことしかできない、という単純な事実だ。 もちろんそれ以外にも、自分にできることは何でもやってみた。祖父と祖母の遺影に供えた水をこまめに替えて祈り、神にも仏にも祈り、頭も丸坊主にして願をかけた。けれどおやじに向けて、或いはおやじのことを思いながら書いている時こそ、自分は純粋に祈っているのだ、という実感があった。今、書いているこの文章もまた、私にとっては”祈り”以外の何ものでもない。 自己満足?そうかもしれない。私はおやじが助かることで、自分自身を助けたいだけなのかもしれない。おやじを失う悲しみに襲われるのが怖いのだ。】
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原田さんにとては、書くことが祈ることだったんですね… この文章を読んでいて、僕は自分の父親のことを思い出しました。 父は医者だったのですが、僕の母親(父にとっては妻、ですね)が重い病気になったとき、彼は彼女をその病気の権威である先生のところに入院させました。 その病院は、僕たちの家から新幹線と電車を乗り継いで4〜5時間もかかるような遠いところにあって。 そして、週末になると、父親は自分の仕事が終わるとすぐに新幹線に飛び乗り、母親が入院している病院に見舞いにやってきて、そこで一泊して、また日曜日の夕方に家に戻っていくのです。 それで、父が母の病室で何をしていたかというと、食べられそうなものを買ってきたり、時々は話をしていたのですが、たいがいは、病室で大いびきをかいて眠っていただけでした。 子供(とはいっても、大学生でしたが)の僕には、なんでそんなにしてわざわざ遠くからやってきて、しかも病室では寝てばかりなのか、理解できなくて。 そんな父の姿を見て、母はただ苦笑しながら「家で休んでればいいのにねえ」と言うばかり。
今は、そのときの父の気持ちが少しわかるようになった気がします。 父も、何かやりたくても何もできなくて、ただ、そういう形で祈っていたのかなあ、と。 病で苦しんでいる人に対して、家族や恋人といっても、周りの人間はあまりにも無力(医者だって無力なことも多いのですが)。 でも、無力だからこそ、何かをしたいという気持ちって、大事なのではないでしょうか? 口では「来なくて良い」と言いながらも、今思い返すと、母は少しだけいつもより饒舌だったような記憶がありますし。
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