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2003年01月16日(木) ■ |
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旧正田邸より、後世に残しておくべきもの。 |
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毎日新聞の記事より。
【皇后さまのご実家、東京都品川区東五反田5の旧正田邸の解体工事が、16日朝から始まった。
開始予定だった昨日は家屋の保存を求める「旧正田邸宅を守る会」のメンバーらによって解体業者の敷地内への立ち入りが阻まれたが、午前6時50分過ぎ、警備員20人が警戒する中、業者のトラックが敷地内に入り、周囲にシートを張って足場を組む作業を始めた。
正田家の意向を受けての解体だが、門の前には同会のメンバーら約15人が集まり、「昭和の名建築、旧正田邸を守ろう」などと書かれた横断幕や国旗を掲げて、作業の中止を訴えた。】
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最近連日報道されているこのニュース、僕は毎回観ていて思うことがあります。 それは、この「守る会」の人たちって、けっこうヒマなのかなあ、ということ。 だって、平日の朝からプラカードをかかげて、抗議行動をやっているわけですから。 彼らの主張は「皇后様の御実家であり、昭和の名建築である旧正田邸を残そう」ということなのですが、実際、皇后さまは「残してほしい」とは、一言も仰っていないようです。 でも、守る会の人々は「口ではそうは仰ってないけれど、本心は違うはず。きっと生家を残してもらいたいと思っているはずです!」と口を揃えて言われるのです。たぶん皇后さまも、自分の生家が取り壊されてしまうことに一抹の寂しさは感じておられるだろうと思います。でも、公人としての立場から(だって、「偉い人の家は、税金のカタに召し上げられても、保存されるのか?」とか人々に思わせるのは、皇后さまにとって全く本意ではないはずですし。かなり老朽化のひどい建物で、地域の人たちの迷惑にならないようにと、取り壊しを容認されてもおられるようです。 だいたい、「口に出さないけど、本心は違うはず!」なんて、まさに余計なお世話というべきことだと思うのですが。 それに、僕は思うのです。皇后さまにとって、旧正田邸は、懐かしさを感じる場所ではあっても、それはそんなに切実なものではないんじゃないかと。 皇后さまは、ご結婚されてからは、ほとんどの時間を皇室の一員として皇居で過ごされていますし、実家にもほとんど帰っておられないはずです。 つまり、もう記憶の中にだけある場所なのではないでしょうか? 例えば、僕は自分の生家には、25年くらい(つまり、引っ越して以来ってことですね)行った事はないのですが、もし、その家が取り壊されるときには、一抹の寂しさを感じるだろうと思います。 でも、それが老朽化した家で、家族がみんな他所で無事に暮らしていて、という状況ならば、きっとこれも時代の流れなのだなあ、と納得できると思いますし、ましてやそれが自分の持ち家でなければ、もう仕方がないとしか考えようがありません。 みんな、美智子さまを「平民の娘が皇后に!」ということで、よりいっそうの愛着を感じているのなら、その平民としての感覚を理解してあげればいいのに。 美智子さまが、一言でも「残してほしい」と仰ったなら、あの家を取り壊すことは、できなかったはずなのです。
僕は、あの家を取り壊したくなかったのは、きっとご近所として旧正田邸の傍で過ごしてきた人々だと思います。自分たちがずっと自慢してきた皇后さまの生家が無くなってしまうということは、寂しいことでしょう。 彼らが旧正田邸と過ごしてきた時間は、皇后さまがあの家で過ごされてきた時間より、ずっと長いのですから。
きっと後世に残しておくべきことは、旧くなって倒壊の危険すらある家そのものよりも、一抹の寂しさを感じつつも毅然として取り壊しに同意された皇后さまの人柄の記憶ではないでしょうか?
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