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2002年02月21日(木)
2002年2月21日。

山田風太郎著「人間臨終図巻(2)」(徳間文庫)より抜粋。

 ハリウッドを代表する俳優、ゲーリー・クーパーの死に方。
 
 1961年1月8日、ハリウッドでクーパーの映画生活35年の功績をたたえる晩餐会が催され、オードリー・ヘップバーンらから最大級の賛辞を受けたクーパーは、「私は今夜世界一の幸せな男です」と挨拶した。彼はこの35年の間に89本の映画に出演した。
 しかし、その前年の12月、夫人のロッキーは医者から、クーパーが前立腺癌に冒され、すでに転移して手遅れの身体になっていることを知らされていた。
 それから間もなく病床についた彼は、3月のある日、医者に自分の病名を聞き、医者がそれを告げると、黙ってうなづいたが、やがて医者が家に帰ったころ電話をかけた。「先生は、私に真実を知らせてくださったことで憂鬱になられたのではありませんか?しかし私は感謝していることを知ってください。教えてくださって、どうもありがとう」その声は落ち着いており、思いやりとユーモアのひびきがあった。
 彼はそれから、静かに明るく、日中はプールのそばで、夜は妻と娘とともにテレビを愉しんだ。
 彼が重態におちいると、ケネディ大統領、エリザベス女王をはじめ、全世界から見舞いの電話や電報が殺到した。
 5月4日。彼は新聞を通じて感謝の言葉を返した。
「私はすべてが神のご意志であると信じております。未来についておそれを感じておりません。みなさんからのお便りのおかげで、心の安らぎを得ております」
10日間の昏睡ののち、5月13日の真夜中に彼は息をひきとった。
(享年、60歳。)

〜〜〜〜〜〜〜
世紀の大スターの死に方。
著者、山田風太郎は、「世紀のスターは死まで飾られる。」とのみコメントしている。

ゲーリー・クーパーの「感動的な」生涯の閉じ方について思うのは、彼の生き様の素晴らしさへの感動とあまりに素晴らしいゆえに感じざるを得ない居心地の悪さではないだろうか。
自分の「死」に対してまでも絵になる幕切れを演じなければならない大スター。そのプロフェッショナリズムと哀しみ。
ひょっとしたら、演じることで心の平静を保とうとしていたのかもしれないけれども。

それでも、「生ける人々」にとってこのような引き際は、魅力的であることはまちがいないところですね。
僕が担当医だったら、彼の気配りに泣いたと思います。