監督:キャサリン・ハードウィック 出演:ケイシャ・キャッスル=ヒューズ オスカー・アイザック ショーレ・アグダシュルー、他 オススメ度:☆☆☆
【あらすじ】 ナザレの村に住むマリアの前に天使ガブリエルが現れ「精霊によって神の子を身篭る」と告げられ、処女でありながら程なくして妊娠する。村人はマリアの妊娠を知って蔑むが、同じく天使からお告げを聞いた婚約者のヨセフだけはマリアの言葉を信じて彼女とお腹の子供を守る事を誓ったのだ。その頃「救世主」の予言に怯える邪悪なヘデロ王は、王座を守るべく救世主を探し出し抹殺しようと画策していた。
【感想】 去年、イスラエルツアーを申し込んで楽しみにしていたのに、よりによって出発前日にイスラエルが空爆されやがってツアキャン食らって行けなくなって泣いたぴよです。みなさんごきげんよう〜(薄涙)
・・・と、いきなり映画と関係ない事を書きましたが(まあ、関係ない訳でもありませんが) 遂に究極のクリスマス・ムービーの登場です。クリスマスは「イエス・キリストの誕生を祝う日」だというのは仏教徒でも知っている事ですが、本作は正にその「イエス・キリストが誕生するまで」を描いた作品。
主人公のマリアを「クジラの島の少女」でぴよの涙腺をだだ漏れにしてくれたケイシャ・キャッシュル=ヒューズ嬢が演じていますが、本作を撮影したのは彼女が15歳の時だという事です。 久し振りに彼女の姿を見たのですが、随分大人の女性らしい様子になりました。今後が益々楽しみです♪ 相方のヨセフを演じるオスカー・アイザックという役者さんは全く知らないのですが、髭を剃ったら結構イケメンっぽい!?
さて、本作の内容なんですが・・・ 通常「イエス・キリスト」が登場する・もしくはイエス絡みの作品(宗教映画)というは、とりあえず主人公はイエスというのが決まりだと思うのですが、本作はあくまでも「神の子を身篭ったマリアとそれを支える夫のヨセフ」というイエスのパパ&ママの愛の変遷を見せるのが主題になっています。
聖書では聖母マリアとヨセフに関しての記述というのは余り多くない。 ぴよは子供の頃に教会に通っていた時期があるので、多少聖書の知識はあるのですが、マリアは処女なのに精霊によって神の子を妊娠した、しかもそれを当たり前みたいに受け入れてる不思議な人(をい)という程度の印象しかなく、夫のヨセフに到ってはほとんどどんな人物なのか判らない。知っている事は彼の職業が大工だった、という事くらい。
本作ではそんな「謎多き不思議な夫婦(←ぴよの中で)」にスポットを当てているというのが面白い。
普通の感覚だったら、いくら信仰の厚い人でもある日突然天使から「あんた神の子を妊娠するから♪」なんて言われたらびっくり仰天だろうし、「ちょ・・・私まだ男とヤッた事ないし、ってかこんな事誰に話しても信じてもらえる訳ねーし」くらいは思って当たり前だろうと、子供心に聖書を読みながらずーっと思っていた。 でも聖書の記述だけを読むと、全く躊躇なく受胎を受け入れてるみたいな印象で、凄く違和感があったんですよ。 そしたら映画中のマリアもぴよと同じような事言ってて「そーだよねぇ。そりゃそー思うよねぇ」と妙に納得(笑)
それから日本でも昔はそうだったけど、この時代のイスラエルも「結婚は親が決める」のが当たり前のようで、ヨセフと婚約したものの全くヨセフの人となりが判らないマリアは「好きでもない人と結婚しろって言われても・・・」と躊躇している。 それがヘデロ王の策略でヨセフの故郷ベツレヘムに行かなければいけなくなって、2人で長い道のりを旅する内に、段々ヨセフがどういう人物なのかを知って深く信頼し合うようになる・・・という、何とも微笑ましい展開。
ヨセフがまたね、本当に「夫にしたい人ランキング第一位」になる事間違いなしの、とにかく好人物なんですわ。 本作のタイトルは「マリア(←邦題。原題は「THE NATIVITY STORY」)」なんだけど、どうせ邦題付けるなら「ヨセフ」にしちゃった方がしっくり来るんじゃないか?と思うくらい、イケメン・ヨセフ大活躍の作品でしたね。
マリアとヨセフを取り巻く環境(ヘデロ王の圧政と彼がベツレヘムの幼児を虐殺した事)等は聖書の記述通りですが、東方の賢者達が本作のちょっとした息抜きをさせてくれるユーモラスなキャラクターに仕立ててあって、自分が子供の頃から想像していた賢者とは随分印象が異なるものの、こういう人達だったらいいな♪と思わせるなかなかいいキャラでした。
聖書では語られる事のなかったマリアとヨセフの夫婦関係が「こんな風に愛し合っていて欲しい」という、キリスト教徒のみなさんの理想を映像化したのが本作・・・と思っていいだろうと思います。 クライマックスの一番感動的な一条の光が差すシーンが微妙にショボいのがアレなんですが(苦笑)、話自体はオーソドックスで誰が見ても「ええ話やなぁ〜」と思えるであろう作りです。
でも実は・・・かつて自分は教会に通っていたにも関わらず、「ふーん」程度にしか思わなかったんですが(をい)
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