監督:ベン・ソムボハールト 出演:ナディヤ・ウール テクラ・ルーテン フドゥルン・オクラス、他 オススメ度:☆☆☆☆
【あらすじ】 1926年ドイツ・ケルン、双子の姉妹アンナとロッテは両親の死によってアンナはドイツの貧しい農家へ、病弱だったロッテはオランダの裕福な家庭に引き取られる。幼い2人は恋しがって手紙を書くものの、養父母によって手紙は出されずにお互い死んだものと思っていた。それから10年後、消息が判った2人は再会する。時はドイツでナチス党率いるヒトラーが台頭、忌まわしい戦争が2人の運命に暗い影を落とすのだった。
【感想】 2004年アカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品。 オランダの文豪テッサ・デ・ロー氏のベストセラー小説を映画化したもので、本国オランダでは公開されるや「この10年で最も優れたオランダ映画10作品」の1本に選ばれて大絶賛された作品だそーです。
映画冒頭から登場する双子の姉妹が猛烈に可愛くて、目の感じはちょっと違うけど雰囲気は充分双子っぽい。 この双子が成長すると、あんなに似てるよーに見えた双子がまるで赤の他人のように違っちゃってます。もっとも演じてる役者同士に縁戚関係はないんだからホントに赤の他人なんですが(笑)
いや、これは「もーちょと雰囲気の似た役者を使え」とか、そういうクレームが言いたいんじゃなくてネ、 育った環境や育てられ方で、人というのはこんなに容姿も変われば思想も生き方も変わるんだ・・・というのを象徴する為に役者の雰囲気をわざわざ変えたんだろーな、と。 その違いは歳を重ねれば重ねるほど顕著になって、老婆になったアンナとロッテなんて恐ろしい程違う。ユダヤ人の比較的裕福な家庭に嫁いだロッテは歳食っても品のいいマダム風ですし、一方苦労しっぱなしだったアンナは顔に刻まれたシワも深く顔もよく日に焼けて労働者を思わせる風貌。よく「人生は顔に出る」って言いますよね。
風貌もさることながら、時代と国がここまで双子を隔ててしまうという皮肉。 アンナはドイツで育ってナチス党に感化されて当たり前のようにナチス親衛隊の妻になる。別にユダヤ人に恨みはないけど国を挙げてユダヤ人を糾弾してるから「そーいうもんかな」くらいに悪意なく思ってる。 一方ロッテにはそういう政治的・思想的差別感を持たずに育っているから、ナチス党の考え方を嫌っているし、更に恋人のユダヤ人がナチス党によって捕らえられて殺された事で、ドイツもナチスも無差別に忌み嫌うようになる。 それがたとえ実の姉のアンナであっても、「親衛隊の妻だった」というだけで恋人の仇に見えてしまう。
国は違うけど、日本人だって中国や朝鮮の方に嫌われてるでしょ。アレと同じ感じだよね。 自分の身内が殺された恨みが、特定の個人ではなくてその国・その国民に向けられる。戦時下で身内を殺されると仕方ないのかもしれないよな・・・誰に殺されたかなんて特定出来る訳ないし、要するにどの国のどの国民がやったのか?という事が問題になるんだろーな、と。
話は脱線しましたが、 アンナとロッテもそんな隔たりを経て歳食った訳だけど、ただの姉妹じゃなくてわざわざ「双子」という設定だったというのもキモだと思うんですよね。 映画中でもアンナがロッテに向かって言う。「もしアタシとアンタの貰われた先が逆だったら」 本当にぴよもそう思いながら見てた。もしロッテが農家に貰われていたら、もしかしたら病弱なロッテは虐待に耐えられずに成人する事無く死んでいたかもしれないし、仮に成人したとしてもやっぱりアンナが取った行動と同じ選択をしていたに違いない。そしてアンナもやっぱり親衛隊の妻になったロッテを憎み恨んだだろうと。
色々考えさせられる話でしたが、救いは老婆になった2人が・・・アンナがロッテに自分の話を聞いて欲しいとすがりつき、ロッテがそれを振り切って逃げながらもちょっと飛び越えなきゃいけない溝を渡る時に、少し足が難儀そうなアンナの為に当たり前のようにロッテが手を貸してあげるトコロ。 仰々しくセリフを連ねて和解を見せるんじゃなくて、こういう小さなシーンで「それでもやっぱりたった2人きりの姉妹」というお互いの思い(特にアンナを拒否し続けたロッテの思い)を上手に見せているなぁと思ったね。
最後はちょっぴり切ない・・・ これを「2人は最終的に和解が出来てよかった」と受け止めるべきなのか、それとも「和解するには時間が経ち過ぎた」と見るべきなのか・・・日本も似たような状況を抱えてますしネ、本当に色々考えさせられました。
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