惜春別日乗
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2005年03月11日(金) こだわり、気持ち悪さ

今だいぶ前のサイケデリコを聴いている。このアルバムを聴いていると、元夫と結婚前の、同棲していた頃、幸せだったころを思い出す。このアルバムはリズムが「トランス状態」にするには一番良かったこともあって、当時は良く聴いてた。ちょっと思い出したので、当時のことを回想してみる。

といっても良かったことを書きたいわけじゃなくて、当時どうしても手をつけられなかったもの、について今理解できるなと思うことを書く。初めて彼の家へ入ったとき、暗さにちょっと引いた。3軒の真ん中だから仕方ないんだけど、そこへブラインドまで下ろしてあって、薄暗いわけで。彼の目は光りに弱いから仕方ないらしかった。そして、物であふれているような狭い空間。北海道の家に慣れているわたしにとって、大阪特有のタウン型の一軒家は、窮屈に感じた。しかしそれらのことも、しばらくすれば慣れてしまったけど。慣れることができなかったのは、台所とお風呂だった。前妻さんが残していったものがそのままになっており、大量の賞味期限切れの調味料と、タッパーの山が、わたしには手を付けるのもおぞましいものだった。何故かって、わたしが片づけるべきものじゃないからだ。何故私がやらなければならないか、わからないからだ。多分これはわたしのこだわりなんだろうと今は分かるけど。食器棚の中に入っている食器も、わたしの趣味と全く合わないだけでなく、前妻さんと夫の過去がそこにまだしっかりと主張しているようで、捨てるのに非常に時間がかかった。そう、彼の家にはわたしの入り込めない時間の名残が、溢れていたのだ。それらにわたしはいつも脅かされ、劣等感を刺激され、自分で自分を彼女と比べていた。その中で、「綺麗に片づける」意欲は削がれるし、触りたくない物がどこからでるかと思うと気持ちが悪くて、最後にはわたしの居場所はPCの前と布団の中しかなかったわけだ。仕方がなかったとはいえ・・・男だし、その全てを片づける余裕も時間もなかったのだろう。わたしが発達障害者でなかったら、もう少しあっさりと自分の空間へ変えてしまうこともできただろうけど。触れることもおぞましいし、片づける行為がわたしには苦痛だから、その苦痛を負わされることへ理不尽を感じたし、見えないプレッシャーがいつもあの家には宿っていた気がする。

離婚が確定して引っ越した日、寂しかったけどなんて清々しかっただろうか。この部屋には光がある。お風呂も狭いけど清潔で明るいし、暖かい。すこぶる居心地はいい。住環境がこれほど自分の人生に陰を落としたり光を当てたりするかと思うと、つくづく怖くなる。しかしこだわりって結構あるもんだなぁ・・・。


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透雪 |MAILDusk of the Black HoleShine&Shadow