惜春別日乗
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2005年02月06日(日) 子どもは近くて遠い異邦人

私は結構早くから、子どもが嫌いでした。突然出す奇声や、意味の分からない行動、いくら言われてもしてしまう悪いこと等々・・・。でも今は違います。子どもがどんなものなのか、少し想像がつくようになったから。だから他人様のお子さんと遊ぶこともあります。

ただ、私の中には「親」が存在しないらしい。親なら当然湧くであろう「この子だけは私が守る」という意識が薄いのです。もちろん自分しかいない場合は別ですが、ほかの大人がいるときは少し頼りがちになる。自分に自信がないために、誰か一緒でないともの凄く不安になる。子育てされている方はびっくりされるでしょうが、私はどこかにそういう「親なら持って当たり前の感情」が欠落しているんです。ちっちゃな子どもも、そのうちもっと分からない異邦人になってしまい、その動きも予測できないからもの凄く緊張し、へとへとになる。次の日ほとんど床の中というはめになります。いつの頃からはわからないけど、ほんまに体力がない。すぐ息切れがします。運動不足もあるだろうけど、それだけでこんなに弱くなるはずもなく・・・私も帝王切開を3度、しかも一回一回が通常より倍以上の時間がかかっていて、時には終了後全身麻酔のため眠っていたりもする。そのときも息苦しくなって、心肺に負担がかかったまま数日真っ青な顔をしてふらふらしていましたし、やはり私の身体は少しずつ消耗して、命を縮めたようなものなのでしょう。

そんな思いをしつつも産んで、後悔はしてないけど、今一人になって食べていく事を考えると、障害となるものが多すぎて困っています。立ち仕事もできない、デスクワークできるスキルもない、じゃ何をする?!

話しが横に逸れたけど、子どもってそうやって母親の命をもらって生まれてくる。そやからたとえ育てる力が弱かったり、欠陥がある母親でも、子どもを可愛いと感じる気持ちは嘘ではないということを、伝えたかったんです。手元で育てるだけが親の愛情だ、と多くの人は思っていて、私のように手放す人間を責めたりします。でもそれはそれなりの事情があり、私は私なりの思いを込めて、子どもの幸せを考える、その事は自己中心的な考えではないです。

わたしが獲得できなかった感情を取り戻すには、もう遅すぎるけど、これが私ならそれを受けとめて生きるしかない。一番近くに感じ、私の心を一番感じ取るのが子ども。でも子どもは大人ではないから、いろんな動きをし、いろいろな感情が交錯する。それを受けとめきれなくて、パニックになる人間には、やはり異邦人なのです。「正常発達」をしてきた人に、私達が奇異に映るように。


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透雪 |MAILDusk of the Black HoleShine&Shadow