惜春別日乗
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2004年06月28日(月) |
Happy? Birth Day to me |
本日から37歳である。といっても別段何も変わらないのではあるが。 折角だから、今までをふり返ってみようかな。私にはいくつか転機があったなぁ。 6つの時、今の母が我が家にやってきたときのこと、今でも覚えている。 13の時は父が突然逝ってしまったことで、環境ががらりと変わった。 今まで以上にストレスもあったし、寂しさも増えた。でもやりたいことを素直に やっていれたのは、母のお陰なんだろうなぁ。 18で高校卒業後すぐ就職したけど、売り子の仕事はなかなかおもしろかった。 女ばかりの職場で、同僚や先輩、上司等の関係がよくわからなかったせいか、 一人浮いてしまって結局仲間外れにされ、それが困じて人間不信と強い対人恐怖を 持ってしまい、退職してしまった。でも、声を出して物を売る仕事は、私にしたら 向いていたように思う。デスクワークを望んでいたけど、結果的には本当は販売の 方が向いているのだから。 20歳で結婚して、専業主婦に徹してからは、家にこもることが多くなっていた。 夫との関係さえあれば、自分には充分であると信じ切っていた。当時はそれが おかしなこととは思いもしなかったけど、やっぱりこの辺はすでに認知のゆがみは 生じていたようだ。人と関わることを避けてしまったら、自分を追いつめてしまう ことになるのだから、本当はこもってしまわない方が良かったのだ。 26歳で第一子を、30歳で第二子を産み、そして私は少しずつ壊れていった。 そして33歳になり、私は今しかもう自分を変えるときはないと思い詰め、 離婚という手段で強引に自分の道を拓こうとした。大阪に出て、恋愛しそして 違う人と結婚をし、もう一人子どもを産むことになった。うまく転がりだしたと 思っていたが、根本的なことを知らぬまま、努力が空回りしていく。そして再び 私は一人 閉じこもるようになっていく。 35歳になってから・・・夫は私との生活に疲れ、とうとう別れを切り出してくる。 その言葉を恐れながら、何もできずに耳を塞いでいたけど、現実に聞いてしまった ときは、絶望の淵からたたき落とされたような気持ちがした。 しかし、何かおかしい、私は努力しようとしているのに動けない。何かあるに違い ない。そう思い方々探し歩き、『ADHD』にたどり着いた。きっとわかってくれるに 違いない、そう思っていたのは結局甘い考えにすぎないのだが・・・。 理解されることなく、結局離婚して今に至る。でも、結果的には良かったのかもしれない。 まだ私は社会人として自立しきれていないし、一人で生きるという経験は大事な ものだろうから。不安で仕方ないけど、離れた方が良い関係になれる・・・と信じ これからも頑張ろうと思う。時には泣きながら、立ち止まってしまってもひるまずに。
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