Sotto voce
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前回日記の続き、だったりする。
友人が、4年にわたるある男性との関係を清算した、と 報告があったのは10日ほど前。
大きな台風が、近づきつつある月曜の夜。 彼女から、我々の行きつけの飲み屋に行かないかと誘われた。
50台のマスターが一人でやっているそのお店は、 客がいないときはマスターと談笑しながら静かに飲める、 私たちにとっては隠れ家のような場所だった。
私は翌日仕事だったのでいけず、 彼女は開店早々から店に行って、 朝までそこで、マスターに己の思いを語り夜を明かしたらしい。
そして翌日、私が不在中に届いていた、 彼女からのLINE着信。
そこには、やはりだめだったと 自分の気持ちに正直になって 彼と話をし、彼もそれを受け入れたという報告があった。
結局、完全に終わりには出来なかったのだ。
ただ、不思議と、 それで彼女を責めようという気持ちにはならなかった。
もちろん、彼女へのなんて馬鹿なんだ!と言う気持ちと 相手への、なぜそこでつきはなさなかっんだ!という思いが ごっちゃ混ぜになっているのは確かだけれど。
やがて改めて彼女から報告が届き 話を聞いてるうちに
この二人がしてることは 誰も傷つけずに貫き通すことは まず不可能な関係だけれど 確実に、相手の家族への裏切り行為ではあるのだけど、 なぜか、ああ、なるべくしてこうなったなと 不思議と納得している自分がいた。
互いが互いを認め、必要としている。 互いの存在が、支えになっている。 互いのために、断ち切ろうとした縁の糸見たいなものを 結局手放しきれずにその両端を握り締めていたんだ、と。
彼女との会話の中で、 ある言葉を投げかけたら、彼女がこういった。 「そう思われて当然だよ 紗月は常識人だし、普通は誰でもそう思うよ」
常識人。
常識人でなどあるものか。
私自身、妻子ある人を 気が遠くなるほどの年月思い続けて その間に、身体を繋ぐ関係にもなったことがある。
そして今は、恋愛なのか 身体だけの関係なのか はっきり確かめることさえ出来ない関係に溺れようとしている。
ましてや、 複雑な思いを抱えつつも それでも、道ならぬ恋を続けることを選んだ 大事な友人たちの恋路を 黙って見守ることなどできるものか。
彼女らのことを批判することは簡単、 そういう関係に嫌悪感を持つのも当然、 実際それをして離れていった人が 正常な感覚の持ち主であることぐらい 私だってわかってる。
それでも私は 友人の背中を押した。 それならば、気の済むまでその気持ちに付き合えばいい、と。
友人として、間違ってる行為なのかもしれない。 それでも、彼女たちがそういう関係になった当初から 歯がゆく思いつつも、二人がかもし出す雰囲気に 一種の疎外感を感じつつも なんだかいいな、と思いつつ見守り続けた私は、 そんな二人の姿を、まだ見ていたいと思ってしまったのだ。
私も、そんな相手に出会いたいと思った どんなにきろうとしても、 切ることのできない縁の糸で繋がっている相手に。
そして、彼女のように正直になりたいと思った。
久々に動き出した、自分の恋心に 言い訳せずに正直になりたい、と。
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