Sotto voce
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2011年11月16日(水) 文字と言葉と。

どこかひとつだけは、
自分の黒や灰色の感情さえも
正直に吐き出せる場所が欲しい。

そういう想いから、
日記帳的な場所をSNSだけでなく、別に作っていて。

そのひとつは、先日8年間のログもろとも消してしまったけど、
私にとってはここがそうだったはずなのに
真っ正直に書き綴っても、
根拠はないけれど、
なんか見張られてるような息苦しさがして、
結局言葉を選んでしまっている矛盾。
(この内容で言葉選んでるの?って思われるかもだけど)

twitterもアカウントは持ってるけれど、
自分の気持ちを吐露するには140文字ではたらなさ過ぎて、
結局有名人や、興味のある分野の呟きを読むだけの場所になっている。

活字には、温度がない。
文字だけなら、どんな解釈でも出来る。

自分は口に出して
自分の言いたいことをうまく伝えられない。
昔からそうだった。
いいことにしても、悪いことにしても。

「今こんなこといったら(したら)まずいかな?」と
変に考えすぎて結局何も出来ずに、ってことも多々あるし、

たとえば誰かと言い争いになった時、
とことん自分の気持ちをぶつける事よりも、
その場を丸く治めたくて、
悪くいえば、とっととその問題を終わらせたくて
相手に原因があったとしても
自分から頭を下げてきたりした。


何とか克服してきたつもりだったけど、
やっぱり今でもこうやって文字にした方が、
自分の言いたいことは相手に伝えやすい、
そう思っていた。

でもわかった。

自分の話を聴くつもりのない相手には
どれだけ言葉を重ねても
どんなに真実を伝えようとしても、
相手が自分を否定的に見るようになってしまったら、
自分の意図とは真逆の解釈にとられてしまうこと。

そうなってしまったら
何を言っても
いいわけとしか受け取ってもらえないむなしさ。


ある言葉を、口でいうんじゃなくて、
文字だけでみればどんな印象を受ける?と
当事者じゃなく、第三者的な立場の人に投げかけてみたら
「文字だけなら、あなたはそんなつもりはなくても、
真逆の感情がこもった言葉にとられてしまうかもね」と
アドバイスされて気付いた時にはもうおそくて。

そこで粘って粘って誤解をとこうとすれば伝わったのか??

でも私はわかってもらえないならもういいや、と
誤解されっぱなしで悪者扱いされるほうを選んでしまった。
この諦め癖、子供の頃から治らないなあ(苦笑)


安積 紗月 |MAILHomePage

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