うなごと
nyauko



 大切な人を失っても。

先週 母の弟が急逝し、実家に帰っていました。


本当に突然で、未だ現実として受け止めきれておらず

大切な人を失ったのに、今まで通りの日々を
続けて行かなくてはならないことの不自然さと

新しい写真立てに、兄の写真を飾る自己矛盾。

兄を想うと、途端にノドの奥に小石が詰まるような
違和感が消えません。


叔父さんとは一度も呼ぶことなく、
私が幼い頃からずっとお兄ちゃんで、家族同然の人でした。

よく喫茶店に連れていってくれたり、パチンコに付き合わされたり
厳格な両親が教えてくれない、遊びの部分を教わりました。

兄の誕生日には必ず電話をして
「アンタは律儀だねぇ。俺の歳なんて忘れろ!」なんて
毎年冗談を聞くのが楽しみでした。

私達の結婚式も、父方の叔父達は遠方を理由に断りましたが
兄にはもちろん出席してもらいました。

祖父母が2年前に他界してから、ひとり暮らし。
祖父の土建業を継ぎ、社長として現場に出る毎日。

頑固で面倒な性格の反面、優しくて、賑やかで楽しい事が大好きで
私が実家に帰る度に必ず会い、冗談を言い合うのが常でした。


7/ 7 昼 訃報 / 夜 一家で帰省 兄に会う
7/ 8 夕方帰京
7/ 9 朝 娘と私で帰省
7/10 火葬
7/11 通夜 / 夜オットが帰省
7/12 葬儀告別式 / 夜 一家で帰京

死因は急性心筋梗塞。享年59歳。
土建の現場で倒れ、そのまま帰らぬ人になりました。
心臓なんて、全然悪くなかったのに。

唯一の救いは、誰も居ない所で倒れなかったこと。
皆の居る現場で、すぐに気付いてあげられたこと。
車の運転中に発症しなかったこと。苦しまなかったこと。


綺麗な、寝顔のような微笑んでいるような顔をしていて
皆で「お兄ちゃんはいつ起きるのかねぇ?」なんて
冗談を言いながら泣き腫らす おかしな日々。

冗談が好きだった兄のことだから「嘘だよ!」と言って
ひょっこり現れるといいのにと何度祈ったか。

結局、二度と目を覚ましてはくれませんでした。

納棺も、火葬場に行くのもつらくて、気が狂いそうだったのに
お骨になった兄を見たら、不思議と涙が出ませんでした。
つくづく、身体は入れ物なんだと思いました。

通夜は一体誰の通夜なのか?悲しみに麻痺してしまったせいか?
葬儀ごっこのようだと、姉と二人で「変だね」と話していました。

葬儀を終えて、祖父母の居るお墓に納骨を済ませて
頭では分かっているつもりでも、気持ちが付いていかない感じで。


2年前の1月に実母を失い、半年後に実父を失い
今年初めに義兄を失い、4月には叔父を、姪を失い
今回、実の弟を失った母は、精神的に深いダメージを負っています。
「こんなヒドイ事が、いつまで続くんだろう」という一言が、胸に染みます。


大事な人が増え続ける限り、それを失うつらさも受け止めなくてはと思う。

でも今はただ、もう一度兄に会ってあの冗談を聞きたいのです。


2008年07月16日(水)



 【不思議な気持ち】のコト。

もうすぐ産まれるっていう最近になって
いつ陣痛が来てもおかしくない時期に来て
ふと思う。

明日が普通に来るのって、スゴイことだ。

普通に毎日過ごしていれば、当り前に明日は来るものだし
平凡だけど、当たり前の日常。
そういう日々の積み重ねが生活ってコトなんだろうけど。

例えば大地震等の天災や、戦争や、大病で倒れたり。
「もしかしたら」「万が一」とか考えていても
現実問題、生活とはちょっと離れたトコにその思いはあって。

もしそういうコトが起きてしまったら、
今までの日常はガラリと変わってしまうのに
そういうコトが本当に起きない限り、チラリとも考えない。

普通に生活していての、仕事の心配や、予定の確認や
献立を考えての買物や、様々な準備はみんな「明日」のため。

明日が普通に来ると思っているのって、スゴイ。

出産が「普通じゃない」とは思わないけど
「普通の毎日」とはちょっと異質なコトだとは思う。

少なくとも、「陣痛」→「出産」を初めとして
「入院」→「退院」→「帰宅」までの1週間前後。
そしてソコから始まる、+1人の生活。
今まで知らなかった「明日」がスタートするから。

これまでの日常は、ガラリと変わってしまう。
これまでとまるっきり同じ生活には、絶対戻れない。


10ヶ月掛けて育ってきた(言い方悪いケド)内臓が
共に生活してきた自分の一部が
経験したことのない痛みと共に
自分から外へ飛び出そうとするなんて。

しかもその日時がいつなのか未定で
突然来るかどうかも分からないなんて。

自分の身体なのに、何が起こるのか
自分で予測も出来ないなんて。

とてもスゴイことだ。滅多にない経験だと思う。


私の安産のお札には「安産 延命」と書いてある。

出産の途中で、命を落とすこともあるかもしれない。
産まれてきた子供に、障害があるかもしれない。
産まれてきて何日か後に、病気になるかもしれない。
せっかく産まれてきたのに、最悪・・・
この世から消えてしまうかもしれない。

・・・ネガティブに考え始めたら、キリがないけど。

よくみんな日常的に「妊娠・出産・子育て」しているなぁと思う。
どんどん育って、話し・歩き始めて、自我を持つようになるのも
本当に奇蹟に近いような気がする。

お腹の子も、よく10ヶ月も私のお腹の中で、無事でいてくれたと思う。
子供の為にいい生活をしてましたと、全然胸を張って言えないのに。


色々な人に結婚の話を聞くと、
式をした・しなかった や 披露宴や衣装や
結婚に対しての夫婦の考え方 色々・・・
何もかも違うのに、同じコトをしたって人は絶対居ないのに
「結婚した」という同じ“くくり”でくくられる。

「出産」もソレに似ていると思う。

産み方や、病院の選び方や、産んでからの生活も
みんなみんな違うのに、「産む」コトは同じだ。

みんな違ってていい。違って当り前。
私の出産は、どう始まってどうなるんだろう。
不安半分、楽しみ半分。


お腹の中のアナタが、健康で産まれて来てくれますように。
私達の明日が、出来るだけ穏やかで
楽しいコトが沢山でありますように。

今はただ、祈るような毎日。

2007年02月25日(日)



 【祖父】のコト。

木曜の午後、母からの電話。「祖父が危篤」だと。
祖母を亡くしてから、5ヶ月。

風邪を引き、心不全も併発し先月に入院。
それでも意識はハッキリしていて
「早く家に帰りたい」と何度も言っていた祖父。

私は土曜に、日帰りで見舞いに行く予定で
電車の切符も用意した矢先のこと。

2.3日前までは元気だったのに、急に血圧が下がってしまった。

母の「土曜まで、もたないかもしれない」との言葉に
木曜仕事終了後、そのまま20時上野発の電車で帰省。
22時過ぎに地元に着いて、病院に直行。

沢山の管に繋がれて、苦しそうに息をする祖父が居ました。
興奮して心不全を再発させないように
薬のせいで意識は朦朧としていて
私が来たことを、認識は出来なかったかもしれません。

一時間ほど、手を握り枕元で話し掛け
「また明日来るよ、今日は遅いから帰るね。おやすみ」
といって、姉と私と姪で実家に帰り着いたら
「亡くなったよ」と母から電話。6/9 am0:22でした。

心臓弁膜症。白内障。パーキンソン病etc・・・。
その度に手術を繰り返し、数年前からは足が悪く要介護状態でした。
最終的な死因は心不全。

これだけの病気を抱えながら よく頑張ったと
医師に言ってもらったそうです。


昔ながらの人だった祖父。海軍から帰って来て、祖母と結婚。
土建業を営み、大工さんや職人さんを何人も従えた人でした。
体も声も大きくて、やんちゃで勝手ばかりしていた人でした。

祖母や家族は祖父の言いなりで、いつも怒鳴られていたけど
初孫だった姉と私は、随分可愛がってもらいました。

介護状態になってなお、祖母を怒鳴り続け
やりたい放題だったのにそれに仕えた祖母。

祖母はあの世でやっと楽になったのに、祖父は祖母が居ないと
やっぱり寂しかったみたいです。追いかけるように亡くなりました。


祖母は亡くなる20分前に、私に電話をくれました。
私に何か伝えたかったんだろうと、家族には言われました。

祖父は私が到着して、1時間20分後に亡くなりました。
私が到着するのを、待っていたようだと皆に言われました。

私が来るまではと、祖父が頑張っていたのか
私が来るまでは待てと、祖母が祖父に言っていたのか

偶然と言ったらそれまでだけど、目に見えない
そんな不思議なタイミングは、あるんじゃないかと思います。
そう思いたい。


管を外されて、家に帰ってきた祖父は
祖母同様、眠っているように安らかな顔をしていて
あぁ本当に家に帰ってきて安心したんだなという
いい顔をしていました。


お正月だったので、通夜・葬儀が出来なくて
その分、家で家族と長く時間を過ごせた祖母と
友引だからと、通夜・葬儀をずらさなければならなくて
その分、家にゆっくり居られた祖父。

家族思いで、涙が出ました。
遺族で故人を囲みながら、思い出を語り合う時間があるのは
とても貴重だと思うのです。
一般的には亡くなって、すぐバタバタと葬儀になってしまって
悲しんでるヒマもないのに。

それにしても、月は違うけど、通夜・葬儀の日程が祖父母一緒って
偶然にしては仲良し過ぎるよね。なんて。


私は木曜の夜から実家にいて、日曜の夜に帰京。
明日6/12は仕事終わったらまた、実家に帰ります。
6/12通夜。6/13葬儀。

二人がちゃんとあの世で逢えますように。
見送ってきます。

2006年06月11日(日)



 【3月15日】のコト。

毎年この日に 仕事が終わったら電話をしたよね。

「あら 覚えててくれたのー?」
「忘れる訳ないじゃーん。今年で幾つになったっけー?」
なんて。

遠く離れて暮らしている私が してあげられることなんて
そんなことしかなかった。

ううん。そうじゃないな。
何かしてあげたいとかは もちろんそうだけど。

そんなんじゃなくてただ 声が聴きたかったんだよ。

忙しく 毎日が過ぎていって 疲れてて 
でもその声を聴いて 笑って
「今度はいつ帰るよ」って言ったら 元気が出たんだ。
「待ってるよ」って声が 嬉しかったんだよ。


遠いかも知れないけど 近くに感じる時もあるの。
側にいる気がするから 心の中でいつも話し掛ける。

でも その声はもう聴けないね。近いようで 遠いね。

空を見上げて 思うよ。どの辺に居るんだろうって。
見守ってくれてると いいなって。

今年も 確定申告が終わったよ。

お誕生日おめでとう おばあちゃん。


2006年03月15日(水)



 【昨日見た夢】のコト。

実家に帰って、祖父母の家に行き
(実家に帰ると通常、家に帰るより先に
 祖父母の家にまず行くのです)

「ただいまー東京より帰りましたよぉー」の
挨拶をしたら、いつもの茶の間に祖父と母と
祖母が居ました。

「あれ?おばあちゃん、大丈夫だったの?!」驚く私。

「あらやうこ。帰って来たの?おかえり。
 そうなんだよ。ちょっと転んだだけなのに
 みんなで大騒ぎになっちゃってねぇ。
 今お茶でも入れるから座りな。珈琲がいい?」
私の為に立ち上がる祖母。

そこで目が覚めました。

起きて、トイレに行って、顔を洗うまで
「なんだーおばあちゃん やっぱ死んでないんじゃーん」
と思うほど、自然でした。

オットに「おばあちゃんねぇ、大丈夫だったよ!」と
ウキウキで報告しようと思った所で、
「じゃぁ、なんで私は金曜に実家に帰るんだっけ?」と
冷静に考えて・・・あぁ夢だったのかと。

祖母が亡くなってから、夢に見たのは初めてだったケド
祖母の笑顔が嬉しかった。本当に良い夢でした。


そんなこんなで(どんなだ)四十九日です。早いねぇ。
今日は有休とって、これから実家に帰ります。

ホントはこの時期に、仕事を1日休むコトも、
実家に帰る余裕もないのですが
祖母に呼ばれたら、帰らない訳に行かないよねぇ。

それにしても 良い夢だった。私 一生忘れない。


2006年02月17日(金)
初日 最新 目次 MAIL


My追加