10月に入りましたよ。夜中、ふとした事で自分に足りないものが何だったのかわかってちょっと気分すっきり。 まぁテンションの方はさほど変わらないから何が変わったとかわからんだろうけど。
今日もアニメを見たりしようかと思ったんだけど映画を1本見た所で見る気をなくした。 というかウォンテッドを見たんですよ。まー頭の回転が遅い私が理解するにはちょっと難解な部分もあったが内容やアクションは予告を裏切らず、面白い作品で見てよかったと思った。
それから…何をしてたかと言えば…ぼーっとしたり…今日は昼寝をした。 それからずっと聞こうと思って聞いてなかった朗読CDをずっと聞いてた。「ふしぎ工房」というタイトルのCD。 シリーズ化している作品で、以前ねとらじでその中の一作品を聞いた事がきっかけなんだけど、それから暫くはその事を忘れてて先日、久々にそのタイトルを目にしてからまた聞き始めた。
今日はその中から数作品、聞いた。 「妹の遺言」というタイトルの作品を聞いていたんだけど、終盤辺りにさしかかると自然と涙が零れてきた。 泣けて来るのはやっぱり肉親の死別の話…無意識の間に死別した頃の思いを重ねているせいだろう。 でも他の作品でも家族の死別の話はあったのに、泣けて来たのはこの作品だけだった。
映画以外で泣いたのって久々だったような気がする。というか涙を零した事も久々だった気がする。 涙ぐんだりする事はあったとしても零れる程の涙って…本当にいつぶりなんだろう(´・ω・`) そんな事を考えつつも、次の作品に移った。心に残ったのは「もう誰も愛せない」「クリスマスの出来事」というタイトルの作品で、どちらも愛をテーマにしている作品だった。
一人で寂しいと思っている自分、支えてくれる人が欲しいと思っている自分がいる事を再認識した。 前者の作品で「必要だから支えあっている」という台詞を聞き、後者の作品の中で「自分が幸せにならないと周りも幸せになれない」という言葉を聞いて妙に納得した。 そりゃ幸せになれるんなら今すぐにでもなりたいもんだけどねぇ…。今はまだなれないんだろうな。
暫くぼーっとしてたんだけど、何だかここ数日の間に自分がとある相手にしてきた行動を申し訳なく思った。 私は…人の話を聞く事は出来ても支えてあげる程の力はない。それをわかってるから、話だけは聞く事にしていたが、その相手がをとうとうそれを求めてきだしたので、その苛立ちから相手を拒絶しようとしてた。
人というものは頼れる存在にはべったり甘える。そんな台詞も耳にした事を思いだした。 頼ってくれるのは嬉しいけど、その分野は私にできる事ではない。その相手の求める支えというのは、友達の範疇を超えたものだという事がわかったから、余計苛立ったのかもしれない。
現に、その相手からのアプローチとも思える行動を目にしていたから。本人は気付いてないかもだけどね。 それに…私が同じように苦しんでた時、その相手がした事。忘れない。執念深いんでw 積もり積もったものもあるんだろうけど、やっぱり私には無理だ。でも放ってはおけないという気持ちもある。
だから、明日きちんとメールしようと思う。話をするのは…多分長くなりそうだからダメだ。相手のねw 支えてくれる人は身近にいる…らしいんだが、今の所私がそれを認識してるのって週末メンバーぐらい。 他は他で私がいてもいなくてもどうにかやってるんだろうし。あの相手には今の所、私ぐらいしか相手がいないから全部を支えて欲しいんだろうけど、私にその気がないからそれは他でやってくれとしかいいようがない。
人に頼られる事が好きでも、人に喜んでもらう事が好きでも、やっぱり限度がある。 今までは無理してでもそれをしてきたから、余計しんどくなってたんだろう。 きちんと伝える事を伝えていればどうにかなってた事だって沢山あったんだろう。
これからは少しずつでも、それを行動に移していけるように努力しよう。あと、自分磨きもw 手の方も、派遣の方の仕事を断ってまで休めてたおかげか手首を動かしても殆ど痛まなくなった。 がっつり力入れるとまだ痛いけど、多少なら大丈夫。酷くならずに快方に向かってるようでよかった(´・ω・`)
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