サミー前田 ●心の窓に灯火を●

2004年02月29日(日) ラッキー・オールド・サン

今となっては数少なくなった歌舞伎町のグランド・キャバレーといえば『クラブ・ハイツ』なのであるが、なんとそこを借りきって、「大西ユカリと新世界」がライブを行った。2月11日のことだ。
借りきったのは白夜書房の末井昭さん。末井さんといえばかつては『写真時代』、近年ではパチンコ雑誌や女装でもおなじみの名編集者だ。末井さんが写真時代とパチンコの間の88年にロック雑誌を創刊したことはあまり知られていないが、私もこの雑誌の編集者であった。毎月、蛭子能収さん(この人もハイツに観に来てた)と一緒にコンサートを「取材」しに行ったりしてたものである。
残念ながらこの時のライブは、あまりいい調子ではないなと感じながらも、最後の方でユカリさんが歌った「ラッキー・オールド・サン」にはグッと来た。ブルースのスタンダードを日本語にしたもので、拾得マスターのテリーさんが歌詞を付けた「久保田麻琴と夕焼け楽団」バージョンを参考にしたのだろう(夕焼け楽団のは、ロニーバロン、エイモスギャレット、ジェフマルダーも入ってて、すごく好き)。

それから2週間後、まだTD前だという4月発売の新世界のアルバム『七曲入』を聴かせてもらった。正直、新世界の作品はあの2枚組ライブが一番好きだし、スタジオ盤はいま一歩な感も無きにしもあらずだった。
しかし!この『七曲入』は凄い!やっと出来た傑作アルバムかも。
これ「昭和歌謡」なんて括れないでしょ。なんだろ「大阪ファンキー歌謡」とか?ちょっとダサイか。
書き下ろしメンバーのオリジナルも、話題の宇崎=阿木コンビの新曲より出来がイイかも知れないし、楽曲も粒揃いでバラエティに富んでいる。
嬉しいことに「ラッキー・オールド・サン」も入っているのだ。
大西ユカリと新世界は変わったと言われるかも知れないが、こんなふうに変わって欲しかった、と思うし、その影には、70年代からオレンジレコードや春一番コンサートなどをプロデュースしてきた名物男アベ・マネージャーの存在がデカイのだろう。

というわけで、新作がグーなので、ティアラこうとう「大阪コテコテナイト〜もんじゃがなんじゃい」というしょーもないタイトルのイベントに行って来た。
大西ユカリと新世界の前に、二つ大阪のバンドがでて、そのうち「大阪モノレール」というバンドは、まるで東京ビートルズみたいなおもしろさがある「大阪ジェイムス・ブラウン」だ。
前日のNHK「トップランナー」の効果もあったか、おっさんおばはん率は高く、新世界のライブ中もおとなしい客席で、みなさんやりにくそうでしたな。
ティアラこうとうは、錦糸町、亀戸あたりが近い下町に出現した未来的かつムダが多いホールで、日曜ということもあり、ライブが終わると周りは、寂しい雰囲気・・・。結局なんとか探し当てた汚いもつ焼きやで一杯のんで無事帰宅。




2004年02月22日(日) aburadako

新宿ロフトにてMOST主催のイベントがありました。
最初のバンド「あぶらだこ」を見るのはなんと結成当初以来だから21年ぶりくらいか。 パンクというジャンルで語られるバンドなので、暴れたい観客も多かったようだが、変拍子を中心とした独特で奇怪なサウンドにほとんどの聴衆が呆気にとられて凝視するだけであった。

遠藤みちろう、頭脳警察のトシらによる「ノータリンズ」は、ジャックスの「マリアンヌ」をやってたのがよかった。

トリの「MOST」は1月にも観たのだが(その時は山本精一が不在だった)、
やはり「日本のオリジナル・パンク=PHEW」の面目躍如というべきか、すばらしいステージであった。アーント・サリーが好きだった人には堪らない「パンクバンド」なのである。25年前、短命に終わったアーント・サリーは見る事が出来なかったけれど、強烈な存在感はすぐに伝説になった。PHEWは日本のパティ・スミスである、と言う人もいるが、それじゃあ日本のニコは誰なんだろう?(浅川マキか?)




2004年02月14日(土) 命はひとつ人生は一回

新宿レッドクロスで騒音寺のフリーコンサート。超満員。最高。
アンコールは3回。「カリフォルニアの青い空」「マイ・ボニー・ツイスト」のカバーをやったのは何故?(笑)? 
毎度かっこいい「教訓1」のカバーは、作者の加川良より説得力があるとおもうのは私だけ?

 
 ライブ終了後、タクシーに飛び乗り新宿西口のライブハウスDOMへ。
最後の出番である瀬川洋のグループ、トラベリン・オーシャン・ブルーバーズにはなんとかまにあった。このバンドでの森園勝敏のギターは「絵画的なジミ・ヘン」みたいなところがあって、オーソドックスなロックなのに毎回新鮮な気持ちできける。アンコール2回、なんと最後は「恋はもうたくさん」だった。
 トラベリン・オーシャン・ブルーバーズ、CDになってるのは、まだバンドとしての魅力がそれほど出来上がっていない頃の音なので、なんかもったいない。今はかなりいいかんじだと思う。


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