2004年01月21日(水) |
2003年をふり返ってみる(5) |
前日の続きです。
その後しばらくして、日付は忘れましたが、フランスにあるベルトラン・カンタ家の別荘が全焼という不運に見舞われました。記事を読む限りではその火は自然発火したものではなく、誰かが故意に家に火をつけたのだろう(つまり放火事件)ということだったと思います。幸い家には誰もいなかったので、怪我人等は出なかったのですが、見方によれば、先のリトアニアでの“ベルトラン・カンタ支援パーティ”に対して憤慨した「誰か」がした所為とも思えます。
そして問題の、マリーの母親であるナディーヌ・トランティニャンの出版した本の事。題名は「Ma fille, Marie(我が娘、マリー)」 この題名からみてもわかるとおり、愛する娘を失った哀しみを綴った本・・・なのですが、その内容は、娘の命を奪った男に対する恨みつらみが切々と書かれているようで、さらに本のなかで、個人名は出していないものの、ベルトラン・カンタのことを“殺人者”呼ばわりし、この言葉が数十箇所にわたって載せられているらしい。このことに対してベルトラン・カンタの弁護士は、この言葉を削除して欲しいとか、裁判が終わるまで出版を遅らせて欲しいとか申し出をしていたようです。 それでもこの本は予定通り出版され、第一版(275,000部)はあっという間に売り切れ。第二版が出たとか出ないとか。
※尚、補足ですが、新聞などでもよく見るのですが、犯罪を犯した人間がいくらその犯した内容が明らかであったとしても、裁判により刑が確実に執行される前はあくまでも“容疑者”であり、“殺人者”ではないと決められているようです。
わたしは、こんなコラムなんか書いてるからきっと読んでるだろうと思うかもしれませんが、わたしは基本的にこの手の本は大嫌い。マリー・トランティニャンのことはすごく悲しいと思うけど、この事件の経緯からして、内輪の人間の書くことは読むに耐えません。
本の執筆者ナディーヌ・トランティニャンは強気です。 彼女は、リトアニアでの“ベルトラン・カンタ支援パーティ”に大きな衝撃を受けたため本を書きはじめたとはっきり述べており、また、この本が出版されたとこで、ベルトラン・カンタの裁判にも影響が出るといいと表明している。被害者は、どんなに強気でいても決して損はしないんだなと、ちょっと複雑な思いです。
というわけで、やっと終わったぞ。ふぅ・・・
2004年01月20日(火) |
2003年をふり返ってみる(4) |
1月も半ばを過ぎてしまったし、あまりいつまでも昔のことをふり返ってても仕方がないのだけど、これだけは書いておきたい。
昨年の映画ニュースで一番ショックだったのは、やはりマリー・トランティニャンの訃報だろうと思う。このことは後ほど書きます。
また、昨年も例年に違わず、数々の有名人の訃報がメディアで流れたが、中でも別な意味でショック?だったのは、フランス人俳優ミシェル・コンスタンタンの訃報とチャールズ・ブロンソンの訃報がほぼ同時期に流れたのだが、チャールズ・ブロンソンの方は大々的に「マンダム、死す」みたいな感じで報道されたにもかかわらず、ミシェル・コンスタンタンの方はちっとも聞こえてこなかったぞ〜!ということ。
ミシェル・コンスタンタンって誰よ?といってるそこのあなた。 もしあなたがフランス映画大好き!ならば、ファン失格でございますよ。 それほどにミシェル・コンスタンタンは有名な人なのでございます。 でも一昔前のフランス映画だけでかもしれませんが・・・ う〜ん、昔の映画を観ている人にしか知られてない役者かもしれませんね。まあ、そんなことどうだっていーじゃありませんか。かわいいんだから。彼が出演した映画で有名なものは、ジャック・ベッケル監督の『穴』・・・ 穴は穴でも、人間の後ろについてる穴じゃありませんよ。 掘るからって、決してエッチな映画でもありません。
気を取りなおして(しゃきっ) マリー・トランティニャンの方ですが、以前このねこたま倶楽部や掲示板でもお伝えしたように、ショッキングかつ悲劇的な事件でした。 わたしはサイトの方で思わずページまでつくってしまったのですが、あれから尻切れとんぼになってしまってすみません。 その後の経過を書こうと思ったのですが、今ひとつ書く気にならなくって。というか、あれからいろいろ起きたことが、あまり気持ちの良いものではなかったのですね。かいつまんで言うと、“トランティニャン家とカンタ家のバトル”というか、なんというか・・・
まず昨年9月頃に、本妻を含む、ベルトラン・カンタを支援する人たちが、ベルトラン・カンタが拘留されているリトアニアに集まりました。マリー・トランティニャンの冥福を祈るため、彼女の出演作である『ベティ』が上映され、その後、ちょっとした集まりがあったらしいのですが、おごそかに会合が行なわれると思いきや、なんと飲めや歌えやの“パーティ”らしきものだったそうで、ネットで流れた写真なんか見ると、楽しそうに笑った赤ら顔の人たちが写っている・・・ なんだか不謹慎ですね。その記事を読んだとき、あまりいい気持ちはしませんでした。
つづき→ 2003年をふり返ってみる(5)
2004年01月16日(金) |
2003年をふり返ってみる(3) |
映画祭のことで書き忘れたことがあった。
昨年行った映画祭のなかで、短編映画だけを集めて上映する「ショート・ショート・フィルムフェスティバル」というのがあるのだけれど、この映画祭はひどかった! ひどいというのは、上映された作品が悪かったという意味ではなく、画質がひどく悪くて、目も当てられない状態だったのだ。
一番最初の日はこんなに画質が悪いとおもわず、いつも通り比較的前の方の席を陣取って観賞。一本目から、なんか画質悪いなあ〜、この映画だけかなあ〜と思ってたら、出るもの出るもの全て見るに耐えないものばかりで、わたしはすぐに目が痛くなる。
1プログラムを見終わってすぐに、スタッフに苦情を言いに行った。 なぜ今年はこんなに画質が悪いのか?と訊ねてみたら、「ああ画質ですね・・・」と、やはり彼らにもあらかじめ画質の悪さはわかっていたようで(汗)、それでも「大変申し訳ありません。すみません」と謝るばかりで、わたしが知りたかった「何故?」の問いには答えてくれず(今、映写関係のスタッフがおりませんので、とか言って)、わたしは腑に落ちないまま、ずっとムカムカしていた。
画質の悪さを言葉で説明するのはむずかしいのだけど、何というかこう、JPEGのファイルを150%ぐらいで見た感じ、と言ったらわかってもらえるだろうか。 例えば、人間と風景の境目の色がにじんで混ざり合っていたり、全体的に細かいモザイクがちらちら走っていたり・・・ こんなひどい映画祭なんて、もう二度と来るもんかと思った。
最初考えたのは、最近のデジタルムービー化である。 フィルムの代わりにデジタルビデオで映画を撮る。ひとつ短編でも、と思ったときにやはり手持ちのデジタルビデオは楽だし、金もかからない。だから、今年セレクトされた上映作品は、そんなお気楽なデジタルで撮られた作品ばかりなのかと思った。
それでもやっぱり違うな、と思ったのは、年代的にみて明らかにフィルムで撮られただろうという作品が上映されたとき。デジタルのざらついた映像でなく、つるつるピカピカの映像が表われると思いきや、程度の差こそあれ、やっぱりところどころにモザイクが走っている・・・(汗) 専門的なことはよくわからない。映画なんて撮ったとこないし、映写のこともわからない。でも素人ながらに考えてみると、「マスターフィルムから映画祭用にコピーした段階で失敗?」または「映写機の問題?」ぐらいは容易に想像できる。
どうでもいいけど、あんな画質の悪い状態でよくお金がとれたもんだと思った。苦情を言いに行ったとき、さすがに「金返せ」とまでは言わなかったけれど、もしわたしが当日、三日三晩徹夜で寝不足とストレスたまり状態、おまけに失恋あけだったりしたら、きっとキレて暴れただろうなと思う。短編映画は好きだけど、今年はこの映画祭に行くのやめようかとマジで思っている。
2003年をふり返ってみる(4)
2004年01月14日(水) |
2003年をふり返ってみる(2) |
一般上映される映画が良かった反面、わたしにとって、映画祭や特集上映での盛り上がりに欠けた一年でもあった。 毎年行っている「TOKYO FILMeX」や「フランス映画祭」を差しおいて、個人的に熱く燃えたのは「インド映画祭」と、やっぱり「カール・ドライヤー特集」かな。
「インド映画祭」というものはもともと熱いもの(笑)なのだが、わたしは昨年初めて行ったので、その新鮮さもあいまって無茶苦茶楽しめた。 あなどれないインド映画。そのほとんどが、ただ歌って踊るだけのクズに等しいものであっても、なかには宝石のように煌めく作品もある。そして気のせいかもしれないが、インド映画ってDVDになっているものが少ないんじゃないか? ラジニ・カーント主演の映画とか、ちょっと文芸系の作品はDVDになっているけれど、インド映画の古典ともいえるラージ・カプールの映画はどうだろう。たった今、amazon.jpで検索してみたら一件もヒットしてこない。これはやっぱりまずいんじゃないだろうか。世界で一番映画をつくる国の、それもクロサワ級の監督の映画がDVDになってないなんて。儲かる映画を配給するのもいいけれど、過去の掘出物を見つけて配給するのもギョウカイ人の仕事ではないのかな。
新鮮さといえば、昨年11年目を迎えた「フランス映画祭」にはほとんど新鮮さが感じられなかった。強いて言えば席とり合戦が例年より増して過熱化したのが新鮮といえば新鮮だったかもしれない。今年はどれくらい盛り上がれるだろうか。それも演目しだいかな。水曜日と土曜日にわたしの観たい映画を上映して欲しい、というのは勝手なお願いだな。
そして、ひとり熱心に通っていた「カール・ドライヤー特集」。 これについてはもう何もいうことない。サイトの方にアップした感想を読んでもらえると、わたしがこの特集上映にどれだけお金と時間を費やしたかがわかっていただけると思う。個人的には無声映画が一気に観られたのでよかった。白黒映画はやっぱり大画面で観るとその良さがすごくよくわかる。カール・ドライヤーの場合、ツボの作品はDVDになっているので、これからでもおそくない。
また、この特集上映を企画した朝日新聞社が、今度は「ヴィスコンティ映画祭」をやるらしい、という情報を某掲示板で読んだ。ヴィスコンティといえば、昨年上映された65年の『熊座の淡き星影』が記憶に新しい。個人的にはこの監督にはあまり思い入れはないのだけれど、この手の初期の作品だったら観たいなと思う。
2003年をふり返ってみる(3)
2004年01月13日(火) |
2003年をふり返ってみる(1) |
春になる前にケリをつけなくっちゃ(いきなり)
今頃になると、あちこちのサイトで「2003年のベストフィルム」の投票をやっていたり、個人のベストをアップしているのをよく見かける。わたしは人様のアップした作品リストを見ながら、ふむふむこの映画が良かったのかあ〜と感心しながら、そうだ、わたしもやんなきゃなと思ったりもするのだが、今年はいまひとつノリが悪い。
基本的に何事も「順位」というものをつけるのが苦手というものあるけど、今年観た映画は意外にも粒ぞろいで、くだらない作品を観たという記憶があまりない。まあ強いて言えば『ミシェル・ヴァイヨン』ぐらいか?(笑)
それにしても、いったいわたしは去年何本映画を観たんだろう。サイトの映画日記には、2003年はコメントをつけたものだけをリストアップしているので、昨年観た映画すべてを記しているわけではない。自分の手帳にもメモってあったりなかったりで・・・ でも今となっては全部数えるのもうっとうしい。まあ映画というものは、何本観たからいいというわけではないのでヨシとするか。
昨年一年をふり返ってみると、うーん、そうだなあ、やっぱフィルムノワールはいいな。昨年はTSUTAYAで、40年代50年代の、アメリカといわずフランスといわず、フィルムノワール系のビデオを良く借りて見ていた。 といっても、「フィルムノワール」の定義づけが意外にむずかしくて、何をもって「フィルムノワール」とするのかがイマイチはっきりしない。映画の本などには、例えば“ファム・ファタル”が出てくるとか、“孤独な主人公”がフィルムノワールだとか書いてあったりするけど、主人公が孤独じゃない場合だってあるし、ファム・ファタルが出てこない映画だってある。
(そうそう、『歓楽通り』にもファム・ファタルが出てきたけど、これはフィルムノワールじゃないよね)
フィルムノワールというのは“映画のジャンル”ではなくて、“映画のスタイル”だったりするのでなおさら分かりづらい。結局それぞれが決めたフィルムノワールの定義で映画を選ぶしかない。昨年劇場で観たなかでは、『リード・マイ・リップス』はいい映画だった。フィルムノワールとうたってなくても、随所随所にそれらしきものがあるのでわたしのツボにハマってしまった。
あとは個人的にはカルト映画復活といったところか。いやまあ、もともとカルト映画は好きな方だったので(もちろんジャンルにもよるのだが)、マイク・フィギスの『HOTEL』ではかなり愉しませてもらった。ちょっとうさんくさい映画なので、そうそう何度も見たくなる映画ではないが、ちょっと陰気になりたいときなんかに、DVDで画面をとめながら四分割を愉しみたいと思っている。もちろんワインを飲みながら。
もうひとつ、『トーク・トゥ・ハー』にも陶酔した。この手のエッチ系の映画は大好きで、というか、スペインの監督ってエッチな人が多いのかな。きらきら輝くスペインの太陽がひたすらまぶしい映画だったぞ。
2003年をふり返ってみる(2)
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