ウェブ日記
2007年02月25日(日) 奇妙な話
奇妙な話

昨年12月終り頃〜今年2月20日: 前の日十分寝たのに昼間急に睡魔に襲われ昼寝するようになった。 正確には眠気と言うより慣れないことをした後の疲れのようだった。 食べ過ぎが原因と思った。

2月21日夜: ブランデーを数度すすっただけなのに、 急に気分が悪くなって寝る。 前日比較的良く寝たし、激しい運動もしなかったし、 蒸留酒には飲み慣れているのに。

同23:30: 何も詰まるものを流さないのに洗面所が突然詰まる。 幸運にもまだ起きていた大家さんを呼んで診てもらう。

2月22日未明: 大家さんと一緒に下水管を清掃。 生理用ナプキンを誰か--私ではないと思う!--が流したのが原因と判明。

2月22日以降: 理由の無い睡魔や疲れに見舞われることは無くなった。
この週たまたま 手相家西谷泰人氏の エッセイで 家に何か起こったときは住人にも何かが起き、その逆も起こるという不思議な話を読んでいた。 それで、下水管が直ったら私の異常な眠気も治まったりして…と冗談で思っていたら そうなってしまったみたい… 日々のロッジの掃除が原因かも。

世の中には自分が神様や恋人と繋がっていると言ったり信じたりする人は多いと思う。 一方私は下水管と繋がっているのかもしれない… まあ、自分が自分以外の外界の何かと繋がっている気がすることは面白いことだ。


2007年02月20日(火) 大学でもドボラック始動
大学でもドボラック始動

昼シティへ。 ノーステラスの学生課のPCで うにた氏の「dvorak kr release 4」を起動させてみたところ、 無事動作。 これで大学でもドボラックが使えるので喜びを抑えきれず。


2007年02月19日(月) 更新がなかなか進まない
更新がなかなか進まない

先月下旬から今月始めまで旅行して来た。 その間も日記は付けていたのだけど、 ウェブ日記に編集し直すのに意外と時間がかかってしまっている。 今日1月までアップロードし、一区切付けられたので、 今日から最近の日付の分も書き込もうと思う。

今日もアデレードは晴。 私は新学期を来週に控えている。

ウェブ日記の更新が遅れていた理由の一つは 先月11日から使い始めたキーボードのドボラク(Dvorak)配列に なかなか慣れなかったためであった。 帰豪してからはQwerty、ドボラクともうまく使えない日が数日続いた。 今が試験前ならQwertyを暫く使うだろうけど、 ドボラクだと手があまり疲れないので、つい練習を続けてしまった。 そして、今日初めてドボラクの方が使いやすく感じるようになった。 この感覚は、子供の頃急に自転車に乗れるようになった時の感覚に似ている。


2007年02月07日(水) 無事帰宅
無事帰宅

機内で同席した中国人らしき女の子とオージーらしき大きな若者がいちゃいちゃしてうんざり。

アデレードで入国審査を受ける。 入国カードの「最近6日以内にアフリカへ行ったか」の項目にもちろんはいと書いたら 比較的若い女性の係官に色々質問された。

係官:南アへ行った目的は?
私:ワイン産地の葡萄畑やワイナリーを訪れるためです。
係官:こちらでは何をやっているのか?
私:アデレード大学で葡萄栽培を学んでいます。修士課程です (と言って学生証を見せる)。
係官:所持金は幾らか?どの国の通貨を持っているか?
豪州ドル約200ドル、200ランドとシンガポールドル約100ドルです。
係官:豪州の預金口座はどこにあるか?
私:ここに口座は持っていません。 代りに日本の銀行の口座からキャッシュカードで豪州ドルを引き出して使っています。

と淡々と事実を答えてパス。 一方食品は持ち込まなかったので検疫は楽々パス。

10時半ごろ帰宅。 毎年2、3月にこちらに研究でやって来る加州のワイナリーで働いているCMと再会。 彼女も今日豪州着。

昼食堂で日本人留学生に逢う。 フランス人の留学生NVの同僚という。 彼女とは永住権取得等について話す。 いつもは巨大オムレツや牛肉の切り身をただ焼いただけのステーキ等しか作らない NVが彼女に洒落たスパゲティを作ったので驚いた。

寄宿舎の住人の女の子達、VdC、LRH、BHの順で 再会を抱き合って喜ぶ。

夜VdC、LRHと近くのスーパーと酒屋に買い出しに行き、 食堂でケーキ、クッキーとトーニーポートで ささやかな再会記念パーティーを開く。

その後忘れないうちに大家さんに家賃を払う。


2007年02月06日(火) シンガポール初訪問
シンガポール初訪問

機内で良く寝られないまま7時過ぎチャンギ空港着。 10時過ぎに空くらしいが、 今回もトランジットホテルは満員。 ATMでシンガポールドル200ドル--約16000円?--を引き出し、 最寄りのカフェ"Pacific Coffee"でショートラテ --4.4ドルは高かった-- を頂いて休憩。 応対したのは30代に見える細みの、 ちょっとやつれた、日本でも見かけそうな比較的きれいな女性。 黒板に金釘みたいな本当に汚い字 --彼女の字でないように--で書かれたのは 「不運な時は時間が無い」とかいう日替わりの文句。

シンガポールへの入国は簡単だった。 出国時提出する半券を無くさないよう気を付ける。

日本以外のアジアの地を踏んだのは初めてである。 どうしてシンガポールに寄ったかというと、 単に安い航空券を買ったから。 それに本場のラクサ(Laksa)を食べてみたかったから。

地図等の資料を手に入れようと思い、 近くにあったシンガポール・ビジターセンターを訪れ、 日本語の地図を取ったら、 現地のある中年女性に「日本の方ですか」と(日本語で)聞かれる。 海外で現地人と日本語で喋ることはそんなにないので慣れない。 無料バスが利用できるというので利用。 バスを待つ間彼女から土産に「富貴花開」と書かれた赤い袋を頂く。 中には「紅包(日本のお年玉のようなもの)」と 正月に飾る「福」の字についての説明の書かれたステッカーが入っていた。 今は正月前なのだ。

9時にバスに乗る。 見慣れない高層住宅の林立や熱帯の大木の並木を眺めながら、 リトルインディアに到着。 店はまだほとんど開いていなかったし、 こちらにはまだ興味が無かったので リトルインディアを縦断するセラングーンロード(Serangoon Road)を南下して抜ける。 途中花輪が店頭で売られているのを何度か見る。 蜜蜂が留まるので身に着けるのはなかなかスリリングかも。 多分これは宗教的な行事用だろう。

シンガポールの歩行者用信号の青信号の明りに見える歩行者は 右向きで、豪州のそれとは逆なのが興味深かった。

オーチャードロード --ここに高級ブランド店や日本の百貨店がひしめく--に入る。 時差ボケと疲労に悩まされる。 往路で寄れたら良かったのだが。

スターバックス・オーチャードロード店で ドピオエスプレッソ(4ドル)とエクレア(2.8ドル)を頂いて一休み。 エスプレッソは懐かしい味。 エクレアは少しパイ生地になっていて 食感は日本のと豪州のそれらの間のような感じ。 日本にいたときの癖で使用した食器とトレイを片付けようとして、 トレイ置場が無くて困ってしまう。 本当に見かけが日本にも居そうな普通の小父さんが親切にも、 トレイを置けそうな場所を指してくれたけど、 結局バリスタに渡す。

その後色んな店を覗きながら高島屋に入る。 日本の店がたくさんで呆れる。 特別催し場では正月用の菓子が売られていて賑わっていた。

ここの地下、ハーブティー売場の比較的若い男の店員が、 私が日本人と知るとメールアドレスを教えろとしつこく言う。 何に使うのかと聞くとこの売場の情報と個人的な目的でと答える。 ずうずうしい奴である。 何者か色々訊いたら 彼はフィリピン人で、マニラの大学を出てこちらで働いているという。 親戚が世界のあちこちに居ると言う。 私が豪州に留学中と知ると、 学費は幾らくらいか、 就労ビザは取りやすいか等々聞いて来た。 学費は米国よりは安く --彼の場合は大丈夫とは思ったけど、 具体的な額を言うとこちらの蓄えや収入等を見積もられ、 こちらの金や物を貰おうとする輩が地球上にたくさんいるので注意-- そちらは大学を出ているからビザの取得は比較的容易ではないかと答える。 こちらが未婚と知ると良い女性を紹介するよとまで言う。 誰が初対面の、素性の知らぬ奴の紹介を受けるか、 全くずうずうしい。 でも彼に商品 --ものはとても良かった。でも要らなかったし豪州の検疫は厳しいので 何も買わなかった-- の説明をさせたら、きちんとできたので 根は悪くはないようだった。 彼がしつこく知りたがるので 大学のメールアドレスだけ教え、 業務目的で使えと言っておいた。 今この日記は2月24日に書いているのだが、 今のところ彼(の店)からはメールは来ていない。

高島屋地下で吉野屋を発見。 メニューを見たら野菜がかなりの量盛られていた。 この牛丼屋は海外だと健康的かも。

更にオーチャードロードを歩いて、 ロッジのシンガポールからの留学生 --残念ながら彼は年末のアルバイトで忙し過ぎて会えなかった-- の勧めたWisma Atria --ここには伊勢丹が入っている-- に入り、 4階のFood Republicでラクサ大(4.5ドル)をおいしく頂く。 とにかくこのフードコートは賑わっていた。 ここのラクサは豪州のそれとは全く違う。 麺が豪州では福建麺なのに対しこちらはゴムのように良く伸びる米粉、 薄揚に似た揚げ物が入っている等々。 スープも全く違う。 大体こちらの方が安い。 予想していたけど、 日本と違いこちらの人は男女を問わず、 偏食せずたくさん食べる。 それなのにどうして彼らは背が低いのだろう? また、私と同じテーブルの隣の空席に若い女性2人が ここは空いているかと聞き、はいと返事したら 何の躊躇もなくすぐ空席を占領したのも 日本以外のアジアらしい光景である。

フードコートへエスカレーターで移動中 側面の鏡に両頬だけこげ茶色に日焼けした 自分の顔を見て仰天。 おまけに飛行機に乗っていてひげが暫く剃れなかったので醜い不精ひげ姿。 警察に通報されねば良いが。

この建物でノキアの店があったので、 南アを出て使用不能になった、 あちらで買ったこの会社の携帯電話を 店員の若い女性に示し、 どうしたら使えるようになるか聞いたところ、 何と「南アのオペレータに電話してください」と返事。 圏外からどう通話しろというのだ? ケータイには詳しくないので通話は豪州に戻って再開することに。

オーチャードロードの西端でワインショップを見つけたので 入ったらあまり品数が無かったうえ、 こちらの身分を知らない若いスーツ姿の男の店員に どこか不審そうな目で見られてしまった。

さて十分歩いたし次に行きたい所は遠いし、 こちらの交通も使ってみたかったのでいざ地下鉄(MRT)へ。 オーチャードロード沿いにあるオーチャード駅に入る。 地下鉄に乗るには切符の代りにスイカやイコカ --まだあるのかな--のようなICカードを買う。 このカード自体は1ドルで後で返却と返金ができる。 このカードを、行き先までの料金も払いながら自販機で買う (カードに行き先までの料金がチャージされる)。 カードに運賃をリチャージする方法が分からなかったので カードはいちいち返却して再購入する羽目に。 おまけにある駅の切符の自販機は10ドル以上の紙幣も使えるはずが 使えなかったりして、なかなか不便だった。

ドービーゴート --Dhoby Ghautと見慣れない綴り-- 駅で乗り換えてOutram Park駅で下車、 チャイナタウンを歩く。 正月前で街には飾りが目立つ。

芳林苑(Hong Lim Complex)という 屋台が集まったような3階建くらいのビルを発見。 ある店で、 あちこちの店で売られて気になっていた 馬蹄果(water chestnut)ジュースを$2で買って頂く。 眉の濃い小父さんが「食べな」と言って切ったばかりの メロンを出したので1切れ頂いたら後で$1払わされた。 なるほど…ここでの商売はこうやるんだ。 あ、ジュースはおいしかったです。 ほんと、どこか栗みたいな味がして。 ここで安く食事ができるし、 この国出身のロッジの住人の好物というMushroom minced pork noodleらしきものも見つけたので 夕食はここで頂こうと決めた。

帰りのバスの発着所を確認すべく 地下鉄に乗り、 ドービーゴートで乗り換えて 市役所前で下車。 乗り換えの通路を案内板で探していると ある若い男が案内しようかと話しかける。 日本人かと聞くのでそうだと答えたら --見かけがシンガポール人と違って見えるはずなので別に不思議ではない-- メールアドレスを教えてくれないか、 日本について知りたいと、 ハーブティー売場の男と全く同様のことを言う。 持ってないよと言って去る。

帰りの送迎バスの発着所を探すため 市役所前駅からシティーリンクモール(City Link Mall)を通って サンテック・シティーモール(Suntec City Mall)へ。 ここには5つ以上の大きな建物が林立しているので 何度も迷った。

途中サトウキビジュースを頂く。確か1.5ドル。 若い男が生のサトウキビを搾り機で搾るのを見て感激したら 彼も喜んでいた。 初めて飲んだ感想は抹茶ドリンクをもっと「天然」にした感じ。 意外とすっきりした味でおいしかった。

1時間以上モールとその周りをさ迷った後、無事バスの発着所を発見、確認。 このモールで一番目立つ「財富之泉(Fountain of Wealth)」を訪問。 モールのビル群に囲まれた中庭にある巨大な人工の泉で、 理科の実験で使うガスバーナーやアルコールランプ用の鉄棒製の五徳を巨大化させたような 金色の建造物が泉全体をまたぐように据えられている。 ここで願いがかけられるという。 願いのかけ方は、

  1. 右手で噴水の水に触れる
  2. 願いをかける
  3. 時計回りに3回泉の周りを回る

豪州では私はあと4年で中年とそんなに人生が長くないので、 留学前からの私を願いをしっかりかけた。 私の願いは、 日本以外の教会で受洗して --日本のプロテスタント教会は自虐史観に汚染されているし神道を避けるので不可--、 日本国籍を返上して、 家庭的で信心深いきれいな女性 --典型的な南ア女性--をめとって家族を持って、 ケープダッチの家に住んで 美しい深緑の葡萄畑を所有することです。 あとガールフレンドが欲しいし、 転勤のトラウマ --恥ずかしいことにまだ持っている、学生をやっているのも一因-- と訣別して好きな仕事を見つけたいです。

夕方になったので食事をするため再び中華街へ。 芳林苑のある店で Mushroom minced pork noodle ($2.5)を頂く。 食事中身なりの良くない中年女性が、 ちょっとふらふらと歩きながら客のいるテーブルにポケットティッシュを配り始めた。 私の席にも置こうとしたので、ノー、要らないとはっきり断って受け取らなかった。 このビルでの商売を知ってしまったから。 受け取ると金を払わされるから。 商売とは言え女性に荒い語気で答えるのが辛かったので もうここへは来ない。 1、2ドル多く払っても気持ち良く食事できる別の店を探します。 でも店主の愛想が比較的良かったのがありがたかったし、 料理自体は素朴で飽きの来ない味だった。 ともあれ、今回のシンガポール訪問の目的はこれで済ませた。

外は段々暗くなって行く。 中華街の飾り付けやラッフルズホテルの写真を撮りながら サンテックに戻り、 20:45バスでチャンギ空港へ。 21時過ぎ着。 Plaza Premium Loungeトランジットホテルでシャワーを浴びて体を洗って着替えして --スタッフが両替できない硬貨を親切にも紙幣に両替してくれた!--、 あるイタリア風カフェで送迎バスの利用の際貰った食券を利用して 小さなマッシュルームとトマトのピザとスプライトと頂いてリフレッシュ。 シンガポール・ビジター・センターにアンケートを渡し、 豪州へ持って帰っても両替できないので、 南ア、シンガポールと何故かニュージーランドの各国の小銭全部を空港内の募金箱に放り込んで、 またシンガポール航空に搭乗。 機内ではロイボス茶とシンガポールスリング--これは初めて--を頂く。 このカクテルが好きになったから、 シンガポールをまた訪れて色んな店でこのカクテルを飲み比べねばなるまい。 親切な人も多かったし。


2007年02月05日(月) 名残惜しい
名残惜しい

宿の屋外で朝食。 フレンチプレスコーヒーやここの名物である茹でたての卵等を頂く。 熱いし食べるのに時間がかかるのでこの卵は苦手。 欧州人やアフリカーナーと違ってUKの人のすることは私には良く分からない。

荷物を軽くするのとフライト中の余計なトラブルを省くため 主にトイレ掃除用の消毒液(Dettol anticeptic)、 ボディウォッシュ、掃除にも使った楊枝、 緑茶とロイボス茶のティーバッグを 宿の主人にあげる。 彼は緑茶を喜んでいた。

8:30宿を出発。 ホテルのビールが有料とも、 宿に予約してもらったタクシーの代金が450ランドとも知らなかった。 でも建物は2世紀近くの歴史があるケープダッチだし、 中庭も外の景色も美しいし、 サービスはまともだったので、良しとしよう。

D. F.マラン空港までタクシーで。 混血らしい太った小父さんの運転手と雑談。 ワインについての知識があったのが嬉しい。 空港近くで低空飛行したブリティッシュ・エアラインを見て、 英国人は困ったことばかりするとぼやく。全くだ。 お代が高かったけど、 感じが良かったから10ランドチップを渡す。

空港内でダブルエスプレッソを引っかけてから シンガポール航空でケープタウンからシンガポールへ。


2007年02月04日(日) 何が起こるか最後まで分からない
何が起こるか最後まで分からない

本来7時半開始なのに 8時半に始まった遅い朝食をそそくさと済ませ --宿のオーナーは北アイルランド出身--、 9:25出発。 玄関そばの客の小父さんに"Going to work?"と聞かれたので、 "Go to church!"とブロークンに答える。

半時間ほど歩いて、 昨日探して礼拝の時間をチェックしておいたNederduitse Hervormde Kerkへ。 十代に見える若者たちにこの教会について聞いたが、 満足な答は得られず。 きれいにあごひげを蓄えた中年の男がやって来て、 ここは(欧州)大陸起源の、 南ア最初の教団で、他の教派はこの教会から別れたと言う。 教会の雰囲気は古い感じで、 日本のプロテスタント教会のそれに近かった。 アフリカーンス語で礼拝は行われ、 礼拝の時間は約40分と短い。 信者は讃美歌を歌うだけ。 小さなパイプオルガンはあるけど 聖歌隊は無し。

礼拝終了後さきほどの牧師にティーアワーに招かれる。 当番以外準備や後片付けを手伝わないのが少し寂しい。 何と私が最初に訪れたステレンボッシュのワイナリーVredenheimのオーナーBB氏と フランシュフックのワイナリーLa ProvenceのオーナーJvR氏に逢う。 BB氏は痩身でアフリカーナーなのに、 不思議なことにインドかペルシャ人のような英語の喋り方をする。 JvR氏は月曜日今日と同じ服装の私をフランシュフックで見かけたと言う。 世の中なかなか狭い。

JvR氏の知人らしき長身で痩身のきれいな中年女性にも逢う。 彼女の娘はテニスプレーヤーで現在バングラデシュで試合中と言う。

JvR氏の御好意で彼の車に乗せて頂いて、Paarl Mallへ。 Cape Union Mart (www.capeunionmart.co.za)で オリジナルの水着パンツを通常160ランドのところ特価99ランドで購入。

パール市街で支店を見て気になっていた Red Mountain Spurなるステーキレストランで食事。 頂いたのはKingklipという魚のフライ、フレーバードライスと こちらの高級ビールであるアムステル(Amstel)。 応対したのはAという混血の可愛い女の子。 親切に応対したので10ランドをチップに渡す。 名前がフランス人のそれだったし、 どうも南ア出身ではないようだった。

ピックアンドペイスーパーでホウレン草、牡蛎缶とノーファット即席麺2袋 --ホウレン草以外は中国産-- を、そばの干し肉屋Skaaplandでクードゥー(野牛の一種)と スプリングボックの干しソーセージを買う。 ここで鶏肉の干し肉を発見して驚く。 店員の小母さんに生で食べられるか聞いたら これもビルトンだから生で食べられると答え、 味見させる。 チリ風味。 値段はクードゥーでキロ159.99ランド。 どちらも新鮮でおいしかった。

その後干しソーセージを齧りながら、ふらりと宿の近くにある、 南アで2番目に大きなワイナリーであるKWVへ行ってみたら "Emporium"館で日曜でもワインのテースティングができたので試飲。 お代は5種類で15ランド。 Cathedralレンジのシラーズとカベルネ、メルロー・リザーヴ、 fortified Pinotage、Imoyaブランデーがおいしい。 気に入ったオリジナルTシャツ2着を購入。 1着80ランド。

買って来た水着を穿いて宿のプールに入ったけどそんなに長い間遊ばず。 即席麺、ホウレン草と牡蛎缶を夕食に頂きながら荷造りをほとんど済ませ、 南ア最後の夜を寝る。


2007年02月03日(土) 葡萄畑とパール市街を訪問
葡萄畑とパール市街を訪問

午前中MKの仕事仲間のワインメーカー --失礼にも名前を覚えられなかった-- にウェリントンの葡萄畑を幾つか案内してもらう。 葡萄の選別で一緒になった女の子達に再会できて嬉しい。 南アの葡萄畑は豪州のそれとかなり作りが違う。 例えば樹は背の低いものが多いとか。 豪州の生産者が見れば栽培技術が遅れていると言いそうだけど、 こちらはあちらより労働力に恵まれているから、 葡萄の樹の手入れは向うより丁寧なことがしょっちゅうある。

午後宿のオーナー一家に アフリカーンス語博物館(Taal Museum)そばまで送ってもらったけど、 そばにあるパール博物館(Paarl Museum)ともども既に閉館。 代りにパール市街を散策。 ここは内陸なのに、港町のような開放的な雰囲気があるのに驚いた。 黒人の多い猥雑な佇い。 でも路上にゴミをよく見かけた以外は問題無さそう。

博物館のそばには白い壁の大きな教会があった。 看板が無いのでどの教会かなかなか分からず。 道標によると、この国では珍しいカトリックの教会らしい。

熱い陽射しの中1時間以上も歩いて帰宅、 流石に疲れたので昼寝して、 不断草(こちらで法蓮草、spinachといえばこれを指す)と即席麺を茹でて夕食を頂いてくつろぐ。


2007年02月02日(金) ワイン作りに参加後パールへ
ワイン作りに参加後パールへ

9時コテージをチェックアウト、 MKに車で再びBoekenhoutskloofまで連れて行ってもらい、 ワイナリーでアルバイト中らしい女の子3人 --1人はステレンボッシュ大の醸造科の学生--と ソーヴィニョンブランの選果を手伝う。 南アで「特別実習」を受けられるなんてありがたい。 高い人件費を省くため、豪州では選果はあまりやらないようである。 少なくとも大学ではやらなかった。

昼食の弁当を頂いてからMKの仕事仲間のワインメーカーに パールまで車で連れて行ってもらう。 途中タクシー会社に寄って彼に運送代を返金してもらい、 彼のワイナリー --協同組合のワイナリーの一角で、 以前紹介したバリューなシラーを含む Boekenhoutskloofの安い商品をここで生産している-- を紹介してもらってから 14時頃新しい宿に着く。 宿から番地を知らされていなかったので 通り中を往来する羽目に。 通りにはこの宿しかないからと思っていたので、 番地をこちらから聞いていなかった。

疲れていたので16時頃まで寝てから15分ほど歩いてPaarl Mallへ。 ピックアンドペイスーパーの惣菜コーナーで御飯 (豪州で見かけるものより粒が短いインディカ種で冷えたら固くなったので再加熱が必要だった)、 ボボチー(bobotie、南ア名物マレー由来のカレーミートパイ、これも温めておいしくなった)、frikkadel (肉団子)、 スヌーク(バラクーダ)のフライ(これは骨が多かった)、特大ビーフサモサを買って来て、 "easy South African dishes"を夕食に楽しむ。 Chocolate Blockと一緒に。


2007年02月01日(木) 思いがけないことに
思いがけないことに

11時、南アでは当り前のことであるが、 予約した時間通りにやって来たタクシー(車はSUV)に乗って、 (ちなみにオージーは5分ほど予定の時間に遅れるのが普通) Boekenhoutskloofワイナリーへ。 ここの上等なカベルネがアデレードでは150ドルほどで売られているのを見て、 来てみたかったのだ。

テースティング代を払おうとすると、 きれいな女性のスタッフ --後日旦那さんとここで働いていることを知る-- に、私達は試飲で金は取らないと言われた。 ちなみに、私が訪れたワイナリーのうちテースティングが無料だったのはここだけだった。 アデレードでのここのワインの値段を教えたら呆れられた。 ここでの値段の5倍以上だったのだ。 個性的で素晴らしいワインの試飲を終え、 このワイナリーで一番有名らしい シラーズ、サンソー等のブレンド、 The Chocolate Block 2005を120ランドで購入。 他に豪州では見られない、北部ローヌのワインを連想させる上等なシラーが たった40ランドなのに驚いた。

ワイナリーをぼんやり見ていたら、 あるちょっと太った男に ワイナリーを見たいかと声を掛けられる。 はいと返事して醗酵タンクやプレス、 バイオダイナミックで使われるという 大きな卵型のコンクリート製タンク等を紹介される。 彼、MKはここのワインメーカーだった。 私の身分を明かすと、 何と夕食に誘われたので二つ返事。

その後彼に車で近くのワイナリー、Stony Brookに連れて行って頂く。 オーナーの夫人が親切にワインを紹介してくださったけれど、 一番安い赤ワインの酢酸エチルの臭い --中国の蒸留酒では典型的な香りの一成分だがワインでは欠点とされる-- を彼女に指摘したら困った様子だった。 ここの葡萄畑は良く手入れされているのに… 私の鼻がおかしかったと信じたい。

その後ここのオーナーに親切に車でChamonixワイナリーまで連れて行って頂く。 ここのワインはどちらかと言えば普通だったけど、 ワインメーキングが現代的に感じられたのは良かったこと。 ワインよりサクランボの食前酒や洋梨のブランデーの方が上等で印象的だった。

午前中のタクシーを携帯電話で呼んで、 Franschhoek Cellarに連れて行ってもらう。 今日は高級ワインを試したけど、 安いワインの方が印象的だった。 ここで土産も買う。

一度コテージに戻り、 MKに車で拾って頂き、 夜ワイナリー内の彼の家で 南アのバーベキュー、ブライ(braai)を初めて御馳走になる。 オージーのバービー(barbie)との違いは バービーでは鉄板を使うのに対して ブライでは金網を使うこと。 後者の方が余計な脂が落ちるのでよりヘルシー。 網に料理が付かないように MKは時々半分に切った玉葱で 金網を擦った。

私が明日タクシーでパールへ移動すると言ったら 代金を聞き、高いのに驚く。 代りに彼の仕事仲間が私をパールまで連れて行くと言い、 タクシー会社にすぐ電話し、予約をキャンセルしてもらう。

奥さんがオランダ系の美人。 双子を身ごもっていて現在妊娠6ヶ月。 2人ともダーバン出身。 MKは最初軍のパイロットになりたかったけど、 色んな経緯の後、 レストランで働いているうちにワインの世界に入ったと言う。 彼はエルセンバーグカレッジを出たと言う。

とっくに売り切れたここのワイナリーの最高級品Boekenhoutskloof Syrah 2001や 非売品のセミヨン種の貴腐ワインまで味わう。

ブライでは豚の切り身を3枚も頂いてしまう。 豪州産は餌が良過ぎるのか、 あっさりし過ぎておいしくないうえ高いので 暫く豚肉を食べていなかったのだ。

夕食後再びMKにコテージまで送って頂く。 招かれて本当に光栄です。


ハッピーパイパー
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