世界お遍路 千夜一夜旅日記

2023年11月29日(水) 母の入院、ワタシ激怒の顛末(ブログよりの転載)

昨日の続きです。

看護師に18時近いのに母の晩御飯を何か用意して下さい、といわれ、入院の支度を今日中に、ともいわれた。

・・・・・・・・・・・

実家まであれこれ取りに戻り、母用に作ったランチ(おかず)をもって、温かいご飯でおにぎりでも握っていくかな、と思っていた。

ドラッグストアでビニール袋(持ち物にあった)を買い、落としても割れないプラスチックのカップをセリア(100均)で買っていたら、電話が来た。担当の看護師からだ。

「担当医師から指示が出て嚥下を見たいので、明日まで絶食となりましたので晩御飯は不要です。すみません。それから、絶対安静ということで、尿管を入れさせていただきました」

わたし、逆上。絶対に許さん!(心の声)

「まず、朝食べたきりで、すぐに日赤に行けと言われてきてお昼抜き、93歳の食べるのが楽しみな老人にそれはむしろ悪い。嚥下には今のところ問題はないはずですけど、その話は先生にしましたけど。」

「2つ目、尿管すぐに抜いてください!どうして、そんな大切なことを勝手にするんですか??家族に断りなしにすることじゃないですよね。訴えますよ、出るところに出ますから、ぬかないと。勝手にするなってことです。人権無視ですよね、人権を尊重して云々って書いてありますよね、日赤のモットーに、嘘だわね、とにかく、抜いてください。あの年で尿管入れてベッドから起き上がらないことを強制された日には、完全に寝たきりになります、自宅に帰れません、あなたたち責任とってくれるんですか。あなたたちが楽したいんで入れたんでしょ?」

「いえ、そんなことありません!」

「とにかく、抜きなさい、勝手にしないでください。これから行きますが、ぬいておくこと、いいですか。許しません!!」

セリアで大声でどなっていたら、みんな振り向いたりひいたりしていたが、仕方ない。



とりあえずは、最低限のものを車に積んで、夜道をまた日赤へ。

ステーションでは担当の看護師、担当医師、婦長などが待ち構えていた。

「よくもまあ、勝手に家族の許可を取らないでやってくれましたね。最初から信頼を損なうこと、よくしますね、自分らが楽したいってことですよね。人権無視ですよね、このままなら訴えます、出るところに出ていただきます。すぐに抜いてください。若い人は、抜いたらまた歩けるようにもなるんですけど、あの年だと再起不能です、それ、わかっていて入れたんだったら、責任取って下さい、先生、とってくださるんですよね」

・・・いいえ、とれません

「だったら、抜いてください。いいですか、93歳の母の強い希望は死ぬまでうちにいたい、うちで死にたい、なんです、施設にいきたくないんです。それは自分で意思表示しています。思いは実現するかどうかは分かりませんが、私も含めて家族やケアマネさんはその思いに沿って、できる限りですが頑張っているんですよ。それを寝たきりにされてしまったら…だから、病院にきたくなかった、こういうことされるという気はしていたし。抜いてください、患者として言うこと聞かない云々言われるのでしたら、うちに連れて帰ります、退院します。けっこうです、もう。自宅で死ねたら、本人、本望のはずです」

・・・ご本人の希望は知りませんでした…

「事前の話し合いをしてくだされば、話した。勝手にしていいことじゃないです。それを承知でされたということは患者が認知症だから、ばかにしているんですか?とにかく、歩けなくなることがわかりきっていることをするわけにはいきません。晩御飯はかわいそうですが、仕方ないと妥協するにしても、この件は絶対に譲れません、退院させますので、とにかく抜いてください。もう結構ですから、最初からこんな不信しか持てないこと、信頼関係を損なうことをされてはね、そのうえで、改めてしかるべき手続きで訴えさせていただきますから。私怒ってますから、許せません」

・・・抜きますので…

・・まあ、病室に行きましょう、ここで大きな声で言われても・・(婦長)

「そうですね、あなたたちの外聞が悪いからですね、私はちっとも困りません。ですが、いいですよ、行きましょう。抜いてください。そのうえで、出ていけ、といわれるなら、退院します」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この後、担当医師、看護師、婦長と病室にいった。

軽くわびのようなことを言われたが、あくまでも「軽く」であった。

あまりに深く詫びると、自分らの非(不手際)が明らかになるのでまずいということであったのだろう。

そして、抜いてもらった。

歩行器も運んできていたので、普段の母のトイレのいき方を実演付きで説明してお願いした。

病室で医師はボソッと

・・・自宅で亡くなるって今は難しいですよね・・・

といった。

そうですね。でも、本人の強い希望がある(聞いてしまった)以上、できる限り頑張るしかないでしょう、もちろん、そうなるかどうかなんてわかりませんが、今できることはやるってことです(キリリ)

医師、沈黙(穏やか系のドクター?)

これだけ言葉で大暴れしたので、2週間の入院期間、彼ら(医療関係者)も、やばい・怖いおばば(私のこと)と思って、少しだけ頑張ってくださる気がするのだが。(大声は勝つ)

ちなみに28日にもらった入院計画書には「自宅退院」を目指しての文言が入っていた。

最初は施設退院、させる気満々だったんだね(怒)だから、安易に、やりやがった(失礼)

私が何に激怒したかはわかっていただけると思うが、要するに、尿管を入れるか否かはこの後の母のそう長くないだろう生の質を決めることであったこと。それを相談もなしに(軽く)やらかされたこと。

父、弟2名、みんなこういう軽くやらかされた医療の積み重ねに敗北して旅だった、と私は感じている。(いちいちいうことができるが、もはやいい)

独断と偏見を恐れずに言えば、医療は今や「悪」の場合がある。




2023年11月28日(火) 母、27日に緊急入院

27日は、定期の受診日。
かかりつけ医に。
そこで、サチュレーション値を計ったら今までにない低さ。
かかりつけ医に、帰宅してもらっては困ります、すぐに日赤の救急外来に受診してください。入院の指示が出るはずです。

でその通りに入院となった。
まあしかし、ひと騒ぎ起こした私。
激怒、大暴れしてしまいまい。
まあ、明日書きます。
今日は寝ます。



2023年11月22日(水) ヘルパーさんに入ってもらい、お伊勢参り

19日に出て、1泊。
だから、19日は、朝、夕。20日は、朝・昼・夕とヘルパーさんに入ってもらった。
母、緊張していたようで、誘導はスムースだったとかいう報告があった。
1泊2日で、気持ちが元気になってまたがんばろ、と思えました。
19日は、高山本線乗り、朝から晩まで電車で車窓風景を楽しみ、20日は早朝の御垣内参拝。
服装を整え、少しばかり精進をして臨んだ。久しぶり、なんか、「包まれた」感じであった。
昼からは大学時代の友人と会って、熱田神宮に参拝して、夕方新幹線の時間までしゃべり倒した。
楽しかった。
亡くなった友人(年賀欠礼が奥さんの名前で来ていた)に昼間からビールで献杯もした。

それで、母、一時の最悪状態からは脱しているが、足のむくみがとれない。
すっかり弱りました。



2023年11月16日(木) ヘルパーさん、入ってもらいます

昨日から、夕方母のオシモ管理(リハパンなどの交換)に、ヘルパーさんが来てくれました。
仕事前に行く必要がなくなってありがたし。
義妹いわく、小柄な優しそうな女性が来たとのこと。
母、してもらってから(ヘルパーさんが帰られてから)自分でできると文句を言ったそう。
しかし、できていないんです、はい。

朝は私が行く、昼と塾のない夕方は私が行く、てなわけで負担は相変わらず多大だが、それでもありがたい。
それと、出かける時は完全フォローしてもらえる体制になっている。

まあ、無理せず、ぼちぼちいこう。
それにしても高齢になって病気をすると、元には戻れないってことがよく分かった。



2023年11月14日(火) ゆうべは雪がふりました

先週は汗ばむような日があったというのに、昨日と今日は真冬並みの寒さ。
いやはや、体が疲れるわけだ。
母、ディサービスに行き始めたが、行ってもリハビリはせずに寝ていることが多いようだ。
それでもいい。家でボヤンとしているよりは。

足のむくみが千年灸を立てても取れない。
心臓の弱りだと思う。
要するに老衰に拍車がかかり始めたということか。
末弟と同じく、後悔のないよう
できるだけのことをやるだけだ。



2023年11月09日(木) 夕方熱は出なくなったが‥‥

母、夕方の発熱はでなくなったが、血中酸素量の値がイマイチ低い。
あと、動きがダントツに悪くなったし、ボヤンとしていて認知症は進んだ気がする。ディサービスに行かない悪影響だろうな。緊張しなくていい。
大いに困っているのは、オシモ管理が一人でできにくいこと。
だから、朝・昼夕といっているのだが、これも限界がある。週明けに介護認定の見直しをかけてもらうことと、夕方はヘルパーさんに入ってもらう相談をする予定だ。
まあ、私一人でできることには限界があるし、そのあたりを整理する予定。
本人が今のうちで過ごしたい気持ちは確認しているが、もう一度、話しを聞いた。
もう自分でできないんだし、お前の言うとおりにする、どうでもいい、といったのだが、じゃ、施設でいいのか、と言ったら下を向く。そうして、お前のいいようにすればいい、それでいいと。
ホントの気持ちを言いなよ、昔はお前の世話にならん、このうちで死ぬまでいるといっていたけど、それはどうなんだね?
そうしていった。

ホントは、今のまま、このままがいい。

分かった、じゃ、できる限りそうしよう。
でも、先々に行って、もうこれ以上はここでは無理となったら、やっぱりどこかに入らないといけないくなるけど、それは仕方ないかな。どうらかね?

それは仕方ない。

分かった、じゃあさあ、そういうときの練習に年が明けたら、2泊とかいってみるかね、○○(母実家)のばあばあちゃん(96歳)は時々2泊くらい行くようだよ。

それはいってもいい。

長く入って、出て来られないのは嫌なんだね。

うなずいて、いやらな。

ということになった。

あとどれくらいの時間になるのかわからないが、できる限りやろう。
私が毎日おかず宅配を持っていくようになって3年半たつ。時々持っていっていたのは(週に3回から4回)その前3年くらいある。
振り返ればあっという間だったが、もう6年くらい母と義妹の食生活にかかわっているわけだ。
この時間より短いはずだ。
弱り具合から見たら、あといいところ2年かな…なんて。



2023年11月05日(日) 母、肺炎でした

 木曜に休診していたかかりつけ医に土曜日に行って、、母の肺炎判明。
影はそう大きくないのだが、炎症値がびっくりする価でした。
入院数値の一歩手前。
服薬静養状態です。
私の、母関連の公務が激増。
特にディサービスに行けないので、入浴ができない、清拭してますが、これが結構大変。
それと首がとても痛いらしくし、しかし、整形外科的には異常なし。(受診して確認済み)
旧知の横浜の鍼灸医さん、髄膜炎じゃないのという。確かに似ている。
また明日受診しようかなと。
93歳、旅立つのに不足なしだが、その時までは痛みなく楽でいさせてやりたいとは思う。 



2023年11月02日(木) 母、具合わろし・・てんてこ舞い

10月31日の夕方、ディサービスよりの電話。
お帰りになる前に発熱に気が付きました。38度あります。
おうちに上がらせてもらって、ベッドまでついて行きますが、よろしいですか、と。
けっこうです、よろしくお願いします、仕事がありますので…終わり次第に行って、様子を見ます。
で、その日の夜に行ってみたが、熱は下がっていて、次の日(11/1)も朝と昼は大丈夫。ご飯もおかゆとかリンゴのすりおろしとか、ゴマ豆腐だが、よく食べるし。
問題は首とその周辺、頭が痛い。

それでも、発熱はないし、明日のディサービスはやれると思って、電話をしていた夕方、発熱。
私は仕事で姪が駆けつけてくれたが、起き上がれない食べたくない、首が痛くて頭が割れそうだ。熱は37,6度。救急車を呼ぶほどでもない。

で、本日。またまた早起きしておかゆを作って、受診をするということ7時半出発。起こして、トイレ、洗面、食事、あれこれお世話して、整形外科と内科(かかりつけ医・レントゲンとってもらって、肺の状況を見たかった)へ。
しかし、なぜか、近接する内科は休診。
整形外科では、ストレートネックか、と思っていったが違って、年相応、むしろ呼吸器内科系の問題があるかもだから、受診した方がいい。
ということになって。
湿布薬もらってもどうしようもないけど、まあ、整形ってこんなもんと思っていたがやっぱりね。
薬局で首サポーターを買って寝たり起きたりが自分でできるように首固定をして、おひるごはんの世話などなど。
そんなこんなで、帰宅は13時半。
疲れましたよ。(こんな騒ぎのなかで1つ年を取りました (笑))
土曜、内科受診する予定、もう少し調子が上向いたら、母がその昔に通っていた鍼灸医さんへ予約入れて行く予定です。
寝たきりにしないようにしていかないと。
じゃないと、1泊の私の旅の楽しみもなくなってしまうし、何より本人が不本意だろう、たとえ認知症であっても。



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