| 2017年12月31日(日) |
去年今年貫く棒のごときもの 高浜虚子 |
今年も、とりあえずは、これ、です。 この虛子の句、好きですわ。 朝から大きなへまをした。 実家わんこの目やにがすごいことになっていたので、切っていたのだが、いやがるわんこさん、顔を動かしたので目尻を傷つけてしまい出血。 これは、クリニックか? 慌てたが、何とか止血したけど。 楽ちゃんには悪いことをしました。 それでもそこそこに切って、お尻のウンコをきれいに拭いて、くしけずり、デリシャスなご飯を置いてきた。 膝に乗せてなんとか押さえつけて切ったのだがすごくやせていて、びっくり。義妹に聞いたら昨年より五〇〇グラムも少なくなっているとか。 ペットクリニックの先生曰く、年を取って筋肉が落ちた結果で病気でないのだとか。 悲しくなった。 あの子も14歳で、マルチーズの平均寿命は15歳だというし。 とりえずは、あの子が虹の橋を渡るまで散歩はしよう。
帰宅して掃除、さらっとだが、上から下まで。 玄関は水まきして清めた。 15時20分掃除完了。 大急ぎでお風呂の支度をして出発。 まずは弟のところへ。新年のカレンダーを持って、看護より頼まれていたガーゼを三セット持って、お正月飾りと新しい靴下。 私が「明日から新しい年が始まるよ」「きょうは大晦日だよ、昔はご馳走食べてお年玉もらったね、思い出して眠ろう」 等々話しかけるも「眠たい」「うるさい」だって。 明日も来るよ、といったら、大きく首コクン。やっぱりうるさい姉でもくるのは嬉しいのかなあ・・・ で、17時までの寺宝温泉。 1時間たっぷりつかってきました。 イッサが玄関で待っていてニャアニャア鳴くことよ。 今も私の横の本棚の上で私を「見張って」いる。 さて、お大師様やお不動様、お伊勢様、亡弟や父へささやかに御神酒を上げて、私の晩餐も用意しましょ。 猫たちもプチご馳走で。 ゆっくり本を読みたい。 そして、早めに寝たい。 明日は早起きして初詣。 きょうは寺宝をでたら、夕焼けが広がっていた。 いい年の暮れだ。 だだ、雲の様子が不穏ではありましたが。
また一年が過ぎました。 ありがとうございました。 読んで下さっている方々も、何卒よいお年をお迎え下さい。 そして、そこまできている新しき年がすばらしいものでありますように。
フツーに7時に起きて、8時半くらいから、塾部屋の片付けをしつつ到着荷物待ち。10時過ぎには荷物を受け取り、弟のところへ。 9時にさっさと皮膚科受診に施設職員がいってくれてて、のみ薬はもらってきていないし、あとは塗り薬で様子を見つつ日にち薬だと。 よかったわ。熱もない。 姉ちゃん、帰ってきたよ、熱を出さないでよく頑張ったね。 目を閉じて寝ていたのだが、うんうんとうなずく。 どうやら朝からの受診でつかれたようだ。 見ると、お正月に着せてとお願いしておいていった新しい肌着と上着とを着ている。 あれ?というと、もしかして1月1日に熱が出て、入浴がなかったらダメなので、きょう着せましたと。 ま、いいか。 肌着は一足はやくお正月だ。
買い物をしてうちに帰ると、お昼だ。 お昼を食べて少々休憩。 次は、姪のところと蒼柴神社に無事に帰りました報告。 次に実家で、わんこ散歩とお土産おいて母のお正月手料理をもらって、従姉のとこへ。 猫のお世話御礼と、お茶を飲みつつ旅話を少々。 4時になりそうだったので失礼。 帰りに、灯油と松や花。あれこれ、めちゃ混みのスーパーやコメリで。 帰宅して、5時少し前、町内会仕事、市政便り配りをしていたら17時15分だ。 暗いわ。 しかし少しだけ日が延びた。 きょうの予定は2階のそうじなんだけどおわってないわ。 もう少しがんばります。
| 2017年12月29日(金) |
無事に帰宅・・最終観光地は太宰府天満宮 |
雪がどんなであろうか、と戦々恐々としていたのだが、さして無くてやれやれホッと。 いつもチヨが大喜びで玄関でごろごろするのだが、階段途中でフランス猫座り(かっこいい座り方)で、私を眺めている。 イッサは例の如く階段の上で円くなって、眼を細めつり上げてぶんむくれ気味の顔。 はいはい、7泊8日だもんね、猫でも怒るよね。 2匹の好きなカツオのナマブシを上げて、ホットカーペットがすごいことになっていたので直し、ブラッシングをして、首輪がとれていたチヨに首輪をして。しばし、だっこしたりおっかけっこし。気が済んだらしく、2匹で思い思いの事をしている。
さて本日。 8時15分、吉野ヶ里温泉ホテルを出て普通電車で二日市へ。 ここが太宰府天満宮の最寄り駅なのだが、まあ不便。 西鉄とJRが乗り入れていない。 時間に限りもあるしタクシーで向かう。 タクシーのドライバーが親切な方で、帰り道のこととか色々と教えてくれた。 さて太宰府天満宮、まあ人の多いこと。 でも、聞こえてくる会話は日本語より中国語、韓国語、タイ語、あとフィリピンのタガログ語? 東南アジアの香りがむんむん。 で参道筋の梅ヶ枝餅を買って食べ歩きしている。 立派で大きな天満宮ではあるが、人の多さでありがたみはイマイチ。 でもちゃんと参拝しました。 ご本殿わきには、受験生が親と一緒にご祈祷してもらおうとかなりの数待っている。 ご祈祷していただいたら、あとは自助努力のみ、がんばれ受験生。 本殿横道に入るとぐっと人が少なくなって、道のままに行くと天開正一稲荷社。 けっこうな山の上。 荷物を背負って持ってだったのでお社の前についたら汗が出ていた。 でも気があるところで、さわやか。 人も少ないし。 参拝後におみくじをひいたら・・・何と、内容が天満宮でひいたものとかぶる。 どちらも小吉・末吉だったか・・で、転換期とか変化の時だと。 そうなのか・・しかしそれとて自助努力。 変化・転換をしたいとは思うが、実行だね。 神様は応援しているよ、のサインかな。 天満宮は、蒼紫神社のわきにお社ある、そのとなりには確か正一稲荷さんともうけど、やっぱりお社がある。 両方とも蒼紫神社と共にお参りしているので、おみくじ内容がかぶったか? 帰りは私も梅ヶ枝餅をかじって西鉄乗り場へ。 梅ヶ枝餅、餅というより小麦粉多めの餅みたいな感じで焼きたての時が旨さの命っていうお味。 おいしかったけどね。 博多でゴマサバ定食なる鯖づくしのご飯を食べつつスマホを見たら、架線事故による新幹線の遅延が表示されていて焦った。ならば、と予定を繰り上げ13時33分発に乗るつもりだったけど、13時10分に。 最初は4分程度、しかしすっかりとりもどし、予定通り着。 ときは、長崎で指定を取っていたので気持ちにゆとりがあった。 長い帰宅道中。 13時10分発で20時37分着。 13時33分でもOKでしたけどね。 飛行機だと、開戦したらどうする?とか荒天だったら飛ばないとかリスクがあるけどはやい。しかしまあ、時間はかかるが一番安全ではあった。 九州は遠いね。 猫たちの面倒を見てくれた従姉にお礼。 きょうもきてくれたらしいが、チヨがカーペットの下に潜って行方不明、捜したと笑っていた。 そりゃね、イッサとカーペット上で大暴れしたらしくて、フリース毛布も猫トンネルもぶっとんでたわ。 さて、洗濯物干してお風呂入って寝ます。 明日から、日常大忙し。 でもま、ぼちぼち旅日記アップします。 とりあえずは、今年の目標であった42都道府県に1泊以上の足跡つけるの目標達成!!! 万歳だわ(^_^)
朝食の後、荷物をフロントに預けて歩いて3分の出島(復元)へ。 出島橋も復元(11月)されていて、誰も居ない太鼓橋を渡ると門番のおじさんは江戸時代コスプレであった。 一言にして言えば、当時の状況もわかり大変丁寧な展示の数々。 オランダは独立を失っていたときがあったんだね、ナポレオンの時。 そのときも出島では商館長がオランダ旗を揚げ続けた。 とか 上記ような状況で船が出せないときは、アメリカとかイギリスとかの船を雇って出島へ来ていたんだって。 だから実質オランダだけではなかったんだよね、日本に出入りしていたのはさ。 このあたりから、明治維新への小さな布石が始まっていたのか? とにかくおもしろかったわ。 もう一度長崎に旅することがあったら、もう少し時間をかけて展示されている資料を見たい気がした。
11時20分の電車で佐賀へ、乗り換えて吉野ヶ里遺跡公園。 最後の未踏県だ。 吉野ヶ里遺跡は田んぼの中。 荷物をコインロッカーに入れて、駅で教えられたとおりにぼちぼち歩く。 駅から20分ほど歩いて着。 あまり人が居ないって言うか閑散期。 だから、中で案内している人とか掃除している人とかがまあ親切で親切で((^_^)) 出島は文献資料に基づいた復元だからいいけどさ、ここは・・ほとんど妄想域。 復元の資料は、銅鐸や土器などに書かれた素朴な絵。 それと、中国の短い文献資料。 やり過ぎだねえ・・・ ただ甕棺が出たところはそのままの状態で保存。 あれは圧巻でしたが、しかしだれも居ないところで甕棺がどかどかどかんと並ぶの見るのって、けっこう怖かった。
駅まで戻りタクシーを呼んでもらって吉野ヶ里温泉ホテルへ。 そばに日帰り温浴施設が着いているホテル。 佐賀も温泉県ですが・・・ここは塩素のにおいがけっこうきつくてイマイチでした。 ここのお食事処、生ビールが250円なんですわ。 これに感動しました。 で、つい2つ飲んでしまいました。 ま、お祝いだし。 これにて47都道府県制覇完了。
軍艦島の午前を予約していたが、波が高くてダメ。 見たら、11時40分発高島行きがある。 高島は、軍艦島の本拠地? ていうか、明治よりの炭鉱の元祖である。 確か昭和の終わりまで(帰宅後調査、昭和61年まで)操業していたはず。 軍艦島は既視感がある。 もちろん行けばいったで行ったリアルがあるだろうが、よし高島に行こう! と決めて、窓口で聞いたら、島に四〇〇人ほどの方がお住まいなのでこの便は生活便です。 なるほど。 予定を変えて、市電でグラバー邸方面へ。 午前に大浦天主堂とグラバー公園。 大浦天主堂とグラバー園は隣り合っているのだね。 要するに和親条約後の「岡出島」だわ。 しかし絶景の地。 長崎湾が一望できる。 グラバーを初めてして幕末から明治、まさに長崎はこの高台から「管理されていた」印象。
時間にもどって高島へ。 30分ほどで着。 簡単な歴史・・コピペです 長崎へ寄港する外国の蒸気船の燃料として石炭需要が高まったことを受け、長崎沖の洋上の高島において、貿易商トーマス・ブレーク・グラバー(グラバー商会)が佐賀藩との合弁によって本格的な海洋炭鉱開発に着手。 日本ではじめて蒸気機関による洋式竪坑「高島炭坑(北渓井坑)」を建設した。 てなわけで、その渓井坑の遺跡?へ。 わざわざ見に来る人は珍しいのか、巡回バスの運転手は何度も聞くが・・ハイ。 ホントに、しかし、遺跡だ。 当地の明治初年の油田開発の遺跡の方がまだまし?という感じ。 しかし、この小さな島のここから日本の石炭掘りが本格的に始まったのだね。 歩いて15分ほどのところにグラバー別邸跡がある。 この高島炭鉱はグラバーから後藤象二郎、誤答もうまく運営できなくて岩崎弥太郎(三菱)に渡った。 経営を軌道に乗せたのは岩崎である。昭和まで、この別邸は三菱所有で残っていたらしいが、取り壊されていまはない。その資料もあまりないらしい。 今は陸続きだが、グラバー時代は高島に付属する小島で、グラバーは密談場所としても使用したとか。 そんな感じの場ではある。 今は松が風になり、ただただ海の青さが印象的な場。 そこから、急坂上り、島半周コースへ入る。 人気はほとんど無い。 一人だけ、高齢の男性が散歩しておられたけど。 しかし、かつて使用されたアパート(炭坑夫さんの住宅)や建物、銭湯などがあちこちに残っている。 高島は、端島(軍艦島)とちがい自然島である。 だからこそ、こうやってまだ人も住み猫もいるが・・・はっきりって静かに朽ちている・・・「軍艦島化」している印象だ。 港の方へ歩いて行く途中に「いやしの湯」なるお風呂があった。 のぞいたら100円では入れるというので、もう100円でタオルも買い、入ることにした。 中には、75歳から80歳くらい(多分)の女性。 島の最盛期の頃、食堂をしておられたとか。 朝4時から上がってきた炭坑夫の人の食事を提供していた、こういうお風呂は島に何カ所もあって、ここが休みなら別のところに行けば入れたけど今はここしかないとか。 この地方の方言で聞き取れないこともあったけど、要するに今私が入っているお風呂はかつて炭坑から上がってきた人のためにやっていたようだ。 やがて、どうねんぱいか、もうすこしわかいひとがきてなかまうちでおはなしがはじまったのでわたしは出てきたが、何か「いいべんきょー」しました。
島から帰って、中華街へ。 ちゃんぽんを食べに。 もちろんその前に店の名物という春巻き肴にビール。 空気が乾燥しているのでビールうまし。
長崎2日目終了。
長崎は未踏の地である。 以前から来たいと思いつつ、意外と遠い、そしてなんだか縁がなかった。 昨年も、実は宿は取っていたんだけど、弟が大変だったしキャンセルした。 湯平発8時55分。 途中、まだ大水の被害から回復しないところがあってバスでの運転。 湯平は出るときに風花が舞っていた。 送っていただくときに「雪が降るんんですね」といったら「降りますよ、けっこう、タイヤはスタッドレスです」 だそうだ。 地震の時に自分の友だちの宿は再建できなくて閉めた、今は土産物屋をやっているとか。 そんな話を聞いた。 ホントに九州は大変だったわ・・・改めてお見舞い申しあげたい。 大分と長崎は意外と時間がかかったが・・・13時50分。14時近くには到着。 長崎駅、込んでいました。 さすがに観光県だ。 すぐに観光案内所に行って地図をもらい市電の3日乗車券とかないのか等々質問。 1日乗車券しかなかったが・・・これ、あまり得じゃないわ。 500円なのだが、一回120円なんで(何処まで行っても)5回はのらないと・・なんだが、意外と乗れない。 で2日目は止めた。 まずは、ホテルに荷物を置いて、平和祈念公園に向かう。 これが長崎の第1目的だ。 大波止(おおなみどめではない、おおはと)のホテルから意外と近い。 長崎は小さな町だ。 有名な祈念像の前までエレベーターがついていたりしてかなりなバリアフリーだ。 まずは手を合わせて祈る。 脳裏に丸木夫妻の美術館で見た絵が浮かぶ。 ただいまの平穏と繁栄はただただ多くの人の犠牲の上にある、それを忘れてはいけないことを改めて思った。 中国人若者グループ、祈念像のまねをして、大笑いしながら写真を撮っている。ものすごく不愉快。 爆心地でも祈り、資料館へ。 うーん、広島でも参ったけどここでも参ったわ。 それでも思う、広島に続いて何故長崎までも投下されねばならなかったのか。 更に、何故日本、そしてアジア人の上になのか。 以前トルコで「日本人は二回も原爆を落とされて何故アメリカとつきあうのだ、なぜ復讐をしないのだ」と言われたことを思い出す。 水に流しすぎだね、日本人。 民族の習性と言ってしまえばそれまでだが。
日が暮れるのが遅い。 駅まで行って、お土産それなりの量ゲット。 駅ビルのご飯屋さんで「一汁三菜定食」なるヘルシーなご飯を食べてホテルへ。 で、夜景見学無料シャトルバスが20時にでるのでそれを予約。 何と夜景見学のロープウエーは神社の境内にある。 夜景、きれいでした、でも寒かった。
こんな感じで盛りだくさんな1日がおわりました。
朝ご飯のあと、冷たい風の吹く中、高千穂神社を朝参り。 次はくしふる(漢字難しい)神社へ。 槵触神社(ネットよりコピペ)・・・読めませんでした。 伝承天孫降臨の地、というか、ニニギノ命が天下られた地ということ。 長いこと、ご神体はくしふる山で、拝殿を持たなかったらしいが、今は山の中腹にある。 バスターミナルより近いのだが、まあ急坂を歩いて行くので熱くなったが・・清浄な気が流れていました。
延岡に出てしばし待ちタイム。 延岡って、旭化成の本拠地なのね。 近隣地図を駅で眺めていて発見。 そうなんだ・・っていうかそれだけですけど。 大分で乗り換え。 久大線って、今回の旅を調べていて始めて知ったのだが・・大はどこかといえば大分、しかし、久は? 湯平温泉の宿のご主人が迎えにきてくれたときにそんな話をしたら、多分久留米では? そうだねえ。納得。 つまり、大分と久留米を結ぶ路線。 湯平温泉は、かの有名な由布院の手前の駅だ。 江戸時代からの湯治場・石畳が残っている。 何でここにしたかというと、由布院が中韓の人たちが多くて、感じ悪くなっているというのをネットで読んで、ならばということでこちらにしたのだ。 北海道で彼らの入浴態度が悪くていらいらしっぱなしなので、ハイ。 そんな話を宿のご主人にしたら、湯平も増えていますけど、まあルールを守ってお泊まりいただけたら、お客様です。 まあ全員が悪いわけじゃないし、その通り。 今晩は日本人の方だけですという一言がありましたが((^_^)) さて湯平温泉。 湯平五湯というのがある。 いわゆる湯治場によくある共同浴場である。 一回200円ではいる。 16時過ぎについて時間はある・・それに挑戦! 割引チケット五枚を500円で購入して上から1湯10分から15分で入りまくった。 基本無人だ、びっくり。 一人で、掛け流しの湯を占領して5つめの杉村温泉?だったかで地元のおばあちゃん達と遭遇。 無人をいいことにお金を入れないではいる人がおるとか、韓国人がでっかいバッグをぱくんと開けたら、トイレットペーパーが二巻はいっていたとか、要するにどこかから持ってきたようだ・・などと話を聞かされて盛り上がっていたら、宿の若女将が呼びに来た。 夕食のご準備ができています、と。 おっと、6時に夕食だっていわれていたわ。 大急ぎでもどって、ビールとお酒注文。 大分和牛もついていて、おいしいご飯でした。 お酒は九重で造っているもので湯平ラベルを貼りつけた「ゆのひらの旅人」。さっぱり系で、おいしかった。 ここの宿は古い小さな宿だが、若夫婦が二人でやっている。 相似はきちんとしているし、料理も心がこもっていてよろし。 あと20年もたつと、新築で大きくしているんじゃなかろうか。 そんな働きぶりだった。 「働く」ということの初心を改めて思い出した。 わきを川が流れて、しんしんと寒い。 でもおかげさまで五湯巡りとおいしいお酒で爆睡でした。 大分には、宇佐八幡宮の参拝にきたことはあるのだが、お泊まりは初。 大分クリアです。 湯平、福島の飯坂温泉に似ている気がした。
| 2017年12月24日(日) |
四国から延岡・・高千穂へ |
6時の善通寺のお勤め。 寒いし、真っ暗ではあるが、きりっとします。 昔より知っているお坊様が本日のお勤めの中心。 お経がおわる頃には空が白んできている。 朝食に行く前に、タクシーを頼もうと宿坊のフロントで声をかけたら、家のお坊様。 あれま、偉い方が出てこられましたね。 お久しぶりでございますとご挨拶をして年末にはできるだけ参籠させていただくようにしています、などと話した。で、タクシーを呼んで欲しいと。 駅か、それなら帰りだし送るわ。 エーーーではあったが、甘えた。 乗せてもらいつつ、きょうは九州まで行くとか、弟が亡くなったので、家族の介護しつつこうやって出られるときはでているなどとはなしているうちに駅に着いた。 お礼を言いお別れ。 ゆとりで電車待ち。 7時38分特急南風。岡山で九州新幹線さくら乗り換え。 小倉で大分行きの特急ソニック、大分で宮崎行きの特急にちりん。 遙かなり延岡。 延岡に着いたら15時の高千穂行きのバス。 旧道まわり、谷間を行く。雨がしょぼ降っていて景色は煙っている。 その気配は何故か熊野に似ていて、神様にご縁が深いところは似ているのかねなどと? 日の影村につくと高地、いわゆる古代から続く高地集落系だ。 高台をバスはどんどん進む。 所要1時間半。 宿着16時40分。 宿で、きょうのお客さんはお一人だから、申し訳ないが、お風呂は部屋でお願いするね、といわれた。 そうか、年末に高千穂くんだり(失礼!)まで来る物好きさんは少ないんだね。 宿を出て夕食場所を探すがない。ついにとなりにあった居酒屋でチャーハンとサラダ。 それで19時過ぎに高千穂神社着。 参拝をして会場へ、700円を支払って入るが。 しかし誰も居ない。 一番乗りだ。 一番前の真ん中に陣取ってスマホで遊んでいるうちに20分前くらいからそれなりの見物客がきた。 演目は天岩戸隠れ、タヂカラオ命の舞・アメノウズメミコトの舞・最後は円満和合の舞(エロい系) エロい系の前に、お客さんに色々と仕掛けますが、セクハラではありません、などというお断りが入って、そういう世の中なんだね、都妙に感心?(^_^) は、真ん中一番前に座っていた私メ、タヂカラオさんに抱きつかれましたわ、私もありがとね、ってハグのお返ししてやりましたわ(^_^)(^_^) 一言で言えば、おもしろかった。 一晩やる夜神樂は12月中旬の今年分は完了で、これになったのだが、一晩バージョンが見たいと思った。 いつかまた。 一つだけ驚いたこと それは、岩戸隠れの舞のところで出てきたタヂカラオさんが白い面で金髪だったこと。 ヒエー、だった。面は彫りの深い外人さん系が多いのだが、それにしてもこれはまんま外人やん。 天孫降臨は、異民族侵略の歴史を伝えているっていうけど、そうかもと妄想しましただ。 チヂカラオさん、岩戸開きのところでは赤面で黒髪になって登場する。 それは岩戸を開ける力がみなぎって赤面になった、ということだろうと思って見ていたのだが、あとの解説を聞くとそれでよかったのだが・・最初の白面と金髪には本当にびっくりだ。 他に見ていたお客さん、何にも思わんかったのかしら?
静かな静かな高千穂の夜の道を帰って寝につきました。 本日今夜クリスマスイヴ・・宿の女将さん、お隣の居酒屋でイヴケーキとカラオケで盛り上がっていました。
朝イチで破磐神社さんに参拝。 氏子さん方の年末掃除の真っ最中。 10時17分の新幹線で、Dさんとさよならして四国へ渡った。 瀬戸大橋を渡るの、気がつかなかったので少しは寝たようだ。 松山からのヒサコさんをうどんを食べつつ待つ。やはりうどん県、駅のうどんでもうまいわ。 10分ほどで久子さんと合流。彼女も私と同じ、梅干しととろろ昆布ののったうどんを食して「おいしいね」と。 高松築港から長尾、駅前からタクシーで供養の碑まで行った。 いつも、ここでたまちゃんご家族と会うのだが、今回はたまちゃんパパの体調が整わなくて見送り。来年はまたここでお会いしたいものだ。 供養の碑で、まわりの枯れ葉を拾い、久子さんが持ってきてくれたお菓子や蜜柑をお供えしてお線香とろうそく。読経。 火が消えるまでそばで当時のことやお布施をしてくださった方々の名前を眺めつつ思い出話。 それなりの数の方が旅立たれた・・・2005年から13年目かな。2005年が酉年で・・だから、酉年守り本尊のお不動さんを芯石に彫りつけていただいたのだ。 遍路館であれこれ話して、またタクシーで長尾へ。 高松から善通寺。 善通寺で1泊だ。 善通寺の夜は静か。 でもお泊まりの方はそれなりにいるけど・・ね。 善通寺は、やっぱり長くお参りさせていただいているせいか、ほっとする。
| 2017年12月22日(金) |
さて、出発だ・・まずは姫路忘年会 |
7時台の新幹線。 猫たちはたんまりおいしいご飯を上げてごまかして・・しかし、イッサはわかっているらしくあきらめた気配を漂わせて、ホットカーペットこたつに入った。 まずは、川崎の親戚へ。 一駅前に降りて、川崎大師へご挨拶。 すたすたと歩いて20分。 大叔母の命日が明日。 久しぶりにお参りをして、と思ったのだが・・・お参りあとに、親戚のやっている事業の大赤字ぶりをきかされて・・めげた。 うーん、何もしてやれないけど。 話を聞くだけだ。 お昼をご馳走になって、呼吸法レッスン。 16時10分品川発のひかり。 姫路着19時40分。 破磐神社の宮司さんと姫路住人のDさんとYさん。 姫路の日本酒とお料理、おいしくいただきおしゃべり。 楽しい時間でありました。 旦那さんがゴルフでお留守のDさん宅に泊めていただき、ハイ、またおしゃべり。 ずっとずっと睡眠不足であるのに、よくもなあ・・ですよ。 お風呂にゆずが・・歓迎の旗をつけて浮いていたわ。 気配りのDさんです。 そうだ、きょうは冬至である、と思い出した、もちろんもはや23日の夜中でしたが。 お日さまがもどってくると思うと嬉しいね、と思った。
。
明日から一週間の旅。駅に電車チケットを求めにいった。 ジパングクラブの割引があるのでやっておかないと面倒なことになるので。 何しろ経路がややこしい。 長岡を出て東京経由で姫路へ。 川崎の大伯母の命日が23日なので、久しぶりにお参りをする。 翌日は高松・善通寺へ。 供養の碑を参拝してから善通寺泊。 翌日は朝からずんずんと九州へ。延岡着。バスで高千穂へ。 高千穂一泊。 翌日は湯平泊(湯布院の奥座敷とか、江戸期の石畳が残っている) 次はずんずんと長崎まで.二泊。 その後は、吉野ヶ里へ.一泊。 こんな感じで一週間が過ぎていくはず。 吉野ヶ里のあとは新幹線で長岡へ戻る。 飛行機をとも思ったのだが、もしも戦争が始まったら日本海側の飛行機がヤバいだろうと。 ずっとブラッディクリスマスといわれていたからホント心配していたが・・今のところ始まっていない。 ありがたし。 で、本日の野澤君と田村君。 どちらも、JRに入って数年以内の若者であろう。 で、窓口で私のチケット手配をしてくれたのは田村君。 なんだか心配で貴方、鉄道オタクではないでしょ。 はあ・・・九州は路線が複雑だしそういう人がいいなあ・・・・おばさん怖いものなしでいう。 しかし田村君、真剣にがんばった。私がつくっていった紙を見て、やってくれた。(45分かかったぞ) で、発券するのかと思いきや、 「こういうのを連続で入れたのは実は初めてなので、他の者のチェックしてもらいます」 オオ、誠実なお仕事ぶり。 で、オフィスから出てきたのが野澤君。 見るからに鉄道好きそうなかつ頭良さげ系の多分田村君と同期。 彼が、分厚い時刻表で全てチェック。 OK. そして発券。 田村君は善通寺までのチケットの日にちが1日ちがいで有効期間ぎりになったのでまた取り替えてくれた。 微妙にチャライ系の香りも漂わせている田村君、ちゃんと仕事してますわ。 ここまで、だいたい一時間かかりました。 支払った金額は六万円と少し。 ほう、思った以上にお安い。 ジパング倶楽部の三割引は効くなあ。
切符を持って、弟の施設へ。 37度台に熱があるが、話していたし、眼の動きはよかった。 施設の職員からはいざとなれば私らが病院に行きますから楽しんで来て下さいといってもらえた。 保険証のたぐいを預けて本人の顔を見て、新年肌着を置いて退散。
塾21時半まで。その後、掃除だ。 従姉があまりの汚さにびっくりするわ。 で、旅支度。 今晩も12時過ぎだね。 でも、アドレナリンどばどば、である。 大丈夫だろうさ。笑 てなわけで、しばらく更新ありません。
| 2017年12月19日(火) |
弟の熱36度代後半から37度台前半 |
リハにいって、皮膚科受診へ。 血液検査をするといわれて検査室に行くも、検査医技師達下手で血管を探すことができないで、両手に無駄なはりうちして、弟をギャーギャー言わせるので、私怒る。 もうしなくていい、検査しないと飲み薬出せないのなら塗り薬だけもらって帰ります。 診察室にもどると、感じのよい女性ドクター、熱が下がっても炎症値(CRP)が高い人がたまに居るので調べたいのです、飲み薬もそれに応じて出したかったのだが。 やりとりを聞いていた皮膚科診察室の看護師さん、私がしてもいいですか。 いいですよ、貴方はうまいの? それは・・ といいつつ、彼女は成功。 よかった、よかった。 採取した血液(5CC)を持って彼女が走って行ったあとに、検査技師さんたち下手ですね。さすが看護師さんですね。彼女、療育園の看護師さんになれる! と私。 ドクター苦笑い。 療育園は、小さな障害のあるお子さんの採血なので、看護師さんたちは細い血管をさがして見事に1回で成功させるのだ。 さてCRP値・・何と17.4もあった。 本来0に近い値が正常値だ。 うーん、ドクターのいうとおりであった。 薬は出しますが、値的にって、来週もう1度受診して欲しいのですが。 来週は無理です、旅行に行きます。 30日なら・・・ やってはいるけど・・もうそこまで行くとね・・・ まあ、ようすを見て薬が切れてまた熱が出たら。 ということで。 施設の方で、いざとなったらしてくれるらしい、という話に。 まあ、行けそうかな。 療育園のドクターも皮膚科のドクターも発熱のピークは下がったようだとはいう。 弟には「姉ちゃんが帰るまで熱は出さない!」といい渡した。 さて、温泉にいた母を迎えに行って、送って帰宅したのは14時。 朝はバナナ1本と抹茶ミルクだったので、餓えているわ。 てんこ盛りご飯を2膳、30分爆睡。
昏い暗い日だ・・ホントに今頃のこの陰鬱さは嫌だわ。 仕事して、年賀状書いて、掃除や洗濯して(昼間できなかった)また深夜就寝だね。
| 2017年12月18日(月) |
弟、夜中に38度台に |
母の歯医者受診日。 送って帰宅したら、施設の看護課長より�筺� 夕べ、38度5分前後推移だったと。 皮膚科からの発熱ではないかと思うので、受診を勧める、と。 しかし、皮膚科対応の褥瘡的な箇所は、施設の職員の補正靴のはかせ方が悪いからできたものだ。 私、きちんと抗議したわ。 だって、この問題は以前からだ。 謝られたけど、課長のせいではないんだけどね。 で、例の死に病院ならぬ、西病院の受診を勧められた。 皮膚科なら、女性の先生で、いい感じのドクターだったのを覚えているのでいいけど・・・・ しかし、時間の関係でお昼からの内科しか、といわれて。 勘弁してください、と。 福居ドクターなんか闇夜で会ったら、蹴り入れたいくらいに今も腹立てていますしね、と。 結局明日のリハのあとに皮膚科受診となった。 長イモのポン酢漬けをつくって母を迎えに行き、送り。 わんこ散歩して、施設に行った。 熱は37度1分。 比較的すっきりした顔をしていた。 で、眼をあけていたので「あのさ、姉ちゃん、あんたが熱でていると旅に行けないし、出さないでよね、元気でいて欲しいわ」 そう言ったら、うなずいていた。 やれやれだ。 こんなことをしていた13時過ぎた。 郵便局から荷物を出して帰宅したら14時近い。 お昼寝少し。 17時半より20時半まで本日は振り替え仕事あり。 旅、行けるかな・・・ 頼むよ、弟クン。
姪夫婦の娘3歳、本日お誕生会。 嫁ぎ先のお母様・おばあちゃん達と、義妹と我が母などなどでランチに呼ばれてきました。18日がお誕生日です。 食が細くて標準より小さいのだが、元気いっぱいでかわゆい。 保育園に行くようになったら、兄(小2)の面倒まで口先で見ている。 女子は立派です。
13時半、義妹と母を積んでおくって、私は家で長時間お昼寝。 目が覚めたら5時半。 3時間以上して、すっきり。 つかれているなあ・・・でした。
朝イチで、7月に忘れていていきそびれた御岳教の亡き弟の友人の神主さんのところ伺ってお参りしておしゃべりを少しだけしてきたが・・・帰る道の真ん中に猫発見。 送りに出てくれた神主さん曰く「あれはノラで、このあたりで暮らしていてもう5.6年になるよ」との話。 たまにとなりの人がご飯を上げると、毎日欲しいと来るので困ったとか言っていた・・と。 うーん、気になった。 連れて帰ろうか・・なんてホントに一瞬思ったけど、家の2匹だっていい年だし、仲良くできるとも思えず、ストレスだろうし。 あの子だって仔猫じゃないし。 仔猫なら、育てて里親さんを探せるのだが・・・ しかしまあ、ここで、この厳しい自然の中で生きているというか生き延びてきたのだったら、いいのか?? 相当に後ろ髪を引かれる思いで帰宅。 猫にも、持って生まれた運があるわ。 うちの子達だって、捨て猫のノラさん。 隣の隣の隣のお家の方とその隣の方が共同飼いしているニャンちゃんもノラで車庫猫して面倒見てもらっている、2軒の家の方に。 あの子が家の近隣にすてられていたなら、もっと暮らしやすいだろうに・・・ 運、あります。動物にも。 イッサが、もらった餌が気に入らないと文句鳴きするのでお説教をしたわ。
弟の発熱36代後半から37度少々。 どうやら、誤嚥性肺炎ではなさげだ。 38度近かったら、行って様子見をしようと思ったが、下熱しつつあるようなので、行かなかった。 もしかして水分不足か?と思ったので電話でやや多めの水分補給を頼んだ。
寒い1日。 元気になったし、少し月末仕事します。 年賀状も書かなくては、だしね。
ホントに苦手な季節だ。 今朝は朝から、眼科の定期検診。 来春4月にも診察予約。 順調らしいのだが・・・薬局の方が福島先生は1年は様子を見ますよって言っていたけどホントだわ。 ま、いいけどね。
その後実家へ。 わんこ散歩とはいいながら、小雨の中でウンチをして早々に引き上げ。 おかずはタマネギを放置して馬路村ポン酢かけにしたもの。 タマネギを30分放置しておくとなんか、血液さらさら成分が増えるとかで。 放置はしかし、辛みを減少。マイルドになることは確かだ。 今の時期、血流は大事だから。 私もこのところ毎日のように食べている。
弟の熱、37度から38度を行ったり来たり。 誤嚥でもなさげだが・・しかし?? 私、食べさせるのはキッパリ止めたのだが。 だってまた口に何か入れて、誤嚥・発熱で苦しむのを見るのはごめんだから。 もちろん食べること自体ではなくて、つばや痰でも誤嚥。 忘年ランチ会の行きがけに弟の施設によって母弟に面会。 そのときに、爪の垢ほどのチョコレートを口に入れてやったのだが、ぺろっと出した。 何だかほっとした、母の前でもう食べないという意思表示したようで。 11月の入院で目を開けない本人に開けてないと死ぬよ、生きていたいんだったら目を開けようといったら、首を横に振る。 「もう生きていなくてもいいのか」とたずねたら、こくんと頷く。 食べさせてもらえない、という諦念なのか、と切なかった。 私に機嫌が悪いのも姉ちゃんは食べさせてくれないという怒りなんだろうと思っていたし。 母の前でのチョコレートペろだしは私の決意が間違っていないということだと。 最近は日参の神社で 「今生・来世まで弟をお導き下さい。定命の時がきたら、速やかに痛み苦しみ恐れなくお迎えを、そして亡くなった弟や父祖母に再会して、一緒においしいものを沢山沢山食べて速やかに来世に生まれ変わって今生果たせなかった弟の夢や希望を叶えさせてやって下さい」 とお祈りしている。 沢山の夢や希望がある、あったのに・・・来世は果たせよ、と念じている姉である。
さて、本日当地の附属中学の合格発表日。 4人とも、受かった。 やれやれ。 明日蒼柴神社の天満宮さんにお礼を申し上げねば。
来週のお出かけ黄信号だ。 午後からまた発熱だって�筺� 38度台だったのが、カロナールで37度真ん中。
誤嚥?といっても、私、何も最近は上げていないのでつばと痰。 今晩は枕元にスマホを置いて寝ないと。 また入院とかになったら、来週金曜からのお出かけに黄色信号だ。
お日さまが出た。 ほっとする。 実家わんこさん、しっぽを旗のように振り立てて喜んでお散歩。 誰でも嬉しいよ、お日さまは。 家のネコさんたちも、ホットカーペット炬燵から出てきてお出迎え。 もっとも、彼らは私が帰宅すると、好物の猫鰹節(塩分がぬいてある)とかチュールをおやつで上げるからだとは思うけど。 イッサは珍しく今日は塾部屋に降りてきている。 最近はもっぱら寝ていたんだけど・・子どもたちにイッサは?と聞かれても、 8歳の高齢猫になって睡眠時間が沢山になったんだよね。 とかいって。 弟が逝ってから8年たったんだなあ、夜半にイッサの喉をなでながら、よく思う。
本日の雪は風がなく、ふわふわと天より来たるって感じで。 こういうふり方は積もる。 で、実際に積もっていたけどね、実家のあたりは。 このあたり(旧市内)と実家あたりの山際はふり方も積もり方も違う。 忙しや・・・でもこの忙しさを超えないとお楽しみはこないのだわ。
小さなお子さんの解剖ご遺体にレジ袋をって、どういう神経なのだ? 小さいので合うサイズがなかった(体液などを受けるらしい)って言い訳したようだけど・・・・提訴検討という親の気持ち、わかります。 保護猫多数の里親になり、その猫たちを虐待して殺したり負傷させたってヤツの裁判、執行猶予が付いたわ。 ニュースをよんで「ぶちこめ!!」って、逆上した私がいました。 許せない!
なんてこと思いつつ、しつつ、日が暮れて仕事をして夜が来て。 1日がおわり、寝につきますが・・・忙殺だなあ。
| 2017年12月12日(火) |
いつもの日常とはいいながら・・・本日も暴風雪 |
母を拾って、弟リハ。 また母を温泉から拾い、帰途へ。 亡弟のところにお供えしていた伊勢の赤福を義妹と三人で食べて帰宅。 亡くなった弟、赤福が大好きだった。
お天気は新潟の天気としてはフツーだけど、やっぱり寒いし、薄暗いしで苦手。
| 2017年12月11日(月) |
年末恒例お伊勢参りより帰宅 |
日曜の朝出て、呼吸法レッスンを2回受けて伊勢に。 伊勢着19時過ぎ。 ホテルの前で食事をしてホテルへ。 駅前なのと、広いお風呂があるのと、外宮まで徒歩5分ほどなのが気に入っている三交イン。
早朝6時に起きるつもりが、緊張していたのか5時50分には起床して身支度。 日の出前についてもまつことになるので、6時46分の日の出タイムに合わせて出た。 伊勢の参拝にしかつわない洋服、イヤーきつかったわ。やせんとね・・・反省。 外宮参拝6時50分過ぎ。開扉と共に。 いつも思うのだが、外宮は厳しいきりりとしまった気分になる。 別宮三宮を参拝してバス通りに出たら、ちょうどよく内宮行き。 内宮は、入り口で鳥居の上に上がるお日さまを待っている人だかり。 私は毎年拝見しているので、ずんずん。人気のほとんどない参道を気分よく。 内宮は7時半過ぎ、ここはホントに優しい気分にさせていただく。まさにいやしろの地。 荒祭宮様に行く途中にお日さまがさしてきて、その光の清浄なこと! 伊勢は特別な地だと再実感。 崇敬会館で少々お土産を購入して、タクシーでホテルへ。 いつもは月読宮・月夜見宮と参拝するのだが、今回は、伊勢の名高い名所?石神さんへ行くことにしたのだ。 不便な地で、1日2本のバス便。それが鳥羽発9時49分、それに乗るためには9時過ぎには宿を出ないとで。
さて石神さんですが。 沢山人がいたわ。 そう、あの野口みずきさんアテネで腰につけていたお守りのお宮さんです。 女性の願いは1つ叶えてくれるというお宮さん。 願い事のある人が沢山いるようで、賑わっていました。 海女さんの町・なんですね。 命がけの漁で腰につけるお守り、ということですわ。 相差(おうさつ)とよみます。 ホントにお社の中に、浜に上がった霊験あらたかな大きな石がお祭りされていました。 非常にプリミティブな信仰の形。 私もちょこっと願い事があるし、作法にしたがってしてきました。
夕方5時半、東京着。 東京の友人と精進落とし。 彼女は飲まないけど、私はビールをどんどん。 更にお肉とか、香りものも精進していたのでスパイシーなポテトやローストビーフのつまみ。 おいしくて楽しゅうございました。 穏やかな日和の中で参拝できたのに長岡に帰ったら、暴風雪。 広いわ、日本。
朝から降っています。 今日は、当地付属中の受験日。 朝、蒼紫神社で手を合わせてきた。
猫たちはご飯だけ食べると、またホットカーペットこたつに入っていく。 寒い日は本当に動かなくなったわ、うちのネコ。 年だね。
サッチーが亡くなった。 あっという間の大往生のようだ。 悪い人的な売りだったが、意外な最後でホントは善良なる部分がそれなりに多量にあったのか、と思った次第。 うらやまの逝き方だ。
今日は受験の子が2名お休み、少し早めに仕事完了の予定。 嬉しいけど、明日はお伊勢様早朝出発なんで、準備せねば。
それは、東日本大震災の3県に積み立て寄付金を送ること。 毎年各県2万円。 今年で6年した。神様との約束は10年だったので、あと4年はがんばっておくれるだけの働きをせねば。 今年は500円玉寄付用準備金がほぼペットボトルいっぱいになったので、銀行で計算してもらったら、何と四万近くあった。 時々わすれるけど、毎月こちらは500円1つを入れていた。 で、夏にできなかった大水害の大分県と東峰村へ1万円ずつ。 赤十字には送らぬ。県庁だ。 少し手間がかかるけどね。 赤十字の義援金や募金は公の会計報告がない。 皇族につかわれているという噂が根強くあるし、民主党政権の時辻元が横流しした、という噂もあるし。 腹が立つとこには送らぬ。 ブックサンタもしたし、口と足で描く芸術家協会の品も求めたし。 新潟動物ネットワークのカレンダーを買って、寄付も若干したし。 私的年末大感謝祭完了。 胸張って、お伊勢参りに行ける。 数日前から、肉食断ち、できるだけ菜食にしている。
お日さまさんさんの中で猫たちとお昼寝2時間。 充電しました。 沖縄22度とかいう天気予報耳にすると、うらやまし・・・でしたが、本日現在はそういう気分消滅。 元気に仕事します。 猫たちのまったりと平和的な様子はホントに癒やしです。 基本、チヨはイッサのまねをし、イッサは私のまねをする。 だから、私が南側の障子を開け放って明るいお日さまの下で寝ていると、自分も窓辺で寝るのだが、暑くなって床にもどってぐたーとしている。 私は最終的に暑い方が好きね、多分。
明日からはまた通常の雪国の暗い日々のようだけど、冬至を過ぎれば明るさがもどる。。 さて、仕事の準備はできたし。 年末までの仕事やあれこれスケジュールをつくろう。 お日さまさん、ありがとう、元気だわ。
思ったより、早めに雪降りさんが切り上げた。 やれやれだ。 うちのネコ共、完全に冬眠猫態勢だ。 食事の時と、私と少し遊ぶとき以外、ホットカーペット炬燵の上。 あの子達も年取ったわ。
NHK受信料問題、合憲だそうな。 さて、不払いの人、どうなるか。 家はテレビ撤去だからいいけど。 そもそも高市さんが総務大臣をやめる前に、NHKの解体も視野に入れた改革をいっていたが・・・ 野田聖子は何しているん?
寒い。 薄暗い。 まさに12月の典型的な新潟の1日。 私の苦手な日。 弟リハ、母を例の如く寺宝に置いて。
明日は母歯科再診。 こんなコトしていて、今年も暮れそう。
母と義妹を車に積んで、まずは弟の施設へ。 弟は、起きてはいたが、目を開けず。 それでも、母の声には反応してうなずいていた。 20分ほどで失礼。 今度は、丘陵公園方面、アクアーレ長岡へ。 ここの和食レストラン、景色もいいし、おいしい。 車止めからレストランまで少しあるが、2名が歩けない距離ではないし。 2人はそばランチ定食。私はフツーのランチ定食。 ほうじ茶で乾杯して、ご苦労さんまた来年もがんばろうね。 ということで。 おいしかったわ。 帰りは少し遠回りして帰宅。天気が崩れる前で穏やかな日和、真っ白になった越後の山々がきれいだった。 二人を送ってから甥姪の子ども5人分のクリスマスプレゼントの本探し。 けっこうくたびれた。 弟の入院費の支払い。 コメリでインクなど買い物、そうそう、今年もブックサンタした。 なんてことをしていたら4時過ぎで。 夕方は姪に1月遅れの誕生日プレゼントで欲しいとリクエストしていたシクラメンを持ってきてくれて。 子ども2名にお茶とお菓子。 こうしてあっという間に1日終了。
新潟沖、また北朝鮮の船漂着。 何かが北で起きていることは確かだ。 不気味で、不穏。
としどしに わがかなしみは ふかくして いよよはなやぐ いのちなりけり 岡本かの子
かの子はあまり長生きしなかった。 本夕は上京して、91歳にして上の歌を明るく思い出させてくれる方のお話を聞いてきた。 14時15分に家をでて、14時32分の大宮までノンストップの新幹線。大宮から湘南新宿クラインで渋谷着16時20分。 ほぼ2時間で渋谷に着いた、びっくり。 松濤の西野塾まで。 そう、91歳(来年は92歳)の西野流呼吸法の西野皓三先生のお話。 ミトコンドリア・・細胞が会話してからだが生きている。 これ、昔毎日のように通って先生がお話をされていた中でよく覚えている。 はい、覚えていますよ。 1は全てで全ては1. 禅問答であるね。 あと、華やかな西野バレエ団や全盛期のテレビ。 まあ、すごいのは50歳で合気道とか中国憲法の世界に飛びこんで、呼吸法の創始ところかな。
時は残酷である。 しかし先生はまさに「いのち はなやぐ」
9月以来、お稽古に出ておいでにならないようだ。 多分、さすがにどこかがお悪いのだと思われる。 (話の合間にお薬飲んでおられたし) 指導員はいわないけれど。 とにかく超人カリスマだし、先生がお稽古に出ないと生徒さんは減るはず。 指導員も事務員さんもそれなりの数いるし。 で、苦肉の策でこういったお話の会が設けられた気がする。 私は、数年前から用があって上京するときに時間の都合がつけば、時々お稽古に行っている。 私は、西野流の呼吸法との出会いがなければ、今の自分はいないと思っている。とにかく弱かった20代。週末になると1日寝ていなければ、次の週の勤務が持たなかった。 それが20代の終わりであったか、30代の初めであったか、呼吸法に出会って強くなった。呼吸が変わり身体が変わって、生き方も変わった。疲れるままだったら教師は辞めなかったかも知れない。 西野先生、と呼吸法には多いに感謝している。 今の波瀾万丈的な人生、多いに楽しんでいる。 退屈していない。 おかげさまである。 そんな思いをこめて行って来た。 でも、前半の1時間はお稽古。 家でも週に3日はヨガマット敷いて20分ほどやるのだが、やはり、道場で多くの人とやると違う。 右肩が痛いのが楽になった。 来年、西野先生の復帰があるのか無いのか。 無いかも知れない。 まあ、それでも淡々と上京して、いけるときは行きたいかな。 かけるが如く、東京駅まで発車寸前20時24分の新幹線乗車で帰宅。 当地着22時22分。 猫たちが寒いのに玄関でうろうろしていた。 ありがとね。 さてお風呂入って寝ます。
新潟私学受験の子、合格。 今週末は付属中の受験。 受ける子4人、みんながんばれ。
何と午後からずっと晴れていて、彩雲まで出ていた。 どうしたんでしょ。 天気図を見たら、変わっていた。高気圧が張り出している。 来週の雪マークはあるが・・・ さてどうなることやら。
これからあと2コマ。 8時20分終了。
来1月には7時過ぎにはおわる。 そう、小学生の受験がおわるから。 やれやれだ。 先週1人合格で、今日新潟の私学を受けている子も1名いる。 来週が地元の付属小の受験。 みんな合格して欲しいものだ。
午前は晴れていたし、母を月1の整形外科の受診に送り、弟の薬をいただきに走った。 何しろ、信濃川を挟んで、東の端から西の端へ。 近道しても三十分近くかかる。 薬をいただくときに、退院時のお手紙を持って行ったら、これからこういうことが増えるから、といわれた。 そうだね・・施設の看護師さんにもやんわりと言われた。 あと二年くらいかな・・もっても。 そんな気がしている。 もはや喉の、飲む、息をするの瞬時の切り替えが作動しないのだから。 誤嚥を繰り返し、薬も効かなくなり・・・だろう。 今は毎日毎朝 天寿が来たら苦しむことなく速やかに彼岸へわたれますように、とお祈りしている。
薬を届け神社へ。 本日おついたち参り。 この時のみ、この春先からだが、おみくじをひく。 その月の指針が欲しくて。 何と今日ひいたのは大吉なのだが お言葉の中に 「・・・・ただいまより、来年のことをよく考えてやり損なわぬよう・・・」の文言が。 神様、師走ってわかっておいでになるの!!? ただびっくり。 もうタイムリーすぎて。 うーん、実に私見偏見だが、間違いなく神様はおられるね。 大吉は何度も出ましたけどさ、こんな事が書いてある大吉は初めてでして。 なんとまあ12月に、です。
朝8時15分に出たのだが、駅によって、伊勢行きのチケットを手はしたりしてあれこれしていたら帰宅13時半。
なんだか、疲れました、でも仕事しましたよ。 早寝します。
そうそう、お誕生日アイコさん、偽者だね。 確定。 本者さんは口はひん曲がってない。 八重歯もない、あの偽者さんはある。 本者さんはすきっ歯だった。 もう出せないんだろう・・・ホントのことを公表すべきである。
|