世界お遍路 千夜一夜旅日記

2012年11月30日(金) おばサンタ

「猫なんか呼んでも来ない」を頼んでいたくまざわ書店から、きましたの電話。
取りにいったついでに、おばサンタをしてきた。
入院している子ども達に本をクリスマスにあげるボランティア。
リストから1人の子をえらんで、その年令の子にあった本を買う、メッセージをつける。
私が選んだ子は、日赤に入院している十三歳の子。
乳幼児が多かったのだけれど、中学生くらいの子が数人。
そのうちの一人。
難しい、どんな本が好きなのかも、どんな病気なのかもわからないし。
気楽に読めて、元気が出るような本。
難しいわ・・・思ったより。
本だなの間をうろうろすること20分、選んだのは、動物コミュニケーターの本だ。要するに、霊能者だけど動物のことばを伝える人。アメリカのハイジという方のノンフィクション。
おとな版なら、別の人の本を読んだことがあるのだが、これは児童用。
多分、そんなに本を読まない子でもおもしろく読めると思う。
メッセージは難しい。どんな病気かわからないし、めったなことは書けないし。
でもどうにか、書き終えて、オバサンタ終了。
ホントは12月1日かららしいが、くまざわで、1日早くてもいいということなのでさせていただいた。うちに帰って、新聞を読んだら、1面コラムにも書いてあった。カード、けっこうな枚数があったんで、これみんなサンタさん現れる?と心配だったのだが、大丈夫だね、これなら、安心した。

夕方、弟の支援会議。
みんな一生懸命に弟に関わってくださっている。
おかげで、今や、またまた3食経口摂取となった。
脳波をとったら、脳波にテンカン波のでかたが少ないということで薬も減薬。
母、帰りの車であそこにいれてもらってよかった、あそこの人達は気持ちがいい、西病院はなんだったんだ、なんでもダメダメといって。あの病院は医者も看護婦もダメら、とびしびしいうわ、いうわ。
だけど、あくまでも特例で入れてもらっているんだからね、と私、くぎをさす。
先のことはわからないが、とりあえずは、毎日楽しそうに過ごしている弟。
感謝です。

明日はさすがに、まじめに雪が来そうだ。
今日は朝のうちに、お稲荷さんに赤い衣をお着せしたし、笠も新調したし、それもよかったというかほっとした。今年のおつとめ1つ完了。



2012年11月29日(木) 北朝鮮の船

佐渡に流れついた船、5人の死体。
すでに白骨化しているとか・・・うーん、かわいそうに。
ふつうに難破したら、やはり佐渡に漂着するんだね。
これで、4件か、5件目だよ確か。
曽我ひとみさんがお母さんとともに、拉致された現場もそう遠くないし。
国境がなかった頃、自然な行き来があったと思うなあ。

新潟市に岩手の大槌町からきたがれき、市民の反対で戻された。
うーん、いろいろと事情がるのだろうが、お互い様だろうと思うのだが。
昨今の地震、新潟は無傷に近いので、人の痛みがわからなくなっているのかな・・・しかし、新潟だって、新潟地震があって、多くの人の助力をもらっていると思うのだが。(でも、私が6年時だったし忘却?)
私もこのがれきについては、いろいろと考えたが、たとえ放射性物質が付着していてもみんでで分たんという意見だ、今や。
放射性物質の拡散反対という人がいるが、もはや、きれいな所なんてそうないよ、あるいはこの先このまま原発を動かし始めるときっと事故るよ。
そうしたら、汚染はさらに広がる、今我々はそういうか運命のもとにいるのだ。
みんなで背負わないとね。

4時過ぎ、真っ暗。
ああいやだ。





2012年11月28日(水) 小春日和、やったー

気持ちいい天気だ。
猫と一緒に、ごろついていたが・・・弟のところにパンを持っていかねば。
食べました。
おいしいと、と。
まあ、よかったです。(ニコニコ)

こんな日はもう春までないかも、とは母のことば。
そうかもしれん。
昨日は、霰や霙の日であったが、白くはならなかった。
しかし、土曜は氷点下が出ているし、今度こそ里雪だろう。

北海道が大変なことになっている。
かつてのお遍路の知り合いが何人か住んでおられるが、はやくの復旧を祈りたい。



2012年11月27日(火) 冬眠前のわたし

食欲亢進止まらぬ。
毎年こうだ、今ごろ。
それも夜。
夕べも、スープだけのつもりが、米粉パンのトーストを3枚。
さらに、ミカン、柿1つずつ。
もらいものの富山名物白エビせんべいを3枚。
さらに、ホット葡萄ジュース。
全くもう。
今日髪の毛をカットにいったら、顔がまるで満月であった。
どう考えても、前世にクマだったころの遺伝子が入っているとしか・・・

それと眠たい。
このごろ、いつも起床7痔だもん。
6時20分、目覚ましはなるんですけどね。
そと暗いし。
猫も寝ているし。
猫たちは,夜中にひと暴れして寝ているんだけど・・・
まあ、もう朝はやくに弟を起こしにいくこともなく、自然に任せて寝ていてもいいのだが、この朝40分でいろいろなことができると思うと、全くと自分のダメさに舌うちをしたくなる。

はやく冬至がすぎてほしいわ。
そうしたらもう少し力出るのになあ。



2012年11月26日(月) 震災バイオリン

新聞に、震災で出た「瓦礫」(ホントはそれぞれの家族の思いである品々)と、陸前高田の松で、バイオリンをつくって、国内外の演奏家にひいてもらっているという記事を読んだ。
いいことだなあ・・・
夕べというか朝がた見た夢。
深い水の底から、多分お医者さん?が、子ども?要するに仮死状態の人間を引き上げてきて、次々に蘇生させている。
なぜか、それが津波でもっていかれた人たちだって私にはわかっていて、それで、なぜか「もう助からないでしょ」とか、いろいろと蘇生させている男性に言っているのだ。
で夢の中で、あれ、この夢この前もみたなんて思っていて。確かにわすれていたが同じ夢を前に見たような・・・とにかくそういう夢。
水底から甦った人達がどうなったのかさっぱりわからん。
これって、津波で彼岸に逝かれた魂たちが、また生まれてきているってこと?
でも、生まれ変わりって、こんなにはやくないはずだけどな・・・
怪しいことをいわないで、論理的にいうならば、私の奥底に、震災が濃くわだかまりつづけているということ。
私でさえこうなのだから、いわんをや被災地の方々は、であろう。

4時前に暗くなる。
ああ、いやだ。
暑くても夏がいい。



2012年11月25日(日) 芸術の秋でした

昨夜は、当地の地方紙が主催のクラシックコンサート。
ピアニスト ラフィ ベサリアンさん。
技巧派でした。
ドビュッシーの月の光、ショパンのスケルツオとか、リストのワルツとか私がふだん聞いている辻井伸行さんのCDにも入っているお馴染みの曲が第1部。
この方の演奏は力強い。
辻井さんの演奏、改めて優しくて、清らかであると・・・こんなにも違うのかと、驚いて きいていた。
もちろん、ラフィさんのものが劣るということではない、まさに個性の違いなのだ。
第2部は,ラフマニノフとかガーシュインで大曲。
私的には、ラフマニノフがよかった。彼にぴったりというか。
ガーシュインはもっと軽くひいてほしいかな・・私的には。
ラフマニノフって、私、コンサートではこれ以外に1回だけだと思うのだが、でも、この方にあっている気がした。
アルメニアの人だというし、やはり風土?

今日は小春日和の中、新潟へ。
草間弥生展、と沸騰するニッポンだったかな、とにかく30・40代のわが国アーチストたちの作品がそろった万代島美術館へ。
どっちもチョ−がつくほどおもしろかった。
特に草間さん、この方の作品、見る度に、体があわ立つというかゾワゾワする。
要するに作品からある種のわたしをゾワゾワさせるエネルギーが出ているのだ。
今回もそう。
刺激的でしたわ。
でも、作品は多分、草間弥生のウンチ。
彼女の存在自体が一番すごいアート。
ピカソと目の光が似ているけど、ピカソはあくまでも健康で、作品がアート。
なんて、いろいろと考えさせる草間弥生さん、1年半で300枚の作品を描き上げる83歳ってすごい。
しかし、精神病院から、アトリエに通っておいでだそうな。
そうそう、彼女の水玉は技巧ではないのだ、彼女を守るもの、彼女の命の根源からでて来ていてることが分かった。十歳のときに、フツーにお母さんを描いた素描に、水玉がたくさんついていて!うっと思ってしまった。
私・・ゾワゾワするわけだ。
技巧ではなくて、私「命」に反応していたんだと。

で、今日は1万4千歩も歩いた。
疲れた。
でも、帰って来て、コメリに飛んでいって、玄関先のサルビアとニチニチソウを「ありがとう」とお礼を言いつつ引っこ抜いて、耐寒性のガーデンシクラメンと同じく耐寒のバラ咲きジュリアン、葉ボタンにうえかえ。チューリップの球根もうめた。やれやれ。雪、いつでも来い!
で6時から9時15分まで、明日から試験のお子さん2人に臨時講習でした。

帰りがけ、12月の夜行バス予約。
京都まで1席を残すのみ。
3日で売りきれるのか。
でも、1席って、いってもいいよ、来なさいと、破磐の神様やお大師さんにわれた気がして。
まあ、弟の容態が急変すればキャンセルだろうが、とりあえずは席ゲットであった。
帰りも3連休の最後だし、新幹線の予約をしておいたほうがいいかな。
今日は新潟往復新幹線S切符、立って帰ってきた。
連休を終えて東京方面に帰る人で自由席が満席だったのだ。
新潟の帰りに立つって初めてだった。

いやいや充実の1日でした。
きょうは眠い、さっさと寝ようぞ。




2012年11月24日(土) 雪マーク、消える

先週は、今日に雪マークが出ていたのだが、消えた。
代わりにさむーい雨、みぞれのような。
でも時々晴れ間も出て。
今のところ、予報よりいい。

それにしても、今年は寒い冬、雪も多いとの長期予報。
長期なんて、ころころ変わるとはわかっているものの、エルニーニョが消えた今のこの予報は確率が高い。
やれやれ。
当地、原発が近いことを抜きにして、さらに雪が降らないなら、すごくいい場所。
食べ物・酒うまし、水清し、空気は澄んで。
雪だって、「風流」程度なら降ってよし!なのだが。
そこそこ降らないと、作物・米によくないし。
(全く自分勝手だね・・笑い)
なんて、冬の入り口で毎度口にするグチでした。



2012年11月23日(金) 子守りくたびれ

8時前に姪の息子を迎えに。
雨で暗いし、ホントはストーブの前で丸くなって本でも読んでいたいところなのだが・・・。
雨で約束の猿見物はだめなんで、まずはうちに連れてきて、猫見物と思ったのだが、子どもの嫌いな猫たちは逃げてしまい・・・イッサだけが、遠巻きにして守っているが。
ま、でも猫!猫!と満足したようで。
で次に、弟の生乾きの洗濯物を持って、大きな乾燥機がぐるぐるまわる見物。
その次に、でっかいバイクを見ようということで、タミちゃんのお店で、ハーレーに乗せてもらいご機嫌。
はい次に、弟の病院へ。
雨がすごい。
後部座席のチャイルドシートで外を見つつ、雨いやだね・・などとつぶやきゆうちゃん。
弟の病院「おじさん、おきているかね」などとイッチョマエに、つぶやきつつすたすた。
やはりというか、弟は寝ていて、しかし、呼ぶと起きて姪息子の顔を見てニコニコ。すごくいい顔、
ああ・・連れいってよかった!
お次は、すぐ近くにある温泉。
ホントは、喜芳に行くつもりであったが、雨もすごいし、込んでもいるだろうと挫折。
アクアーレはちょうどいい込み具合で、外のお風呂が、姪息子が入るにちょうどいい温度。
アクアーレは、個性のない単に「温泉」というだけの施設なのだが、でも、込むことがあまりないのがいい。それと、総合健康施設で、ジムとプールが併設されていて、近いなら通うのだがね。
姪息子、温水プールを見て、プールはいりたい!を連呼するが、でも今日は水着がないから、今度ね、と言い聞かせて。言い聞かせて分かるようになったのだから、偉大なり3歳児である。
ご飯を食べて、車で爆錘。
しかし、外に出て雨が降っていないので、「おサルさん行く!」と。
しかたないので、爆睡3歳児を乗せて、悠久山の小動物園へ向かった。
無事に、お猿を見て、銀杏の黄色くなった葉っぱをママにお土産と拾って。
実家へ連れて姪の帰りをまったが・・つかれましたわ。
以上本日レポート。
基本、洗濯物持って弟のとこへ行く、温泉!とかは私が行かねば、行きたいものであったので私・本位で動きました。
彼のいうことはお猿が見たいだけ。あとラーメンとアイス食べたい。
3歳児は、それなりにお利口だと再度認識した1日であった。

私もうちで爆錘。
全然明日の用意ができていない。
がんばります。



2012年11月22日(木) タイヤを替えて、やれやれ

タイヤを冬用に替えた。
やれやれ、これでいつ里雪でもいいや。
しかし、タイヤのホイールキャップがない。
なんで?
確かに、タイヤの上において置いたのに、ないのだ。
なくてもいいものだとはいうが、それでも気分が悪い。
甥に聞いても知らないしか言わないし。
弟が生きていたらこんなことないんだけどね…と思わすため息をついた。
まあ、こういうことをもはや思ってはいけないのだが。
弟は今ごろになると、忙しさをぬって、家族全員と作業用など7台分のうちの車のタイヤ交換を自分でしていた。
今はなつかしい思い出、だから、今ごろになると、弟が脳内イメージに出てきて、姉貴タイヤ交換!というのだわ。
ガソリンスタンドでしたのだが、オイルとか、まだ切れてもいない指示ランプとかいろいろ交換しますが・・といわれて、はいいいようにしてください、と。
(こういうのも、弟がしてくれていたんだっけ。あいつ、車大好きでした)
そうしたら、ガソリンもいれて2万円程取られた。
これは、予想以上の出費。
やれやれ。
しかし、冬は車を酷使するし、十分にしておかないとね。

昨日、今日といい天気。
明日はよくない。
姪の息子の子守りする約束なのだが、天気悪いとどこにつれて行くか考えてしまうわ。
せめて、午前は曇りくらいであってほしいな。



2012年11月21日(水) お日さまでました

晴れです。
うれしやな。
主治医の許可が出たので、弟のところへ、パンをさし入れ。
療養士さんが介助してくださるのだが、口に入れてもらったとたん、うまい!だって。
よかった、よかった。
やはり、口で食べてナンボじゃ!である。
で、喜んでいて洗濯物を持ってくるの、忘れたわ。
明日、またいってこないと。
ダメだね、わたし。

このところ、麺食い病だ。
時々、同じものが連続で、偏執狂的に食べたくなる時がある。
例えば、ゴルゴンゾーラチーズ入りのライ麦パン。ピスタチオは1か月食べて、その後ピタとやんだ。
キャベツのちぎり生食べ10日間。キャベツの素炒め、ソースがけもお昼に食べつづけていたときがある。
昨年の夏の終りもラーメンだった。
1週間ぐらい、お昼に近隣のラーメン屋に食べに通った。
今回は、麺だったらいいのだが、比較的ラーメン。
今日も、実家に母を送った帰りに、ちょこっと買い物したら、ウー、ラーメン食べたいという発作。
その敷地内にあるラーメン屋、あまり美味しくないのだが、で、ピサだったら美味しいお店があるけどどう?と自分に聞いてみたが、断固としてまずくてもいいからラーメン。
そこで食べました。一応は納まった。
これ、なんでしょう?
自分なりに、なんかの栄養が足りなくて、それを補うために「発作」がおきると解釈しているのだが、ラーメンって、そんなに体に鋳物はいっていないけどな・・・




2012年11月20日(火) ゴミ箱で、子ども5人死亡・・

ちょこっと天気予報を見ようと、ヤフーをのぞいたら、中国で子ども5人がゴミ箱で暖を取ろうとして一酸化中毒で死亡のニュース。
なんと可愛そうな・・・まるで「マッチ売りの少女」ではないか。
まだテレビを見ていたころ、モンゴルのウランバートルで暮らす孤児(家出してきた子も含む)のドキュメンタリを見たことがある。
ウランバートルは、地下に暖房(温水・スチームかな)を送る地下通路がアミの目のようにあって、マンホールのふたをあけてそこで、子ども達が暮らしていた。
あの生活もひどいものだったが、まだあれの方がまし・・だね。だって、こういう死に方しなくていい。
北朝鮮のほとんどドキュメンタりに近い映画「クロージング」を見た時も同じような親なしの子どもが出てきていた。
ふりかえって、わが国も、給食費の援助を申し出る親が戦後最大だというし。
高齢化も困ったものだが、それより、せっかく生まれてきた子ども達の過ごす環境も気になるよ。
世界的に、貧富の差が激しく激しくなって来ている。
これは、人間社会の宿命なのか。
(ため息)
うちの塾に来ている子たちによくいう。
人は生まれてくるところを選べない。
あななたたちは、かなり恵まれている環境に「偶然」生まれてきた。
そういう人は、大人になって、ほかの人のため、世のためになることをしなくてはならないよ。
自分のつく仕事ややることがもちろん自分の幸せにつながることは大切だ。
だけど、そのほかにだれのためになるのか考えられる人になってね、と。
自分のことだけで、むさぼる人になってはいけないよと。
これは、自分への戒めでもあるが、死ぬ時に持っていけるのは、きちんと生きたという満足感だけだ。

昨日とうってかわって雨で暗くて寒い一日。
我慢、我慢。



2012年11月19日(月) お天気よし

朝にお日様が出ているだけで気分が違う。
今日は元気よし。
しかし、寒かったわ、朝は。
しかし、めげずに朝から8時から母を乗せて弟のところへ。
今日は、レンタルの車椅子がやってくるので打ち合わせの時間が朝9時だったのだ。
本人の希望のメロン色と青色カバーをつけた車椅子、やや窮屈そうだが、それでも、これで寝たきり状態をやや脱することができるというものだ。
本人、快調。
ドクターが見えて「コッペパン、いいですよ」と。
よかったね。
このところ よくコッペパンとかハンバーグが食べたいというのだ。
家族だけでなく、看護師、介護師さんいろいろな方に言うらしい。
ハンバーグはともかくとして、パンはなんとかならないかと、いっていた。
OKが出たのはいいが、コッペパンなんて探さないとね・・・・
母を送った帰りがけ、めぼしをつけたある手作りパンのお店へ。
あったが・・いろいろと挟みこんであるので、これ、はさまないものを買えません?と聞いたら、50円ですだって。
しかし、どうしてコッペパンなのかねえ・・・うちでこういうものを食べさせたこと、ないのだが。
とにかく、リクエストに応えることができそうで、やれやれ。
水曜には、コッペパン、買って行くぞ。しかし、何もはさまないものはそうおいしいものではないので、近所の美味しいパン屋さんの絶品牛乳パンも持っていこう。
食べられるうちに食べさせてやらないと。

地震雲が出ている。
南から北東へ。
結構すごい雲だ。
気をつけましょうぞ。



2012年11月18日(日) 季節性の鬱?

どうも、なんとか動いているが、やる気がなくて、ただ眠たい。
それと食欲亢進。
後、夜は元気でいくらでも起きていられる。
毎年今ごろ程度の差こそあれ、いつも陥る状況。
今日は、午後いっぱいねていて日が暮れた。
午前はそれなりに活動したのだがね・・・午後まで粘る気力がない。
困ったね。
忙しいのだが。
伝家の宝刀カッコン湯でも、しばらく常飲せんと。
これ、抗鬱薬として効く。

今日は風も強く、寒い。
カラ元気で、12月の冬至までがんばりきらないと。
その後は、春がくるまでとなる。

さて来週からうちの暦では第4週、配りものがあるし、お月謝袋の用意もしないと・・夜、働きます。
キリギリス生活ですが、とりあえずは冬至までがんばります。



2012年11月17日(土) 暗いわ・・・

お天道様が出ないとホントに暗い。
今朝なんて、寝坊。
7時だった。
大急ぎで、いつもの朝のしたく諸々で、7時40分に下でお掃除。
8時開始。
暗いのは,しかし、自然だけじゃない。
選挙後のニッポンも暗いわね。
第3極、橋下だけはやばい。
まだ自民党の方がましって思う。
いずれにしても迷走だろう。
それでも、こうやって、国民が暮らせているのは、民度が高いのだね。
それと、なんだかんだいわれているるが、官僚がそれなりにお仕事をしてくれているからだろう。

今日は仕事後に爆錘しないで、夜の散歩に行こうぞ。



2012年11月16日(金) GUN

近代美術館で「新潟に前衛があったころ GUN」を見てきた。
とにかく、見るぞというときに見ないと、はずして終わる。
歴史博物館であった「イスラム世界展」、そのうちで見逃したし。
GUNの展示の一番はじめに、高校生だったころに、よく時間つぶし、遊び半分、サボり場所でいった、大光相互銀行の今はなき「長岡現代美術館」にあった「成長計画」とか「ドンとサンドラ」アンディ・ウォホールの作品があってなんだか感動した。
3メートル歩くと知り合いにあう文化果てた地であったここにいるのがいやで「旅」へ飛び出した私であったが。(当地では、上京したり、そのほか他の地域に学業や仕事で出ていくことを「旅に出る」とか「旅に出す」という古いいい方があった)
「成長計画」や「ドンとサンドラ」を鑑賞して、わたしが旅に出たのは,未地なるものへのあこがれであり、とにかく知らないものをみたいとか知りたいとか、そういう深い衝動が多分あったんだろうなと。
その衝動を育てたのが、サボり場として行っていた長岡現代美術館であったのではないかと。
成長計画って、緑の芝生の明るい光の中で、金髪の白人の男子達が気を付けをして、パンツだけ上半身裸で、なんだか悲しそうな顔をしてつったっている絵。
ドントサンドラは、やはり白人の男女の顔だけ肖像画。インパクトはないが、二人の表情は穏やかだが 哀愁。
わたし、多分この絵たちにかなりの影響を受けていたと思う。しかしどんな影響と言われると言葉にできぬ。
GUNの仕事、1960年代は元気だったんだ、日本、と思わせる展示。
おもしろかった。
しかしだ、平日ということもあって、鑑賞者わたし一人。
現代美術は分からんということも原因かもだが、わかんなくてもいいんだよね、感じてなんだか気持ちいいわ、とかすごいパワーだわ、とか、自分の「情動」が活動すれば。
これ、人間の証明だし。
新潟で開催されているあと2つの現代美術展も行かねば。
1つは、草間弥生さん。
点点芸術だけど、彼女の作品を見ていると体がむずむずしてきて、きもちわるいんだけど「キモミタイ」(気持ち悪いけど見たい)のだ、ふしぎな芸術家。

今日はいい天気だった。
見たあとに弟の所にいって、産直なじらーてにいって、生木クラゲ5パックゲット。昼寝のあとに、いつもの惣菜「キクラゲとニンニク」のつくだ煮を作成。
さて、明日の準備するべし。



2012年11月15日(木) 山に雪

朝、山を見たら、白い。
山に雪が来ました。
やっぱり、ではあるが、タイヤが気になる。
あと2回くらい山が白くなって、里だとは思うがそれでも雪を見るとあせるね。

唐突な解散に驚きはあるが、それでも、新党あれこれと固まらないうちに動いたほうが、まずは既成政党に有利だし、いい時期であったのではないかね。
で、うそつきにはなりたくないといったって、十分うそつきでしょ。
公約にない消費増税をしたんだから、
それと8月に約束した解散、11月になってやっと、これも「そのうち」の常識からはずれていて、ほとんどうそつきだし。
どうせだったら、中途半端に善人にならないで、とことんうそつきの方が政治家(屋)らしいと思うのだが。

寒い、暗い。
やれやれ。
暑いのと寒いの、どちらを取る、といわれたら、私は暑いほうとる。



2012年11月14日(水) 初冬だ!

朝は穏やかに日が出ていたのに、ひるからは寒い寒い雨、嵐だ。
明日帰るミエコとたみちゃんと一緒にランチ。
焼き魚定食、うまかった。
うちではそうそう焼き魚ってしない。
たみちゃんが連れていってくれたお店(スポンサーもたみちゃん、ご馳走さまでした)は、うちから車で10分弱で行くし、今度焼き魚が食べたくなったらいこうとっと。
お・・雷がラジオにはいる。
今日は日記、ここまで、だね。
さいなら。



2012年11月13日(火) しまねっこ

昨夜は、中学生の学習中に「しまねっこ」をかぶったネコ姉さんがドアから顔を出し。中学生、お口あんぐり。
ネコ姉さん、突然の来訪、しかし、イッサは「イッサァ」と呼ばれただけで、ニャと返事していそいそと出ていった。
すごいわ、猫ねえさん、イッサが返事していったよ。
またまた中学生、お口あんぐり。
あいにく昨日は10時まで塾をやる日で、彼女は上で待ってもらい。
結局、お泊り。だって、車運転してきているのに(それも東京くんだり?から)持参のビール飲んでいるんだもん。帰るといっても帰せるものでもなし。
結局、これまた持参の栃のみうどんを朝から食べたいというので、うどん朝食(香川みたい)で、わたしが弟の病院に出るのと一緒に出発。
温泉はいってから高速に乗るというが、まあ日本中放浪しているもよう。
昔の自分を見るような。
私は根がはえている地元に、不本意ながら。
まあいたしかたなし。
いまはそういうサイクルだ。
流れに身を任せて人生を彼岸に向かっている感じ。
これもまたよし、と思わないとねえ。

夕方からやけにあれもようだ。

※しまねっこ
 神の国島根の公認ゆるきゃら 島根の猫?大社つくりのかぶとかぶっている猫
 ネコ姉さん、出雲にいってきたばかり。出雲の酒話をしていた。



2012年11月12日(月) 怠けの半日

昨日は、朝から母の整体、弟の病院とかけまわって。
午後からも、やることたくさん予定していたのだが、怠けた。
ごろごろして本よんで、猫とあそんで昼寝して、そして夕方。
さすがに洗濯・そうじくらいはしようと弟のもの山ほど。
その後自分のやつ。
で、ざっと掃除して、おでんつくって、お風呂には「乳頭温泉」の入浴剤を入れてのんびりはいる。
温泉行く気もなくてね。
おやだやかで怠けの半日。
仕事場のドアもあけず、パソコンもつけなかった。
こういうのもいいわね。

今日は朝から暗い。
雨は降るし。
しばらく毎日、こんなお天気らしい。
そろそろ実家に行って、冬タイヤを出して取り替えないと。
そんな感じになってきた。
冬、弟のところに通うのは大変そうだ。



2012年11月10日(土) どっか いきたいなあ・・・

晴れて来た。
お日さまが出るとぐんと元気になる。
しかし、終日お仕事でどこにもいけぬ。
どっか行きたいなあ・・・
晩秋の雪が降る前の小春日和を楽しみたいのだが、うまくいかんわね。
悠久山歩きとか、雪国植物園のお散歩でもいいのだが、それさえもままならぬ。

昨日偶然ネットで読んだ印象的な話。
「極道の妻たち」を書いた家田荘子さんの話。
取材で、やくざの親分たちの話もたくさん聞いたが、「あやめる」ことが絡むと、手がぶるってくる、震えがとまらないといと話していた・・・つまり恐れるのだ、怖いのだ、命知らずの大の男だって。
しかし、尼崎の事件の「彼女」にはそれはない。何の痛みも恐れもなく淡々とたくさんの人をあやめている感じがある、と。
私があのニュースを聞くたびに気持ち悪くなっていた理由がわかった気がした。



2012年11月09日(金) いよいよ日が短く

4時前にうすぐらい。
ああ・・いやな季節が来ているわ。
来春3月まで我慢、我慢。
お日さまの減衰は、冬至過ぎまで我慢だ。
これが一番、私としてはつらい。

役所に座位保持器なる弟がつかう一種の車椅子の申請にいってきた。しかしなんと、許可が出るまで2ヶ月だって。
許可が下りて、オーダーなので更に完成まで2ヶ月はかかるね。
おいおい。
弟、生きているかなって、心配になる。
それにしてもかかり過ぎでしょう・・・書類審査に2ヶ月とは。
ため息が出た。

ストーカーに新しい姓や居住地を教えた警察、最低。
硬直しきった組織、なんとかしてください。
ネパールのマイナリさんの冤罪だって同じだ。
あれは人種差別の問題もあると感じるけれど。
彼の人生、いいところを罪人にされて、実に不本意に過ごして、ホントにおかわいそうと思う。日本人としてすみません、です。

チヨ、頭の毛が少し抜けている。
もしかして皮膚病?と、お医者へ。
そうしたら、単にどこかに引っ掛けたか、ぶつかって抜けただけでしょうだって。
やれやれ。よかったでしゅ。はいな。



2012年11月08日(木) 司馬台長城の思い出

私が最後に中国を訪ねたのは、2003?年であったか。
なんと、北京のYHに泊まったのだった。
でいったところ、おなじみではつまらんと思い、公共バスに揺られること数時間の司馬台長城。
みなさんが行くいわゆる八達嶺長城とは違い、けっこうぼろぼろ。明代だもんなあ・・・的哀愁があった。
今回大雪で遭難した人たちが歩いた長城もあんな感じであったか。だとすれば、事故もありだろう。
険しかったし、あちこち崩れているし、怖い所もあった記憶。
遭難のニュースを見ながら、考えたこと。
でも、万里の長城で遭難とは・・ご家族は無念であろう、もちろん亡くなった人達も、あちらの世界でこんなはずじゃ・・と思っているはず。

そうそう、司馬台(スーマータイとよみます)長城からは帰りが大変だった。公共バスがもうなくて、ミニ乗り合いバスを、運転手と丁丁発止でやりあってねぎってチャーターして戻ってきたんたっけ。

いよいよ晩秋の気配。
帰国中のミエコと新そば食べる。



2012年11月07日(水) オバマさん再選

朝から、マスコミが実況中継的に騒いでいたアメリカ大統領選。
オバマさんに決まった。
福居県小浜市も騒いでいるそうな。
やれやれ。
ロムニーさんより、フツーの人の幸せを考えている気がするし、よかったかな。
しかし、勝利語の演説も演出もうまいわ。

朝が寒いが、日中は比較的過ごしやすい日。





2012年11月06日(火) 全域避難

昨夜、ラジオをつけて仕事していたら、ニュースで当地の市長が、刈羽原発が事故を起こしたら、全域避難だが細かい指針等が出ていない云々で陳情に行ったということを伝えていた。
そうなんだよね。1度出た避難区域地図が訂正されたらわが街、全域避難になってしまった。
永久に停止していてほしい刈羽原発。
しかし、事故を起こしても私はここにいる。
長生きなんて望んでいないし、放射能の影響が出る前にそもそもが死ぬだろうし。
だが、若者は逃げるべし。
改めて思った晩秋の夜。

田中真紀子さん、また問題起こしているね。
彼女、お姫さまだしなあ。
順序違うでしょ。
人口減、少子高齢化・・・確かにもう安易に認可する時代ではない。
認可によって、政府の支出も増えるわけだし。
しかし、一気に認可しないよ、ではなくて、きちんと積み上げていかないと・・。
彼女の中には、家族と使用人という目線しかないらしいし、こういうやり方もいたしかたないのかね。
北の将軍さま風味なのがなんともいやはや。

4時になるとうすぐらい。
夜が来ている。
ああいやだ、こういうの。



2012年11月04日(日) 穏やかな人生の一日

午前はふりかえのお子さんを2人、個人レッスン。
一休みして、せんたくして、昼ご飯を食べて昼寝。
午後からは穏やかなお日和だったので、障子の向こうにお日さまを感じて眠った。いい気持ちであった。
もちろん、ねこたちもお昼寝。
イッサは常に私の見える場所で寝ている。
2時過ぎにおきだして、お茶して、3時前にゆるゆると弟の病院へ。
弟は、平熱、起きていて、またまた歌合戦であった。
元気が何より。
ホッとしてでたのは4時20分、外はもう夕闇状態。
つるべおとしの秋の夕暮れ。
帰って、昨日の宿題であったコメリに灯油買いに走る。
四十リットル。
3500円弱。高いわね。
灯油売り場、行列。

5時50分、家族が「暦が返ったお祝い」をしてくれるというので、近所のフランス料理レストランへ歩いていく。
姪のお誕生祝いと姪の息子に佐野洋子さんの「オレはネコだぜ」をプレンゼントとして持って。
赤いちゃんちゃんことかプレゼントされたらどうしょうと思ったが、それはなくてやれやれ。
きれいな花束を、義妹からいただいてうれし。
その他、いろいろといただいて、みんなで乾杯。
姪の息子、しかし、いつもならおおはしゃぎなのだが、熱があってぐったり。
ポタージュスープとご飯少々、ハンバーク少々で食べない。
かわいそうなことであった。
大人たちはフルコース堪能。
おいしゅうございました。
昨今、イタメシ系が多いので、フォークがならんだ本格フランス料理はホントに久しぶり。
なんちゃってマクロビオテックの私、出てくればお肉だってよろこんでいただくので、感謝。
ひれステーキ、おいしゅうございましたわ。
何だか、長生きしたわ、といったら、母曰く、なんの自分はその年のころまだ元気モリモリで働いていたとのたまいて。
はいはい。
そうそう、お店の方が、小さなお祝いケーキを特別に用意してくださっていたのだが、その時に、テーブルのわきで、腕を後ろに組んで、微笑んでいる霊界の弟の気配を感知。
おお、姉の祝いに来てくれたんだと。

晩秋の、穏やかの人生の一日が暮れました。



2012年11月03日(土) 雪、妙高には降りましたわ・・

昨夜は寒かった!
ちっこい電気ストーブのみだったのだが、とてもとても寒くて。
しかたなしにガスストーブのおでまし。
真冬なみ、で、今朝の新聞、妙高は初雪の便り。
寒いわけだ。
夏物もしっかりとかたずけないうちに冬来たる。
あせる。

今日は塾の部屋もストーブ。
エアコンでは温まらない。
少しだけのこっていた灯油で燃やしている。
夕方、コメリに灯油買いに走らねば。



2012年11月01日(木) あと2ヶ月

今年もあと2か月となった。
ここまで、私 何をした?と問うと、なんというか・・言葉がない。
この1年数か月、末弟のことで終わったねえ。
まあここまで、なんとか来られたことをありがたいと思うべし。

今日はすごい天気。
くものたれこめた様子は、北欧の夏の終りを思い出す。
新潟的にいえば「雪を呼ぶ空」
しかし、寒気団がまだ里に雪を降らすほどではないので、雪は来ないとは思うが。
今月は季節移行の月である。
お日さまが減衰している。
毎年ながらいやだなあ。



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