2009年09月30日(水) |
マグニチュード8,3 |
うーん、またしてもきましたね。 大地震。 北海道でも震度4があったようだし。 改めて地球は一つの生命体だと感じる。 亡くなった方もたくさんあるようだ。 遥かかなたへ、冥福を祈ろう。
長い地球の歴史やさまざまな動きを見るとホントに人間はごみだなあ。 それでも、ごみはごみなりの根性で、今を精一杯に生きないといけないんだろうな・・・
なんと、耳にヒゼンダニが生息中。 多頭で飼われていた猫(犬)の宿命だという。 早速にダニ駆除薬を耳に投入。 ヒーヒー鳴いていた。 で、うちの中もバルサンをたいてください、といわれた。 やれやれ。 畳の部屋は入れていないし、寝る場所は、箱の中と決まった椅子のタオルの上ときめていたんで、そう飛散・広がりはしていないとは思うが、一ぴき遊びをしているんでねえ。 どこに卵が飛んでしまったか・・・晴れている日にせねば。 タオルも、熱湯消毒せねば。 まあ、しかたないねえ。 獣医師いわく 「血統書付きでも、ペットショップで多頭で飼われていたら、同じですよ」 だって。 ダニ以外は、健康だという。 で、魚は余りやるな、骨の病気になりますだって。 へえ・・・ 外国の猫は魚は食べませんよ。 外国人に日本の猫は魚を食べるというとびっくりされます。 ネコに魚、ネコにカツオブシというのは、日本の文化の中で生まれたんですよ。 ほうほう。。。 ネコにカツブシってことわざは、まちがい? へえ・・だった。 初診料、健康診断、駆除などなどで6000円なり。 ニンゲンより高いぞ。 このあと、1ヶ月後にまたダニ駆除薬。 その後に3種混合の予防接種。 年が明けたら、去勢手術。 このあとも最低でも2万円くらい費用がかかる。 昔のネコと大ちがいだねえ。 ネコ様だ。
我が塾の子どもたちの大好きマンガに「しんちゃん」がある。 だから、原作者が亡くなって、もう読めなくなるの? 家々、新作以外は読めると思うよ。 もう描く人がいないから、新しくは出てこないね、残念だね。 それにしても、彼はどうしてあんながけ下をのぞきこんだ? 私が真っ先に思ったのは「やられた、引っ張られた」 年に1人か2人あそこで「自殺」される人がいるという。 当然「地縛霊」あるいは「浮遊霊」がおられるのではないかと。 だとしたら、シンちゃん作者が鬱的お疲れとか、院にこもったなにかにとらわれていたとしたら、それらと波動が合うかも・・・とはわたしが考えたこと。 リアリストには大笑いされそうだけど・・・・ 今年は本当に思いがけない人が霊界に戻る年だ。 弟も、もう少し(今年中くらいは)この世に留まるかと思ったけれど。
イッサは、なかなか「ウエイト」を覚えてくれぬ。 何しろ食い気に生きる二ヶ月くらい子猫だからなあ。 悪いことをして「これは叱られるな」と子猫ながら思うと、階段の上まで迎えに出てきても、一声フギャと鳴いて逃げる体勢にはいる。 昨日も帰宅したら流し台にかけてあった台ぶきタオルが、部屋にひっちらかっっていた。 おお・・・メ!!イッサ! もう脱兎のごとく逃げた。 もちろん、ひっ捕まえて首根っこつかんで、頭ごつんだったが。 メ!!はダメの合図。叱られるの合図。 「イーコ、イーコ」「よーしよーし」がほめの容認合図。 このことばを発すると、いくら叱られている最中でもおそるおそる近寄ってくる。 こんなしつけを実施中。 さて、品格のあるネコに育つか?
耳の腫れでもらってきた抗生物質。 言われたとおりに飲んでいたら、やっぱり、2日で下痢。 胃も気持ち悪い。(胃薬も併用だが効かないわ) さらに、医師からは大敵は睡眠不足といわれていたにもかかわらず、不足気味。 夕べだって、母と知人を積んで温泉へ行って、帰ったのが10時近く。 それから、末弟の朝ご飯の下ごしらえして、ネコご飯用にワカサギの水煮を大量に作って、合間に散らかっているものを整頓したりしていたら11時半。 結局12時過ぎに寝て6時前には起床。(最近、こんなのが続いていた) で、今日は怠けるぞときめこんで、昨日借りてきた本を積み上げて、1日ごろごろ。 本を読んだり、眠ったりしてすごした。(ほとんど眠っていたけど) やっぱり、疲れていたようだ、さすがに3時過ぎには元気になった。 そうじ、洗濯、若干の仕事をして今は夕方。 さっきネコご飯を上げたし、これから末弟のお風呂介助だ。 こういう生活がいつまで続くのか知らないが、まあ止まない雨はないというし。 やれる限りやり遂げようと思う。わたしのカルマなのだから。 そして、静かに静かに、徐々に徐々にいろいろなことが変わっていくのだろう。 この世に「常」はない。 無常(恒常は無し)しかないのだから。
生徒さん、来月より2人増。 2人といっても、お一人はもう1時間増やしたいという話で、もうお一人は兄弟つながりで。 とはいえ、今の時期、募集もかけないのにありがたいことだ。 信頼して下さってのこと、それぞれのお子さんが伸びるように精一杯やらせていただきます、です。 で、イッサって、招き猫? ウーム、もっとかわいがらぬといけないかな。 今、「ウエイト(待て」)を教えている。 えさを前に、首を抑えて、ウエイト!と厳しく。 チョコットかわいそうかもだ・・だ。 犬とちがうだろ、といわれそうだが、猫も教えるとできると聞いたのだ、昨夜。
今日は彼岸の明け。 弟の遺影を床の間において拝んでいたのだが、それをご先祖さんの写真の並びに長押に上げた。 お寺さんが、お彼岸くらいまではいいだろうといわれていたんで、床の間に「彼」はいたのだが、1つの区切り。 どんどん寂しくなる。
甥が作ったお米ができた。 今日は月命日なので、五目稲荷をつくってお供えしてきた。 はやい・・・4ヶ月過ぎた。 時々思う。 3月の抗がん剤をしないで、様子を見ていたらまだ生きていたと思うって。 姪の子ども(孫)も見ることができたろうって。 治りたいがために、抗がん剤にかけた。 しかし、3月の抗がん剤が、抗がん剤の毒に耐えていた体の堰を一気に破ったんだわ・・・ 先週、実家近くの方、胃ガン手術3年、転移で抗がん剤・・でなくなられた。 ガンはつまりは、天寿が残る人はともかくとして「死」へ至る病だと思う。 多分、ほかの病気のような、画期的な治療法って見つからないと思うのだが。 だって進化の過程で、人類自身が、不死にならないために仕組んだプログラムだから。 究極の病だ。 こちら世界での死は、あちら霊界での誕生だ。 死もまたよし・・なんだろうね。
右耳、昨日よりはましになったが、微熱あり。 やはりおかしいので診察に。 耳そのものではなくて、周辺の皮膚よりウイルス?が入って腫れている・・・らしい。 血液検査をしないと、といわれて血を取った。 さらに、大嫌いな抗生物質もたんまりと。 4日間飲み切って、と厳命された。 薬がきらいで少しましになったら、薬飲まない人と、みすかされた。 ストレス、疲れ・・などなどが原因だから、疲れることをしないこと。 つまり・・免疫力が低下しているってことだわね。 やれやれ。 血液検査の結果が悪かったら、こちらから至急で連絡しますから、といわれてしまった。 これまたやれやれ。
いい天気。 疲れることをするな、といわれたので、昼寝をたんまりした。
小林一茶、と漢字にしてもいいのだが。 チビ猫の名前なり。 カーブドッジのオーナーさんには、イッサなんて覚えないよ、といわれたが、なんの、一応呼ぶとおそるおそるやって来る。 おそるおそるというのは、悪いことをすると、こっぴどく叱られるから。 叱られないよな、と、様子をみいみいやって来る。 今日も、わたしがいない間にごみ箱をひっくり返した。 もう叱られるのがわかるので、逃げる体勢。 それでもひっ捕まえて、首根っこ捕まえて頭ごつん。 で、懲りずに、今さっきまたまたやっていた。 またまた、散らかったごみ箱の前で首根っこ捕まえてごつん。 ホントは、少し早めの夕ごはんをやろうと思っていたのだが、止めた。 叱ってすぐにごはんだと、勘違いをしてまた悪さするだろうし。 あと20分位したら、行ってごはんをやるべしと、その間に日記を書いている。 畳部屋や物置はさんざん叱られたんで、絶対に入らない。 行くと、ひどい目にあうとわかったらしい。 今日は試しに、少し意地悪をしてみた。 物置に小魚を置いて、「おいで」と誘いをかけてみたが、じっと見つめてはいたが入らなかった。 テスト合格、かしこい! 小さい時にしっかとしつけるべし、と。
右の耳したのリンパは晴れて痛い。 末弟起こしから帰ってだる、と思ったら熱が38度近くもあった。 まさか、新型?とおびえながら、カッコンとロキソニンを飲んで、一眠り。 下がった。 36度2分。 免疫力が落ちているよ・・・睡眠不足だろう。 気をつけねば。 まだ、首のあたりが腫れ美味でやや痛い。 ダスカロス会で習ってきた「白い手(霊体の手)」で自己治療に励んでいる。
今日は暑い。 やや鬱、どうも弟の命日が近づくと、落ちるなあ、テンションが。
終日、お掃除。物置整理。 ごみ袋大を二個捨てて、更にもう1つできたが・・・まだまだ。 とにかく、10日に1回は、物置のものを捨てまくらないと。 今の半分にしたい。 当分、死ねないなあ。(しかし、はかない人間の命・・・明日はわからぬが) 洋服、昔のものがみんな入る。 代わりに,最近のものはみんなぶかぶかだ。 で,捨ててはいるが・・取ってあった物を着ると,10年は洋服を買わなくていいなあ。 学校時代の必需品のスーツは,ずんずん捨ててそう何着も残っていないが,それでも幾つか残っていたが,捨てた。 しかたないよね。 バックやザックもっもはやいらないのに、たくさんあり。 生活が旅と無縁になったしね・・・ ザックなんて,エベレストに一回だけという大きなモノなんて,この先どうする? ザックは特大,大,中,小、ディユースと、まあたくさんありますわ。 で,捨てられずに保存してあったブランドのバック,実によき品。 つかいませう・・と思うも,本革なんで,重くて重くて。 軽量で,広げると中がよく見えてという代物を使用していると、こういうのはもうあんまり使わないあなと思うがさすがに,バーバリとかランセル,ロンシャン・・・捨てがたし。 横浜時代は結構使っていたと思うのだが、みんな全然傷んでない。
とにかく,そうじで暮れた秋分の日,お彼岸。 今朝は,実家でお経をしっかりと読んできた。
掃除の邪魔をするのは,ネコだ。 ごみだらけの物置に入ろうとするんで,「ダメ」としかって,首根っこをつかんで頭ごつん。 これを入ろうするたびに数回したらごろごろいって丸くなって見ているだけで,絶対に入らなくなった。 畳部屋もそうだし,テーブルもそう。 違反したら,ダメとしかって,首をつかんで,頭ごつん。 畳の部屋が開いていても,座ってみているが絶対に入ろうとしない。 テーブルも椅子に座って,行きたそうにはするが,我慢している。 ちなみに,今朝は実家の犬がいいことをした時に上げるおやつの入っているバックを,爪をかけて引っかいてかじっていたので,がんとしかって「おまえは野良じゃない,家ネコだ。もっとプライドを持て,こういう泥棒ネコのようなことをしてはいかん」と首根っこをつかんで,厳しく言い聞かせた。 やはり,とりあえずはしなくなった。 結構,賢いようだ。 思慮分別のあるネコに育つだろうか。
2009年09月22日(火) |
あっという間に連休中日 |
★20日日曜 深夜に姪が男子出産。しかし、弟が他界した病院で、わたしはいまだ病院に行かず。行けず。いまだに、実家に行くのさえ、病院脇の道を通れずに、迂回しているんだから・・・いずれ退院してくるし。 同じくこの日、カーブドッチ温泉なるぶどう農園とワイナリーなどなどがついた新潟で話題の温泉へ。ここ、オーナーが捨て猫に同情して保健所にやらずに飼育している、その数六十匹弱。広い敷地ないにネコがうろっとするのが売りでもある。 わたしをつれていったくれた知人がやはネコ好きでオーナーの知り合い。 最近捨てられたばかりの子猫5匹も見せられて、飼い主を常に探している状態と聞かされて・・・なんだかほっておけずに、1ぴき引き取った。 当座必要なえさとかネコ砂とか下さった。 尻尾曲がりの茶トラ。子猫たちは結構きれいかわいんだけど、この子猫だけは、尻尾がギクギクに曲がっているんで、かわいそうで。だって、飼おうという人、やっぱり、尻尾はまっすぐで、かわいくてかしこいっていうのがいいんじゃないか・・・つまりこの子は残りそうなんで、わたしが。 ★21日月曜 友人と、アジア映画祭の「青春の鐘」(日活。なんとあの倉本聡さんのシナリオであった)を見に。 かつてのアイドル舟木一夫と松原千恵子とか山本陽子とか。昭和四十四年の作品。 舟木のふんする大学生が長岡出身ということで、当時に長岡駅とか町とかなつかしさ満載。 終わってから、いいお天気の中、友人と散歩でやっぱりなつかしい話をした。 午後からは、特製チラシ寿司を作って、敬老の日ということで実家へ。 夜はこれまた敬老の日サービスで麻生の湯へ。 混んでいた。
★ネコ、本日3日目。 散歩もいらないしご飯と水さえしっかり用意しとけば大丈夫。 わたしが出かけて、帰ってくると箱の中でねている。 今日も、朝は末弟起こし、昼間末弟と実家のちび犬を神社カフェに連れていくんで結構留守にしていたが、とくに寂しげでもなく。 ただ、まだ2ヵ月くらいで赤ん坊なんで、足にまとわりついてニャアニャア少々うるさいのと、いけない所に入ろうとするときに厳しくしからないといけないくらいで、犬より楽だ。 分別のあるネコにしたいと思っているので、畳の部屋に入る、障子に爪立てをしそうになるとき、テーブルに乗ったとき、バシバシしかっている。 トイレも1発で覚えた。 「鉄は熱いうちに打て」「三つ子の魂百まで」ということで。 ただ、しかった後はしばらく小さくなっておとなしくなるんで、頭をなでてかわいがってはいる。 夜は一晩目は、あんまりうるさく鳴くので箱のそばで寝てやったが、昨夜はいくら鳴いても相手にしないで、一人で箱で寝ろとほっておいた。 あきらめて寝ていたようだ。 わたしがお昼寝しているときも、部屋にいれろと鳴くがかまわない。 やっぱりあきらめて椅子の抱っこタオルで寝ていた。 慣れとあきらめが大切。 クールな関係でありたいので「猫かわいがり」はしないときめている。
2009年09月19日(土) |
寝ているか 本読むか |
午後から、映画祭を1本、と思っていたのだが、やっぱり寝ているか本を読むかがよくて。 ダメだなあ。 相変わらずだ。 いつまでこんな感じなんだろうか。
民主党のやり方、まあ一種の革命だ。 毎年1年で辞める総理を見てきたので、鳩山さんが妙にきりりと見えるこの不思議。 管さんは、身体、ずいぶんとしまった。 遍路での体験が政治にどうつながっていくのか。 夜な夜な、安全で安いと高級ホテルで会食していた麻生さんよりはまっとうなことをしてくれるだろうとは期待しているが。
しばらく いいお天気のようだ。 敬老の日があるんで、シルバーウイークだそう。 なかなかいいネーミングだ。
午後から、アジア映画祭「1000年の山古志」を見てきた。 アフター地震後の暮らし。ドキュメンタリー。 亡き父の残した親鯉を引き継ぎ会社を辞めて「鯉師」になった人。壊れた田んぼの復興に取り組む女性、牛の角突きの再開。復興にシンボルひまわりの種から油を取る女性。 つぶれた牛舎を再建。そこに亡くなった牛たちの名前が書いてあって、冥福を祈ることばが書いてあったのに感動した。→これこそニッポンの心。 再興の映画ではあるし、山古志の美しさも十分撮れていたし、長い時間をかけて住民とのつながりがとらせた映画というすばらしさはある。 しかし・・・・なんでだろう。 これはわたしの、気分というか、人生の問題が反映しているのかもしれないが「滅びの美」を感じてしまったのだ。 いちばん最初に「discover ture Japan」とタイトルが出て、ちょこっとなんだかなあ・・と思ったのだが、見終わってtureを missingに変えたいような・・と。 山古志ということではなくて、日本全体においてこの映画に描かれている風景や風習はやがて「失われていく」美なのだろう、と。 その前に、今世を去りたいねえ。 わたしは、明らかに滅びの美の世界(古きニッポン)を生きてきたと思うから。 すべてが静かに崩れ去る、あるいは中から腐り果てて崩れるのは見たくない。 そんな気がする。
今回、映画祭三回券を購入。 あと2本、何を見ようか。
2009年09月17日(木) |
いいお天気、南無日天さま |
すばらしいお天気だ。 今朝は、末弟がショートステイで通所のほうに1泊したためにやや寝坊。 末弟、月1回のステイを、本人は「夜勤」と称していやがらずにいってくれるので母が助かっている。 友人や知り合いに、毎朝5時半過ぎには起きて末弟に玄米菜食の弁当作って、朝起こしにいっているというと「大変」とか「よくやっているね」といわれるがなぜかそうは思わない。 ま、確かに客観的にいえばフツーじゃない話だが、自分としてはなんか不思議だけど「当然」という感じだろうか。 もちろん、わたしも人間だし、たまには、こんなこといつまで続けるんだ・・とか思うこともあるのだが。 多分だが、前世で、わたしは末弟になにか多大な「借り」を作ったのだろうと思う。今生では、それを今せっせと返している最中なんだろうと思っている。 だから「当然」という思いが涌き出るんだろうと感じている。 これが終わると、わたしの今生の修行も終りか。 (この連休は身辺整理するぞ) 来世まで持ち越ししたくはないよなあ。 ま、せっせとやります。 亡き弟も、末弟にこんな借りがれば、まだこちらにいたかもなんて思ってしまう。 末弟のおかげで実家や母とつながっている感謝、と毎朝念じている。
今朝はそんなわけで、ゆっくりと瞑想と朝の祈りをした。 何しろ、朝の清浄なる光、頭のてっぺんの百会から太陽エネルギーがどんどん入ってなんと言うか気持ちいい。 このところの瞑想課題は自分の肉体の内にある白い「エーテル体・・霊体」をイメージすること。(これが、頭のてっぺんからスイーンと抜けたら、体は抜け殻になるんだよ、いわゆる屍、チベット僧は、意識を保ったままスーッと抜く練習をするというじゃないの。)
で、その霊体の手にレモンを「現実化」して色や匂い、さらにはジューシーさをリアルに感じること。 これ、ダスカロスの会でお習いしたこと。 ここまではわりと簡単にできる、問題は、レモンをバラに、さらにはオレンジに変容させてリアルに感じるということ。 わたしは、バラより菊をイメージしているが。 一種の「体力」がいります。 白をイメージして、そのうちに入って、下降するって言うのを最終日にやったのだが、これ、できなかった。難しい。 白を創出しても、入って降りるだけの力がない。 下降ができるようになれば、「超自己(内なる神)」に会えるのだろう・・って思うのだが。 道は遠い。 しかし、プラクティスあるのみ。 反省 今日の日記はやや オカルティックだったかも。
昨夜、1時過ぎまで本を読んで、今朝は5時40分には起きて・・・で末弟の朝起床ヘルプから帰ったらめまいがする。 で、しばし(といっても2時間も)朝寝をきめこんだ。 反省 11時には寝よう。
今日はいい天気。 ついに鳩山さんが総理大臣ですか。 大風呂敷の公約でいくつできるのか? 見守りですね。
新型インフル、ついについに健康だった(持病がない9若い人たちもあちらに連れ去り始めた。 この冬はどんなことになるのか・・・・
三輪さん本「正負の法則」おもしろし。 簡単にいえば、 美人という正を持って生まれると、薄命という負を背負う。 という理屈。 さらには、満ちれば欠ける。 平氏、織田信長、秀吉、みんなその人生はこの法則どおりだという考え方、そうだよね。 信長なんて、あちこちで焼きうちというジェノサイドをして、最後は自分もお寺で焼きうちだもんね。 これはまあ、因果応報でもあるが。 あと、家族のつき合い、「腹六分目」というのも人生キビなり、と思った。 ホント、本を読む勢いだけは我ながら衰えない。 上京したとき1時間だけ、八重洲ブックセンターに行ったんだけど、幸せだった。 本大好き、本に囲まれていると安らぎも感じ、わくわくも感じる。。 そう言えば、私の夢の1つには、図書館の隣に住む、あるいは歩いて五分以内にすむというのがあったっけ。 こんな夢を思い出した私、少し下降気分が下げ止まったのかな、と思う。
今日は父の命日。 あっという間に弟まで父の世界にいってしまうとは思わなかったけれど。 父は夢にも出てこないけど、あっちで何をしているのかなと思う。
2009年09月14日(月) |
土・日はダスカロスの会 |
土曜と日曜夕方はダスカロスの会の二回目と三回目だった。 夕方上京して、出席。 夜は横須賀に移動。 走水神社と小桜姫様のお社をお参りしたかったから、できるだけ近くに宿泊したいと。(どちらもかなり辺鄙な場所にある) 午後は川崎の大伯母の仏前に参って昼下がりは友人とあって・・夜はダスカロスの会の三回目。 大変欲張りな予定であった。 疲れた。
走水神社は、弟橘姫と日本武尊をお祭りした神社。 弟橘姫が夫である日本武尊を無事に船出させるために入水したというあたり。 富士よりの?伏流水の湧出場ということで、かなりのパワースポット。確かに気の強い場所であった。 宮司さん不在であったが、地元の方々が大事にお祭りされている神社、甥の良縁祈願をした。 小桜姫様の社は、三浦半島突端の浜諸磯という漁師町(村落)の神明社のそばにひっそりとあった。 小桜姫さんが三浦一族の地であるこのあたりを暴風から守ったということでお祭りされたはず。 弟が他界したあとに初めて読んだ霊界通信小桜姫物語の語り手であった。 語られたそのとおりの史実とお社があることがすごくて、お参りにいったわけだ。 セミ時雨の中、小桜姫様にいくつかの誓いをしてきたが、それは書くまい。
午後からは川崎の親戚、友人との会食、ダスカロスの会、と疾風怒濤で過ぎて最終の新幹線の中では寝てきた。
いい天気だ。 でも風は冷たい。
寒い。 下着に半そでTシャツ、薄手トレーナー、さらに靴下まで。 こんな9月はありえない。 昨日は、救助ヘリが落ちた。 あれもありえない、と思った。 あっという間に3人の気高いお仕事をされている人たちが旅だって逝かれた。 祈念ご冥福。 ご家族、無念であろう。 人間とは、大海の小船。 あっという間にひっくり返る。
今年は、9月9日より旧暦の9月9日(10月26日、確か)は、地球にとって(即ち地球に寄生して生きている人間たちにとって)大切な時期らしい。 生命体である地球の感謝の念を送るときだそうな。 朝起きたらお日さまに向かって「地球さん、ありがとう、ご先祖さんありがとう」って、みんなでさけびませう。
9・11のあの惨劇。 12日からヨーロッパに発とうとして準備中だった私、テレビにくぎ付けだった。まるで映画のシーンだった。 実はアラブ圏で、あれと同じシーン、実際に映画で撮影されてことは後で知ったのだが。 世界はあれからずいぶんと遠くに来た、と感じる。 私の人生もまた、然り。 これから先、一体世界はどう変わるのか。 私は? 何ができるのか。 それぞれが、そんなことを自己に問いつつ、自分が毎朝に目が覚めて生きていることに(それは自分の力ではない)、感謝の祈りをささげる時代になっているのだと思うが、どうだろうか。
今日は、朝、寒かった。 午後からはお日様が出ている。 今夜も母を連れて温泉に行こう。なんとなく顔が膨れているというか、多分腎臓がが疲れているんだと思うのだが、冷えだと思うのだが・・。 ということで、火曜から、毎晩母を温泉へ。 麻生の湯は、11時過ぎまでやっているので、塾が終わってからでも大丈夫だし。 何より濃い塩湯で、あったまりが速いんで、30分もいればというスピーディさがいい。。 地震雲系が、南西から西あたりに漂う。 ただ、そう大きいものでないと思うが。
今日は「自殺予防ディ」なんだそう。 今年も3万人突破だそう。 簡単に割り算しても、1日平均90人くらいが自殺で他界されている。 これは自殺という「テロ」との戦いだ、といっていい数字。 戦争だと思う。 世に漂う不幸感。 具体的にいえば、不況とかいろいろとあるけれど、それでも、心のうちに何かしら「光」があれば死なずにすむと思うのだが。 私も今、ないよな・・・そういう意味では死ぬ人の気持ちはわからないでもない・・・ため息。 でも、時間がすぎれば、状況は推移する。 よくなるとはいわない、推移する。 不変、ということはない。 だから、推移による変化を待って、耐えるしかないのだ、ニンゲン、そんなもんだ。ささやかなもんだ。
国体が始まっている。 っていうか正式には26日からだけど、水泳だけが日程とかの関係で一足早い。 会場が当地。 今朝はいつも渋滞しないところで車の列がすごかった。
今朝は寒かった。 雨もすごいし、竜巻注意報が出た。 午後になって、やっとお天気回復。 秋、秋だ。
はあ・・・という記事をヤフーのサイトニュースで読んだ。 ほかにやることがあるでしょ。 感想なり。
すっかり秋だ。 晴れているが、湿度低し。 今朝は半そでだと寒いので、7分袖に着替えた。 今年は、秋もはやい、冬も雪多しかな。 やや鬱。 定期的に来る、しかたないか。
昨日塾に来た男の子が「修学旅行のお土産」といって「野口英世の里」 お札せんべい」というのをくれた。 ありがとう! この子は、3年生からずっと来ていて、今、6年生。 規定の、決して多くはないおこずかいから私の分まで、私のことを思い出してくれて・・と、ただありがたくてうれしかった。 こういうことがあるから、生きていられるっていうのは大げさだけど、そんな面は確かにある。
さて、このおせんべいの裏にあった野口英世のことば 「私は何ものも恐れてはいない。私はこの世界に、何かをやり遂げるために生まれてきたのだ。私はそれを完成させたいと思うのである。たとえ、私がそこで死を迎えるとしても、私は行くよりほかはないのだ」 今朝、なにげにおせんべいの箱をひっくり返してこのことばに出会ってグワーン。 さすが、天才は、全て分かっていたんだね。 そう、人はみんな、何かを成し遂げるために生まれてきた。 それが野口のように、はっきりと成果が見えるものであるのか否かはあるが、それぞれの生にはみんな意味がある。 それは確か。 そして、それをし終えないと逝けいない。 それも確か。 そして、終えたら、例えばさっきまで元気であっても、今敷居にけつまずいても他界してしまう。 これが「この世」だ。 はかない、はかないなあ・・・
★昨日から今日のマクロビ食 *たまねぎとしょうがの素炒めカレー味。 オリーブ油で、薄切りにしたたまねぎとショウガをじわじわ炒める。塩をふって、カレー粉を混ぜ込んでおしまい。 たまねぎは、じわじわ炒めて甘味を出すととんでもなく美味になる。大好きな一品。 *キュウリとショウガの紫蘇梅酢 きゅうりは板ずりをして、ザックンと刻む、しょうがは薄切り、混ぜ合わせて梅干の紫蘇のみじん切りと梅酢を合わせて1晩漬ける。 *かぼちゃのいとこ煮 ご存知今の時期の定番。あずきを甘く(薄く)煮ておく。かぼちゃを煮る。薄醤油味をしてから、あずきをまぜてさらに煮こむ。 チョーうまかったっす。 *鮭缶と紫たまねぎとオクラの塩もみ混ぜ、柚酢あえ なんとっても簡単。はっきりいって、料理とはいえませぬ。 鮭缶の汁を捨てて。紫たまねぎとオクラを薄塩でもんで、鮭缶と混ぜる。馬路村のユズポンをかける。 これは馬路村のユズポンがまほうのように味をよくする。
2009年09月07日(月) |
イチロー2000本安打 |
イチロー、35歳、2000本安打、すばらしい数字だ。 おめでとう。 天才といえども、日々精進の稔りだろう。 モーツアルト(35)、宮沢賢治(36?37?忘れた・・)没。 天才の35歳は1つの区切りかな。
ダスカロスの会の話を書こうと思ったが表現がいろいろと難しい。 っていうか、ここに昨日のメモがないんだわ。 というわけで、いくつか私の心に刻まれたことばを書きたい。
許しよりも愛が大切。 愛にあふれていると疲れない。 身体より霊は強い。 身体は入れ物、身体は死んでも霊(魂)はよみがえる。 地球は今新しい時代に入っている、そのために真理が必要だ。 なんのために生まれてきたのか。 何が(他者のために)できるのか。 祈るときには、清らかでありたい、謙虚でありたい。 内省と瞑想を日々の生活に。
こんな言葉が残っている。
なお、何をいわれても平気、許せる愛せる・・こういう人がサイコセラピストの条件だそうな。 「ザ・ヒーラー」といわれたダスカロスさんはこういうお人だったそうな。 これ、若くして他界されたすごいヒーラーである山村幸夫さんもそうであったそうな。 私にはできないなあ(もちろん、資質もないが)・・・今も特定個人に対して許そうとして許せない、慈悲の心を持とうと努力しつつもなかなかにできないことに苦しんでいる・・・・し。 許し方を教えてほしいよ、と思った。 愛のほうが楽なのよ、愛にあふれるほうが気持ちいいのよ、十分に分かってはいるのだ。でも・・ため息。 真の意味で、いまだ「浄らか」になれない自分をもてあましている。 こんな感情を味わうために、この境遇に生まれてきたのか、と内なる自己に、神様に問うてみる。
昨日は、午後からあいた。 個人指導の日で、2時過ぎまである日だが、生徒さんたちの運動会。 で、午後からすぐに上京。 まずは、東京大神宮(伊勢神宮の分社)に参拝して国立博物館の「伊勢の神々と神宝展」を鑑賞。 神社とは、神様を拝むので、いわゆる「仏像」的なものは少ない。 しかし、神仏混交後に作られるようになったいくつか。 松尾大社の神像は、2メートル近くあってなかなかにユニークなお顔をされていた。 それと、式年遷宮の神宝作りには少し驚。誤解を恐れずにいえば、次の式年遷宮まで要するに二十年間「神様」がお使いになるお道具を御造りして御供したのが神宝。 その時代の粋を凝らしたものを、その時代最高の職人たちが「赤誠(意味:真心と誠実)」をもってお作りする。 そうか・・・伊勢の遷宮によって伝えられて来た「日本独特」のものがたくさんあるってことだわね。 でもなあ、今やそれは危機だ。 以前ネットで問題になった、東宮から出たといううわさの品々もこういったモノたちだったのだろう。 それを守り、伝えるべき位置(皇室)から、高貴な魂こもった品々がやすやすと流れ出るって、国の根幹が腐り始めているってことだもんね。 この国、滅ぶなあ。今の皇太子たちが即位すると・・・ おもしろいと思ったのは、神々がお使いになるという発想、これって、エジプト的だってこと。
結構混んでいたので、マスクをして。 その後、本館へ。 本館の高い天井や、ひんやりした人気のない展示室、なつかしい品々。 横浜で「もへじ」をしていた時に子どもたちとよく来た。 あのころ、私が帰郷して、さらに弟が先に他界するなんて思いもというか想像だにしなかった。 人間、先のことを考えるって笑止だなあと思う。ホントに明日のことだって未定なのだから。
夕方「ダスカロスの会」のセミナーへ。 生前、ダスカロスさんのセミナーで学ばれたハラランボロスさんという方のお話。 奥さんが日本人なので日本語でのお話。 お上手だが、むむむ・・ということばもあってそういうときはスタッフから助け舟が出る。 ダスカロスさんは、ヒーリングをして病気や障害を治しても、神様が下さったもので自分の力ではないと一切報酬をとらなかった。 それから、サークルというかたちでさまざまな教えを説いたが、組織をつくって自分があがめられるシステムを作らなかったというか、それを大変嫌った。 だから、ダスカロスの会もその基本に従い、ボランティアで運営されて、受講費も会場費に充当する額くらいしか取られない。(ちなみに1000円) 150人あまりの受講者。 何より、会場を包む雰囲気があたたかい、いい感じ。 (じき末弟の世話で出かけなければならないので詳細は明日) 一言だけ 自分の霊的な成長は自分でするしかない。 自分の足で歩くことが大事。 の言葉が印象に残る。
最後に、瞑想をした。 私の瞑想(祈り)は、もともと呼吸法からの派生なのでダスカロスさんの本にあるものはいまいちやってもこれでいいのか、と思うところがあったが。 「会の場」での一回で、「分かった」と思うところがあった。 これはよかった。 ハラランボロスさんは、毎日やりなさいといわれていたので、朝に活用したい。
昨夜は最終の新幹線で帰って。 いつものとおり起きで、土曜日に来なかった生徒さんたちの指導。 その後は、例のごとくごろごろ読書。 いいお天気だったが読書と午睡とそうじ。
2009年09月04日(金) |
hotmailがきえた |
おとといからホットメールがおかしいので、指示にしたがって、再設定するも、おかしくなったやつを削除したら、全て消えてしまった。 で、再設定したやつも作動せず。 なんてことを夕べは、12時過ぎまでやっていて、寝たのが一時過ぎ。 やれやれだ。フリーメールなんで、便利につかっていたのだが。 マイクロソフトの陰謀で、だめになっちまったよな。要するに、新しいバージョンにアップせよということなのでしょうが、なにぶん古い機種で、でもなんの不自由もなく。 マイクロソフト、きらいだ。
でも今朝は、5時半過ぎには起きて、瞑想(お祈り)と末弟のお弁当作り。さらにだ、今日は末弟の病院3件はしご。 帰ったのが昼の一時過ぎで、すっかり疲労。 お昼を食べて休憩とばかりにひっくり返って本を読んでいたら爆睡で、4時過ぎだった。 やれやれ。 明日の塾の準備をして日が暮れた。 こうやって、平凡に暮れることに「ありがとう」
今年は秋がはやい。 雪がたくさん降るのかな。
弟がいなくても甥が稲刈りを進めている。 ヘルパーさんと、定年になったのでアルバイトで手伝いに来てくれている従兄が戦力だ。 弟は、甥のうしろからついてまわっているとは想うが。 何しろ、生前も病院の窓から、望遠鏡で甥の仕事のようすを見守り、初七日が来る前に知人の夢枕にたって「息子の仕事ぶりが見たいから、だれかヘリコプターを頼んでくれ」といった人だからなあ。 それは、私が、おまえねえ、肉体がなくなるとどこにでも飛んで行けるから、ぺりはいらんのだよ、と大きな声で教えたら、わかったのか、出てこなくなったのだが。 この頃は、 霊界ってとこはね、修行すると、ランクアップするようだよ、消防団と同じだね、まじめに修行して、霊界でランクアップするといい。 と教えている。 生きることのみ考えて、「あの世」の学習はしないで他界したから、情報提供をしている次第。
それでも、しみじみと、今ごろ真っ黒になって、仕事をしていた弟を想う。胸が熱くなって目がウルウルする。 本当に姿が見えないのはつらいものだ。
ラジオを聞いていたら、若村真由美さんが出て話していた。 能登で復興支援の演劇「マクベス」をやるのだという。 その能登演劇堂と言うのは、奥の幕を開くと、なんと外、そこを本物の馬がかけたりとか。 そう言えば、昔、梁山泊の芝居でそういうの、見た。 よかったよね・・・で、見たい、と思った。(こんなふうに意欲が出るのは久しぶり、っていうかこういう意欲はもうでないと思っていた) 調べたら、残念。チケット完売。 すごいな、能登で、五十日公演なんて長丁場で、完売ですか。 この不景気の沈滞社会で。 自分が見られないのは残念だけど、うれしくなった。
それから、若村真由美さん、エベレスト、カラパタールを登って人生が変わったという、シンプルに生きたいと思ったという。 これ、共感できる。 わたしも、エベレストビューホテルで真夜中に目がさめて、窓のカーテンを開けて、真正面にそびえるエベレスト、黒い、真っ黒いシルエットになったかの山を見た。 泣けた、涙が出た。 「永遠」を見たと思った。 で、若村さんは、四十過ぎたら「死に支度」をしよう、自分が死ぬ時に自分の周囲の物たちもいっしょに消えるのが理想だ、と。 いや、まったく。 わたしもそう思いつつ、なかなか進まない。 やる気まんまんでひっくり返したストックルームが終止がつかなくなってごちゃごちゃだ。 それこそ、今は死ねないが・・・といってもわからぬが。
昨日は月がきれいな夜。 末弟のお風呂のお世話をした後に、母を連れて麻生の湯へ。 で、でがけに郵便受けをのぞいたら、文書、甥っ子の渡すそうと思わず出たことばが「イサオ!」 母が「おまえ、何言っているがら?」 おっとっとと。 で、甥をあらためて大声で呼んで、文書を渡して発車。 でも、弟のイメージが頭にやたらに浮かぶ。 んん・・あれ、車に乗っている。 気配がする・・・そういえば、桂温泉に、いっしょによく連れていったわねえ。 「今日、イサオが乗っているわ、稲刈りでつかれたかねえ」 甥の稲刈りに、心配しながらイサオくんの霊体はくっついて歩いているだろうという話をしたばかり。 「そうか、おまえ、でがけにイサオの名前呼んでたし、そうらかもしれん」 そう、無意識に名前が飛び出たんで我ながらびっくりしたんだよね・・・ 「イサオ、今日は桂温泉じゃなくて、麻生の湯だよ、おまえはいっていなかったねえ」 などと、話ながら到着。 帰りも「ほらかえるよ」ということで連れて帰ってきた。 母がいったもん「イサオ、つれてきたか」と。 一種の濃い気配。 昨日は確かに「あった」
今日は暑い。 クーラーをつけている。
本日作り置きのマクロビ食 *ゆでキャベツ・ピーマン・オクラごま和え *同上粒マスタードあえ 母から野菜をたくさんもらったので、みんなゆでて、2つにわけて、味付けを変えた。 *クレオパトラのスープ (モロヘイヤを刻んで、しょうがのすりおろしをたくさんいれて塩味にしたスープ。今回は、ごま油をちびっと垂らした。これ、醤油をちびっと垂らしてもうまし)→昼ごはんに食べて、夜も味噌汁代わりにこれで。 *秋刀魚のカレー煮(秋刀魚は厳密なマクロビ食では違反なので、なんちゃってマクロビです・・けっこういけます) *残りのカレーにジャガイモと人参を入れて煮物
あっという間に9月です。 去年の今ごろは、なぜだか弟のために祈らなくては・・とひらめいて一生懸命祈っていたっけ。(忘れもしない、上高地の旅から帰ってからだった) でも、みのらなかったなあ・・・ ああ、日が短くなったせいもあるだろうが・・ああ・・・しか出ないわ。
新型インフル、また一人逝かれた。 県内でもじわじわと学校閉鎖だの、学年閉鎖だのと 不気味な広がりとなってきている。
昨日のヤフーニュース、皇太子夫妻のご静養写真を載せていた。 ええ・・だって、ほんのこの前25日だったか26日だったかに那須から帰ってきたばかりなのに。(テレビで見た) それなのに、国民がみんなヒーフー言っているのに・・ただただあきれ、憤りを覚えた。 その昔の大君だって「民の煙」の有無(民の暮らし)を気にしていたよ。
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