2007年08月31日(金) |
8月15日、マサコさんのおふるまい・・・ |
買い物ついでに、文春を立ち読み。 8月15日、セレブなママ友とアイコさんのお友だちを招いてパーティだったのだそうな。 アッチャー。 皇太子さんは、子どもの時から、8月は慎みの月、15日は祈りの日と教えられて育ったというが・・・どうしたのよ!言えよ、自分の奥さんに「15日はやめようね」と。 8月15日って、終戦記念日とかいうけど正確には確か「戦没者の慰霊と平和祈念の日」とかいうんじゃなかったかな。 全く、そういう日に皇族さんがやることか、セレブパーティ。 数年前も15日に那須で、テニス、レストラン、お酒飲んで花火見物で大ひんしゅくだったのに学ぶことのないマサどんだ。 おまけに、隣にあった女性週刊誌(女性自身、たしか)の表紙が愛子さんだったからのぞいたら、ご静養のはずの那須で、那須動物王国で大騒ぎ。 ラクダに乗るわ、メーリーゴーランドに乗るわ、まあすごいすごい。 マサどん、ビョーキじゃなかったの?とつっこみを入れたくなった。 皇太子さんまでなんとラクダの上から「みなさん、楽しんでます〜か」と自分たちを見ている「国民」にいわれたんだそうな。 はあ・・・これ読んでわたしは、もうあきれ果てた。 新興宗教のオヤジがいっていたような台詞だ。 皇太子さんまで、マサ丼に合わせて、クレージーだわ。 愛子さんを出汁に、いい年こいた大人が2人楽しんでいるのだ。 自分たちが、遊んでいるばっかりに、国民入園者はいろいろと規制を受けているんだ、迷惑かけているんだ、という自覚がまるでなし。 「国民」のだれかが、お前らが来たから、オレらは規制かけられて楽しくねーんだよ、といってやればいいのにとおもうよ。 文春によれば、又この月末から9月アタマにかけて奥志賀高原に静養に行くはずだったらしい。しかし、ネットによれば、アイコさん発熱でキャンセルになったらしい。 アイコさん、もともと、弱い子だから、疲労でしょうよ。 かわいそうに、自分の子どもの状況を見て遊ばせリャいいでしょうよ。 バカ両親=ナルマサ夫婦だわ。
こういう人たちは、憲法で「象徴」とうたわれている天皇になる資格はない。 ていうか、なってほしくない。 恥ずかしい。 何とかならないのか!と思うよ。 いっそ、今の天皇さんで、天皇制をやめりゃいんだよね。 もともと、戦後になくなるはずが生き延びた制度だし、安倍総理さん、戦後レジウムの一掃、このあたりからおやりになれば。 残すなら、せめて、秋篠宮さんのほうに。彼らは、やっていることを追っているいるとまっとうだ。きっとそれなりに、しっかりおやりになるでしょうよ。
それにしても、15日にパーティやる皇太子費(=税金浪費)は、どんだけぇ〜だわ。史上最悪だね。 皇太子さん、嫁をまちがえた、つくづくと男は嫁で決まるんだ、特にぼんくら男はさ、と思う次第。昔、チビ&貧弱ではあるけれど、それなりに「品」のようなものが漂っていた。清潔感もあった。今や全くないね。 皇室ウオッチャーもへじでした。 みなさまも、買い物ついでに週刊文春と女性自身をのぞいてみて下されや。
メッチャ涼しい1日。
2007年08月29日(水) |
22日、白神山地へをアップ |
朝から、白神山地へをアップ。 早くしないと忘れてしまうよ。というところで。 月末で忙しいのだが・・・ さてガンガルよ。 ネットはけしますだ。
そうそう、中国の違法炭坑で石炭を食べて尿を飲んで生き延びた、さらに自分たちで穴を掘って出てきた人たちがいた。 すごし・・・とただサプライズ、感心。中国人魂だよ、これぞ。中国4000年の歴史を生き延びてきた遺伝子の強さを感じる。
今日晴れていますが、ぐっと涼しくなった。
2007年08月28日(火) |
8/21日弘前までアップ |
朝方にすごい振りの雨。 で、今日は一日雨。しかし、ムシムシしていて気持ちわるいので、ドライかけっぱなし。 こうやって秋が来る。 8月21日の日記をアップした。
7時少し前、英語のお勉強に来ていた子が、「外が暗くなった」という。 「うん、夏が終わるんだね。明日から学校だしね」 朝晩、とても涼しい。 夜に限っていえば、もう夏ではない。 何だか、あっという間に時間が過ぎていく。 やれやれだ。
昨日は実家で、宝くじ3000円也、当たったので・・と、お寿司をとったのだとか。よばれてきた。もちろん、大アシがでているんだけれど・・・何だか、かわゆい。
昨日14時に青森発。秋田、酒田、村上、新潟と乗り継いで、なんとうち着は、日付けが変わったのであった。深夜。 掃除だの、実家に土産だのを届けて、夕方4時に柏崎で用事があるので、14時35分のバスにのった。車で行くかとも考えたのだが、地震後の町中の様子が分からないし、疲れているときにシランところへ車で行くのはやだもんね。 被害の大きかったいわゆる閻魔通り商店街には、行かなかったが、町中のあちこちに今だ亀裂が走り、道路なども凹凸あり。 壊れた家は撤去されたり、ブルーシートがかぶっていた。 しかし、さすがに外側は平穏であった。 帰宅8時半。疲れた。ビールを飲んでテレビを見ていたら、そのまま爆睡していた。 旅の記録は、ボチボチアップしたい。
2007年08月24日(金) |
恐山の朝・・・イタコ部屋の偵察に |
5時に外を見ると、すでにお掃除をしている人(お坊さん?)がいる。 ほう・・はやい。 わたしも身仕度をして宿坊の前にある小高い丘に祭られているお稲荷さんと八大龍王さんを拝みに行く。 6時半より、勤行。 今日はお地蔵さんのご縁日、いいときのお参りになりましたというご挨拶があった。 ほうほう。 今晩は宇曽利湖で燈籠流しをするんだそうな。 勤行は、真言宗に比べると画期的に短い。 ただ、心経などは読まないので、勤行参加者が主体的に参加するところはない。 お地蔵さんのご真言をお坊さんがとなえたので、わたしは、わかったので唱えのでややよかったが。 真言宗の方がいいなあ、お勤めの形としては。 本堂に移動。 こちらは古い建物だ。 周囲に未婚で亡くなった人達の遺影や名前と共にウエディングドレスの人形が入れられたガラスケースたくさん。ウーム。
7時半より朝食。
食事が終わってから、本堂わきにあるイタコ部屋を偵察にいった。 おばあちゃんイタコさんが常駐しているのだ。 昔は大祭の時期だけだったらしいけど。 ちょうど、60代の女性2人と、男性1人が話を聞いているところ。 おばあちゃんイタコさんは白衣を着て、輪袈裟をたすき風にかけて大きめの数珠をくって座布団に座っている。そして、ごくふつうの調子で語っている。 まるで、世間話をしているようだ。 「もっど、はやぐにええぐすり(薬だ、多分)さ・・・」てな調子で語られるが、わたしに、半分もわからず。 もっとわかりよかったら、口寄せしていただきたいこともあったのだが、これではだめっす。あきらめた。
10時のバスで、下北駅へ。 バス停の前にあった霊場よもぎアイスを食べたけど、あんまりおいしくなかった。 さよなら、恐山。 また来てもいいけど、今度は、下北の民宿とかに泊まっておいしい魚を目一杯食べたいなあ。 青森駅着、12時47分。 食事をしてお土産を買って14時発に乗る。 エンエンと乗って、乗って・・・「舌の記憶」(筒井ともみ)を読む予定。
6時半起床。外はいい天気だ。シャワーをあびて、ちょこっと昨日コンビニで買ってきた飲み物やパンをかじる。 8時出発。 昨日町中案内のパンフを見ていたら、すぐ近くに善知鳥(うとう)神社があることがわかったのでまずはお参りだ。 けっこう大きな神社だ。善知鳥は、能にもなっているテーマ。
その後、駅まで戻ってバスで棟方志功美術館へ向かう。 「おらさ、日本のゴッホになる」のアーティスト。 絵もあったけど、やっぱり、版画がいいなあ。 作品に、非常にプリミティブなエネルギー、まさに三内丸山ではないが縄文的なものを濃く感じる。 生前のビデオを見ていると、その集中たるやや、これぞ天才を感じた。 町中に戻って、ホタテ専門のご飯屋さんでホタテフライ定食を食べた。 身がふっくらとしてジューシーで美味。
さていよいよ本命の恐山へ。 12時発八戸行き、野辺地で大湊線に乗り換えて下北下車。あとはバスである。 野辺地・・・わたしは「のべち」とよんでいたのだが、なんと「のへじ」と読むんですなあ。駅員さんに、訂正された。 のへじともへじ・・・一字ちがいである。 駅名を写真に撮りましただ。
途中に、浅虫温泉とかあるんだな。けっこう有名な温泉地だが、電車で来れるんだねと思った次第。 下北に降りたら、もう空気が青森ともちがっていた。 何だか、透明感がある。 北国の短い夏・・・はかなげな光が、思わず北欧を思い出させた。 どこか、ヨーロッパ北の田舎町の夏の終わり、といわれてもいい感じの空気感があった。
さて、電車着13時44分、バスは14時発。 「霊場恐山」とかかれたバスの表示が何だかパワフル。 時間通りに発、むつ市内を通過してサクサクと、進行。途中、昔徒歩の参詣者が飲んだ「冷水(ひやみず)」なる湧き水に停車。 飲んだ、もちろん。(泉を見れば、どこでも飲む私) やや、チョーがつく微量さで鉄分があるかなとも感じたが、うまい水だった。 どうやら恐山への道は、昔あるいていった道をのそのまま広げたようで、規則正しく「町石」が残る。 道は基本的に登りだが、やがてどんどん下る。 そして硫黄のにおいがプーン。 水色が美しい湖が見えてきた。 宇曽利湖だ。 恐山菩提寺はそのすぐそばに立つ。 今日はここの宿坊に泊まる。 1泊1万2千円。 ネット情報だと、部屋がでっかくて控えの間がある豪華さで、食事は精進だとか。 それでも高いよ。 前泊2泊(弘前、青森どちらもビジネス5000円くらい)より高い。 ま、2度と泊まらないだろうということで話のタネで泊まりませう、ということで予約してある。 考えてみれば、11月には閉めて5月からしか開けられない気候の厳しさ、アラスカと同じく夏に冬の分もかせがないといけないのだろうと。 宿坊に行くのに、なんとふつうの拝観者と同じく500円の入山料を取られる。まあ、不満はあるが、これまた夏のみだし、しかたないかな・・と納得。
15時少し前宿坊入り。 確かにりっぱ、応対も素朴なり。 部屋15畳、控えの間4・5畳。洗面所とトイレ広々。 それでも、15畳のまん中に布団を敷かれても落ち着かないよ。 自主的に隅っこに移動したわ、トホホ。 荷物を置いてお参りと散策に出発。 恐山菩提寺、もともとは天台だったはずだが、今は禅宗だ。 恐山は、下北では、というか東北一円で「人は死んだら、お山(恐山)さいく」といわれていて、霊魂の集まるところである。 春に行った出羽三山神社でも、お社のそばにひっそりとしかし、りっぱなかまえで、死者が詣で参集するお社があったし、これは普遍的で、ある意味この国において一番古い信仰の形なんだろうと思う。
ご本堂、新しくてりっぱの一言。 いよいよ、ぷすぷすと硫化硫黄のガスを吐き出している「不毛地帯」(地獄かサイノカワラか)へ進む。 要するに、那須の茶臼岳のように活火山状態ですね。蒸気爆発のけむりをはいている。(いや、帰ってきて調べたら、恐山はれっきとした活火山に分類されていた、おどろいた) 不毛の大地に色鮮やかな風車があちこちにささっていて、風が来るとそれがカラカラとまわる・・・お地蔵さんへのお賽銭も硫酸ガスに腐食されてまっ黒になっている。 山をまわってたどり着くのは宇曽利湖のまっ白な砂浜だ。 ここは浄土ヶ浜といわれているらしい。 ここから、霊魂たちは、お浄土へ旅だつ・・・これはニライカナイ思想ですか。 ここからまた道はお寺のむかう。道筋に若くして亡くなった人達の供養の碑が並ぶ。そこにも風車がまわる。 夕方5時近くなると、平日だし人もまばらになる。寂しいいい・・でもなんだか私には居心地いい。 高台のベンチで宇曽利湖の青色を見つめながら、夕方の気配をシミジミと味わったのであった。 恐山は境内にも温泉が4つもある。 だれでも入れる。 男湯が2つ、女湯が1つ、混浴が1つ。 昔歩いて参詣した人たちにとってはこの温泉は至福の湯であったろうと思われる。 あるいはまた、お寺に温泉(というか湯屋がある)のは、けっこう古いお寺の形態だ。東大寺、京都の善峯寺など思いつく。 東大寺は、もちろん今は跡だけだけど、京都の方は確か今でも15日だったかには薬湯をたいて参拝者が入れるようにしているはずだ。
ということで、私も食事の前に、境内の女湯(古滝の湯)に入った。 正真正銘、源泉加水(暑すぎるので)。濃かった。 神奈川からレンターカーで下北をまわって温泉三昧というご夫婦の奥さんの方がはいて見えて「きょうはこれで3湯め」とか。いいねえ。ニコニコ。 6時夕ご飯。 恐山講という、岩手からのじいちゃんばあちゃん団体。(20名ほど) 個人はわたしと、東京からのご夫婦と女性ひとり旅。 受付にいたお坊さんが、食事の前の言葉を指導。 禅の言葉のようだ。 けっこう内省的でストイックなお言葉だ。 たとえば「自分はこの食事をとる資格はあるのか、反省せよ」みたいな意味の言葉もあって。 机上はまっすぐに精進ではあるが、質実で素朴。 野菜の煮付け、キノコや野菜の天ぷら、酢の物、漬け物、和え物、デザートの果物盛り・・などなど小さめの器に8品ほど並んでいたろうか。 こういうのを食べていたら、絶対に太らないと思う。 終わったら、おわんのフタはあったようにかぶせよ、といわれてそのように。
食事後にお風呂。 こちらも温泉、大浴場だ。 ここは、白濁していて、何も見えない。境内の温泉と種類が違うようだった。 強いイオウ泉。 あっという間に手にしわができてすごい。 これに3度4度と入っていたら、しなびてしまいそうだ。
豪華な部屋ではあるがテレビがない。 思うんだけど、この硫黄充満の世界では、テレビとか壊れやすいんじゃなかろうか。 お寺や宿坊が新しいのも、「お寺商売」でもうかってということでなくて、朽ちていくんでしかたないんじゃなかろうか。 あの地獄不毛地帯を見たあとではそう思う。 お賽銭、まっ黒になっていたモン。とけていたもん。 テレビはいつもそう見ないのでなくてもべつに問題なし。 外にでた。月が見えている。 人気のない鎮まった恐山は、月光に照らされて清明で平和だった。(←平和って変な表現だけど、そう思ったのだ)
8時ホテルを出る。日差しは暑いが、風がさわやかだ。 やっぱり弘前はバックヤードに山を控えているせいだろうなあ。 駅の近くのリンゴ広場では、実際にリンゴの木が多種植えてあって青いリンゴが大きくなっていた。だれももぎ取っていたずらしないのが、いいよね。と当たり前のことに感心しているわたしであったのだ。
8時50分、ヨーカ堂裏にある弘南交通バスターミナルより白神シャトルバスに乗る。往復で2490円、なかなかお得なお値段と思う。 平日にも関わらず、バスに乗った人は、けっこうな数だ。世界遺産効果? えきからの客とあわせて車内の半分が埋まった。。 市街を抜けて岩木川沿いにバスはドンドンと飛ばす。新潟の道路より道路の車は少ない感じ。わたしでも運転できそうだ。 アモングリーンビレッジ、10時20分着。 アモン、というのは、暗門のの滝からとったネーミング。ここから徒歩1時間で3つの滝がある。いわゆる白神の緩衝地帯。 白神山地は核心地帯と緩衝地帯に分かれていて、核心地帯は許可がないと入れない。白神、と売り出しているのは、緩衝地帯とそこに接しているいわゆるボーダー地域だ。 バス客の半分以上の人たちがここで降りたが、わたしは降りないで津軽峠まで行く。 ここに樹齢400年のブナがある。ブナの寿命は一般的に150年といわれている。なのになのに・・・すごい命だ。 バスはここが終点で、20分ほど木に会いに行く時間があって、又戻る。 後ろで「昨日ビジターセンターのビデオで、マザーツリーはわしっていっていたけど・・マザーだったら、あたしとかっていうべきよね」っていた。 ウププ(笑)正しい。 ビジターセンターの白神紹介ビデオは確かに案内人がこののマザーツリーだって、ネットでは書いてあったね。 無意識の男尊女卑おそろしや。
アモングリーンビレッジからは道がダート、砂利道になる。 エンエンとグルグルとのぼること30分。着いた。歩いて5分ほどでマザーツリー。意外と細いが、身がぎっちりとして。木肌はゾウのそれ見たい。森の中では確かに際だって堂々としている。 それと、元気だ。 エライねえ、400年も同じ場所で努力していて。 そこから展望台へ。 いい天気なので、核心地帯がよく見わたせる。 山々山、これ自然林か。 でも、こういう山って、わたしが子どものことはあちこちにあった気がするのだが。ま、平凡な山よね。平凡で僻地だったから、ここに残ったとも言える。 熊野も僻地だったらから、残ったのだし。 白神が世界遺産になるということは、日本がこの100年近くの間に失ったもの大きさを想えってことなのか、と思った。 熊野本宮が明治21年に流された。明治になって奥山の木を切って水が大量に出たせいだ、といわれている。あの頃から始まった日本の開発がこの白神を世界遺産にしたんだよね、きっと。 アモングリーンビレッジに戻る途中にバスの中で、おにぎりを食べる。もうお腹がすいて、すごい、すごい。きれいな空気効果。
グリーンセンターのインフォに行くと、なんと、今日は暗門の滝コースも、ブナ林散策コースもみんな長靴がいるって・・・あれまあ。で、そばにレンタルショップがある。 道理で、長靴で歩いている人がいるわけだ。用心いいなあ・・とおもっていたんだけど。でもはいていない人もいるが・・・まあとりあえず借りて履き替えていくか、と350円なり。
入り口で、山を守る協賛金を募っていた。300円以上入れると、ブナの葉をパウチしたカードをくれる。まあ入山料、わたしは500円を入れてブナパウチカードを頂きました。 入り口にあるおいしいブナの森の湧き水をボトルに詰めて、散策コースから暗門の滝にでるコースを行く。散策といってもそれなりの山登りコースで、入り口を見ただけで「やめる」という団体バスのおばさんもおられる。 歩き出すと確かに、水があちこちからしみ出ていて、水が生まれている森だなあ、という印象。 独特のいい香りがして気持ちいい。 団体バスの人たちは、散策コースを歩くと帰っていくので、暗門コースにはいったのはわたしだけだ。 気持ちよく歩ける。 やがて川沿いへ。ここからは川沿いに上がって来た人たちと合流する。 それでも、散策コースのにぎわいに比べると全然少ない。 川ぞいに遊歩道が造られているが、けっこうアップダウンがある。 30分ほどで第3の滝。 ここでは、下から3,2,1とカウントアップする。というのも、昔は下からではなくて、マタギの人たちは上から降りてきてカウントしたからとか。 第一の滝、20数メートル。さて、ここからたき沿いの急坂、のぼって下って15分あまり、今度はだいぶダイナミック、30数メートル。しぶきがかかるが気持ちいい。またまた滝沿いの急坂の上り、今度はトンネルまでくぐって1の滝へ、これは40メートル以上。 気持ちい、マイナスイオンだあーーーっ。 久しぶりに荷物を背負って歩いて体を使って、自然を満喫させていただきました。
アモングリーンビレジに戻ったのは、3時。 バス時間まで1時間以上あるので、暗門温泉へはいった。 近くにキャンプ場があるので、そこに滞在する人たちの施設であるようなのだが、日本人てまっこと温泉好きだ、といいつつ入るわたしもわたしだけどね。 循環、加熱だけど、まあ気持ちよかった。 でも、なんと塩泉だわ、塩辛かった。 昔は海だったのか、と思うとやっぱり不思議だ。
18時20分、弘前発青森行き。 青森名物の夕食と思ったのだが、意外とない。 駅ちかくにあるのは寿司とかラーメンとか、どちらもホタテとか鮪とか書いてあるけど、わたしの求める食欲はこういう感じではない。 でもって、ご飯屋大戸屋(チェーン店)で野菜がたっぷりの定食とナマビール、野菜ナムル。おいしかったす、ビールがつくづくと。
長くて気持ちい一日でした。 ホテルの部屋を和室に他のは大正解。 くつろげた。 白神、来年も又歩きに来たい気がする。 今度は新緑の頃か・・願わくは。
7時9分発の電車で北へ。 村上、鶴岡、酒田、秋田、と乗り換えて弘前が終点の予定だが、途中、酒田で3時間弱、秋田で1時間半ほどの時間がある。 酒田は土門拳記念館に行きたかったのでちょうどよい。 秋田は、夕方中食タイムにちょうどgood。稲庭うどんでも食すか、比内鶏だわ。
さて、村上からの乗り換え、なんと今どき珍しい冷房無し車が連結されている。 窓いっぱいに開けて乗った。 外のさまざまなにおいがしてくる。 とくに、葛の花の甘い匂いがよかった。さらには、何しろ、海岸線をとつとつと走るので、潮の香りが、海を汚す大きな工場など皆無のところなんで、海がきれいだ。笹川流れは、きれいで有名だ。 座っていてもお腹はすく。酒田に着く前にコンビニで買ったおにぎりで早い昼ご飯だ。 酒田着、12時45分。駅前から、るんるんバスとかいう市内循環バスに乗る。 かつて江戸期、酒田は「本間の殿様」といわれる大商人だったかお金持ちがいて、北前船の寄港地で栄えたところのはずだけど。最上川を経由して集まってくる品々がここから運ばれた街のはずだけど、今は昔、古びた田舎町だ。 さて、土門拳記念館。 かっこよし。 建築は、谷口なんとかというこれができた当時の売れっ子建築家の設計だし、中庭のデザインは、勅使河原宏さんだし、外に立つ「土門拳さん」なるスタチューは、イサム・ノグチ。拳湖とかいう池の名付け親と文字はなんと草野心平さん。ほっほう、だった。 中はちょうど、「世界の子どもたち」展をしていた。 いつか見たかったんだけど・・よかった。 土門さんの筑豊の子どもたちを初めとした子どもをとったシリーズと対比させながら見られるが・・・でも、要するに子どもの世界は大人の世界の凝縮だ。 大人が幸せなら、子どもも幸せだ。 ってこと。 古寺巡礼、もちろんよかったが・・・わたしをグサーーと、ビビーーと感動させた作品があった。 それは、唐招提寺の金堂の千手観音さんの手を取った作品だ。 マジに、ぐはーーーと震えた。 こういうの、久しぶり。これは写真にしかできない仕事。 打たれたね。 原爆の写真もマッコウ勝負。 血が通っているのだ。 帰り、千手観音の手の絵はがきがほしくて、ショップで聞いたら「これですか」って指さされたのがポスター。 「亀倉雄策さんのデザインです」とさりげなく。 ほうううう・・あの東京オリンピックのポスター作りで有名なお方も、この写真を土門拳記念館のポスターつくりの作品として選んでいたのか。 何だか、自分の目がけっこういいせんいってんジャンと思えた瞬間。 やっぱり、あの手の写真、亀倉さんも、写真でしかなしえない仕事と思ったのだろう。 送ってもらうことにして買った、1500円也。
15時37分再乗車。 売店で、ズンだ豆アイス、260円を買って。うまかったよ。
17時20分、秋田。 駅ビルのお店で、稲庭うどん付きの海鮮丼と田沢湖ビール。 うどん、ビールうまし。
18時40分、今度は最終目的地の弘前へ。着21時50分。 駅前のホテルに。 今日一日で「ガンに生かされて」を読了。 「天国で君に会えたら」の作者だよね。
明日は白神山地だ。
2007年08月20日(月) |
昨夜の雨はすごかった |
ものすごい降りようだったよ。 雷もすごかったし。 でもって、1時間に48ミリだそうな。 すんごい。 でも、少し涼しくなったような気がする。 ススキは穂を出しているし、虫の声もにぎやかだ。
明日から、北へでかけます。
今日は、午前中は、母にたくさんもらった夏野菜でと残りモンのベーコンで夏野菜カレーたっぷり、これまた残りモンの果物でフルーツポンチを作る。 で11時に持っていって、それから、末弟を神社カフェに連れていって散歩とお茶タイム。 お昼は実家家族とカレーランチ。末弟をお風呂に入れて家族にビワしてうちに帰って3時。 シャワーをあびてアイスを食べて、お昼寝たっぷり。 テレビを見まくって、枝豆を肴にビールを飲んでテレビ三昧。 ああ極楽じゃワイ。 夕方になると風も涼しい。 日記のアップもサボりそうだったんだけどさすがにメールくらいはチェックと思い。
さあ、もう寝よう。
お昼を食べるときに、ナニゲにラジオをいれたら、フォークソング特集をやっていた。 トワエモアとか、キタヤマオサムとかが出てきていて、何だかなつかしや。 私は、基本的に、歌をうたわないし歌からもっとも遠いところにいる人だと思っているけど、聞いていると、口ずさめるのが多数。 それと、歌の流行した時期の自分が思い出されて何だか、懐古的であった。 年とったなあ。
朝はめっきり涼しかった。 昼はそれなりの気温。 それでも、日の出は遅くなったし、夏は過ぎつつあるのか。 こうやって時過ぎゆく、なり。
2007年08月17日(金) |
40度って、さらにはペルーの地震・・・ |
40度の気温、だれが想像する、温帯日本で。 ほんと、エジプト気温だ。 ミイラの製造可能なり。 エジプト人のように、ガラペーヤを着て、水分蒸発を防ぐべきだろうねえ。 体力のある人は、水分一気に500ミリとかとれる。 しかし、体力がないと(年配者や障害者)は、そんなに一度には無理だ。 さらには、年配者、障害者共にのどの渇きに鈍感だ。 いつの間にか熱中症ってことになるんじゃ・・・だから、屋外ではなくて、屋内、自分の部屋なんかで熱中症になって亡くなった人もけっこういるようだ。 乾きの鈍感な人には、周囲が時間ごとに飲ませるようにしないと大変なことになるかも、と思う。 ちなみに、私はエジプトでは、2リットルボトルかかえて歩いてラッパ飲みしてましたわ。1日2本はそれを飲みましたわ。 現在は、日田の天領水をお取り寄せして、この夏に体の水総入れ替えををしようと、やっぱり目指せ1日3リットル。それ以外にも、お茶、ビール、ジュース、コーヒー、ソーダ水・・多分4リットルはのんでる。 みなさん、水分とりましょうね!!!
ペルーは世界の貧困国の一つ。 最悪の被害状況だ。 おまけに冬だし。 いつぞやのパキスタンと同じだ。 たくさんの人が亡くなった。(祈)
異常高温といい、地震といい、地球の復讐が始まった?? ペルーだったか、チリだったの湖がある日突然消えたのは、この地震の前触れだったのかもしれない。
皇太子さんご夫婦、さすがにこの15日はおとなしくしていた。 学習したのか、宮内庁へ苦情メールが殺到したのかしらんけどね。 今日、ご家族で静養、那須へ。しかしマサどん@静養の静養。 でも、皇太子さんは47歳の働き盛りなのに、10日も静養って、いいご身分という人は大勢いるね。 テレビで見たけど、アイコちゃんひどいなあ・・・お辞儀はしないし(できないんだけど)、あのお手振りは・・かわいそうすぎ。お顔も無表情。舌をベロベロと例のごとくだして、足はぐねぐねで・・・。 もうああいう形で出すのはかわいそうすぎる。 しかるべき専門家についてもらって、どうしたら彼女が幸せになれるかを協議するときでないのか。 これって、もう「一種の虐待」っておもったのは私だけじゃないだろう。 うちの母だって枝豆かじりながらテレビ見て「この子は、何だかちっとおかしいよなあ」というくらいだモン。 マサどんが着ていた水色のスーツは、今どきヨーロッパのセレブや王族で流行の形らしい。でも、彼女は太すぎて、そんな「欧州ハイソの香り」は、残念ながらちっともしない。 皇室ウオッチャーmohejiでした。
久しぶりの雨だが、ムシムシ。
今朝も空が妖しかった。 夕方も、太陽にカサができていたし。 やだな・・と思っていたから、今日は茨城などで震度3,4がおおいような。 さらに、チリで大地震だったとは。 まだあると思う、空のようすでは。
それにしても暑い。 熊谷、40度・・・びっくりだ。
今日も暑かった。 祈りの日。 父の月命日でもある。 甥っ子は、なんと新幹線で靖国参り。 アッチャー。 家族全員が違和感を持っているんだが、本人は空気読めない系なんで、ぜんぜん平気。もっとも、そのあと、コミマだったか、秋葉原めあてだけど、あの子のアタマの中はどないなっとんのや。 若い子の右傾化もろ、だ。 ただし、私だって、A級戦犯を祭っていなかったら、参拝してもいい。慰霊したいとは思っている。 戦争を推進した人達は許せないから行かない。 絶対に、分祀すべきだと思う。
★オクラ料理・・・オクラ入り焼きちくわの甘酢あんかけ★ 昨日、母から、山ほどオクラをもらった、それもでっかいおばけのようなヤツも混じっている。 オクラ、意外とメインになれない野菜くん。 ネットで調べて、オクラとちくわの料理をつくった。 オクラを塩でもんでゆで。 ちくわに突っ込む。計20本作成。 オクラの入ったちくわを油を多めにしいたフライパンで転がして焼く。 水と酒を火にかけて、シメジを入れる、合い挽き肉を入れる。 酢と醤油、砂糖で甘酢味にする、とうがらしをすこし入れる。 オクラ入り焼きちくわを斜めに切って並べる。 甘酢あんをかける。 実家にも夕食の1品にお届け。 簡単だったしうまかったす。 ひん曲がっていてちくわにはいらんオクラくんは、そぎ切りにして、生姜のみじん切りとあえて、馬路村のユズポン酢をかけて冷蔵庫へ。 明日のビールのつまみができましただ。(ウフ) こういう幸せも、戦争の犠牲と終戦があったからだよね。 ありがとうございます。 ・・・ 小池百合子防衛大臣、何だか、人事を独り決めして問題起こしているね。 政界なんて究極の男社会なんだから、男以上に根回ししないと、ダメなのに。 だいたい、後任にこのご時世に警察官僚あがリって・・守備範囲違うでしょ。 バカだね。 それと、小沢さんのこと時間が止まっているっていっていたけど、あれもバカ。 小沢のあのあしらいで、アメリカくんが、ンじゃ、どういう譲歩が日本に対してできると動き出してくるんだから・・・そういうアタマの動きってないの、小池さん。 人事、独り決めもそうだけど、何だかこの人もまた安倍さんと同じく浅い人だ。 同世代なんで残念。
2007年08月14日(火) |
中越沖地震、仮設入居始まる |
昨日から、仮設入居が始まった。 この猛暑だし、よかった。 それとともに、泣き泣き自宅取り壊し、商店がの取り壊しも本格化している。 それにしても暑い。 冷房の部屋にいると、どこかにでるのがおっくうになる今日この頃。 生産効率悪い生活をしている。 やはり、日が出たばかりのさわやかな朝5時から7時までが勝負だね。 その昔、こういう暑さの中を、高知県を歩いたんだった、などと思いだししつつ、あの時は負けたよな。 今なんて、もう勝負する気も起こらないもんね。 これを老化といわずしてなんという???トホホ。
2007年08月13日(月) |
スペインかギリシャか・・のあおい空 |
晴天が続く。 雲一つない空に、旅の空を感じるわたしなのだ。 とはいえ、窓を開けっ放しにして寝ると、朝方の東からの「山嵐」(朝方に山から吹き下ろしてくる風のこと)で、寒くて目が覚める。 このところずっとそうで、昨日はやや風邪気味で、何となくだるくて、ごろごろしてしまった。
本日は、墓参り。 中学生個人指導。日本の原子力発電なんていう話をして作文書かせて、夕方お供えを持って実家へ。 末弟をお風呂に入れて、まだ明るさの残るうちに彼を連れてお墓参り。 うちに帰って、うちのお仏壇の仏さま参り。 弟がお酒を供えたら、何だか亡父の写真がうれしそうに見えた。 帰ってきてるね、浄土から、という感じ。 それから、みんなそろって精進の天ぷらとソーメンが13日夜の定番。 でもって、「帰ります」とわたしはご帰還。 明日も、末弟のお風呂介助だから行くし。 こうして、夏が過ぎて行くねえ。 多分、いいことなのでしょうよ。
来週がんばると、19日よりmy夏休み。 何となく、地震のせいで出かける意欲をなくしているのだが、1週間、うちで「よしなしごとしている」わたしっていうのは、想像できない。いや想像するだけで、ストレスだ。 18切符の今、行きたいところに行かないと・・・。連休の旅の会計報告、何か高いって、交通費なんだよね。 出羽三山山登りは、やっぱり単独行はもしかの時のために中止。 当初7月に行くことにしていた恐山をめざそうか。 恐山を訪れれば、日本の3大聖山を完了する。 すなわち、高野山、比叡山、恐山。 よし、これ、行こうか・・・・ なんて、夏の午後、ネットであちこち見ながら思案に暮れていましたが。 酒田で途中下車して前からいきたかった土門拳記念館、弘前で泊まって白神山地の香りをかぎに。その後、青森から下北半島、恐山へ。例の、マグロの大間岬なんかも近いんだけど、これは今回パスかな。 みたいな感じで。 旅って、この計画段階がたまらなく楽しい、ウキワクする。 旅の計画を考えるだけで、少しストレス解消した。
さて、今日は土曜だけど、夏休みのためにあと少し、作文指導をがんばりまする。
2007年08月10日(金) |
寂聴さん、今月の言葉 |
あっという間に今月が10日になっちまいました。 で、今月のお言葉。
力尽きたとき人は祈る。 祈ることにより力を与えられる。 信じてやまない超越者の愛を感じ取ることができるからです。
今日も暑かった。 と、やっとふつうに書ける夏になりましたわ。
2007年08月09日(木) |
子どもの本読みへのアクセス |
2月から始めたブログの「子どもの本読み千夜一夜」だが、まあ自己満足というか読書記録として週2回は書こうと、ボチボチすすめている。 みる人などない・・という感じだったのだが、7月になってアクセスが増えている。 増えているのは、今年の課題図書の紹介をしたページだ。 とくに中学生用の本「レネット」とか、「世界一おいしい火山の本」など。 アクセス分析をしたら、ヤフー知恵袋だったか、教えてグーだったかに、わたしのレネットのあらすじ紹介のページをリンクしている人もいたりした。 昨今、読書感想文をパクるHPまであるんで、宿題を楽してやろうという中学生たちが、わたしのページにやってきているようだ。 ブログの「レネット」紹介は感想文ではないが、まあ、わたしの感想なども若干入れているので、まんまパクって、自分なりに書きくわえなどして少しふくらませたら、それなりの感想文にになるだろ・・・と思う。(複雑だ・・・) 来年は、中学生用の紹介はよほど気をつけねば、と反省した。 それでも、7月なると、子ども本のブログへのアクセスが目に見えて増えるとは、まあ、学校の宿題も捨てたもんじゃないかもと、おもったりもした。
ちなみにレネットは、チェルノブイリ20年後物語。 他人事ではない昨今。 IAEAは、海産物への放射能影響を完全否定してくれたし、昨日は天皇皇后さんが被災地入りして下さったおかげで、入っても安全、いいんだな、という印象もできたと思うが。 それにしてもお二人は、70代。ホントは悠々自適の年代なのに、よく働かれる。 頭が下がる。昨日の訪問で年配者には、ずいぶんと喜んでいる人もいたし。 彼らがご存命のうちは「天皇制はもう賞味期限切れ」などと言うまいと思う。 対して、マサどん・ナルどんは・・・・もういう言葉もなし。 彼らが、しっかりとしていたら、任せられるのに。 おかわいそうにと思う。 マサどんは最近も、オワ家族と、銀座のレストランかりきりで実家ファミリーとご宴会だったとか。どこがご病気よ、という行状だ。 もちろん彼女は、ナルどんを連れていく。彼は、ほとんどオワ入り婿。まあ、ナルどんがいれば、最高待遇だし。おいしいのだろう。 ちなみにマサどんはイギリスの新聞だったかに「彼女は、天皇皇后が死ぬのを息をひそめて待っている」とかかれたらしい。まあ、そういうことなんだよね。情けないね。 「地獄のさたも嫁次第」って、確かテレビドラマのタイトルだけど、このタイトルは、まさにナルどんの状況か。 オオ、話が横道になった。 もとい! 夏は、新潟観光のかきいれどきなんで、なんとかせんとねえ。 新潟よいとこ、一度はおいで!! それにしても、朝の空は地震雲でいっぱい。まだ余震はあり、と思う。
11時6分、長崎、ちょうどまだいた子どもたちといっしょに黙祷しましたわ。みなさんは?
こ忙しくて、こんなことしている場合か・・などといいつつ、大学の専攻同窓生用のヒミツ雑談掲示板を作成。 メアドがわかっている人に送信して、今完了。 やれやれじゃ。 わたい、お節介じゃけんねえ。
あっという間に8月もだいぶ過ぎたけど、予定していることの半分もコトができていないのに自己嫌悪。 人生時間には、限りがあるのにねえ。 と大きくため息。 今日は、久しぶりに、冷房のせいか、気分が良くなかった。 お腹が痛かったのだわ・・・ さあねよっと。
2007年08月07日(火) |
中越沖地震の義捐金集まり悪し |
中越地震の2割程度にとどまっているのだという。 で、現在22億円。(これ見ただけでも、東宮御所の改築費30億円が如何に、巨額かわかるよ) もしかして、みんな募金疲れかな・・・ わたしも先週、市役所で地震義援金(これは、毎週10月まで続ける)と、熊本水害義援金が並んでいたんで、両方にしてきたけど。改めて、日本て災害が多いんだねえ・・とため息をついたわ。 柏崎市のアパートや貸家が、満杯だという。 子どもがいたり、お体が不自由だったりする人たちが、避難所からでて借りる。 長岡でも同じ現象があった。
気圧配置をみると、やっとまっとうな夏型になりつつあるという感じかな。 でも、北からの高気圧が時々張り出したりして、依然として不安定だし、だから、雷や夕立が突如としてくる。 今日は、33度くらいかな? でも朝晩は涼しい。
今、日本のNPOで、菜の花をチェルノブイリ汚染地域にまいて、放射能除去をする試みが行われようとしているらしい。 菜の花の栄養吸収機能で、地中の放射ぬを吸収し、できた種はバイオ燃料として活用し、汚染されている茎などは、低放射能処理施設に運ぶという。 いいなあ・・・あの黄色くて元気のでる花が、放射能汚染除去に貢献するなんて。そしてまたそこで農業が営めるようになるなんて。 お昼ご飯のあとにひっくり返って読んだ新聞の元気が出る記事だ。 これ、ノーベル平和賞に推薦したいと思うわたし。
今日はヒロシマの日。 みなさん、祈りましたか? このごろ、寝る前に地球という生命体に祈っている。 「アイしています、どうか、このまま私たちニンゲンをのせていてね。愚かな生きものですが許して下さい。ありがとう」ってね。
8月3週目、マイ夏休みで、韓国に行こうか、出羽三山山登りに行こうか、と思っていたんだけど、何だか出かける気がしなくなった。 地震のせいだ、と思う。 自粛というか、意欲がなくなったというか、まだ余震は絶対にあるから、出かけて帰れないなんてこのなるよりまあここにいた方がいいのかな・・って思っている今日この頃のわたしです。 何となく、不安というか・・・ねえ。 柏崎は、暑くてせつない夏です。 ただ・・・皮肉にもというか、ホテル旅館は工事関係者でにぎわい始めたという。 IAEAが入ったし、壊れた刈羽原発にどんな判断を示すか見守りたい。
靖国にA級戦犯を合祀するのは、後に禍根を残す。 正しかったねえ。 まさにその通りになった。 戦争を指導して多くの人を不幸にした人々と、家族を残すつらさをおし隠して戦争にいって亡くなった人達はやっぱり峻別すべきだと、思う。 長岡の空襲は8月1日午後10時半。 この時間に、長岡では白い花火が揚がった。 このあと、広島、長崎、敗戦記念日と・・・と続く。 忘れてはいけない、戦争の悲惨。 空から爆弾が落ちてこない幸せ。
昭和天皇は、さらに、「小和田雅子を徳仁親王のお妃候補からはずすように。水俣のつながりはダメだ、問題をつくる」といわれたそうなが、これまた予言通りになった。 ナルちゃん、昭和帝が亡くなって1ヶ月も過ぎないうちに、小和田雅子じゃないといやだ、とごねたそうな。 今週の文春、マサどんが、1週間に4回、80人ものアイコご学友+親と妹家族を招いてパーティをしたって記事。 皇太子は、佐賀で公務。 被災地は、暑さでうだっているときに、電車体験の次はパーティですか? まるっきり自分のことしかかんがえておらん。 ムッカ。 「ご静養」「療養中」だったら、おとなしくしてらんないの?この人。
水俣つながりどころか、今や、オワダご一行さまはまるで「藤原氏による外戚専横」という言葉の、藤原のところを「オワダ」に入れ直してもいくらいのことをされているようだし。 オワパパとママの自己紹介は「マイドーター イズ プリンセス」が定番らし。 で、利権、利殖、ヨーロッパ社交界にこの一言で食い込んでいるとはもっぱらのうわさではなくてまさしく事実。 もっとあやし系にも、「マイドーターイズプリンセス」で、食い込んでいるという、ウワサもあるし。 つくづくと思う。 もう、天皇制は賞味期限切れ、かな。 外戚専横なんて、歴史のお話とおもっていたら、こういうコトが起きる。悪用される。なければ、悪用されない。 天皇制維持のために、かなりのお金が使われているわけだし、これ一部無駄金だわ。マサどんと、オワダ一族の贅沢費じゃねえ・・・ 要するに皇室が格差社会の頂点、せっかくの利権は利用しなくちゃソン。 という認識がオワダさんちにはあるね。 昭和天皇の危惧大当たり。 昭和天皇だったら、今の皇太子夫妻の状況をどう打開されるだろう? なんて考えてしまう。 昭和天皇の戦争責任は、あると思う。 しかし、これらのさまざまな見識というか、正しい見通しはご立派と思う。 特に、靖国問題については、同時代のだれよりも正しかったんじゃないかと思う。
さて、今日は暑いわ。 夏らしい天気が続く。 今日も週刊文春マサどん記事を立ち読みしての感想でありました。 今年の8月15日、マサどん、遊ぶなよ。 3年前(オランダに行く1年前)は那須でお遊びだったね。 慰霊せいよ。 それが君が嫁いだうちの義務だぞえ。
今日は、台風風があって見事に煙が流れて、ずっとクリアに見ることができた。 といっても、サーパスができた(工事中)せいで、昨年の半分しか見られなくなってしまったが。残念。 それでも、花火師たち、見事なお仕事ぶりで、ビール2本をのんで、ブラボー、お見事などと拍手しつつ。楽しんだ。 本夕は、地元人が見に行く場所発見。 それは、農道というか、健康歩道なんだけど、確かにまわりに何もなくて見事にフェニックスなんて見られそう。末弟の入浴介助にとおる道なんだけど、今日は、ござをしいて場所取りしている人が大勢。ふだんは、夜なんて、だれもいなくて気持ち悪いくらいなんだけど。 でも、水際で上がる水中スターマインとか、信濃川に架かる橋に火薬をつけてしかけるナイヤガラとかは、信濃川土手に行かないとみられない。 まあ、来年あたりは、見に行くかね。
今日は幼稚園からいっしょで、小学校6年で白血病でなくなったオサムくんの命日だ。 彼のタマシイはちょうど9時の三尺玉が上がる頃に天に昇っていった。 逝きながら、見ただろうか・・・と、花火を見ながら3日の夜には思う。 だから、花火はどうも苦手だったんだ、もういいのかもしれない、というか、オサムくんどこかに生まれ変わったのかな。 そんな気もする。
それにしても、火薬はいかようにも使える。 人を殺すことにも、こうして美しい一夜のファンタジーにも。 是非とも、ワシントンDCのポトマック湖畔でこういうファイアーワークをして、火薬は、花火に使おう、平和を! とだれかせんかね。 ブッシュとかラムズフェルドとかミス・ライスを呼んでね。
それにしても、無事に終わってよかった。 アリュウシャンで、かなりな地震があったようだし、さっこんの地震雲はそれか・・・いやそうとばかりもいえない・・・中越地震の時も2ヶ月過ぎてもまだ震度5強があったしねえ。
2007年08月02日(木) |
タイフーンのフェーン |
すごい天気だ。 かぜは強いわ、乾燥はすごいわ、温度は高いわ。 久しぶりに、動き回ったら、だらだらと夏っぽく汗をかいた。 台風のフェーンの影響らしい。 さっき空を見たら、彩雲が出ていたけど・・・なんか、恐い気がした。 何しろ、朝はこのところずっと、地震雲だらけなのだ。
さて、7時半より花火。 背の高いマンションができてうちからの花火はほとんど見えない状態だろうと思う、残念ながら。 音だけ聞いてるのも悲しいから、時々のぞくけど・・・・ 風があるのは、いいと思う、煙が空にたまらないのでいい花火が見られる。 今日は、郷ひろみが特設舞台で、花火と共に歌うはず。 明日は、平原綾香。今年は豪華だね。 確か、どっちもボランティアでギャラなしと聞いた。 (しかし、席は有料・・確か1500円・・フェニックの打ち上げ代金だろう) 二人とも、花火が見たいらしい。(笑) そりゃ、歌うまでは特等席が用意されるだろう。 無事に、地震がなくて終わりますように・・といのろう。
2007年08月01日(水) |
遅いんじゃない、赤城農相更迭 |
いまさら、だよね。 もしかして、自民敗北の理由を赤城農相に全て帰結して、終わりってことか、アベちゃん。 優等生が都合の悪いことを、下っ端に押しつけて責任逃れしているの図だわ。
仮病でモンゴルでサッカーしていた朝青龍、2場所出場停止らしいが。ずいぶんと厳しいが、まあしかたないだろうなあ。巡業は忙しいし(遊べないし)、今回は地震の慰問とかもあって、ウザかったらしいが。まあ、墓穴を掘った。 まるでプロレスラーのような横綱だった(あ、まちがい、過去形にしてはいけませんね)し、すもう辞めてモンゴルのサッカー代表選手になればいいのではないか、はい。
そうそう、久しぶりに、ちょこっと、「ドス子の事件簿」をのぞいたら、マイバッハ祭りをしていた。 なんでも、ベストカーというクルマオタク系の雑誌に、マイバッハという超高級車に、高島屋のVIP口から乗り込むマサどんを目撃した、写真をとった、しかし、「今は静養中なんで今とった写真は消去して下さい」というSPからのお願いがあったのだそうな。でクルマ小僧なんで、クルマ以外の写真は消去>(?)で、クルマの写真のみを載せたのだが、コメントに、マサどん様が乗っていた・・ということでエライ騒ぎみたい。 宮内庁は、マイバッハは持っておりません、だから、知りません。見たいなんだけど、皇室関係の記事は、ミステイクは許されないので、情報はまちがいなしということであろうと。 要するに、御所を出るときは、公用車、どこかでだれかのマイバッハに乗り換えてお買い物。(男性と密会かというウワサまで出ていたが・・いくらなんでもまさかだろう・・・) まあ、ホントだとすると、愚かなり・・・だねえ。 皇太子妃という自分の立場がわかっていない。 もしか拉致とか誘拐されて、身代金要求されたり、「某国」に連れて行かれて、開放が政治的な交換条件になってしまったりしたら、どうする気なんだろうか。 SPがついてるったって、やる気になればできるよ。 だれか、そういう推理小説かかないかな。 こういう視点で眺めると、2ちゃんねるで「祭り」になるだけのことはある話題です。 そんなに自由に出歩きたかったら、離婚すればいいと思うのだが。 もうだれも止めないでしょう・・・
今日は、さすがに雲ひとつない夏日和。 暑かった。 しかし、なんかいつもの夏と違うんだよなあ・・・ そうそう、朝5時、東から南西にかけて地震雲、震度4くらいかな。 いつくるかはわかんないけどね。 花火大会の時に来たら、パニックになるだろうなあ。 ありませんように。
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