山形2日目。快晴。 ホテルを7時に出て、7時15分の仙台行きに乗った。 線路沿いには、多分サクランボの花が盛り。 やがて、山の間を列車は走って、右手によくグラビアで見る岩山の上のお堂が見えてきた。 さすがに早いので、門前のお店もまだ開いていない。 桜が満開。いい時期に来た。 登拝路のやじるしへ歩く。 根本中堂(といっても、まあ京都や奈良の寺に比べれば素朴であるが)をおまいりして、トイレによって、さて登りへ。 トイレで、ちょうどお掃除に入らしていたおばあちゃんにであった。 「あんた、いい時間にきだ(来た)よ。遅いと混んで大変だ。登りも下りも身動きでぎなく(できなく)なるよ」 そうか早起きは三文の徳だったねえ。 総鎮守の三枝神社があるも、まだしまっている。 わきには、芭蕉のかの有名な句碑。 「閑けさや 岩にしみいる蝉の声」 その前には、芭蕉の姿と同行した弟子の曽良の等身大の像。 悪趣味だけど、こうしないとわかってもらえ何だろうなあ・・・
さて、入山料300円を払ってのてのて登る。 入り口で、荷物を預かりましょうか、といわれたが、「これまた、修行ですので」とお断り。だってねえ・・・まあねえ。 往復1時間といわれたし、それくらいは大丈夫でしょうというか大丈夫じゃないと困るし。 途中「後生車」なるものあり。 亡くなった人を早くお浄土へ運んでも遭うために参拝人に回してもらう車だとか。 上に車、したに戒名が書いてある。 凝灰岩の奇岩だが、あちこちに穴が穿たれていて、遺骨や遺髪が納められているらしい。これは、四国でいうと、弥谷寺さんに似ているね。 というか、その昔は人は亡くなると山に行きそこから異界へ旅だった、ということなんだろう。 きついといっても、きちんと石段がある道だし、マアマア。こんな山懐にまあよくこれだけの僧坊が・・という感じで小さな寺があった。 それなりにフーフーいいながら、約20分ほどで奥の院着。 お参りをして御朱印をいただく。 そこから五分ほどで五大堂着。下からみえているお堂の一つだ。 向かいのお堂は、修行者のみにしか入山を許されていないらしい。 五大堂から奥も「修行道なので、危険です」の看板あり。 いってみました。確かに、一〇〇メートルほど行くと、広場のようなところ(多分僧坊あと)があって、そこから細い道が上にしたにと三本あった。 ここから上に向かうと尾根道へ出て駈け道になるんだろうと想像したが。
ボチボチ歩いておりたら、昨日も出羽三山神社でお会いした末弟の施設の職員の方とまたまた遭遇。ご挨拶して少しおしゃべりした。
九時五三分の電車で山形に戻って、少し早いが、駅ビル内のがストでお昼。 さすがにお腹が空いた。それと、蔵王温泉のために腹ごしらえ。 11時20分発のバスで蔵王温泉へ。 暖かい日差しで車中ぐっすり。 目が覚めるとそこは蔵王、でんとそそり立つ山が残雪に輝いている。 今回は山は無視して、新左衛門の湯という日帰り温泉へ向かう。 山のてっぺんには、「お釜」という名所があるのだが、ここはバスがようやっと運行したようで9時半発で、向こう13時。1日がかりみたいで今回は失礼。 お釜の類はアイスランドで飽きるほど見た気がするし。 さて温泉。 硫黄泉の白濁。 きつい湯だ。 あっという間に手がシワシワになった。 源泉かけ流しの湯の露天で隣り合った山形地元の方といろいろとおしゃべり。 おもしろかったのは、方言の話し。 彼女たちの置賜地方(米沢周辺?たしか)は、「時計が運んでたねえ」というのだとか。 「時計が進んでいたねえ」ということ。 へえ・・・・・・・!!でした。 「足を運ぶ」の「運ぶ」と同じなんだろうけど、古い使い方だと思う。 2時20分のバスで山形に戻る。 山寺と蔵王温泉入湯の本日の目的は完了。 4時発の新潟行きの高速バスはあるかと電話したら、あるというので、速攻でうちへ土産を買って、バスターミナルへ。 新潟でバスのりかえで、家着、10時近くでした。 お疲れ。 天気に恵まれてよかったね。 明日、29日分をアップ予定。
7時53分発新幹線で新潟、8時33分のいなほで山形県鶴岡。 鶴岡から10時37分の出羽三山神社行きのバス。 ふもとの出羽センターには11時15分に着。 ずっと、幻のようにまっ白な月山が、バスの窓から見えている。 うつくし。 しかし、後ろのご夫婦連れのだんなさん「鳥海山が見えているぞ」なんていう。 ちがうって・・・・もう振り向いて月山ですよ・・・ていいたくしょうがないおせっかいもの私。 でも、黙ってた。だってものすごく気分よさそうに言っているし。 しかし、そのうちに「あれ・・ちがうか・・鳥海山・・じゃくて月山か・・なあ・・いや・・・」 とおくさんによびかけるも、奥さん「さあ」 ついに「月山です」 とわたしが口を挟んでしまい。 「あ、どうも、ありがとうございます」 とおくさん。 小2年の通知票から何度も「自分のことができていなくても、人の世話をしますとか「お節介焼きです」とか幾度となく書かれているワタクシメ・・この期に及んでもその癖とれず。 でも、フンって言われなくてよかったわ。
でも月山、存在感あるお山です。 好きになった。
いよいよ、出羽山伏エリアにはいった。 通りの両側には、講の人たちの宿である宿坊が続く。 ふつうの民家風から、大きなお社風までさまざま。 羽黒センターのすぐそばに羽黒高校があった。 昔の表現塾に来ていた大ちゃんがはるばると川崎からここへ入学して、高校野球で大活躍したんだけれど・・・そうかこんなところへね。 近くにコンビニさえもないところって、お母さんが言っていたけど、イヤーまったく。 大ちゃん・・・どうしているかねえ。
さて随神門から歩く。 ここから杉並木が続く。 門をくぐるとまずは下る。 川を渡り、そばにはお不動様が祭られているのでお参り。 時々、勧請された神社のお社が続いている。
国宝の五重塔は、苔むしている姿がいかににも雪国の塔という感じでおもむきあり。 さてここからが一汗もので、二の坂、三の坂、もう見上げるような石段が延々と続く。琵琶湖べりの長命寺(西国三三観音)もまっ青。あそこもすごかったけどね。 あっちの看板読んで、こっちの神さまにお参りしてとボチボチと歩く。 芭蕉があるいた道だ。 12時前に山頂着。 神社のお社は、見事な茅葺きで大きい。うつくしい。 お社の前には池がある。 かつてはこの池がご神体だったとかで、ここから平安期以降の鏡がたくさん発見されるのだという。 それにしても、山頂によくこれだけの広さがあったなという感じの場所。 まだ雪が残っていて寒い。 お参りの後、日当たりでザックに入れてあったおにぎりを食べる。 単なるコンビニおにぎりでありますがうまーい、であります。 やはり、歩くのはいいわ。 まあ1時間足らずでしたが・・・ バス停近くの資料館へ行こうとしていたら、末弟の施設関係でお世話になっている方に声をかけられた。 アレマア、奇遇。
資料館には多数の鏡と仏像が展示。 仏像は、明治の廃仏毀釈で捨てられたり売られたりしたものを篤志家が、買い戻したり集めたりしてこちらに戻されたものとか。 これだけの仏像を見ると、つくづくと明治の廃仏毀釈がいかに野蛮なものであったかがわかる。 祖霊殿なる建物もあって、山にご先祖さんが帰るという信仰のあとが濃厚にあると思っていたけど。 神仏習合・・祖霊信仰が神社信仰と一体となった民間信仰ってこうだった、がよくかる。 出羽山伏は高齢化が進み、講たちの更新もなくて・・という問題はあるが、一般募集する秋の峰入りには都会からの参加が年縁増えて盛況だという。(パンフレットにあった。これ、私も見た、ネットで、いつか参加してみたいと思った) ま、いずれにせよ、出羽三山巡り、させていただきたいと思っている。 今回は下見・・なんてね。
バスで、降りる。 途中、山伏温泉ゆぽかで下車。 公共日帰り温泉。350円で安い。温泉は濃い塩泉で温まる。
大阪のオバちゃんふたりと地元のおばさんが世間話をしていた。 濃い大阪弁と素朴な鶴岡弁のコンビネーションがなんとも。 日本て、広い、と思ったことであった。 鶴岡発4時36分のバスで山形へ。 月山のわきを通る。まだスキー場が営業中であった。 それにしても月山、いいわ、惚れた。
山形は、まあふつうの都市だね。 名物のそばと牛のすじ煮とビールセット、の夕食を食べてホテル入り。 9時くらいから爆睡。 いいお天気に恵まれてよかったべし。
朝9時過ぎに出発、ミエコを拾って母を積んで、10時着。 しかし、しかしだ、すでに、10人ほどの人が入っているではないか。 で、あそこが治ったとか楽になったとか、温泉効能体験を聞く。 ムムム・・・かなりすぐれものの温泉のようだな・・・と言うことで、しばらく母だけでも送っていくようにした。 温泉回数券を購入、何とここは定期券もあるのだそう。 私の場合、入って帰ってくると食欲もりもりで、さらには眠くなって、仕事のこう率が落ちるので、はいる時を気をつけねばならぬ。
今日は荒れ荒れのすごい天気だった。 今は月がでている。 しかし寒い、エアコン暖房を入れている。
2007年04月27日(金) |
ルルドの泉と寺宝温泉 |
ミエコがオランダより里帰り。 いっしょに、ルルドの泉と成分酷似の寺宝温泉に行った。 母も行きたいというのでいっしょ。 よい温泉でした。 今日はすいていたけど、いつもは芋あらい状態だとか。 効くので評判、それで、今夕は桂温泉なし。
月がきれいだ。 まるで 満月を取ってくれろと泣く子かな 状態で、影まででる。 お日さまは出るが、風つめたし。
震度4があったようですね。 お四国と瀬戸内方面、お見舞い申し上げます。 今日の夕焼けがすごかった。 月にかかった雲もおどろおどろしかった。 5月アタマに満月、大地震要注意。
今日は18度まで上がるとかいっていたのに、セーターを着込んでしまった寒さでありました。 いつまでも暖かくならない。 少雪の年の冷夏かもしれない。
このところ、以前以上にすごい。 あっという間に、削除ボックスに、700.800とたまるのだ。 一時はじき返したいメルアドを律儀にいれていたのだが、彼らもドンドンアドレスを変えてやっているので、もうやめた。 無駄。 なんとかしたいよ、ウザくてたまらん。 でも、ババァーーと消していくのが一番確実ではあるのだが。
今日は当地雨。 何だか眠い・・・ そうそう、天気によって気分や調子が悪いのを「気象病」というそうな。 先日初知りのことばでありました。
三重地震震度5強以降、南から北まで地震華やかなり。 震度3、あるいは4が次々だ。 まあ毎度おなじみのところではあるが、逆にボチボチ揺れると安心してしまうわたしって地震病かしらん? 地震雲も相変わらずている、南西。 もっとも、うちからだと南西が一番よく見えるのだが。
きょうはあったかくていい天気。 さすがに桜は散っている。 あと数日がんばると、わたしは1週間お休みだ。 そう、4月末から5月連休お休みです。 掃除や衣替え、植木の世話・・・いろいろありだ。 旅にも行きます、1泊。 出羽三山神社と山寺。 せっかくだから、今年はボチボチと北方向の霊地を回ろうと思う。 北方向って、毛越寺と中尊寺しか行っていないわたしなのだ。 早く来い、連休さん!
亡くなった一長市長の弔い合戦ならず。 急遽出た市役所の課長さんが当選した。 まあ妥当な選択だとは思うが、今までの日本だったら、絶対に亡くなった市長の身内が勝っていたと思うが。 長崎市民はクールなんだろうか?と思った。 しかし、前の本島市長の時、今度と、同じ街で市長がねらわれる、二度あることは三度あるで、恐い気がする。 長崎の不名誉な風土色か。
兵庫・太子町で知人が町議になった。 岡山県で大学の先輩が県議になった。 末弟がお世話になった施設の理事長さんも市議(現職)当選した。 まあ、よし、ですね。
高知県東洋町の選挙結果、核再処理施設反対の方が当選。 ご立派です。 金より自然を取った。 誇りを取った。 金にタマシイ売らなかった。 ばんざーい。 21世紀のお手本のような選挙だ。 東京都民より正気だよ。 こういうのはうれしい。 ひさしぶりにすかっとした。
ひきかえ、女性が強姦されているのに、見て見ぬ振りの乗客ってなに?? せめて、110番通報しろよ、どうして誰もできないの、携帯を押して、女性が暴行されています、とかしろよ。 あまりに冷たいというか、腐っている。
大雨注意報がでている当地の天気なり。 何だかへん。
午前は、母を乗せて高龍神社へ。 午後から、長岡大学で行われる市民講座「東山油田講座」の受講。 私がよく行く桂温泉は、実は石油の試掘をしていたら出た温泉で、若干だが油臭がる、気がする。 長岡の東山一帯は、明治21年に石油が発見されてから、大正期まで日本の原油生産の一端を担っていた。 戊辰戦争で負けてボロボロになって、餓死者も出る始末だった長岡を救ったのはこのオイルだ。 明治21年から20年くらい、いわゆるオイルラッシュが続いたわけ。 オイルマネーが長岡の今の基礎を築いたとは、うすうす知っていたが。 ほうという話が多くてなかなかおもしろかった。 (今度ゆっくり書きます、です) ビックリしたのは、何と平成9年まで、細々とだが、操業されていたことだ。 この講座の目玉は、この産業遺産を見学に連れていってくれることだ。 自分で行ってみたいと思っていたのだが、あちこちに古井戸状態で掘ったあとがあって、案内人なしで行くと危ないと聞いていたのだ。 来月がその見学日で楽しみだ。
本日は雨。 桜は散り始めた。
今日も引き続きいい天気。 川向こうのホームセンターで種生姜とゴマの種、ネギの種を買う。 しかし、ネギは苗を買った方がよかったよね、失敗。 母が元気なうちに、生姜とゴマ、ニンニク、ネギの育て方を習っておこうと思って・・・はい。 で、帰りにこちらにかえってきて1度も行ってなかったでっかいスーパーによった。 そこは、その昔に日赤病院があったところにできたスーパーで、何となく寂しげな気がただよっていて好きじゃないスーパーなのだ。 しかし、探し物があって、行ってみた。 結局無かったんだけど、かわりに、馬路村のユズぽんと発酵バターを見つけた。 どちらも、徳島のスーパーにもなかったし、長岡に帰ってきても、近隣のスーパーになくて、この点だけは横浜はたまプラの東急が恋しかった。ネットでお取り寄せもいいかな、と思ったけど・・そのうちに大和(当地のデパート)あたりで探そうと思ってそのまま。 うれしかった。 帰ってすぐに、馬路村で水菜を食べて、ドライフルーツが入ったパンを軽くトーストして発酵バターをつけて食べた。 うまかったです! 特にバターはそうこれが私が求めていた味だわ、という感じで。 日本のバターって、発酵系じゃないので、何だか脂っぽいというか・・・違和感をいつも感じていたのだが、はいこれ!です、ヨーロッパの味。 実際、ヨーロッパは発酵主流だ。
今日は、田中金脈で問題になった信濃川河川敷にリバーサイド千秋というでっかいショッピングセンターができて田中真紀子さまがテレビでうれしそうに何かしゃべっていた。 東京・横浜のお店がたくさん入っているけど、私には関係ないわね。 あちこちにいろいろなものができるけど、競争が激しくなって大変だろうねえ。
桂温泉の近くに、麻生の湯が開店。 桂温泉は銭湯温泉だけど、こちらは、お食事どころもあるし、館内着や露天もある。 1度は入ってみようと思うけど、880円の入場料。(夕方は600円とか) 私は桂温泉でいいわ、ということで、今日も桂温泉で癒しの一時でした。 桂温泉は、自噴だけど、あちらは掘ったんだよね。 お客がへっているかな、と思ったけどご常連さん、たくさんいました。 金曜の夜に桂温泉に行くと、週末だな、としみじみ感じるこのごろなり。
はれました。 さすがに暖かい。 ストーブは入れていない。 チュウリップが咲いた。 花は正直だ。 あおい空をみると、晴れ晴れとする。 それにしても、アメリカと長崎の事件、犯人の心理状況、似ているなあ・・・・ と思って、今朝の新聞を読み、ネットをチェック。 長崎の銃撃犯も、実は朝鮮系の人だってネットにあったけど。こういうのは一つまちがうと差別だから。人種と事件は関係ないと思うが、今回の場合。
イラクじゃまた大量に人が亡くなった。 アメリカが手を引いたら、すこしはマシになる気もするのだが。。 明るくないニュースばかり・・・
2007年04月18日(水) |
長崎も、アメリカの大学も・・銃ですか |
昨日、銃が自由だったら日本だって、と書いたばかり。あれは夕方4時頃だったかに書いたもの。すぐそのあとに、長崎市長へ暴力団幹部による銃撃・死亡事件・・・・ 原爆についての筋が通っていた市長さんでアメリカで「原爆と人類は共存できない」と言った偉さはすごい・・のに、また大事なお方が亡くなった。ご冥福を祈ります。次の長崎市長、ちゃんと遺志をついてほしいもんだ。 それにしても ドンドン悪者はびこる世の中になっていく。
以前、旅先のボストンで、銃所有規制反対のデモを見た。 ワタシ的にはあり得ないデモ、と思って写真をとった記憶がある。 アメリカは、銃による自己防衛・自己責任が伝統とはいえ、もう21世紀だぜ。カウボーイ時代の意識は捨てるべきなのに、依然として・・・繰り返される。 ごく最近で、アーミッシュの学校が襲われて5人だったか亡くなっている。 それにしても、30人以上の学生の遺体が転がっている教室って、どんなん? 恐すぎる、悲惨すぎるわ。合掌
弟の知人が、行者ニンニクとイヌサフランをまちがえて食べて亡くなったとか。 新聞で読んで、どこの人だろ、と思っていたのだが、消防団の知り合いだといっていた。 よく似ている2つの植物が隣り合って栽培されていて、在来種の行者ニンニクが、イヌサフランに駆逐されていて食べたのは要するにイヌサフランということだったらしい。 おかわいそうにねえ。
まあ、明るくないニュースばかりです。
今日も寒い。 ストーブを焚いている。 灯油がないし、この期に及んで灯油を買いに行かねばならんのかな・・・やれやれ。
次の日曜、また選挙。 市議会議議員だ。 朝早くから遅くまで街宣車が来る。 先回の県議いっしょにやればいいのに・・と思ったのだが、お隣の役所勤務の方の話だと、政令指定都市しかそれは出来なんだとか。 へええ・・だ。 選挙の費用って、すごいから、たとえば立会人とか仕事している人をボランティアにしたら、かなり安くつくと思うけど。
アメリカの大学で銃の乱射事件。 33人だったか死んだ。 乱射したご本人は自殺。 日本でも、銃が許されていたら、同じことが起きるだろうな。 それくらい、この国も煮詰まっている。
三重の伊賀市だったかの市長さん、震度5強の三重地震で災害対策本部長なのに、接待ゴルフし続け。終わっても、宴会で、ついに対策本部に顔もださずにご帰宅。 信じられない話。 こういう人の下で働きたくないね。 市民は即刻リコール運動をすべきだわ。
さむい、さむい。 ストーブを焚いている。 桜が咲いたけど、暖かくないので散ることができないって感じ。かわいそう。 うちの玄関先のチューリップがやっと開いた。 菜の花は満開。 昨年実家からもらってきた黄色の蘭の花が見事3つ開いた。 いいことあるかな。 蘭が2年目も咲くなんて、ワタシ的に初めて体験だ。
破磐の宮司様とお電話でお話しした。 初めてお参りになったお名前も知らない方が妻のメッセージを伝えて下さいました。とのこと。 あそこの境内で起きるフシギはたびたびお聞きするけど、またまた。 冥界(天上界というべきか、彼女は神道で逝かれたから)はあるんだよね。 しかし、どうお声かけしていいかわからないほど落ち込んでおられた宮司さんが、そのメッセージのおかげで、ずいぶんとお元気になられた。 よかった。 こういうフシギは、お聞かせいただくだけでうれしい。
くたくたになるまで歩くとか、汗だくだくになるまで動くとかしたいと身体が叫んでいる。 私もけっこうストレス系になっている。
このところ、地元紙でもアジアプレスの記者によるイラクレポートがずっと掲載されていた。 ひどい状況になっている・・・朝、気持ちよく朝刊を開いてご飯食べながら読んで、ズックンと落ち込む。 極論をいえば、サダム・フセインが大統領の時のほうがよかったんじゃないの? 彼は今ごろ、地獄だろうけど、高笑いしているだろうねえ。 じきに、ブッシュも行くだろうし、魔界人同士で、地獄のそこでまた争いなさい、といいたいところだけど、しかし、現実世界では毎日毎日、フツーの人たちが死んでいっている、テロで。 せつない話だ。 アメリカは、イランにも戦争しかけそうだけど・・・・もうお止めっていいたい。 地球上、もはやいったん仕切り直しをした方がよい状態にまで行っているような気がする。 第2回目のノアの箱舟。
家賃が払えないで住所不定、ネットカフェ住まいの若者が増えているということで、厚生労働省が調査を始めたとか。 携帯電話1つで仕事をもらい、日払いを受ける。 だから銀行の口座も住所もいらないということらしい。 ワーキングプアの一番先端的な形。 対して、1本5000円のミネラルウオーターを飲んでいる、今どき水道の水を飲む人なんておらんでしょという国会議員、大臣が大きな顔して辞任しないのが許されている。 この国もいったん仕切り直し(地震等の破局)によってしか立ちなおれないのかもしれない。
今日は寒い。 ストーブを入れた。
今日は、近所の公園の町内の掃除と桜見。 ちょうど見ごろ。 掃除して、桜を見て、宴会は失礼した。 なにしろ、今日は末弟の誕生祝いを夕方にする。 で、「ネエちゃんのちらし寿司がいい」とリクエストがあったもんで、午後からは買い出しであった。 水菜、エンドウ、ウドのスダチ酢漬け エビ、ホタルイカ、ホタテ、シラスの釜揚げ、いくら、スモークサーモン タマゴのうす焼き シイタケの煮たの ゴマとナマ生姜のみじん切り(すし飯に混ぜ込む・なにしろ生姜教の信者である) 海苔のせん切り 本日の具材は以上。 春っぽくしたつもり。 ホントは、アナゴなんかものせようかと思ったんだけど、シイタケの煮たのと味つけ的にかぶるのでやめた。 毎度おなじみのサーモンといくらは、季節感ないんだけど、家族の好物、末弟の好物でもあるのではずせない。 シイタケは朝から戻したんだけど、そこまではよかったが、少し味が濃くなり過ぎた。
三重で震度5強。 まあ、わかります、だってずっと南西に地震雲でずっぱりだもん。 ワタシ的には、若狭湾あたりかな、次はと思っていたんだけど、南下したね。 若狭湾から琵琶湖あたりも空白域っぽいんだよね。 あると思う、いずれ。
今日は父の月命日で、月2回のお稲荷さんのお世話日。 8時過ぎにいって、榊を替えたり、冬におキツネさんにお着せした赤マントをとっていたら、もともとのお稲荷さんの祭り主の会社から、女性がでてきて「いつもして下さっているのはお宅さん?名前教えて下さい、社長に、見かけたら名前を聞けといわれている」といわれた。 「名前は勘弁して下さい、近くに住んでいますが、この近くを車で通ると引っぱられるんですわ、このお社に。で、なんだろ、どうしてだろ、と思ったら、さかきが枯れたりしていたものだから、これはお世話してくれってことかと思いまして月に一回か2回づつお参りがてらさせていただいてます。すみません。」 先代社長さんが、埼玉の方から勧請してこられたとかいう由来を聞かせて下さった後に「ありがとうございます。じゃ、甘えさせていただきます」といって、事務所から、粗品とかかれた会社で使うらしい箱をもってこられた。 「タオルですけど、つかって下さい」 あれまあ。 一応いただいてきました。 何だか、お稲荷さんからいただいたような気がしたので、うちのお不動さんにご報告した。 お稲荷さんに「ありがとう」といっていただいたような気がして、うれしかった。 まあ、末弟が行方不明になったとき、すぐこの前で保護されたのも何かの縁だとわたしは思っているし。まあ、この後もできるかぎりさせていただきましょう、だ。
さて、ちらし寿司を続行して5時過ぎには行くかな。 でもま、誕生祝いができるのがありがたし。
2007年04月14日(土) |
生保不払い268億円って・・ |
今朝の新聞一面に踊っている文字。 いやはや、結局のところ、じぶんの儲けしか考えておらんのね、保険会社。 まあ、それは、私自身事故なったときの保険会社の対応で十分わかってはいたけれど、ね。 自分で何かを生産するわけではなくて、もうけさせていただく人たちは、心して、それを誠実にやり通さないと地獄に堕ちるね。 士農工商って、身分制度はよくないっていうのが通説ですけど、「士」はともかくとして、農工商って江戸の格付けは正しい。 何かを産み出す人が上に決まっている。 仕事に貴賤なしっていうけどあるね、汗して産み出す人が上よ、それが人類を発展させてきた。 保険会社なんて、人の不幸を利用してもうけようってんだから、ほんと、誠実にことを遂行しないと、死んで地獄だ。思い知れ!(って、私は閻魔大王か・・がはっは)
今日は一日すごい風。 花落ちること、知んぬ 多少ぞ ですね。 せっかく咲いたさくらさんですが、落ちたと思う。 残念。
GPS、電波状況がよければけっこうな精度だ。 つかえる。 どんぴしゃで、位置確認できる。 認知症の放浪に出てしまう高齢者には合うと思う。 高齢割引もあるし、困っている人、つかうべしだ。 末弟の場合、障害者割引で、月に2千円ほどかかるが、もしかの保険と考えれば、安いモンだと思う。 それと、イマドコサーチってGPS機能がないと検索できないと思われがちだけど、携帯から電波が出ている限り、拾えるみたいなんだね。 行方不明になった、誘拐された、拉致されたってとき、警察に捜索願を出せば、警察の権限でふつうの携帯でもだいたいの居場所を確認してもらえるだろう。 基本的には、キッズ携帯は、許可なしでイマドコサーチができるけど、大人同士の場合は、相手から探す許可をもらわないといけないのだが、緊急の場合は、警察の手が入ればつかえる、と見た。 でもまあGPS機能の携帯電話を持たされてしごとしている人は、まるで囚人だよね。 それと、反省の色著しい軽微な犯罪者なら、この携帯を身につける義務を負わせて社会復帰訓練をするとかって、利用のしかたもできそう。 今や刑務所は満杯だっていうし、それ、全部税金だし、検討すべし法務省。
ドコモに苦情電話しました。 ドコモって、お客さま苦情窓口ってないんだわ。 む!って思って、とりあえずは、フリーダイヤルで、オペレーターと話したら、ワタクシが承りますときた。 「失礼だけど、あなたは派遣かなんかの方でしょ、もっとえらいちゃんとした人と話したい」(我ながら、いやなセリフだ、しかし、今日のあたしはこういう気分なんだわ) と言ったら「わかりました」としばし待たされて、サイトーさんなる女性がでてきた。 さすがに私は女だから「男を出せ」とは言いません。 ドコモの苦情承りが女性って、あり得るというか女性にさせるのが、まあソフトだから・・ってことでしょう。 で、私は、10日からのことをていねいに説明して、「契約結んで、GPSをつかえるようになるまで4回も足を運ぶって、今どきの日本にはそうないことでしょ」といったら、「はい・・・」と絶句。で「ほんとうに、そうです、申し訳ありません」 「若い人がみんなよくないとは言わないけど、長岡川崎ドコモショップは接客シロートで心がない、さらに自分たちが売っている製品の設定もろくにできないって・・情けないでしょ」 「その通りです」「ドコモ直営店だから、と信用していったんですけどね、お粗末すぎです。携帯auに変えたいくらい」「私ども、そういうのが一番恐いです」「接客モニタして、研修を深めて下さい」 まあこんな・そんな事で都合20分ばかり話して終わりとしました。 昨日から、GPSはつかえているし、いいかと思ったんだけど、時間の無駄か、とも思ったんだけど。しましたわ。おばさんの義務です。(と勝手に義務設定)
今日は、暖かくて桜が一気に咲いた。 明日は雨だろう。 早速散るね。 日曜は町内会の公園掃除と桜見会。 桜、ちょうどよし。 みたい。 今日は、メルマガ配信朝のうちに完了で少しゆったりとしている。 さてと、末弟をお風呂入れに行くかね。
弟より、午前だけでも手伝ってくれないかとの電話。 お天気はいいし「アイヨ」ってなモンで行った。 ハウスに、原種の稲の育苗箱をアルバイトさんたちと並べるしごとなり。 汗をかいた。 このところ、脳ミソの中に冷や汗をかくことはあっても、体に汗をかくことが少ない不健康さ。 はい、肉体ロウドー楽しみました。 ほんと、汗かくっていいですなあ。 今年は母じゃヒトの畑でショウガだの、ニンニクだのを作る予定なんで、汗かきが楽しみだ。
ところで、昨日のGPS設定、ミスで使うことができなくてまたまたドコモショップへ。 弟曰く「あそこのドコモショップはダメなんだ、若いモンばっかりで、成ってない。なんであそこへ行ったんだ」 うちから一番近いのだよ。 しかし、若いモンばかりでダメなんだ、とはわたしも感じていたこと。 わかいものばかりでもまっとうなときはまっとうだけど、あそこは腐っている、たしかに。 (この際書いてやるぞう、長岡川崎ドコモショップだ!!) で「今度は、ちゃんとしたヒトを出してチョーダイ」って、腹を立てていってやったら、やっとまっとうなヒトが出てきて、設定完了。 まったく、都合4回も足を運んだぜ。 きょうはできなかったけど、あしたは絶対ドコモ苦情窓口に電話をするゾウさん。
放浪の末弟にGPSをつけるべく、ドコモで「キッズ携帯」を予約した。 3月31日までだったら、PHS(薄っぺらい発信器的なもの)で「今どこ」するサービスをしていたのだが、そのサービスをやめてしまったのでキッズ携帯しかなかったのだ。もちろん、大人のGPS付き携帯もあるが、もうチョー高い。 それと、要するに発信器代わりであるので、キッズ携帯で十分。 障害者手帳があると、料金がいろいろと割引されてお得ではあるのだが、委任状とか書く書類が多くて、さらには、ドコモの窓口の若いのが、それをよく知らなくて、出直しとなってしまって。 わたしは怒りました。 「昨日いるものを尋ねに来ているのよ、それでいわれたとおりに用意したのに、これはなに?窓口に座るのだったら、プロになりなさい、情けない、まったく」 とにかく、もう一度戻ってだったので、ほとんど半日がかりとなった。 まったく!! ドコモの苦情窓口に電話する予定。 だいたい、外資系のヒコーキ会社だったりすると、接客をモニタしていて、ああいう甘いいい加減なやり方はしないさ。 甘いよ、ドコモ!です。
本人に、GPSつきのキッズ携帯を持たせて、今どこサーチの申し込みを弟の携帯番号にして(210円・利用ごとに80円ほどかかる)、それとIDをとると、パソコンからも閲覧できて・・・まあすべて設定してしまえば、相当便利なシロモノなのだが、時間もエネルギーも・・それとお金もいります。 とにかく今晩から、携帯を身につけさせて。 万が一の用意完了。 やれやれ。
2月末に10年パスポートが切れるので、一応継続で申請しておいたものをやっと受理してきた。 IC付きにになったわ。 で、分厚くなって重たくなった。 申請料は10年もの、1万6千円なり。 当面旅する予定はないが、でも持っていたいもんね。 安定剤だわ。 ま、実は・・・夏に18切符と船をつかって、韓国に侵入しよか・・とかって目論んではいるが。 さていかに???
ちなみに、さっきに外務省のHPにいってみたら、アメリカは、ICチップ付きの旅券じゃないとビザ取らないと入れないらしい。 ってことは、ハワイだのグアムあたりに行くのも、旅券が残っていても切り替えするのかねえ。 アホクサ。
また、石原ですか? 都民、オバカ? オリンピックで若者に夢を? それより、することあるんじゃないの?? 自衛隊を軍に、核保有大賛成みたいな人たちがのさばるこの国はもう愚民政治だわ。 自分の県や町はさておいて、この都民の選択にあきれた本日です。
桜咲き始める。 しかし、今日は天気がぐずついて寒い。
いつもの一日の幸せなり。 夕方、末弟とチビ犬を連れて悠久山へ散歩。 まだ、桜は色づき始めただけ。花は開いていない。 家の近所がやっと開き始めた。 風が変わった。 本格的春を知らせている。
昨夜は、久しぶりに桂温泉にいって、元気を付けようと、ニンニクととショウガたっぷりの豚肉ときのこいため。あとビール。ヤレヤレの午後10時半に、弟より「 大変だ、オジがいなくなった」 オジとは、末弟のこと。 「えーーどうして、鍵かけてなかった?」 「ばあちゃんが、うたた寝していて、忘れたらしい」 「あんた、今どこ」 「車で、探している」 「私、ビールのんだよ」 このごろ、フッとそれこそ夢遊病的わけわからずに家からでていくので、必ず鍵をかけていたのだが・・・母が忘れるとはね・・・弟は、怒っている。 怒っても致し方なし。 速攻で「110番しよう」という判断をして、私は警察へ110番通報。 で、迎えに来た弟の車で、行きそうなところへ走る。 母と甥も車で探す。 義妹は電話番。 12時前、もう一度、警察に電話。 「それらしく不審者情報があったので、今確認に向かっています」 その方向は、意外なところだが、あり得る方向。 で、わたしたちも向かう。 確かに、パトカーはうろうろしていたが、だれかを確保した気配なし。 いったん、うちに帰って深夜1時過ぎに、また警察に電話。 見失ったとのこと。 しかし、着ていた洋服のことなどと、通報があった時間などを考え合わせると、もしかしたら、末弟かもしれぬと・・もしかしたら、通い始めたS園の方に行ったのかも。 そうするると国道、信濃川にかかる橋、バイパス、1つまちがえば命の危険がありそうなところばかりだ、歩道はあるけれど。 母は「自分が一番悪い」と。 今さらいってもはじまらん。 弟と、もう一度、国道の歩道を中心に車を走らす。 30分以上かけて歩道をみながらS園まで行くも見あたらず。 弟は、明日は「播種」(稲の種まき)で、アルバイトさんをたくさん頼んでいる。 「あんたはうちに帰って休むといい」 「馬鹿いえ、いないまんまで、しごとなんかできないな、朝になったら人を動員して探さないと」 私は何しろ、缶ビール1本。アルコールは抜けたので、自宅前で降ろしてもらって、じぶんの車でうろうろ。 予想としては、明るい方へ歩くだろう、山や田んぼ方向へいかんだろう・・と言うのが私と弟の予想。 町中だとすると、家の近所にいる可能性もあるのだ。 はっと気がついて、新聞屋さんへ。 朝、いちばん早く動き出すのは、配達の人たちだ。 町中の2件の新聞販売店に行ったら、配達の仕事ですでに動き出している。 体形・人相や服装・・などを話して見かけたら、とにかく110番通報して下さい。警察も捜してくれているので、とお願いして実家へ向かう。 3時。 母がいもしないうちのまわりを懐中電灯もってうろうろ。 もう一度、警察へ電話。 情報無し。 「とにかく、知的障害と発作で自分の命を自分で守れない子なんです、なんとか探して下さい」 「こちらも、パトロールの車にはすべてつたえていますが、捜索願を出されますか。そうすると、ガソリンスタンドやコンビニへfaxなども流せるので」 「はい、はい出します、これから行きます」 「写真を持ってきて下さい」 3時半過ぎに、警察署に向かう。 4時過ぎに、実にさまざまなことをきかれて、その場で再度、情報を流してくれた。 「朝8時くらいには、薬を飲まないと、たぶんものすごい発作がくるので、それまでになんとか見つけて下さい!!お願いします」 とりあえず出た。 空が白み始めている。 「川にはまったいたら、いまごろは生きていないな、これだけさがしていないんだから・・みんな自分が悪い」と母が言い出して、車を、自分が知っている川へ向けろという。 黙っていわれたとおりにした。 その川は、しかし母の記憶の時には、ガードレールがなかったらしいが、しっかりとあって、落ちてはいなかった。 彼を町の方へ連れ出すときにいつも車で走る道筋の川がガードレールがないので、その川を車を止めてはのぞき込んでみる。 いない。 「宮路様へいってくれや」 「行かないと思うよ、あそこは階段とか急だし。真っ暗だったろうし」 「そこで最後でいい・・あとはもうしかたない」 私黙って運転。 いない。 あきらめて宮路様の道を下り始めたときに、警察から電話。 「保護しました。無事です」 涙が吹き出た「生きていた、無事だった!!」 保護された場所はうちの近所だった。 やはり、明るい方だった・・しかし、何度も通って目を凝らしていた場所なんだけど・・・・。 家にいた弟が警察へ引き取りに。 夜のあけきった5時50分にかえってきた。 体が冷えきっていて、転んだらしく手に傷がある。 あつあつの砂糖湯をのませて、手の治療。 人心地着いてから、ご飯も一膳食べさせる。 あとは少し早いが薬を飲ませて、取り合えずは布団へ。 やれやれ、生きていたよかった。 母にいった。 「高くてもいい、GPSだ。今どこコールを申し込むよ、アイツに電波発信装置をつけよう。取り返しがつかないことが起きる前に」 弟たち夫婦共々満場一致。 新聞屋さんに電話して見つかったと伝えて、協力に感謝の旨を伝えた。 ほんとうにほんとうに長い夜でした。
・・・・
うちに帰って、1時間ばかり寝て、新津美術館へ「田島征彦・征三展」を見に。 新津にすむ高校時代の友人と10年ぶりくらいに会う約束をしていたので。 途中、弟が発見された場所を通る。 あ! いつもお世話させていただいているお稲荷さんのそばじゃないの。 もしかして、お稲荷さんがここにひきとどめて下さったかしら? お礼のお参りをしてえきへ。 絵を楽しみ、映画を見て、友人とのおしゃべりもさんざんして先ほど帰還。 何だか疲れ切ったけど・・・彼女との約束が果たせてよかった。
九州の、遺体放置事件は不気味だ。 子どもの時から「生き返ると教えられていたから・・・」て本気でいっているのか? このことばは方便で、実は「亡くなった父母の年金が欲しかった」という合理的な解答が欲しい・・・そのほうが不気味じゃない。
今日は昼間みぞれ。 せっかく、ピンク色にふくらみ始めた桜がなかなか咲かない。
夕べちらりと雪なり。 やっぱり、暖冬って、春先が不安定なんだよね。 ★空よりの 手紙届くや 春はまだ?
今朝出かける前のあわただしい時間パンをかじりつつ、新聞を読んでいて、笑った。 伊賀上野市、忍者姿の議会、これええわ!! 大笑い。 ありがとう、忍者議員さんたち。
今さっき、くしまさんとこの談話室のぞいたら、アレマア、大変なことになっているではないの・・・。 我関知(感知)せずで、自分たちの情報のみ書き込んでいる方もおらるるし。 くしまさん、お忙しそうなのに大変だわ。
今日は寒い。 桜が咲きそうなのに、ちらほら来そうな寒さなり。
昼ご飯を食べたあとに、やや休憩と思って横になったら、一気に爆睡。 目が覚めたら2時ではないか!! 参った! 疲れていることを自覚した。 このところ、やや忙しかったから、無理もないが。 でも、なんとか元気でありがたし。
暖かい。 東京あたりじゃ桜満開のようだが、当地はまだです。 咲くとホントに春って感じになる。
2007年04月01日(日) |
今日から新しい・・・ |
末弟が、4月より旧法(自立支援でない)に基づいてS園の通所生になる。 昨年からダブルで通っていたのだが、●の里の方にはどうも行きたくならしくてお迎え車が来ると、いやがって布団にもぐり込んで出てこないことが何度もあって「こまった」状態だった。 で、1月末に、本人も交えて家族で話しあい。
1現状どおりにダブルで行く 2S園のみに通う 3●の里のみに通う 4「うちにいる」は許さない (人すべからく社会に出るべし。それと、うちにいたら冬眠の熊のように寝ているのが見えている) という選択肢で本人の気持ちを訊こうとするも、初めのうちはわかっていないらしくて・・困った状態であったが最後に「おれは、S園に行きたい」と言った。 それではと、役所やS園との話し合い、面接、末弟の席を用意してくれている●の里へのお詫び・・・などなど2月・3月駆け回った。 母やわたしの思いとしては、1番が希望だったのだが。 S園と●里は、通ってくる人も雰囲気も全然違うので、どちらからも刺激を受けてほしいと思っていた。 それと、彼が●の里に行きたがらないのは、いやなことを言う人やランボーをする人がいるという理由で、それは世間ではありがちなことだし、いやなことを言われたくらいで「行きたくない」はなし、と思っていたのだが。
●の里の施設長にお詫びにいったら「通うところを一つにしぼるとうまくいかなくなった時に困りますよ」やや皮肉っぽく(また、こちらに来たいといってもシランという意味?)言われたが(ランボー者のことは言わなかった、言って治るようだったら、●の里に来ていない。それと末弟もやり返している可能性があるし)、しかし、いやがっているのを布団から出すのに四苦八苦する家族が大変。 ま、本人の希望どおりにしてやって、さあ行きなさいという流れをつくるのが一番ということで。 この4月から、その流れにのる。 前に入所していた施設を追い出されてきて2年近く、やっとヤレヤレ。 出てきたばかりのころ、 笑顔なし、「ありがとうなし」「風呂をいやがる」「気にくわないと乱暴(母へ)」「朝おきられなくて、ケンカ」・・・・などなど、どないするねん・・みたいなことだらけだったが。 「ムショかえりってこんなん?」という雰囲気だった。 何より、わたしは笑顔と感謝がいえないのが悲しかった。 要するに、彼は愛のないところに長くいすぎんた・・と思った。 でも、このところは、チビ犬と遊んで一緒に笑うし、入浴介助に「ありがとう」という。これが何よりうれしい。 前は、「早く帰れ」だった。 ほとんど完黙で人相も悪かったが、最近はそれなりに話すようになった・・・2年でやっとフツーに近くなった、と思う。
わたしは、末弟が愛のない施設にいて、諸行無常でなにかあったら後悔して落ち込むだろうし、なんとか笑顔のでる生活まで導けたのはよかったと思う、末弟のためというより自分のために。
母が今は日常をカバーしているので在宅ができるけど、いずれどうなるか、と思うとやはり通所という社会参加をがんばらせたい。 親以上にめんどう見られる人はいないけど、それでも末弟にとってベターになるような基礎関係を作れたように思う。 母や自分(わたし)が死んでもこの流れの上にのっていれば、何とかなるかなあの子の人生、と思う。ここまで見据えておかないとと思っていたから・・・ 末弟唯一の社会貢献である「新薬治験モニター」のおかげで発作が激減したことも幸いした。 勧めてくれた先生に感謝・感謝、ありがとう。
まあそういうことで、今日は、末弟の好きな「ネエちゃん絶品カレー」を朝から「愛」をこめて仕込んで副菜1品作成、「福住ロール」という生ロールケーキを1本用意して実家へ。 お昼に家族全員(含むチビ犬)でささやかにカレーで明日からの新しい門出をお祝いをした。 末弟の誕生日は今月で、派手に祝うので今日はマジにささやかでしたが、まあワタシ的には「よかったのホッ」 そうそう、1時間かけて、なんとか●の里の職員のみなさんへ「お礼の手紙」を書かせましたわ、これは大変だった(^^;) でも、これも、けじめというか「社会にいるんだよ、君も」という心構えになると思うので、びっちりビシビシやらせた。エネルギー使い切ったわ-_-;)
ま、とにかく、ちょこっと、うれしい日でした。
ここまでくわしく書いたのは ※今の福祉行政は、自分からこうして欲しいと動くとそれなりに「成果」がでることを知って欲しいから。待っていてはダメ、こうしてああしてを言いに行くこと。 ※病院のソーシャルワーカーにもいろいろと相談を持ちかけて教えてもらったけど、こういう職種の人を利用すべし。ということ。 ※「新薬モニター」って、難病の場合はいいかも、ってこと。 ★ニンゲンは「愛」があれば、心から気にかけ心配してくれる人がいれば変われます!!そういうところに身を置かなければなりません★ という可能性を知って欲しかったこと 以上。
黄砂が飛んでいて、かすみのような一日。 梅が満開、菜の花ものびて咲き始めている。
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