世界お遍路 千夜一夜旅日記

2004年10月31日(日) 本当に局部的な・・

昨日、伊丹から新潟に着いて、長岡に向かった。
新潟は、いつもの新潟市で「どこが地震?」という印象、もしかして私はテレビの悪夢にだまされていたのではないか、と思ったりした。
そこには確かに私の知っている新潟市の日常があった。
高速バス、各駅停車とどちらからでも長岡に帰れるが、私はバスで雨の中長岡に向かった。
長岡にはいっても、これまた、ふつうで、ホントに静かないつもの田舎町だった。ただ、長岡ジャンクションからは高速道路は通行止めなので、警察などの車が止まってはいたがそれ以外はふつうだ。
市内も、よく見れば、かたむいてブルーシートを張ったところ、家から出たらしい大量のゴミがあったりしているがその気になってみているので、もし注意しなかったらいつもの長岡だ。しかし、土曜の夜というのに人は異様に少ない。長岡駅を抜けてみたが、ここもまた人がいない。駅ビルにはいっている無印などもへいてんだ。新幹線が着かないということはこんなにも寂れてしなうのか、の印象。
駅の通路は天井が所々はがれたり落ちていたりした。
しかし、それでも、一時倒壊の危険があるとほうじられた駅とは思えない。

東口からタクシー。いつもだと、ここへ義妹が迎えに来てくれるのだが、今回は病院だった。
なんと過労とストレスで倒れただけでなくて、脳梗塞を起こしていることが昨夕に判明してエライことになっているのだ。
今までは、私があちこちにくるまで運んでもらったけど、今度は私が彼女をあちこちに運んでやらないといけないようだ・・・・
タクシーの車窓から、全壊家屋を見た。

うちはなんともない、というか集落全体が丈夫だったようだ。
うちの中に入れば、食器は少ないし(大半が割れた)収納の中は、ぐちゃぐちゃだが、一見これまたふつうだ。
母によれば「うちは家を建てるときに、地盤がかたくて基礎工事が大変だった、だから、そう簡単に崩れたりしないはずら、うちだけでなく、村中そうらろう」とのこと。
それと、雪国仕様で柱も太いし、壁も多い、筋交いは当たり前で作ってあるからうちの近所はみなびくともしなかったのだろう。
しかし、村内を走る道は一部陥没しているし、固めていない石垣はごろごろ崩れ落ちている。
水がずっときていない。
一番困るのはトイレだ。
トイレの中に、池の水をくんできたバケツをおいて使っている。
そうすると、いかに水洗トイレというのは水を使うか、ということがわかる。
ヒマラヤに行ったときに、きれいな水が谷底を流れているのに、それを汲み上げて行き渡らせる技術がないな・・と思ったのだが(エベレストでは、水も湯も貴重品だ)日本一の大河信濃川が流れているこの地にしてこの水不足。
まあ、私は、もっとすごいところを旅してきているから、20年前のインドだとか、中国の奥地みたいとか、エリトリアのボーダーとかいろいろと見解を述べて「楽しめる」が・・・ひねったら水や湯がふつうの人にはこれはきついと思う。
事実、食器洗い、洗濯、水のありがたさがわかる。
お風呂は、何とか1日おきに水をくみに行って入れて追いだきをして入れているらしい。
ちなみに昨夜は深夜に余震(震度3)があったらしいが、私は縛睡していてわからず。
今朝も食事中に震度3、しかし、我が家族は感じず。だから、うちは母の言葉のごとく、ホントに岩盤の強いとことにたっているのかもしれない。

大変なことになっている義妹の見舞いに行くと、、病院も食堂にベットが入っていたりして「野戦病院」の名残をとどめていた。
義妹は、体質的に欠陥が弱いようで、今後のリハビリも含めて家族のサポートが大切になってくる。
わたしが「しばらくいるからね、ゆっくり直そうね、生きていてよかったよ」といったら、大きくうなずいていた。
もし避難所にいたら、車で寝泊まりをしていたりしたら、間違いなく彼女の命はなかったと思う。そう考えると、車から降りたとたんに倒れて亡くなられた方々のことを思うとラッキーだと思わなくてはならない。

帰り、姪が少し遠回りをして、近所の被害がひどかったところをまわってくれた。
さくらの名所の悠久山では、池に向かって道路が滑りおちて段差1m以上。うちごと滑って傾いた道、そこの段差も1mはある。
これだけ滑ってしまうと、頑丈な家でもひとたまりもないだろう。
うちの親戚1軒が全壊にちかい(一応たっているようだけど、これはまだ見に行っていない)、いとこの嫁ぎ先も滑って沈下して傾いていた。

朝、三枝子のお姉さんから水の差し入れがあった。(ありがとうございました)
全員無事で、ライフラインも復旧したらしい、よかった。
早く水が来て欲しい。
義妹が少しでもよくなりますように・・・

・・・・・・・・・・・・・・
イラクで香田さんの遺体が発見された。
それしても、彼はイラクに自殺に行ったのか・・・・
*短パンで歩き回る(肌を出さないイスラム世界にあって、私は欧米系の外国人です、誘拐してちょうだいといっているようなもの)
*アンマンでバグダット行きをあれだけ止められたのに行った(基本的に現地の人に止められたのにそれでも行くというのはおバカだ)
*資金が乏しい(命はある程度金で買える、せめて500ドルは持っていて欲しかった、200ドルも出せば、蛇の道は蛇で、信頼の置けるタクシードライバーを雇ってアンマンへ一目散に逃げ出せたはずだ)
*マスコミ関係者は滞在しているのだ、米軍でもよい、どうしてSOSでどこかに緊急避難しなかったのか?そうすれば、あんな形で命までも落とすことはなかったはずだ。ここには尋常ではない危険がある、命がやばいと察知できれば迷わずそれができたはずだが。(バグダットは四面楚歌ではないのだ、逃げ込む場は機転を利かせばあったのではないかと思う、それが彼の場合一番現実的生存の道であったろうに・・・残念だ)
*平和なイスラムを旅するときでもラマダン(断食月)は避けよ、というのは常識だ。乗り物の便数は少なくなるし、日の出から日没までモノを食べられないから、みんな空腹で殺気だって、喧嘩が多くなる。(ただ、ラマダンの時にしか食べられないお菓子とか、体験があるので、イスラム好きの人はそれねらいで行くという話も聞いたことがあるが)
*すごく不思議なのは、彼はイスラエルからヨルダン、イラクにはいったというが、ふつう、パスポートにイスラエルのはんこがあったら、モスレムの国には入れないのに。何で入れてしまったのだろうか。イスラエルにも行きたいし、イスラムの国にも入りたいという人は、パスポートにはんこおさんといてと、イスラエル入国の時頼むと聞いたことがある。
これが一番不思議だ・・・・平和ぼけ、政治音痴の若者世代の悲劇というのは簡単だが。この、入れないはずところに入れてしまったときに、すでに彼の運命は決まったのかもしれない。
ご両親とお兄さんがおかわいそうだ・・・合掌。



2004年10月30日(土) 帰ります、はい

昨日、義妹が救急車で運ばれた。
疲労とストレスで、心臓がおかしくなったらしい。
で、本日、飛行機とバスを乗り継いでなんとしても帰ることにしました。
余震も少なくなったようなので・・・
なんか持ってきて欲しいものは?と、電話に出た甥にたずねたら「水道が欲しいなあ」「ヨッシャ、水道管せおって行くぞ」
とはいったものの。
いや、水の大切さよ。

山古志村の一時帰村で、変わりはてたうちを見ておばあちゃんが号泣していた。
もらい泣きをしてしまった、よ。
長岡の市内は、ホントに震度6?という感じで意外と被害が少ないらしいが、山際は悲惨だ・・・本当にどうなるンだろうか。



2004年10月28日(木) やっとメールに返信できた

地震が起きて以来、沢山メールをもらったのだが、被害の状況やうちの避難生活、親戚の全壊半壊、余震のすごさ・・・で、メールに返信する元気がなくて、だった。
でも、今日やっと、お返事を書いた。
今日は、地震直後は来ていた電気が雨で漏電して止まっていたのだが、やっと復旧。水も、止まったり出たりだが、ボチボチとなったようで安心した。
長岡市役所勤務でうちに帰るヒマもなく働いていた姪も帰って来て、消防団でこれまた帰るひまなく働いていた弟も在宅していて、これまたホッとした。

それにしても、車の中から生還した2歳の男の子、優太くんの奇跡。
すごいことだ。
あれこれ、生き延びた理由がいわれているが、つまりは彼には「寿命」があったということだ。
人は、どこから来て、どこにいつ逝くかわからない・・・それはまさに天のみぞ知る。そして、天(自然、天地の摂理といってもいいが)は、傲慢になったニンゲンたちにこういった形で「お前たちの命は与えられているものなんだ」を知らしめる。「畏れ」を忘れてはいけない、のだよね。









2004年10月26日(火) かなしいねえ

すっかり変わった景色をテレビで見ていると、涙が出てきた。
父が死んでも、涙が出なかった私だが。
山古志はいいところだった。
棚田1000選の景色は失われた・・・
人もいい人だった。
急に訪ねた私を車に乗せて案内してくれたモン、役所の人は。
牛を飼っている人は、さわっていいろ、いった・・・
どうしているだろうか・・・

我が家は、来ていた電気が雨でどこかで漏電、切れたらしい。
水も来ていないし。
でも、昨夜、弟が発電器を回して、お風呂に入れたとかいって母が喜んでいたが。
親戚では半壊がいるし、近くの集落うちでは全壊もずいぶんあるとか。
聞くほどにテレビで見るほどに「うつ」になるわ・・・・



2004年10月24日(日) 新潟中越地震

昨夜は、お客様2人お泊まり。
朝早くのお送りして、そのままテレビにかじりついていた。
家族は無事だったが、夜が明けるに従って被害のすごさが見えてきて、見慣れた景色や国道、新幹線・・変わり果てている。
なんてことでしょうかとショックだった。
昨夜に続いて、電話はボーダホンへかけたら、1発でつながった。
テレビ情報によると、ボーダホンも長岡の一部で不通とあったが、今のところはつながる。ダメなのはドコモだ・・情けない。
うちは、電気は無事のまま、市内の20%弱しか無事なところがないその少ない範疇だったらしい。
母曰く「じいちゃんのお骨が仏間に散乱してすごかった。祭壇もヒックリかえったし。じいちゃんもビックリしたと思う」
いや、まったく。
義妹は、地震が来る寸前に電話がかかってきて、台所から居間へ向かって、倒れてきた食器棚の下敷きにならなくてすんだらしい。
父が守ったのであろうか・・・彼女はとにかく、母を乗せて一番父を見舞ってくれた人だから。
姪は市役所勤務なので徹夜で仕事、弟は消防団でこれまた徹夜らしくてそちらの方も心配だ。
姪は、震源地の小千谷市役所も昨年の今頃は内定していて、まあ軽い気持ちで長岡市民だから、長岡にしたんだけれど、あちらに勤務していたら、今頃は今以上に大変状態だったと思う。
それから「大変だった、びっくりした」「命があってよかった」と話す中越地区住民、どうしてあんなにのどかでにこやかなんだろうか。
それも、不思議だった。神戸の時はみなさんもっとすごい顔をしていたように思う。まだ実感がないのかも知れないが、あののどかさは私の血の中にも流れているのであろうか。
これから、冬に向かって、雪が降るというのに、夏の洪水でやっと少し立ち直ったうちもあるだろうに。
父の49日が11月だが、免許も早く取りたいが、この際、失業しているのだし、帰れたら、10月末に帰って1週間ばかりボランティアしてこようかと思う。

それにしても、台風は方向を変えてくるし、今年はどないな年なろうか。
人間はいまや地球の癌細胞なんだろうと思うわ。で、地球は癌細胞を切り離そうと必死と思うわ。地球上の人類は確実に滅びに向かっているのだわ。未来はないな・・・とため息がでるわ。

昨夜来、沢山の電話やメールをいただいている。
ご心配くださった方々、ありがとうございました。
感謝しています。





2004年10月23日(土) に、新潟が地震だ!!!

夕方、もうビックリニュースだ。
震度6、小千谷市が震源地。
もうビックリした。
小千谷市は、私の生まれ故郷の隣の市である。
我が町も、震度6。
NTT、ドコモ、家電、電話通じず。
おおあせりに、ものは試しと、姪のボーダホンに入れたら、通じたではないか。
おかげさまで夕方7時現在、全員無事。
でも、断水だとか。電気はダイジョブらしかった。
台風が行ったと思ったら、地震だ・・・どうかんがえても、大地・自然のの怒りを買っているよなあ・・・・
被害最小限でありますように・・・



2004年10月22日(金) 夜中ですが

フリーになったとたん またまた、よふかし人間だ。
でも、月がきれいで、窓から見ているとあきない。
明日は、でも早起きして、近所の神社にお散歩兼お参りにいこうっと。



2004年10月21日(木) 23号は行ったが・・

23号、すごい数の犠牲者を出した。
最悪だ。
24号はまた来るのか???
もう来るなよ、昔、と言っても、戦前までは?確か?
伊勢神宮では、夏の間(8月まで、ただし旧暦なので10月半ばくらい)毎日「風祈宮」だったかで、台風よけのお祈りがされていたと言うけど、今どきもやって欲しいモンだ。それか、験力のある坊さんに台風をふーーと吹き飛ばしてほしいもんだわ。

それでも、台風一過風は相変わらず強かったけど気持ちよい空が広がった。
洗濯して、掃除して・・の後に、役所や郵便局、不動産屋にいって、さまざまな手続きをしたら、もはや夕方。
空には半月だ。
それがめっぽう明るくて、影ができるくらいだ。
これは、やはり徳島の夜が暗いからだろう。
いいよ、これ。

それと、今日NHK「ご近所の底力」でやっていたピンクチラシ撲滅。
そうだよ、ここに来てから、あのイヤらしい、いかがわしいチラシを見かけない。
郵便受けから、新聞入れ、近所の電柱・・・あちこちで見かけてうんざりしていたんだけど、入れないで下さいと張り紙しても効果なしだった。
ピンクチラシとファスト風土か社会の関係。
これもなんだか論考できそうだ。
ピンクチラシの横行=治安の悪化
とわたしは読んだりするが・・。



2004年10月20日(水) 離職完了、台風来襲

今日は、休みに出た振り替え休になっていたが、「さよなら」もいわねばならぬし、最後の校正の一部が心配な面があったし。完璧に休むわけにも行かずに荷物整理やらで台風の雨風をついて行った。
カメラマンくんは、薬が合って調子がよくて朝が快調。この頃は定時に来るのでヤレヤレ。心配が1つ減って辞められる。
朝イチである方から「ご苦労様でした」の電報とお花をいただいて、涙が出てしまったね、うれしくて。ありがとうございました。私もこんな気遣いのできる人になりたいと思う、修行だねえ。
社長くんは、体調不良とかで休!!と電話。
その後広島本社からはお花とか電話をいただいて、60代の副社長さんとは「またお会いすることがあったら、よろしく」なんて、和やかに大人のご挨拶ができたが、徳島に来ている?らしい彼が姿なしとは・・・ほおーーーとビックリ。(もしかして、彼、小心のところがあるし・・用心深いと言い直すかな 笑、超大型台風が恐い??すごい風だったから・・55号で飛びそうだったし)
12時すぎ、すべてを完了してタクシーを呼んで、カメラマンくんとはとりあえず「広島に行く前にもう一度、ご飯でも食べようね。それから、最終の稿が印刷からあがってきたら、それだけは見に来るから電話頂戴よ」とお別れ。
カメラマンは朝から不機嫌そうだったが(私はいなくなるからさびしい??イヤ、静かになっていいと思っているかも 苦笑)、そのときは哀愁系の笑顔になってうなずいた。これまたヤレヤレ。
身体気をつけてよ、ご飯食べるんだよって、毎度おなじみの合言葉で失礼した。
以上、離職実況中継でした。
夕方、たまちゃんご家族からも、電話をいただいた。
ありがとう、たまちゃん アイしてるよ!!

帰ってきて、私が何をしたかというと、まずは窓のシャッター下ろし、すごい風で、なんか飛んで来たらヤバイ・・感じだったし、ご近所はそうしていたからマネをしないとなと思ったし。すぐ近くでは、川があふれて道が通れなくなっているらしくて消防自動車がずっといた。
考えてみれば、私は「超」がつく大型台風の時はいつも、熊野とか、今治、伊勢などの「出先」にいて、徳島の家で台風を味わったことがなかったわ。
イヤ、すごいことだとよく分かりました。
さてランチタイム
讃岐うどんを、一束場ゆでて、釜揚げ状態でチュルチュル・・うっまい。
でなんと一束食べてしまった。(2人分だぜ、我ながら豚のような食欲だ)
シャッターを閉めたので、穴蔵のようになった家の中、TVをつけてトカゲくんの暴れぶりを実況中継で見ながら、読書
「ファスト風土化する日本」
9月に来た友人が置いていってくれたものだ。

私も漠然とそうかなと感じていたことを文章にしてある本だった。
要約すると
地方に今や「長閑」はない。
固有の地域性が消滅し、大型ショッピングセンター、コンビニ、ファミレス、カラオケボックス、パチンコ店が立ち並ぶ。まさに渋谷や新宿にあるものが国道沿いにすべて並ぶ。この全国一律の大衆消費社会を本の著者は「ファスト風土」と呼ぶ。
この新しい「風土」が、昔からのコミュニティや街並み崩壊させ、生活や家族、人間観を変質させ。心までも変えたのではないか。
それが昨今突如静かな田舎で凶悪犯罪が起きる元になっているのではないか。
犯罪現場をフィールドワークしながらレポートしているわけだ。
神戸の酒鬼薔薇の事件現場にはわたしも行った。
だから、そこに書かれていることはよく納得できた。
また、前述したようなことは私もモヤモヤと感じていたことで、突きつけられたかんじだ。

しかし、読破とはならずに、半分ほど読んだところでのうのうとお昼寝もしてしまった。
やはり、外が見えないと、気分は「夜」になりますねえ。(笑)

明日は「極楽!!温泉」のはずだったんだけど、温泉のある池田町は吉野川があふれるとかいって、あちこちで避難勧告だ。
いけるわけないよね。
室戸、足摺、宇和島、大洲、遍路道沿い・・・見たことのある景色の中でお年寄りが沢山亡くなっている。
もしかしたら、その中に私が歩いているときに挨拶したり声をかけていただいたりしている方がおられるかもと思うとご冥福を祈らずにはいられない。

さあ、明日からどう時間を使うかな?
自由になった解放感が文句なくうれしい。
ANAのマイレイージがタイに行くくらいは溜まっているし、免許を取ったら一気にカンボジアあたりに行って来るかなんてことを妄想してしまう私、「さすらい系トラベラー病」に罹患している。











2004年10月19日(火) またか・・・

トカゲくんが来そうだ。
辞めたら、温泉行くっていうのにさ。
困った。
また台風と一緒に動くような私・・・
やはり、この異常さは、温暖化のせいなのか。



2004年10月17日(日) 見事な弓張りの月

 昨夜は、新シルクロード「タクラマカン砂漠  熟年ラクダ隊が行く」というのを見て、、砂漠の景色にホントに美しいお月様が出てきて、感動したのだけれど、今日の夕暮れとお月様はそれにも劣らぬ美しさであった。
こういった美の発見は徳島の良さ、って感じ。
それから、あの番組、おもしろかったけど、熟年ラクダ隊でも、女性四人は全員落伍しないで砂嵐でも歩いていたよなあ。
男は、四人落伍した・・・熊野歩きでも、女性は歩き通す、落伍は男と聞いた・・なんだかな。
21世紀はやはり女性の世紀かね。

 横浜でやっていた塾に来てくれていた子どものお母さん兼友人から電話があって「辞める」といったらビックリしていた。
で、その後「それでいつこっちに帰って来るの」「え、しばらくは帰らないよ。それに帰るとしたら、郷里。だから車の免許なんて事始めたんじゃん」「帰ってくればいいじゃん、そんなとこにいないでさ、みんな喜ぶよ」
ああ、あっりがとう。
「でもさ、四国なんてめったに来れないんだから、あなたこそ、私がいる間においでよ」「そうだねえ・・・でもさ、遠いよ」「スカイマークを使うといいよ、49日前割引は安いし、ヒコーキ使えば近いよ」なんて話を延々と。
友とはありがたいものである。
彼女は、今をさかのぼること二十年前、イヤもっと昔か・・私が一九八三年、国を開放してまだ一年の中国に一人で旅した時、蒸気機関車の煙りにまみれて着いた朝の蘭州駅で会った人だ。
彼女はご主人の留学?だった、たしか・・・につき合って、大連に住んでいて子供とご主人三人一緒に旅している最中だった。
それ以来の友だち、音信不通のこともあったが、ビックリなことに、私の仕事の同僚と友だちだったりして、意外や意外でまた復活・・ここまでホントに長いおつき合いである。

占いHPを見ていたら、用心深いのに時々感覚的にふわふわと動いて失敗すると私に該当する欄にあった。「時々感覚的にふわふわと動く」って、まさに今年の私の動きだよなあ。と納得。






2004年10月16日(土) 今日もいい天気

窓の外が、田んぼで、山や緑が見えるというのはほんとにいい気分だ。
思うに、田舎に住む練習やろうか。

今日は、教習所に行ってから、またお仕事だ。
カメラマンがやっとやる気を出してくれて、今日も仕事をするというのでおつき合いで。というか、できた先から校正せんと。
どっか行きたいのにネエ・・・まてしばし・・だね。



2004年10月15日(金) 行者の予知能力?

昨日、突如、やまだ行者さんから携帯に電話があった。

どうしたんですか?
イヤ、どうしているかおもてな。イヤ、ええ声して、元気やないか。
ええ、元気は元気ですけどね、仕事はあと数日で辞めるし、父親は死ぬし、ちっとも元気じゃないことだらけですよ
ええ、お父さん死んだんか、いくつやったんや。
73,びょうきだったんですけど。
若いやないか!(そりゃ、80の行者さんに比べれば)仕事も辞めるんか・・・
ええ、運が開けるように、行者さんの神さん、仏さんによろしくね
わかったわ。それでも、元気な声や。この前あったときより、ずっと元気やな。
この前って(・・・ああ、8月の玉置神社の護摩たき}ところで、私、父親が死んでもあんまり悲しくなくて、むしろ、病から開放されて楽になって逝ったとホッとしていて、こういうのって、薄情なんでしょうネエ。悩みますわ。でも、確かに父親はこの辺にもうおらん、上に逝ったという気がしますね・・・
イヤ、それはええ事や、悲しくないということは「成仏」したいうことや。だから、それでええんじゃ。
そうなんだ・・・
そうじゃ。
みたいな会話をして、「行者のお札」(やまだ行者さんの特製)が、「腰の病」によいということなのでイチボチお配りしているという話をした。
自分が持っている土地の神さんのお祭りがあるんでこんか、といわれたのだが、「喪中」だからお断りした。
行者さんからめったに電話など来ないのに、これはどうした風の吹き回しであったのだろうか。もしかして、行者の予知能力??
しかしまあ、「以前として悲しまない」自分になぜだ?と思っていたときだったので、「それでええんや、成仏しておるからじゃ」と、とあの「ホントの行者」にいわれたのは気分を軽くした。
ありがとう

・・・・・・・・・
お遍路日和が続いている。
空気が変わって秋深しに突如なった。
おお、である。
今日は、お父さんとたまちゃんが来てくれた。
お二人は今日は、20,21,22番へお参りだという。
いいなあ・・・・行きたかったなあ、私も。



2004年10月14日(木) 奇跡の復活

今日、8時25分くらいに職場に着いたら、鍵が開いているではないか。
カメラマンがPCの前で仕事している!!
おっどろいた。
「どうしたの、昨夜からやり続けているんじゃないよね、大丈夫?」
「ちがいますよ、薬を飲んで今朝はいいんですよ」
私は、早速におやつとして持参したバナナ2本を彼の朝ご飯としてお接待した。
奇跡の復活だあ。
ヤクは「覚醒剤系」らしくて、朝からよくおしゃべりする。
覚醒剤といっても、誤解されめさるな、もちろん、お医者から処方されたもの。
これで、しばらくはお仕事に励んでくれそうだ、よかった、よかった。
私が原稿書いて、割り付けしても、彼がデザインしてくれんとお話にならんのよね。ホントよかった・・でも、おつき合いで土・日出勤しなければならないようだけどね。

ところで
今日は空気の乾燥のせいか、やたらに帯電して「ビリビリ」「プシャ」とか、すごいのだ。特に、カメラマンくんが仕事しているエリアの電磁波度はすごいらしくて、ちょっと、訂正をお願いするのに肩をつんつんしても、ビリビリ、音がする。
「あなた、電気男になっているよ」
「オレは全然感じませんよ」だって。
おかしいなあ。
でもしかし、パソコンはよくないと改めて感じた。
帰りがけ、大型文具やさんによって静電気防止グッズを求めるも、まだ時期でないので置いてないと・・・じゃ、私のこの帯電とビリビリはなんなんだ。
もしかして
「おまえ、気にくわん、それ電磁波じゃ」とかいって、いやなヤツに手を出して念をこめたら、バーと手先から電気がでて倒せたり、とろけさせたりできる能力が潜在的にできてきていたりして。オオこわ。

それにしても、今日は背中に冷や汗が流れるほど、ビリビリすることが何回かあった。
静電気で、ショック死ってしないのだろうか?
どうしたら、弱めることができるのだろうか??



2004年10月13日(水) また台風が・・・

西武の堤さんが、お辞めになるのだそうな。
ずいぶんと潔いことで。

アフガニスタンの選挙の様子をTVでやっていた。
女性の教育や社会進出がすすむとよいが。
期待したい。
それにしても、選挙を待っている行列、我が国の30%とか40%とかの投票率を考えるとなあ・・・。
この番組の中で「平和さえあれば、どんな夢も実現する」と、傭兵をしていた男が語っていたけど、その通りだと思う。

台風がまた来るか?
困ったね。
予知能力があたりか??

歯医者で歯石なるものを取ってもらってけど、「石」ってホントだわ。
かったい、かったい。痛い、痛い。で、1970円也。

涼しくなって、やたらに眠たい。
冬眠前の熊みたい。
熊と言えば、よくでるなあ・・・・季節は連れのサクラといい、杉花粉が飛んでいるとか言うウワサといい、なんだかおかしいぞ。
地震がすごく心配だ。
地域TVでは、よく南海地震の準備とかかならずくるとかってやっているしな。
例えば、お遍路さんが高知あたりを歩いているときに地震がきて、津浪が来て・・・恐いような気がするよ。



2004年10月12日(火) 病気は気から・・・・

クローズアップ現代で、不妊治療についてやっていた。
おもしろかったというか、大変興味深かったのは、グループカウンセリングでお互いに不妊の悩みや苦しみを語り合ったグループの妊娠率が高くて(30%以上)、しなかったグループの妊娠率が低い(10%ちょい)という結果。
話し合うことと、科学的処置は別だと思うのだが、そうではなくてそれが関連している。
曰く、ナチュラルキラーサイボー(体内に入ってきた異分子を攻撃する性質を持つ)が、話し合って、リラックスしたグループの場合、おとなしくなって受精卵を攻撃しなくなるらしいと言うこと。
へえええーーーーーー
お勉強になりました。
実に示唆に富んでいると思う。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

徳島の田んぼでは、今刈り入れの終わった稲の根からまた稲が伸びて育っている。
いつもこうなんだろうか・・・
新潟だと、さすがにこうはいかない。のびるけど、ここまでは伸びない。
それにしても稲の生命力はすごいなあ。
世界の人口爆発とそれを支える食料は米が最もすぐれる、というのを読んだことがあるが、なるほどと思う。



2004年10月11日(月) ロード88

10時半開始、見てきました、ロード88.
客の入りは、50人?ほどかな。斜め後ろに、おばはん2人組がいて、時々泣いておられましたな。
わたいも、ちょこっと、涙腺ゆるめましたわ。
まあ、ようでけた映画でしたわ。
泣かせどころ、落としどころ、ああ、あんなお遍路いそうやあ・・・みたいな感じで。
最後はうまくできすぎだけど、まあエエか。
素直に、よかったね、と思えます。
村川絵梨さんのお顔が確かに旅したシルシに焼けてきてしまっていた。
小倉久寛、しかり。
テレビのお遍路ものなんかにありがちのあれ、おかしいぞ、と思わせることがあんまりなかった。
景色に関していえば、いつか見た「村のアルバム」だったかな、あの奥祖谷の方がよかった。ストーリーは断然こっち。共通していること、どちらも誠実に作られていること。
桂浜の満月、見事でした。
あれは合成じゃないよね。
あんな月みたい。

見るご縁がある方は見られるがヨシと思います。
お遍路ってなんなん?
と人に訊かれて説明の言葉がようでんという人は、あれ、ロード88、見てこいというてもよろしいのではないかと思います。



2004年10月10日(日) アマチ

アマチ・・・マーター・アムリターナンダマイー
1953年、インドケララ州生まれ。ガンジーキング平和賞を受けたインドを代表する宗教者のの一人。
ヒンズー系の宗教者だが、一つの教えを越えている女性だ。
「愛は世界を癒す唯一の薬です」
とは、彼女のことばだが、彼女は、これを実践する人だ。
世界中をまわって、来る人を抱きしめ続けている。
時に昼間に始めた「愛の抱擁」が、夜中を過ぎて未明になり、夜が白々とすることさえよくあるという。
今年はいけなかったが、来年こそは彼女の「抱擁」の会に行きたいと思っているのだが。
その彼女の対話集を友人からもらった。枕元において時々読んでいる。
例えば、こんな言葉がある。
問い「アマチ、怒りのような特別な感情はどこから来るのでしょうか」
アマチ「子どもたちよ、心の働きに注意を払ってその感情の根源を見つけだし、解消しなければなりません」
実に当たり前のことではあるが、これを文字としてつきつきられて、声をだして読むと一気に「決断」できたりする。
今夏は、私としては「怒りの感情」を覚えることが多かった。アマチのこの章をながめては「解消」を決めた。それが離職と言うこと。これで、すべてが、本当にすべてが解消するのだから。
もちろん、私がアマチのこの言葉に刺激を受けたのは、それ以外のアマチの言葉が示唆に富んでいてすばらしいからだが。
そして、そのアマチに随行している男の子(もう、子じゃなくなっているけどね)を知っていて、彼の清潔さや澄んだ目、明るさがアマチは本物、を感じさせてくれるからだが。
アマチの周囲にいる人はいわゆる「サンガ」で、結婚はもちろん御法度、ベジタリアンでなければいけないらしい。もちろん、それは自主的に決定することで、結婚したければ、彼女の随行から離れればいいのだが。
彼はアマチに「結婚をしなさい、4人くらい子どもを作りなさい」と言われているらしいけど(笑)、彼はアマチに付き従う。
禅宗では「不立文字」とか言うらしいが、しかし、禅ほど「本」を持っている宗派はあるまい。
文字は強いのである。
真剣に取り組むときそれは、確かに人を動かすように思う。
まだ、しばらくアマチの本と彼女の大きな笑顔に励まされることになりそうだ。

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いい天気、10月10日は、特定晴れ日(こんな言葉じゃなかったよな)だったはずだが、お陰で、洗濯掃除、衣類の入れ替え、布団カバーの洗濯。洗濯機を3回も回して、大奮闘した。チカレタビー。
近くの温泉へウオークする元気もなく、お風呂を有馬温泉にして、風呂上がりはワインであった。
所で、有馬温泉て、赤サビ系の色なの?
日本の3大古湯、そのうちに行かねばのう。
この辺にいるうちにさ。
三朝温泉とか、大山も行きたいし、伊勢も数日書けてゆっくりまわりたいし、何より朝熊山に登りたいし。ホントいきたいとこが多いわ。




2004年10月09日(土) 12時間、闘ってしまった・・・

台風は、意外とあっけなく去った。
昨夕の風と雨の方がひどかったみたいだ。
きょうはしごと、思わず、12時間、闘ってしまったわ・・・なんでやねん、と思ってしまう、今夜この頃。
もう少しの我慢、我慢。
ちなみにカメラマンはもう4日休み、体調不良のようだ。
もしかして、彼は宇宙人で、地球環境と身体が合わないので、少しの気候変化でも倒れてしまうのではないかと思う・・・私には、理解不能だ。

帰宅後、玉造温泉をお風呂に作って、上がったら、蒼龍手造という山梨のワインをごっくん。
防腐剤なしの、けっこうお高いワインだったんだけど、じつにフルーティ。
横浜を去る1日前に惚れこんでいきおいで買うてしもたカンボジアの大八車をリメイクしたテーブルとイス。
ホント、世界に一つしかないこのテーブルイスでワインを飲むって、ええ気分。
つかいこんだ木は、私を排除しないでやさしい。
で、久保ジュン(しばらくぶりに見たら、ブロキャスの司会に入っていた)がタケシにインタビューしているのを見て大笑い。
「イチロー?そりゃ人間広報にしたいね。国民栄誉賞?それはないよ、だって、日本のプロ野球ダメしたのは、イチローと松井だもん」
大さんせい!!!
その後は、サンマの恋の空騒ぎ。
俗悪番組だというけど、馬鹿な大笑いするのには手頃で、ね。
笑うかどには福来たる、笑いは胸腺を刺激していいというしさ。
すっかりリラックスした私であった。
明日は、掃除洗濯、ナルキンでも求めにさまよいでますか・・・




2004年10月08日(金) また 台風が・・

夕方から、雨と風がきつくなった。
ホントによく来るよ。
四国は今年、台風にストーカーされているね。
大変のは、愛媛や香川のまだ復旧の終わっていないところだ。
被害最小限を祈りたい。

夕食後、一気に「88の祈り 秋元海十」を読んだ。
夕方、下のマンダラネットから届いたのでお持ち帰りだ。
最後にゴスペルの歌詞があった。

人生には2通りの生き方がある
ひとつは、自分の思い描く成功に向かっていく人生
ひとるは、神の流れに従っていく人生
私は神の流れに従って、神の喜びとともに生きていく

お遍路の前に自分は、前者の人生で、お遍路のあとの自分は、後者だと書いていた。
どんなきっかけ、どんな動機でお遍路をはじめても「求めよ、さらば与えられん」なのだ。と感じたことだった。
彼の息子岡田くんも先頃結願したようだが、息子である彼の歩き方、この本を読んで納得した。



2004年10月07日(木) イラク

結局、大量破壊へ粋なるものは、見つからなかった。
ブッシュの罪は重いよ。
公表で、イラク兵が2万人、アメリカ兵1060人だったか・・・一般人からその他諸々を入れるとこの十倍。
ひどい話じゃないか。
ブッシュ地獄行きは決まりだ。
ブッシュのポチ(郵政民営化を叫んでいるあの方)も同罪。
なんと行っても、やはりブッシュにとってフセインは、原油の取引をユーロベースにするといったのが「ゆるせん、世界がドルで動くのじゃ」だったとおもうのだね、やはり、もちろん、これはブッシュだけじゃなくて、政権の問題だが。
だって、もともと、フセイン政権を作ったのはアメリカだもんねえ。

日本円で100億円?以上を投入して、アメリカの諜報部精鋭が作った報告書、悪くない、まだアメリカもまし・・と思いたいのだが、今頃ちょうどでてくるのは、大統領選とのからみで反共和党というかまあそういったパワーバランンス上にあるのだと思う。

寒くなった、うちのなかにクモさんが入ってきて、あちこちに巣をつくっている。
エサ、ないのに・・・クモも寒がりなのだろうか。



2004年10月06日(水) 四国はお遍路日和

このところ一気に秋になった。
風は冷たいくらいだし、湿度も低い。
歩きお遍路日和がやってきましたよ、みなさん。



2004年10月05日(火) 一気に涼、というより冷・・

今朝は例のごとくタオルケット一枚で寝ていたら寒くて目が覚めた。
 秋深し である。
歯が痛いこともあって、身体が疲れているのか、夕食後、ついちょこっと眠ってしまった。
(一眠りといえば、我が職場のカメラマン氏、このところ涼しくなって快調のようだが・・・昼食のあとに、イスを2つつなげていびきをかいて、1時間近くお休みになる。その眠りが深くて、少しくらい起こしても、目が覚めないのがすごいというか恐いくらい。昼休み時間的には超過だが、でもま、それで疲労回復になるのだったらヨシかな)

で、TVがつけたまま、初めNHK10時のロングニュース、次に久しぶりに報道ステーションを見た。
古館さん、いつも思うんだけど、おしゃれ関係の自由自在さがやっぱりないねえ。お顔が固い。
わたしはあの、番組の古館さんが好きだな。
NHKが韓国俳優ゲストで、なんだらかんだならやっているのに対して、報ステは「郵政民営化」だの、アメリカの大統領選挙だのをやっていて、ワタシ的にはやはり報ステの方がいいのだが。だって、どちらもNHKには突っ込みにくいよな的なことで。
でも、そのつっこみも足りないというか、流している感じが否めない。
やはり、もう一つおもろないわ。
久米さんがいまだなつかしい。






2004年10月04日(月) いたた・・・

久しぶりに歯医者さんへ行った。
ホントは15日に抜歯をするはずだったんだけど、歯医者さんで14日不幸があって、わたしんとこでも不幸があって・・・それっきり行かず仕舞いになっていた。
で、ホントにお久しぶりに行ったら、抜きましょかね、だって。
断る理由もないのでうなずいた。
で、今は麻酔が切れてきて「いてて、いてて」
ごはんも食べていなくて、腹減った!!ビールは今日は飲まれません。(徳島的いい方)
痛い思いして3820円。お薬だいは580円。
けっこうなご出費ですわ、歯医者さんて。
というか、私はこの数年間医者なるものに足を踏み入れていなったからねえ。
通院物価がわからんのだ。
明日も、消毒で行くんだけど、糸でぬっていたからそれ取るんだよね、もう一日ビール、ダメかな・・・・

話は変わって・・・・
イチロー、打ってますなあ。
しかし、私はあの人は機械に見えてしょうがない。
修行僧のよう、という人がいるが、違うよ。
安打製造機。
もしかしてイチローのお父さんって、密かにお茶の水博士みたいにロボットかサイボーグ研究者で、イチローは彼の研究作品でないのか。



2004年10月03日(日) 久しぶりのエリトリア

今朝、なにげにテレビをつけてみていたら、「ようこそ先輩」というNHKの番組で、ボランティアでエリトリアの法律つくりのお手伝いをしたという、中川香苗さんという若き弁護士さん(29才)が、横浜の栄区の母校で、地球の法律つくりという授業をやっているのにあたった。
時々、エリトリアの景色がはいる。
「おお、アスマラではないか」
いやいや、なつかしかった。
で、戦時中のビデオもあって、これまた連日エリトリアテレビで見ていたようなモノで。何しろ30年も独立戦争をしていた国だから。
なつかしいと言っては、語弊があるが、でもなつかしかった。
もう訪ねることはない国だが、その分だけ思い出深くなつかしい。
帰国したのは、今年の1月なのに、あの時は父は生きていたし、フリーだったし・・・この1年の私の「運命」といったら・・・。わはっは、だ。(笑うしかない)
10/20日、私らしい振り出しに戻る気がしていっそ嬉しい。

そうそう、子どもたちの作った法律は、ピュアであった。

戦争をしかけた国の大臣はやめさす
癌末期の人は、ホスピスで最後を楽しく過ごす権利がある
難民の人を助ける会社を各国に作る

こんな感じで、その真剣さにけっこう、目がウルウルした。
子供たちの顔や目を見て久しぶりに子供に接する仕事も、いいかもと感じたことであった。
イヤ、まった。
10月末から、11月、固めて教習所に行って、車の免許の格好を付けたいのだ、がんばろう。
指導の先生曰く「12月になるとボチボチ高校生が来るしな、早いときやっておかないかんで」だそうな。

一気に涼しくなった。
大山は雪が降ったらしい。
で、気持ちよく教習所から帰って昼寝した。
こんなにのんびりする日曜は本当に久しぶりだ。



2004年10月02日(土) アメリカFBIの千里眼

ジョー・なんとかという言うアメリカの超能力捜査官がでてくるみのもんたの番組をビールとワインの飲みつつ、つい、見ふけってしまった。
千里眼ということで、的中率80%とか。
おもろかった。
千里眼テストなるものがあって、挑戦。
1枚目、私には雲が見えて・・・アメリカのワシントンDC・スミソニアンあたりの写真で、オベリスクの後ろに雲があった。
2枚目、盛り上がったモノが見えて・・・木かな・・と思ったんだけど、これははずれ。盛り上がりは盛り上がりでもそれは橋でありました。
ジョーなんとかさんは、これは特殊な能力ではない、訓練で開発されると言っているが、私もそう思う。

今日は、たまちゃんがお父さんのお仕事帰りに、一緒に寄ってくれた。
ありがとう。



2004年10月01日(金) すだちが黄色に

昨日は枚方からうちに帰り着いて、出勤は止めてひたすら眠った。
ろくろくご飯も食べずによく寝た。
伊勢で足がぬれて、これだけは履き替えがなかった。で、そのままだったのがよくなかったらしい、はやり。
しかし、目が腐りそうなほど眠って(ホントに久しぶり)、すっかり元気回復、5時半おきで復帰したのでありました。

久しぶりに、夕方は自動車教習所。
すっかりお忘れ状態で、しかし、今どきの指導員はお優しくて、あきれていたようだが叱られずにすみましたわ、とほっほ。
帰りにスーパーに寄ったら、すだちが黄色になっていた。
さわると柔らかい。
メアリーさん台風がいって秋風が吹いてきた感じだが、すだちも一気に色づいたと言うわけだ。
なんだか、ああけっこう長いこと徳島にいた感じという気がした。(ちっとも長くはないがね)
★私的すだち利用法★
*ビールに入れる・・メキシコでは、ビールを注文すると,素焼きの入れ物にライムとひとつまみのお塩が必ず付いてきた。それを思い出して、半割のすだちをしぼって入れてビールを注ぐ。これ、発泡酒の方がいけることにこの頃気がついた。生粋の徳島県人の教えたら「おいしい」といっていた。
*サラダにひとしぼりしてから、ドレッシングをかける。
*納豆、豆腐、大好きなもずくなどにもかける、ジャバジャバかける
*みそ汁に入れる、鳴門ワカメ汁との相性は抜群にいい。
*自分ですだちドレッシングを作って活用
 
要するになんにでも入れるのだわ。
先日、愛知は東海市のお遍路仲間さんに、居酒屋でおいしいお酒と「肴」をご馳走になった。(Mさん、ごちそうさまでした)
焼き蠣や、名物の大あさりの焼いたのが出てきたとき、思わずこれすだちがあればな・・と思ってしまった。
すだちに関しては、徳島化してきているゾ。

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それにしても、今年の台風はどないなっとるのであろうか。
またまた沢山の方々が亡くなられた。
お悔やみ申し上げます。
で、この私、6月の熊野、8月末の今治、今回と出かけるたびに台風さんがやってくる。
今回は、場所的に来ない・・と踏んでいたのに、メアリーさんは方向を変えてくれたもんね。
人呼んで「台風を呼ぶおばさん」なんて・・・ちっともかっこうよくないぞ。

 
 


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